4月, 2021年

コロナ禍の1年を振り返って

2021-04-01

大阪府のコロナ陽性者数が600人を超え、吉村知事「まん延防止等重点措置」を要請するようだが、同じ過ちを何度繰り返すつもりなのだろうか。昨年の4月、7月そして今年の1月も、問題になったのは医療体制のひっ迫であり、医療体制さえひっ迫しなければ、日本程度の陽性者数であれば、緊急事態宣言など出す必要はないのである。

昨年4月の時点であればまだしも、あれから1年が経過してもなお、医療体制がひっ迫すると言うならば、それはもはや感染拡大のせいではなく、政府や自治体の無策、怠慢のせいと言っても過言ではない。

なぜ政府や自治体は、医療体制の拡充に手を付けず、飲食店への規制しか考えないのか?

すでに、大阪の飲食店は昨年の11月から4か月以上も時短営業を強いられているが、そもそもこの対策自体、本当に効果があるのだろうか?時短営業を4か月間やり続けたが、陽性者数はそのような対策お構いなしに増減を繰り返している。陽性者数のグラフを見ると、「緊急事態宣言」発出直後から陽性者数が減少しているように見えるが、グラフは2週間前の姿を示しているので、実際は「緊急事態宣言」の2週間前にピークアウトしていたのだ。しかも「緊急事態宣言」に効果があるならば、「緊急事態宣言」発出後2週間以降の陽性者数の減少率が大きくなるはずなのに、減少率はほとんど変わらなかった。これは昨年の4月も今年の1月も同じであった。また、今年1月の場合「緊急事態宣言」を出していない自治体もあったが、それらの自治体も「緊急事態宣言」を出した自治体と同じように陽性者数は減少したのだ。つまり、「緊急事態宣言」の発出が、陽性者数の増加を抑え込んだとは言えないのである。ウイルス学の専門家に言わせれば、「感染拡大エリアでの集団免疫が達成されたから陽性者数が減少に転じた」というのが真相であるらしい。もし、「緊急事態宣言」や「時短営業」に効果があると言うならば、政府や知事は上記のような現象について説明すべきであるし、「緊急事態宣言」に効果があるというエビデンスを公表すべきである。

実際クラスターの感染源については政府の発表でも飲食店の割合は1割にも満たないことがわかっている。もちろんクラスターの発生が少ないとはいえ、飲食店を介してコロナウイルスが感染している可能性を否定するものではないが、それは夜間の飲食店に限ったことではなく、昼間の飲食店や職場などでも同じことが起こっているはずである。大阪に限って言えば、飲食店は昨年11月からずっと夜8時(又は9時)以降の営業をしていないにもかかわらず、陽性者数の増減が繰り返されていることを見れば、陽性者数の増減は、明らかに飲食店とは関係ないところで起こっていることがわかる。

にもかかわらず、夜間の飲食店に焦点を当てた対策が取られている理由は、飲食店での「飛沫感染」が主な感染経路であると分科会が考えているからである。しかし、コロナウイルスの感染経路については様々な見解があり、例えば、京都大学の川村孝名誉教授によると、「飛沫感染」といっても主には飛沫が机などに落ちて、そこを他の人が触れた場合に感染する「接触感染」が多く、飛沫を直接浴びて感染する可能性は低いとのこと。また、大阪市立大学の井上正康名誉教授によるとコロナの場合「飛沫感染」よりも排泄物からの「糞口感染」の可能性が高く、トイレなどの衛生管理がより重要とのことである。そうなると、飲食店の対策よりも、病院や高齢者施設、介護施設などのトイレや汚物処理などの衛生管理がどうなっているかがポイントであり、おのずと対策も変わってくる。一方、仙台医療センターの西村秀一医師の見解は、コロナウイルスの感染経路は「接触感染」や「飛沫感染」の可能性は低く、空気感染(エアロゾル感染)がほとんどであり、対策としては、三密回避、特に換気が重要とのことである。よって、三密回避という観点からは、飲食店のキャパシティコントロールをやるべきであって、時短営業は逆に三密を誘発するので逆効果と考えられる。感染経路一つ取ってみても専門家によって見解が分かれるが、少なくとも「飲食店の時短営業」については感染防止効果が疑わしいという見解が多い。もし「時短営業」の効果がごく限定的であるとすれば、今の対策は飲食店やその関連業種を苦しめているだけであり、また支援金そのものが無駄であり、われわれ納税者に対しても無責任と言わざるを得ない。

