8月, 2021年

コロナに脅かされる「科学的思考」と「言論の自由」

2021-08-23

日本人にとってコロナ禍とはいったい何だったのだろうか?

厚労省のデータによると、コロナによる死亡者数はインフルエンザによる死亡者数とほぼ同数、欧米諸国と比べると感染者数や死亡者数は15分の1から20分の1、亡くなった人の9割がインフルエンザと同じく60歳以上の基礎疾患のある高齢者であった。これは紛れもない事実である。

データを冷静に見れば日本はパンデミックの蚊帳の外にいたと言えるが、日本が欧米諸国と同様にコロナパニックに巻き込まれた最大の理由は、PCR検査によって感染状況が可視化され、それをテレビ局が毎日繰り返し報道することで、視聴者が必要以上にコロナウイルスを警戒したからである。もしPCR検査が無ければ、「今年はインフルエンザの代わりにたちの悪い風邪が流行ったね。」で終わっていたかもしれない。

今までは「知らぬが仏」で何の問題も無くやり過ごせていたものが、PCR検査が登場したことにより、国民は知らなくてもいい情報まで知ることになった。しかも、PCR陽性者数は株式相場のごとく日々変化し、常に新鮮な情報を提供してくれるので、テレビ局にとっては視聴率稼ぎには打って付けの材料であった。どのテレビ局もPCR陽性者数のグラフをパネルに掲げ、今週の感染者数は過去最多などと煽り立てた。大した陽性者数でもないのに、夕方になれば画面上に速報のテロップを流すほどの念の入れようである。その結果、毎日過度に誇張された情報に晒され続けた視聴者は「コロナは恐ろしい伝染病だ」と洗脳され、コロナのリスクはその実力以上に過大評価されてしまったと言える。

まさに、日本にとってコロナ禍とは「パンデミック」では無く、「インフォデミック」、つまりマスメディアの煽り報道により作り上げられた「情報災害」であった。

ただその代償は大きく、欧米諸国以上に経済が落ち込みその回復もままならず、廃業や失業により自殺者が増加し、人とのコミュニケーションが断絶されたことにより「うつ病」などの精神疾患が増え、子供たちの発育と教育が阻害され、様々な私権が無秩序に制限され、言論の自由が奪われ、憲法に謳われている「基本的人権」が軽んじられ、民主主義の根幹が揺るがされた。病気の被害に比べその副作用はあまりにも大きかった。

そこで、日本人にとってコロナ禍とはいったい何だったのか、何が問題だったのかを詳しく見てみたい。

【目次】

1.「東京五輪」と「欧州サッカー選手権」に見るコロナ対応の違い
2.為政者の「総合知」の欠如と国民の「良識」の劣化が生み出したコロナ禍
3.国民を怖がらせるだけの感染対策でいいのか?
4.コロナ対策のボタンの掛け違いは「感染拡大を抑えられると思い込んだことだ」
5.「指定感染症」を解除すればコロナ禍は終わる
6.日本にワクチンは必要か? ~コロナウイルスは弱毒化している~
7.ワクチンと「言論封殺」
8.ワクチンパスポートの非科学性と違憲性 
9.医療利権が政策を左右している
10.なぜ若年層にワクチンを打つのか?

【本編】

1.「東京五輪」と「欧州サッカー選手権」に見るコロナ対応の違い

このほど、イングランド公衆衛生庁が、今年の6月から7月にかけて行われた「欧州サッカー選手権」での感染状況の実証実験結果を発表した。英国で行われた8試合で約35万人が観戦したが、そのうち約6,400人が陽性者であった。特に6万人を入れた決勝戦での陽性者数は約3,400人と他のスタジアムに比べかなり多かった。ただし、6,400人の陽性者のうち3,000人は既に観戦時点で陽性であり、観戦により増えた陽性者は3,400人とのこと。つまり、3,000人が3,400人に感染させたということだ。観客はすべてワクチン証明書か陰性証明書を取得していたが、それでも陽性者数が2倍強になったということは、ワクチン証明や陰性証明の感染予防効果には限界があるということだろう。ただ、観客はノーマスクで、大声を張り上げ、ゴールが決まれば観客同士で抱き合い、試合後は周辺のバーなどで酒を飲んで羽目を外していたわけで、しかも3,000人もの陽性者を35万人の密集状態の中に放り込んでおいて、これぐらいの感染拡大に収まったとすれば、マスク無しで大騒ぎしても大した問題ではないとイギリス政府が考えるのも無理はないのではないか。