私の顧問先の飲食店オーナーも「アクリル板を設置したり消毒や換気など、国が指し示す感染対策に従っているにもかかわらず、営業時間まで制限されるのは納得がいかない。しかも夜8時までと言われたら夜が中心の店なので売上げは半減どころか実質休業しているのと変わりない。昼も夜もできる店と夜が中心の店で、補償額を変えてもらわないと不公平である。効果があるのか無いのかわからない対策にだらだらと何カ月も付き合わされる我々の身にもなってもらいたい。」と、知事が出す対策について全く納得していない。

しかし、このように窮地に追い込まれている飲食店経営者の痛みを、国民の大半は対岸の火事としてあまり気にかけておらず、相変わらず飲食店の時短営業一本鎗の吉村知事小池知事の対策を評価し、それどころか「ロックダウンして国民全員がステイホームすべきだ!」といったより厳しい対策を求める声もある。

いつの間にか、われわれ国民はマスコミが毎日垂れ流すコロナ情報に洗脳され、コロナの呪縛から逃れられなくなっているのではないだろうか?例えば、当たり前の光景になってしまったが、屋外でもほとんどの人がマスクをしているが、もともとマスクは「至近距離で会話するときの飛沫防止のため」であったはず。ところが、ワイドショーが「マスク警察」の話や極端なマスクトラブルの話を繰り返し取り上げることで、国民はマスクをしないことに強い抵抗感を感じるようになってしまった。たとえば、「飛行機でマスク着用を拒否し、緊急着陸させた男の話」など、稀有な話題を繰り返しオンエアしたことで、「マスクをしない人間=変な奴」という悪いイメージが視聴者に刷り込まれ、「科学的には屋外でマスクをする必要はない」とわかっていても、「自分はそんな非常識な人間に思われたくない」という気持ちが働き、ほとんどの国民がマスク無しで屋外を歩くことができなくなった。こういう「ちょっと考えれば変な事例」は他にもあって、「満員電車は放置されているのに屋外で行われる聖火リレーの密は問題になる」「小中高生は学校に行けるのに、大学生は行けない」「マスコミがPCR陽性者を感染者と言う」「PCR検査の感度(CT値)が国や検査機関によってまちまちであり、日本は世界的にも特に高く設定されている」「死亡原因がコロナでなくてもPCR陽性であればコロナ死としている」「未だにコロナが致死率50%のエボラ出血熱と同じ扱いになっている」「日本の陽性者数が欧米諸国に比べ桁違いに少ないのに日本だけが医療ひっ迫をする」・・・このように「冷静に考えれば何か変だな」ということがコロナについては数多くあるのだが、われわれ国民は、その「変だなという事」を掘り下げもせず、マスコミが垂れ流す情報を鵜呑みにしてきたのではないだろうか

以下ここからは、コロナ禍の1年を振り返り、日本人にとってコロナとはいったい何だったのか、なぜこれほどまでにわれわれは苦しめられているのかについて総括し、「コロナという呪縛」から抜け出す解決方法について提案したい。

 

1.コロナウイルスを過大評価してしまった日本人

コロナ死のほとんどがコロナが直接的な原因ではないと言われているので比較はむずかしいが、公表されているデータだけを見れば、日本人にとって新型コロナウイルスとは、感染力はインフルエンザの約20分の1(50万人対1000万人)で、致死率はインフルエンザの約20倍(2%対0.1%)ということで、死亡リスクはインフルエンザとほぼ同じぐらいと考えられる。しかもインフルエンザはワクチン接種をしての数値なので本質的な死亡リスクはコロナの方が低いのではないだろうか。ちなみに一見するとコロナの致死率がインフルエンザの20倍と極端に高いと感じられると思うが、インフルエンザの致死率が低いのは、インフルエンザの患者の7割が致死率が低い20歳未満の若年層なので、全体の致死率を大きく下げていると言える。よって、高齢者だけを分母にした致死率は、インフルエンザに比べコロナが特別高いとは言えない。

また日本は、欧米諸国と比較しても、陽性者数死者数25分の1から30分の1と圧倒的に少なく、日本においては、欧米諸国のように大騒ぎするようなウイルスではなかった。皆さんは欧米諸国と日本の陽性者数を同じグラフに描いた図をご覧になったことがあるだろうか。よく探さないと日本の折れ線がどこにあるかわからないぐらい、日本の陽性者数は欧米に比べ少ないのである。