今回の結果を受けて、6,400人という感染者数のみに反応した日本のマスメディアは「東京五輪は無観客で正解だった」と報じているが、国立競技場で1万人、その他の会場でも十分なキャパシティコントロールをして開催する予定だった「東京五輪」で「欧州サッカー選手権」のようなことが起こるとは到底考えられない。プロ野球や大相撲での日本人の観戦態度を見れば言わずもがなである。

それよりも、東京五輪で一つ気になったことが、試合直後の選手へのインタビューである。陸上競技1,500メートルの田中希実選手が、レース直後で息が上がって苦しそうにしているにもかかわらず、運営スタッフからマスクを渡され、マスクを着用させられてインタビューを受けていたことだ。他にも水泳の大橋選手など、ほとんどの競技で試合直後にマスクを着用させられインタビューを受けていたが、いったい、誰が誰に感染させるのを防ごうとしているのか?感染防止をしたいのなら、インタビュアーや周りの人間が対策をすべきで、選手に負担を掛けるのはいかがなものか。かたや、柔道ではノーマスクだったが、屋内競技の柔道ではマスク無しが許され、屋外競技の陸上ではマスク有りというのはいったいどういう基準なのだろうか?

さて、話は欧州サッカー選手権に戻るが、ここで注目したいのが、日本とイギリスのコロナ対応の差である。イギリスは、「無謀な実験」と批判されようとも、ワクチンの効果や大規模イベントの感染リスクを「科学的」に検証しようとしたわけで、あくまでデータに基づいた感染対策をしようとした。そして、その検証の結果、これまでの感染対策を緩めていくことを決断したわけだ。そこには、リスクを取ってでも「コロナ禍を終わらせよう」、「モードチェンジしよう」とする強い覚悟のようなものが感じられる。

それに比べ、東京五輪においては、1,000億円以上かけて開発したスーパーコンピューター『富岳』が、「有観客開催でも感染を拡げない」というシミュレーション結果を提示していたにもかかわらず、政府はそれを採用しなかった。ちなみに、多くの日本人に「マスクには感染防止効果がある」と思わせたのは『富岳』の飛沫拡散シミュレーションの映像であったが、マスク着用の流布には『富岳』を採用しておきながら、東京五輪では『富岳』を採用しないというのはどういう基準なのだろうか?勘違いしてもらっては困るのだが、『富岳』の出すデータが必ずしも正しいと言っているわけではない。逆に、『富岳』の飛沫拡散シミュレーションは「マスクが感染を防ぐ」ということを何も証明していないにもかかわらず、国民にコロナウイルスの感染経路が「飛沫感染」だと印象付けた点、そして、その後の感染対策が「マスク着用」や「三密回避」、「飲食店への規制」に偏向して行き、それ以外の可能性の追究が疎かになり糞口感染などの感染経路が見逃されたという点で大きな問題であった。しかし、ここで問題にしたいことは、どのような対策を取るにせよ政府の判断基準に一貫性が無い事である。『富岳』のデータが科学的に正しいと言うならばそれを採用すればいいはずだが、結局、政府は有観客開催に踏み切ることができなかった。なぜ彼らにその合理的な決断ができないのか。その最大の原因は、政府にとって最も重要なことが、コロナ禍から国民を守ることでは無く、自分たちの立場を守ることだからである。総裁選や衆議院選挙を控えた政府の最重要課題が選挙に勝つことであり、採用する対策が科学的かどうかというよりも、「いかにテレビや世論にバッシングされないか」、「いかに内閣支持率を下げないか」ということが判断の決め手となっていたからである。政府のそのような姿勢は国民にも見透かされていて、菅政権の支持率がここまで下がったのは、単に東京五輪を開催したからとか、コロナの陽性者数が増加したからではなく、採用する政策に科学的根拠と一貫性が無く、かつ、コロナ禍を終わらせようとする覚悟が感じられないからである。