にもかわらず、厚労省がコロナウイルスを「1類相当の2類感染症」に指定しエボラ出血熱並みの扱いをし、マスコミが欧米諸国の悲惨な状況を繰り返し報道し、極め付きは専門家会議のメンバーが「このまま対策をしなければ42万人が死亡する」と発表したため、日本人は必要以上にコロナウイルスが恐ろしいウイルスであるという先入観を植え付けられた。特に昨年3月に志村けんさんが亡くなったことで、高齢者にとっては「死の病」という印象が強く残ってしまった。

2.マスコミの煽り報道

日本人がコロナウイルスを過大評価してしまった最大の原因は、テレビを中心としたマスコミがコロナの危険性をさんざん煽ったからである。この1年間、どのチャンネルも毎日毎日、朝から晩まで、手を変え品を変えコロナの危険性を伝えることに終始した。両論併記という報道の原則を破り「コロナの危険性はそれほど大きくはない」と言う専門家の意見は取り上げず、ことさらコロナは危険であると主張する専門家ばかりを出演させた。それどころか、専門家から取材したVTRの編集を意図的に捻じ曲げたりしている。ある専門家が「欧米でのPCR検査は日本よりかなり多いが、日本はいたずらにPCR検査を増やすべきではない」という発言をしたにもかかわらず、「欧米でのPCR検査は日本よりかなり多い」という箇所だけを使い、PCR検査を増やすべきだという意見にすり替えて放送したのだ。この放送後その専門家は自分の意見と真逆の意見に編集されていることに憤り放送局に抗議している。ほかにも昨年4月にコロナの死亡者が42万人になるいうとんでもない予測をした専門家のデータを今年になってからでもまだ使用していたりする。普段は「ダイバシティ」などという言葉を使い「多様性」を主張するマスコミが、コロナに限っては「意見の多様性」を全く受け付けなかった。コロナの恐怖はまさにマスコミが創り出した恐怖であり、国民はこの1年間マスコミの煽り報道に翻弄され続けた。先日テレビを見ていて驚いたのは、大阪府の陽性者数が300人を超えただけで「ニュース速報」が流れたのだ。番組に水を差してまで視聴者に伝えるべきニュースなのか?とあきれ果てた。国民の8割が緊急事態宣言を支持し、東京五輪開催に批判的である理由は、このようなマスコミの煽り報道が原因であることは間違いない。政府がGotoキャンペーンを中断せざるをえなかったのも、マスコミに先導された世論に抗うことができなかったからだ。さらに、厚労省がコロナウイルスについて「新型インフルエンザ等感染症」としての厳しい措置を解除しないのも、もし解除して感染が拡大した場合に、マスコミや世論からバッシングを受けることを恐れてのことだろう。もちろん、世論に迎合する政府も大問題だが、マスコミの煽り報道や偏向報道は、世論を巻き込み、冷静な政治判断をも歪めてしまっているのだ。

そして、コロナ報道に最も影響を受けたのが、テレビが主な情報源の高齢者である。高齢者は我々が思っている以上にコロナ恐怖症にかかっていて、テレビから流れるコロナ情報に毎日さらされ精神的に参っている人が多い。外出できず足腰が弱ったり、認知症が進んだり、運動不足で免疫力が低下し、逆にコロナにかかりやすくなっているとも聞く。また、お盆や正月には帰省を禁じられ孫にも会えず、高齢者施設の利用者は家族にも会えない。さらに、がんで亡くなってもPCR陽性だとコロナ死と判定され、病院で納体袋に密閉され家族さえ直接触れることができない。なんと人権を無視した無慈悲な仕打ちであろうか?コロナが「新型インフルエンザ等感染症」である限りわれわれはこのような措置に従わざるを得ないのだ。医学的にコロナは大したウイルスではなかったが、マスコミの執拗な偏向報道と煽り報道によって、社会的に凶暴なウイルスに変異させられたと言えるだろう。

3.医療ひっ迫は人災である

陽性者数が欧米諸国よりも圧倒的に少なくかつ病床数は欧米諸国よりも充実していたにもかかわらず、欧米諸国では医療崩壊が起こらず、日本では医療崩壊寸前まで医療がひっ迫した。原因として考えられるのは3つ。①コロナウイルスをエボラ出血熱並みの「指定感染症」に指定し、その後「新型インフルエンザ等感染症」に分類したため保健所と医療機関に大きな負担がかかった。②医師会をはじめとした民間の医療機関が病院経営を理由にコロナ対応に非協力的であった。③昨年4月の緊急事態宣言解除後、政府や自治体が医療体制の拡充に動かなかった。結局、日本の医療体制がひっ迫したのは、陽性者数が増えたからではなく、医療提供者側が何もしなかったからだ。そもそもウイルスの動きを人間の力で抑え込むこと自体無理があるわけで、いくら頑張ったとしてもウイルスの気まぐれに翻弄されるだけである。それよりも、日本のように陽性者数が極端に少ない国の対策としては、医療体制の拡充に力を注ぐ方がはるかに効果的で経済的である。

にもかかわらず、政府や厚労省、医師会が医療体制の拡充を進めないのは、穿った見方をすれば、単に「ワクチン待ち」をしているからではないだろうか。早晩ワクチン接種が進めばすべてが解決すると思っていて、厚労省は「コロナを『新型インフルエンザ等感染症』から除外してしまうとワクチン接種を推し進める根拠がなくなってしまう」と考え、医師会は「ワクチンが来るまでなんとか感染拡大を抑えられれば、民間の病院でコロナ患者を受入れずに済むし、更にはワクチン接種で儲けることができる」と考え、政府や自治体は「ワクチン接種さえ進めば、医師会が反対するであろう医療体制拡充の大鉈を振るわずに済む」と考えているのではないだろうか。こういう考え方が各界トップの本音であるならば、当然医療体制の拡充など進むわけが無く、ワクチン接種が完了するまでは感染拡大防止一辺倒の対策に終始してしまうだろう。その結果、割を食うのは国民であり、コロナ患者を救えないだけでなく、重症病床が足りないことにより、がんの手術が延期されたり、他の病気の治療が後回しにされたりという被害を受ける。また医療体制がひっ迫するたびに緊急事態宣言や時短営業が繰り返され、売上の落込み、経営破綻、失業、そして自殺という不幸に見舞われるのである。

4.「マスク」という同調圧力

日本人にとってコロナは医学的問題というよりも、社会的問題であった。その象徴がマスクであり、マスクをしていない人に対する世間の目は厳しい。意味がないのに屋外でマスクをしている人のなんと多いことか。しゃべらなければ問題ないのに、マスク無しではエレベーターにも乗りづらい。受験生がマスクから鼻を出しただけで注意されたり、小学生に1日中マスクを強制したり、常識では考えられないようなことがこの日本で起きているのだ。

特に小学生にマスクを強制することは、子供の健康を考えた場合非常にマイナス面が大きいと言える。一つには、慢性的に酸素不足になり思考能力が低下するということ。もう一つは、幼児期や児童期には特に重要と言われている、表情から相手の気持ちを洞察するコミュニケーション能力を養う機会をマスクが阻害していることである。更に、子供は様々な菌やウイルスに晒されることで免疫力を獲得していくのだが、マスクや過度な消毒で不自然な清潔環境を作ることで、その免疫力を鍛える機会を奪うことになる。杞憂かもしれないが今の過剰な感染予防が、思っても見なかった病気の流行を誘発する可能性だってあるのではないか。このようなデメリットを考慮すると、小学生以下についてはほとんど感染も重症化もしないのだから、早急にマスクの着用をやめるべきである。これに対して、「孫が祖父母に感染させるリスクがあるので、高齢者を守るためにはやむを得ない」という意見をよく聞くが、三世代同居の割合が都市部では3~4%、全国平均でもわずか6%であるという現実を考えると、高齢者を守るためにすべての子供たちにマスクを強制する合理性があるのだろうか。そして、子供にとってマスク着用が残酷なのは、つらくても自分の判断でマスクを外すことができないことだ。大人ならちょっと息苦しかったら簡単に外せるが、小学校の子供たちはそれができない。マスクをちょっとでも外そうものなら、先生から厳しく注意され、先生の目を盗んで外していると真面目なクラスメートからも注意される。子供には逃げ道がないのだ。これは子供に対する虐待以外の何物でもない。