ところで、東京五輪閉会式の最後に、次期開催地パリがエッフェル塔の下に大観衆を集め行ったパフォーマンスの迫力を目の当たりにして、皆さんはどう感じただろうか?(ちなみにこの大観衆は全て、ワクチンパスポートか陰性証明書を所持していたらしい)。「パリが大観衆を集めてやれるのなら日本も有観客でやって良かったのではないか」と悔しがった人、「感染を拡げたらどうするのか。日本ではありえない!」と呆れた人、「今後のスポーツイベントはワクチンパスポートが前提となるのか」と眉をひそめた人・・・千差万別だと思うが、一つ言えることは、閉会式を見た世界中の人々の記憶に残ったのは、おそらく、観客のいない閑散とした国立競技場の映像ではなく、フランス空軍機がトリコロールを描きながら旋回したエッフェル塔の下に集まる大観衆の映像であろう。

2.為政者の「総合知」の欠如と国民の「良識」の劣化が生み出したコロナ禍

日本よりはるかに感染者数も死者数も多いイギリスが経済活動の再開に舵を切り、大観衆を集めイベントを敢行する姿勢を見てしまうと、日本の「科学的根拠」も「政策的信念」も無く、政局に左右されたり、国民の顔色を窺ったり、マスコミのバッシングを恐れたりといった、弱腰な政策決定が歯がゆくて仕方がない。ここでいう「科学的根拠」とは、単に感染抑止ができれば良いというものではなく、感染抑止策により経済や社会が被るであろう副作用にも配慮した総合的な知見である。つまり、分科会などの専門家の意見はあくまで参考意見に留め、どのような政策が国益に叶うのかを為政者自らが総合的に判断する「総合知」が必要なのである。残念ながら、責任を取ることを恐れた日本の為政者は自ら判断することを放棄し、「総合知」を働かせることはなかった。

例えば、日本政府のコロナ対策を振り返ると、昨年2月の「①全国一斉休校」に始まり、「②小中学生へのマスクの強制、給食の黙食、リモート授業の導入」、「③修学旅行や卒業式など各種学校行事の中止」、「④大学生への登校停止」、「⑤全国大会の中止などクラブ活動の制限」、「⑥困窮者が救われない特別定額給付金10万円の悪平等」、「⑦飲食店狙い撃ちの時短営業と不公平な補償」、「⑧根拠のないGotoトラベルの中断」、「⑨個々の事情に配慮の無い帰省制限の要請」、「⑩効果の検証がされないまま繰り返される緊急事態宣言」、「⑪飲食店がより苦しむことになった特措法の改悪」、「⑫PCR検査の誤用、乱用」、「⑬一向に拡充させない医療キャパ」、「⑭医療ひっ迫の原因となっている指定感染症の継続」、「⑮他の死因でもPCR陽性ならコロナ死と報告させている厚労省の通達」、「⑯酒類提供について優越的地位の乱用を政府が要請」、「⑰若年層へのワクチン接種」、「⑱人権侵害の恐れのあるワクチンパスポートの導入検討」そして「⑲東京五輪の無観客開催」等々、「科学的根拠」に基づいているとは到底思えない、「感染抑止一本鎗」の「総合知」無き愚策が繰り返されている。

これらの政策の欠点は、「新型コロナウイルスの危険性の評価」を棚上げしたまま(「指定感染症」を未だ続けている)、感染防止という名の「公共の福祉」が過度に重んじられ、「私権制限」が「無秩序」に行われていることである。つまり、「総合的な科学的知見」に基づかなかったため、過剰な感染防止策が経済や社会や文化や教育を必要以上に傷つけ、しかも、「国会」の検証や承認を経ず、「行政」の独断で「私権制限」が行われていることだ。要するに、「科学」と「法治」の軽視である。その典型的な例が、7月8日の西村大臣の発言であり、西村大臣は酒類提供禁止に応じない飲食店に対して金融機関から対策順守を働きかけてもらうよう呼び掛けたのだ。これはさすがに方々から批判が続出し未遂には終わったものの、西村大臣のこの発言はまさに優越的地位の乱用を政府自らが促したということであり、コロナごときで「権力の濫用」に対する歯止めがここまで効かなくなっているのかと、政治家の「総合知」の欠如に呆れ果てた。