一方、大阪の吉村知事に至っては飲食店での「マスク会食」を強制しようとしている。食事中にマスクをしたり外したりするのは面倒くさいし、マスクが食べ物で汚れ非常に不衛生であり、普通の感覚では生理的に受け入れられない。また、「マスク会食」を店側の責任で強制するのは、店と客の分断を生むだけで、その結果マスク会食をしている飲食店から客足が遠のくだけである。真面目に対応をした店ほど収入が減るという、まさに「正直者が馬鹿を見る愚策」である。知事が真面目な顔をしてこんな非常識な対策を推奨するようでは、われわれ国民はいつまでたっても「マスクの呪縛」から逃れられないのではないか。

それにしても、市中にコロナ患者がほとんどいないことがわかっていて、われわれはなんのためにマスクをしているのだろうか?あくまで仮定の計算だが、大阪府の1日のPCR陽性者数が600人の場合、潜在的にその10倍の陽性者がいると仮定すると、府内には約6000人の「無症状陽性者」がいることになる。大阪府の人口が900万人なので、1500人に1人が「無症状陽性者」ということだ。われわれが1日行動して5人と濃厚接触すると仮定すると、1日に「無症状陽性者」に濃厚接触する確率は300分の1である。1日に300分の1ということは、要するにわれわれは1年間でたった1人の「無症状陽性者」にしか濃厚接触しないのである。これだけ低い確率にもかかわらず、四六時中マスクを着用する意味があるのだろうか?マスク着用は、至近距離で比較的大きな声で会話をするときぐらいで十分ではないだろうか。

5.何のための「特措法」改正なのか?

時短要請などに法的強制力を持たせる代わりに、その要請に協力した事業者には十分な補償をするということを目的とした「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正が今年になって行われた。しかし、蓋を開けてみれば、飲食店などへの規制や罰則が強化されただけで、「補償の拡充」については具体的に明記されなかった。よって、依然、補償が不十分なまま時短営業を強制されるケースが続出しており、東京のある外食チェーンのオーナーが都を相手に「十分な補償の無い時短要請は財産権の侵害に当たり」、「時短要請に応じなかった2000店舗のうち、わが社だけに使用制限命令を出したのは憲法に保障された法の下の平等に反する」と行政訴訟を起こしている。この外食チェーンにとっては、時短営業に応じないのは店舗存続のためにやむを得ない選択であり、そんな場合でも罰則が科されてしかるべきなのか問題提議がされている。いくら公共の福祉のためとはいえ、廃業に追い込まれるほどの私権制限が行われていいのかどうか、またコロナウイルスが時短営業を強制しなければならないほどの脅威であるのかどうか、司法の判断が待たれるところだ。

また、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正は「感染症法」の改正と共に、医療機関に対する協力要請を強化することも目的としていたが、一定の医療団体からの圧力により、患者側が入院や検査を拒否した時の罰則だけが強化され、医療機関に対する協力要請を命令にまで厳格化するところまでには至らなかった。

また、「新型コロナウイルス」の「指定感染症」からの除外を期待していたが、「新型インフルエンザ等感染症」に分類し直され、「エボラ出血熱」並みの扱いが解除されることは無かった。

結局、喫緊の課題である「事業規模に応じた補償」と「医療機関への協力の厳格化」という本来の目的とは大きくずれた骨抜きの改正であった。

6.PCR検査の信用性

この1年、マスコミの偏向報道とともに最も日本人を振り回したのがPCR検査である。マスコミは日本のPCR検査数の少なさを批判し続け、「日本人全員にPCR検査を実施して陽性者を炙り出すべきだ」というような、とんでもない意見を言うコメンテーターもいた。しかし、民間のPCR検査が増え、無症状の陽性者が急増したために今年の1月に何が起こっただろうか。保健所が無症状の陽性者の数に対応しきれなくなり、入院できない自宅療養者が急増し、それによる重症者や死亡者が相次いだ。コロナが「2類指定感染症」である限り、PCR検査を増やせば、保健所がパンクすることは容易に想像できたはずなのに、マスコミはPCR検査をどんどん増やせと言い続けた。マスコミはこの責任をどう取るつもりなのか。