ただ、このような政府の愚策を許したのは国民にも責任の一端があるのではないだろうか。例えば、時短要請期間中に営業している飲食店に誹謗中傷のビラを貼ったり、県外から来た車に嫌がらせをする「自粛警察」しかり、マスクをしない乗客を緊急着陸までして降ろす航空会社の「機長」しかり、電車の中でマスクをしていない人に注意する「マスク警察」しかり、小学生にマスクを強要し続ける「教育関係者」しかり、義務でもないのに屋外でマスクをしている「多くの国民」しかり。マスクの話ばかりになってしまったが、「たかがマスク、されどマスク」で、マスク着用はその感染防止効果のエビデンスが無いままに、国民が同調圧力で受け入れた非科学的対策の「象徴」だからである。世界にはマスクを着けない国も多いし、スウェーデンでは症状の無い人はほとんど誰もマスクをしていないが、マスクをしていないからといって感染が拡大したというエビデンスはない。もちろん日本でも無症状の人のマスク着用で感染拡大を防いだという実証データは無く、ただ、『富岳』の飛沫拡散映像の印象だけが国民の頭にこびりついているだけだ。マスクの効果に否定的なことを言うと、「マスクの効果が無いと証明されていない限り、着けないよりは着けている方がましではないか」という反論が聞こえてきそうだが、そういう人には一言、「では、屋外で、一人で歩いている時ぐらい、マスクを外してはどうか」と言いたくなる。おそらく人の目を気にして着けている人がほとんどだとは思うが、「屋外でマスクを外すことさえできない同調圧力の蔓延こそが日本のコロナ問題の本質」だと言える。マスク着用に限らず、日本では、国民が政府やマスコミの情報に何の疑いも持たず、言われるがままに政策を受け入れてしまったことが、政府に愚策を繰り返させる原因となってしまったのではないだろうか。

例えば大学は、昨年4月に入学してきた学生が既に1年半にも渡りほとんどキャンパスに行けていない現実をどう考えているのか?小・中・高生は工夫をして登校しているではないか?なぜ小・中・高生より分別のある大学生にそれができないと鼻から決めているのか。学生にとっては授業だけではなく、サークルやクラブ活動に勤しんだり、友達を作ったり、恋愛をしたり、キャンパスライフを謳歌する権利がある。学生にとっての4年間は大人達の4年間と違い唯一無二の時間なのだ。短大生は可哀そうに殆どキャンパスに行かず卒業することになる。「授業料を返せ」と言いたくなるのも無理はない。大学の経営者や教授たちは思い出してもらいたい。あなた達も学生時代を謳歌し、学生時代がいかに貴重な時間かをわかっているはずだ。大学こそ、学生をキャンパスに迎えるために、あらゆる科学的英知を結集して解決策を見出していく立場にあるのではないか。大学関係者の中に一人でも政府や文科省に対して、キャンパスでの学生生活がいかに大切かということを訴えた者がいるのだろうか。リモート授業に逃げている今の大学はまさに事なかれ主義であり、高等教育が同調圧力に負けた象徴である。

少し調べれば、「コロナは大したことが無い」というデータがいたる所にあるにもかかわらず、政府やマスコミが垂れ流す情報を鵜呑みにして「コロナは怖い」と思考停止に陥った国民は、物事を冷静に判断するための「良識」というものが相当劣化してしまったと言えるのではないだろうか。ここで言う「良識」とは、その人の人生の中で培われてきた知識や経験に裏打ちされた豊かな「教養」や「見識」という意味であり、たとえ専門的な知識が無くとも、物事の本質を直観的に見抜く力である。

今回のコロナ禍は「総合知」無き為政者と、「良識」が劣化した国民の共同作業で創られた「人災」ではなかったか。もちろん、視聴率の為なら偏向報道でもなんでもするテレビ局がコロナ騒動の元凶であることは間違いないし、テレビが巧みに脚色して毎日垂れ流す虚々実々の情報を、個人の「良識」だけで見極めろと言うのは酷かもしれないが、ただ、「テレビの言うことはすべて正しい」と思っている「良識」の劣化した人々があまりにも多いからこそ、コロナの恐怖は必要以上に過大評価されてしまったのではないだろうか。

3.国民を怖がらせるだけの感染対策でいいのか?

最近、東京都知事が「デルタ株の猛威で災害級の危機を迎えている。」と発言しステイホームを呼び掛けたが、本当に災害級の危機なのだろうか?たまたま災害級の豪雨が全国を襲っていることになぞらえ、コロナの被害も「災害級」になっているという印象を国民に与え、危機感を煽る手法ではないか。穿った見方をすれば、医療体制のひっ迫を招いた自身の失策から国民の目を逸らすため、コロナは避けようのない「自然災害」であるという印象操作をしたかったのかもしれない。いずれにしても、このような誇張された表現を知事が使うときは気を付けなければならず、われわれは、派手な言葉に踊らされることなくデータに基づいた冷静な判断をしなければならない。その意味でも、現在のデルタ株の流行が知事の言うような「災害級」の危機なのかどうか、海外のデータと比較して確かめたい。

8月20日時点での日本の陽性者数(7日間平均、以下同じ)は21,111人(100万人当り166人)で、死亡者数は28人である。陽性者に対する死亡率は0.13%であり、100万人当りの死亡者数は0.2人である。また、1回目のワクチン接種率は52%、2回目のワクチン接種率は40%である。

では、ワクチン接種が進んだことにより、通常の生活に舵を切ったイギリスではどうだろうか。8月20日時点での、イギリスの陽性者数は31,040人(100万人当り460人)で、死亡者数は114人である。陽性者に対する死亡率は0.36%で日本の2.7倍であり、100万人当りの死亡者数は1.6人で日本の8倍である。また、1回目のワクチン接種率は71%、2回目のワクチン接種率は62%であり、接種率は日本より20%ほど進んでいる。

また、アメリカの陽性者数は151,227人(100万人当り460人)で、死亡者数は975人である。陽性者に対する死亡率は0.64%で日本の5倍であり、100万人当りの死亡者数は2.9人で日本の14倍である。また、1回目のワクチン接種率は61%、2回目のワクチン接種率は52%であり、接種率は日本より10%ほど進んでいる。

いずれも、日本よりワクチン接種が進んでいるにもかかわらず、「陽性者に対する死亡率」は日本の2.7倍から5倍、100万人当たりの死亡者数に至っては日本の8倍から14倍なのである。以前よりはその差は縮まったが、それでも日本は海外と比べ「さざ波」か「小波」程度である。

そのアメリカでは、スタジアムを埋め尽くしたノーマスクの観客が大谷のホームランに歓声を上げ、ラスベガスでは2年ぶりに復活したマニー・パッキャオのタイトルマッチを超満員の観客が観戦し大声援を送っている。

一方、日本では陽性者数が増えたことだけをことさら取り上げ、医療ひっ迫が災害級の危機と騒ぎ立て、より強い感染対策をやろうとしている。全国知事会に至ってはロックダウンを政府に要求する始末だ。「危機を煽って国民の行動変容に期待する」いつものパターンである。「総合知」無き為政者の典型が、目先のことしか考えない今回の知事たちの烏合であった。それにしても、毎回思うのだが、医療がひっ迫しているのであれば医療体制に手を付ければいいのに、なぜか国民の行動を規制しようとする。この遠回りはいったい何なのだろう?昨年の1回目の「緊急事態宣言」の目的は、医療体制を整えるまでの時間稼ぎだったはずで、国民が我慢して時間稼ぎに協力したのだから、政府はそれに応えて、医療体制の整備に尽力すべきではなかったのか。あれから既に1年半が経過しているにもかかわらず、相変わらず「国民の行動変容を促す手法」しかやらないのは、協力した国民への裏切りであり、国民を舐めているとしか言いようが無い。