そもそもPCR検査の発明者であるキャリー・マリス「PCR検査を感染症の診断に用いてはならない」と言い残しており、PCR検査をコロナウイルスの診断に使用することは不適切だと考えられている。その理由の一つとして、PCR検査はウイルスを見つける方法ではなく、ウイルスの遺伝子を検出する方法なので、感染力の無いウイルスの断片も検出してしまうからだ。よって、PCR陽性者=感染者ということは言えない。しかもPCR検査のCT値によっては全く感染力の無い人も陽性者とされる場合がある。本来、感染力の有るウイルスを検出するための適正なCT値は30前後だが、日本の場合はそのCT値が40から45とかなり高く設定されており、擬陽性者を多く検出している可能性がある。昨年11月にインドネシアからの旅行者17人がインドネシアで陰性証明を受けたにもかかわらず、関西空港でのPCR検査で陽性になった例からもわかる通り、CT値については海外とも歩調を合わせておかないと、データの国際比較ができないし、東京五輪では海外で陰性だった選手が日本では陽性になってしまうといったトラブルが生じかねない。

7.ワクチン接種を断ったら

私自身はワクチン反対派でもなく、ワクチンに対する偏見も無いが、日本に限定すると、ワクチンを必ず接種しなければならないのかという課題がある。ところが、ワクチン接種は個人の任意であるにもかかわらず、政府は「国民全員が当然打つべきだ」というスタンスで推し進めている。ワクチンに対する否定的な意見については言論封鎖も辞さず、本来自由な表現の場であるSNSでもワクチンに対する否定的な投稿は削除されてしまう。先行してワクチン接種を始めている医療関係者からは、断りたくてもそういう雰囲気ではないという声が漏れ伝わってきている。高齢者施設や職場、学校などでの集団接種が行われた場合に、ワクチンを打ちたくない人の意思が尊重されるのかどうか気になるところだ。「マスク」と同じように「ワクチン」も「自分の感染を防ぐため」というよりは「他人にうつさないため」という世論が強くなると、ワクチン接種を断る人に対して「国民として無責任だ」というようなバッシングが起りかねないのが心配である。また、アメリカなどで問題になっているが、「ワクチン証明書」がなければスポーツ観戦や飲食店の利用ができないなど実生活に支障が出る事例もあり、日本では義務でもないのに私権が制限されていいのかという憲法上の問題も今後でてきそうだ。いずれにしても、日本ではワクチンを打つ打たないはあくまで個人の任意であるという基本は抑えておきたいところだ。

リスクについてもアナフィラキシーショックについては一定のコンセンサスがあるが、人間の遺伝子に働きかけるメッセンジャーRNAワクチンの本質的なリスクについては治験期間が短すぎて解明されていない。

また、そもそも欧米諸国と比べ圧倒的に陽性者数が少ない日本で本当にワクチン接種が必要なのかどうかの根本的な議論はされていない。高齢者は重症化リスクが高いのでリスクとベネフィットを天秤にかければワクチンを接種する意味があるかもしれないが、遺伝的リスクについて解明されていない現状において、ほとんど重症化しない若年層がワクチンを接種してもいいのかどうか甚だ疑問である。

変異株が拡大したイギリスでは昨年12月からワクチン接種が始まり、約40%が1回目の接種を終えたが、1日当たりの陽性者数は1月ピーク時の70000人から5000人に、死亡者数は1300人から100人以下に減少している。減少したとはいえワクチンをほとんど接種していない日本の現状よりも陽性者数も死者数も多い。現在、日本の1日当たりの陽性者数は2500人前後、死者数は30人前後なので、ワクチンを接種したイギリスの半分ほど、人口換算すると4分の1程度の少なさなのである。イギリスの数字を日本に当てはめれば、日本は既にワクチンを打った状態だと言える。

インフルエンザであれば、毎年1000万人単位で患者が出るのでワクチンを打つ意味もあるだろうが、コロナの場合、発生から1年以上が経過しても、陽性者数(患者では無い)がわずか50万人足らずである。日本人の99.6%の人が感染しないウイルスについて、ワクチンを打ったからと言って、それを何%にしようというのだろうか?99.7%や99.8%にするために国民の大半が、リスクがあるかもしれないワクチンを接種する医学的意味とは何であろうか?

欧米諸国の場合、感染爆発によりコロナ被害が甚大であったので、ワクチンのリスクの全容が解明されていなくても、ワクチン接種を急いだのは理解ができる。しかし、日本の場合は感染被害が欧米諸国の20分の1から30分の1しかないにもかかわらず、緊急承認までしてワクチン接種を急ぐ必要があるのだろうか。特に、コロナの感染リスクがほとんど無い未成年者に対しても、ワクチン接種を推奨する政府のやり方には大きな疑問を感じる。未成年者についてはコロナに感染してもほとんど重症化しないし死亡者は未だ0人である。ワクチン接種のリスクとメリットを天秤にかけたら、ワクチンを打つメリットは全く無いと言える。集団免疫を獲得するためには未成年者もワクチンを打つべきだという意見もあるが、これは暴論で、コロナ禍の現状を一日も早く終わらせたい大人の「エゴ」であり、子供たちをその犠牲にしてはいけない。

8.ファクターXとは?