政府や知事は軽々に「ステイホーム」とか「夜の街は控えて」などの「自粛のお願い」を繰り返すが、国民に向かって「自粛」をお願いすること自体、事実上、事業者にとっては「間接的な営業妨害」なのである。しかし、あくまで国民(客側)へのお願いなので、知事は法的に事業者側に一銭の補償もする義務が無い。例えば、あなたが地方都市で観光旅館の事業を始めた途端、知事が「県を跨いだ移動はおやめください」と言って、客足が激減し経営危機に陥ったとしても、県はあなたに何の補償もしなくていいのだ。それがいつ終わるかわからず1年以上も続いたら、経営者として耐えられるだろうか?実際、日本ではそれがもう1年半も続いているのだが、地方都市ほど同調圧力が強く、事業者側にそれに抗う手立てがない。

他にも、銀座や新地のクラブやバーなどへの対処は酷いもので、完全に狙い撃ちされている。「午後8時までの時短営業をしろ」と言われたら、クラブの開店時間は通常午後8時頃だから「営業するな」と言われているのに等しい。ホストやホステスは個人事業主なので、雇用調整助成金の対象にならず休業や失業をしても何の補償も無い。彼らにとっては死活問題で、生活していくためには通常営業をせざるを得ない。政府や知事は、十分な補償がなければ要請に従わず通常営業を続ける店が出てくることは容易に想像できたはずである。政府が、飲食店が感染源だと言うならば、モラルハザードが生じているこのようなクラブやバーが感染源となっていることもわかっているはずだ。にもかかわらず、通常営業しているクラブやバーを放置しておいて、逆に、感染対策をしている飲食店に時短営業を要請している今の政策のどこに合理性があるのだろうか。

政府や知事たちは、この「国民へのお願い」という「ズルい手法」をしれーっとやり続けているのである。日本人の同調圧力は思った以上に強く、「自粛要請」という手法は、十分な補償をしなくてもロックダウン並みの人流抑制効果を発揮したので、政府や知事にとっては一石二鳥のおいしい手法であった。1回目の緊急事態宣言後も「ステイホーム」という掛け声のもと「自粛要請による人流抑制」がうまくいったものだから(人流抑制はできたが感染拡大を防げたわけではない)、それに味をしめて、遠慮なしに何度も繰り返すこととなり、その度に支援金などの補償の受け皿からこぼれ落ちた事業者が苦境に立たされる羽目になった。たださすがに国民も人流抑制が感染抑止に効果が無いということに気付き始め、「緊急事態宣言」を発出しても人流を止めることはできず、現在では「自粛要請」は形骸化している。

ちなみに、ロックダウンやマスクの義務化などの過度な感染対策を取らず、「ウイズコロナ」で「長期的戦略」を取ったスウェーデンは、当初高齢者施設の死亡者が多く出てかなり叩かれたが、今ここに至っては、陽性者数も死亡者数もほとんど増えておらず、その「対策をしない対策」が見直されている。スウェーデンには日本の様な「自粛」という概念は無く、あらゆる政策は法律に基づいて実行される。「スウェーデン政府の見解」は毎日、テレビでダイレクトに国民に伝えられ、日本のようにテレビが「自粛」「自粛」と恐怖を煽ることはなく、国民はいたって冷静だ。為政者も国民も、いわゆる自己の「良識」に基づいて判断しているのだ。義務ではないので誰もマスクをしていない。逆にスウェーデンではマスクをしている人は非常識な人だと見られる。そんなスウェーデンの8月20日時点での陽性者数は920人(100万人当り91人)で、死亡者数は1人である。陽性者に対する死亡率は0.11%であり日本とほぼ同じである。1回目のワクチン接種率は65%、2回目のワクチン接種率は50%であり、接種率はアメリカ並みで、日本より10%ほど進んでいる。

結局、イギリスやアメリカのように、ロックダウンを繰り返してコロナを抑え込もうとした国よりも、ウイズコロナで緩やかな規制を貫いたスウェーデンの方がコロナによる被害は同等だとしても、経済的ダメージは少なかったと言える。この一年半の各国の感染状況を見ていくと、一旦感染が拡大してしまうと、ロックダウンしようが、緊急事態宣言を出そうが、学校を閉鎖しようが、飲食店を休業しようが、もしくはなんの対策をしなくても、その結果はほとんど変わらないということがわかった。つまり感染対策のやり損だったのである。日本は既に獲得していた「集団免疫」や「交差免疫」などにより、スウェーデンよりも圧倒的にコロナ被害が少なかったにもかかわらず、スウェーデンよりも過度な感染対策をしてしまったがために、経済的損害はスウェーデンを上回ってしまったといえる。