日本を含め、台湾や韓国などの東アジア諸国では、陽性者数や死者数が、欧米諸国に比べ桁違いに少ない。その原因について、京大の山中教授が「ファクターX」と名付け、あらゆる分野の専門家がその原因を探っている。例えば、生活習慣説、BCGワクチン説、ネアンデルタール人遺伝説、集団免疫説、交差免疫説など、様々な説が出てきているが決め手はまだない。この中で京都大学の上久保靖彦教授や大阪市立大学の井上正康名誉教授、東京理科大学の村上康文教授などの集団免疫説交差免疫説を唱える免疫学者と、政府の分科会にいる感染症学者ではコロナ対策について全く逆の考え方をしていて興味深い。免疫学者は、日本人は初期の弱毒性の新型コロナウイルスや旧来からある土着のコロナウイルスに感染していて、すでに抗体を持っているので、欧米諸国のような過度な感染対策は不要であり、普通の生活をしていても感染爆発はしないという考え方である。ワクチンについても既に抗体を持っているのだから打つ必要が無いという意見である。国民の大半が既にコロナウイルスに感染している根拠として、首都圏の362人の抗体検査の結果「ほぼすべての検体で既感染を示す免疫グロブリンの反応があった」とのことである。常に感染爆発を心配し、ワクチン接種を推し進めようとする分科会の感染症学者とは全く意見を異にしている。どちらが正しいのか明確な答えはまだないが、日本人が欧米人に比べ明らかに新型コロナに耐性があることはデータが物語っている。しかし、マスコミは免疫学者が唱える集団免疫説や交差免疫説については一切報道しない。テレビなどで扱ったとしても詳しい内容を伝えるのではなく、批判の材料としてしか扱われない。マスコミがこのような偏向報道をしている限り、日本人は多様な知識や情報を得られるチャンスを奪われていく。

9.東京五輪を成功させよう

アンケートによると東京五輪の開催に消極的な人が未だに8割近くいるそうだ。テレビでは総じて東京五輪に否定的なコメンテーターが多い。ある芸能人は森会長が「コロナの状況がどんな状況でも東京五輪をやる」と発言したことに反発して、聖火ランナーを辞退したが、森会長の発言の真意をしっかり受け留めたのだろうか。また、自身が辞退することで周りにどんな悪影響が出るかを配慮したのだろうか。その直後に森会長の「いわゆる女性蔑視発言」があったものだから、「聖火ランナー辞退」を何か誇らしげに話していたが、東京五輪を目指して不安の中必死で練習しているアスリートのことを少しでも考えたのだろうか。池江璃花子選手内村航平選手の前で、上地結衣選手木村敬一選手の前で、「森会長の発言が気に食わなかったから聖火ランナーを辞退しました」って堂々と言えるのだろうか?

そもそも、世界の中で圧倒的にコロナ陽性者が少ない日本で、なんでオリンピックができないと考えるのか。世界がコロナ禍に見舞われている今だからこそ、日本でオリンピックを開催する意味があるのであり、コロナに打ちのめされている世界の希望の光となるはずである。もし日本が東京五輪をやらなかったら、代わりに中国が北京冬季五輪を開催し「コロナに打ち勝った証」として喧伝するであろう。

10.「無症状でも感染力がある」は本当か?

コロナが世界中で恐れられた最大の理由は「無症状者にも感染力がある」という「イメージ」が広まったからだ。ロックダウンなどの行動制限、三密を避ける、マスクをするといった対策が取られたのは、目の前の人が感染者かどうかわからないからで、世界中でPCR検査が流行したのもこの見えざる敵を可視化したかったからだ。しかし、この「無症状者にも感染力がある」という大命題について一度疑ってかかってもいいのではないか?京都大学の川村孝名誉教授によると、インフルエンザとコロナウイルスの違いは、その潜伏期間がインフルエンザの場合1~2日であるのに対し、コロナの場合5~6日であるという点だ。感染してウイルス量がピークになる時期はどちらも4日~5日後なので、インフルエンザは症状が出た後にウイルス量が最大になるが、コロナは症状が出る1日~2日前にウイルス量が最大になるので、コロナは無症状者でも感染させるという「イメージ」につながった。しかし、ここでしっかり押さえておくべきポイントは、「無症状期の感染力は発症後のそれに比べかなり低い」ということである。なぜかと言うと、体内にあるウイルス量が多くても症状がなければウイルスを体外に排出する量そのものが少ないので、無症状期の人の感染力はかなり低いということである。もちろん無症状の人でも、その人の唾液がべったりついたドアノブを触ったりすると感染する可能性はゼロではないが。要するに日本人においては、無症状者の感染力は症状のある人よりかなり低いので、無症状者を恐れすぎなくていいということである。逆に症状の変化には敏感になるべきで、発熱や咳、味覚異常など少しでも症状を感じたら極力人との接触を避けるということである。

11.日本は独自路線でいち早くコロナ禍から抜け出そう

新型コロナウイルスの特徴は、死亡者の90%以上が70歳以上の高齢者であり、そのうちの90%以上が何らかの基礎疾患を持っているということである。しかも死亡者のかなりの割合が病院高齢者施設などに既に入院している寝たきりの高齢者である。つまりごく限られた場所と年齢層にリスクが集中しているのだ。コロナの致死率を上げているのはこれら「病院や高齢者施設にいる基礎疾患のある高齢者」であり、逆に基礎疾患の無い60歳以下は重症化しにくく、致死率はインフルエンザ並みの低さである。このような特徴から、コロナ対策の肝は、「基礎疾患のある高齢者」とそれ以外を分けて対処することであり、「基礎疾患のある高齢者」の感染対策を徹底すれば、それ以外の人は経済を回すという意味でも、できるだけ通常の生活をすべきなのである。

さらに、何度も申し上げてきたが、日本は欧米諸国に比較し陽性者数も死亡者数も桁違いに少なく、かつ超過死亡も欧米諸国が軒並み例年の数倍に増えているのに、日本だけは何とマイナスである。つまり日本は「ファクターX」が功を奏し、欧米諸国に比べ、まるでワクチンを打ったような非常に恵まれた状況なのである。テレビなどマスメディアの報道だけを見ていると日本の感染状況はひどい状態だと勘違いしてしまうが決してそうではないのだ。よって、わざわざ欧米諸国にお付き合いをして経済を疲弊させる必要はなく、この幸運を生かすような日本独自の路線でコロナ対応をすればよいのである。

そこで提案だが、まず、新型コロナウイルスを「新型インフルエンザ等感染症」から除外し、一般のインフルエンザ並みの扱いにし、濃厚接触者へのPCR検査や無症状者の強制入院を辞め、一般の診療所でも受診できる普通の風邪として扱ったらどうだろうか。コロナを特別扱いせず、「症状が出たら受診する」という医療の基本に立ち返り、まずは医師の判断を仰ぐということだ。医師の診察さえあれば、薬の処方もできるわけで、特に高齢者については軽症のうちに投薬すれば重症化はかなり防げるはずである。高齢者をホテルや自宅で療養させるのは「医療の放棄」であり、医師の目が届かずかつ薬を処方できないのは非常に危険なことであり、これが重症患者を増やしている大きな原因となっている。また、入院が必要な場合もインフルエンザと同じように陰圧室や防御服などが無くても扱えるようにすれば、医療現場の負担は相当軽減されるのではないだろうか。さらにコロナの場合、通常は延命措置をしない重症患者に対しても人工呼吸器やエクモを装着せざるを得ない現場の状況があるらしく、これを改めれば、本当に治療が必要な人に適切な処置ができるのではないだろうか。そもそもインフルエンザ並みの風邪を、欧米諸国でさえも採用していない「新型インフルエンザ等感染症」に分類し、エボラ出血熱ペスト並みの扱いをしているからこそ医療のひっ迫が生じているわけだから、インフルエンザと同じ「5類感染症」に分類し直せばいいだけのことである。インフルエンザであっても、もし、エボラ出血並みに扱われたら、コロナと同様かそれ以上の医療ひっ迫を招いてしまうだろう。今後もコロナは普通の風邪としてちょくちょく顔を出してくるだろうから、われわれ国民が意識を変えない限り、いつまでたってもコロナの呪縛から逃れることはできないであろう。

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