東京都知事のように、為政者が「自粛」を促すための手法として国民の恐怖心を煽っているとしたら、それはもう民主国家とは言えないのではないか。国民から負託を受けた政府や知事は、その採用する政策について、国民に説明する責任があり、説明もせず、「従順な国民性」を利用して行動変容させようとするのは、扇動主義である。ただ、国民側も民主国家の一員として政府に説明を求めていくべきだし、納得いかない政策を「同調圧力」で受け入れていては、「自由」という権利を自ら手放すことになりかねない。「ロックダウンをしなくても自粛する日本人は民度が高い」などという言葉を真に受けて喜んでいてはいけない。そこまで「お人好し」になることは無いのだ。コロナ禍を大義名分にして、「科学的根拠」も「法的根拠」も無く、私権制限が簡単にされてしまう今だからこそ、「義務でもないのにマスクはしない」というスウェーデン人の「権利意識」の高さ、「良識」の高さを見習ってもいいのではないか。

4.コロナ対策のボタンの掛け違いは「感染拡大を抑えられると思い込んだことだ」

以前から何度も指摘してきたが、微細で目に見えないウイルスの動きを抑え込むこと自体無理があるわけで、人為的に感染をコントロールするのは不可能である。ウイルスは人が思っている以上に足が速い。ロックダウンをして一瞬抑え込めたと見えてもすぐにその反動は現れる。マスクだってほとんど意味が無く、網の目がウイルスの何十倍もあり、しかも上下左右の隙間を完全に塞ぐことができない以上、ウイルスの侵入を防げると考える方が非科学的である。マスクの効果を強いてあげれば飛沫を遠くに飛ばさないことぐらいだが、それであれば咳エチケットで十分であり、健康な人が四六時中マスクを着ける意味はない。健康を害するものはコロナ以外にもあまたあり、健康という大きな枠組みの中では、マスク着用による感染防止効果よりも、マスク着用による健康被害のデメリットの方が大きいのではないか。特に子供たちへのマスクの強要は知能的にも身体的にも発育に大きく影響を及ぼすことが指摘されており、百害あって一利なしである。そもそも古来、人類が風邪の封じ込めをできたためしは無く、マスクぐらいで改善されるわけもなく、自然現象を人の力でどうこうしようというのは人間の思い上がりである。

つまり、コロナ対策のボタンの掛け違いは、すでに相当数の無症候感染者が蔓延していたにもかかわらず、PCR検査による陽性者数ぐらいの感染者しかいないと全世界が勘違いしたことにある。現在の全世界の累計陽性者数は約2億人、日本の累計陽性者数は約120万人で、人口比にすると世界では2.5%、日本では1%の人がコロナ陽性者になったということだが、その数は実際の感染者数よりも遥かに少ないと見られる。しかも、この1~2%と言うのがみそで、この程度であれば感染対策をすれば封じ込めるのではないかと思ってしまうような数値であり、そのために世界中が感染抑止競争に突入してしまったのだ。インフルエンザも日本では毎年約1千万人の患者が出るが、実はその背景に数千万人の無症候感染者が発生しており、だからこそ集団免疫が達成され、3カ月ぐらいで収束するのである。3カ月で数千万人に蔓延するウイルスを人力で止めることは不可能なので、インフルエンザについてはどの国も感染対策などしないのである。コロナの感染力はインフルエンザ以上でかつほとんど症状に現れないので、全世界でインフルエンザと同じような感染の蔓延が起こっているのは容易に想像できよう。

ただし、ウイルスはむやみやたらに増殖しているのではなく一つのパターンがあり、そのパターンを理解することが肝心だ。今までの感染状況を振り返ると、北半球、南半球、寒冷地、赤道直下、いずれの地域においても世界的に共通しているのは、陽性者は一定期間増え続けるがそのエリアでの集団免疫が達成されれば必ず減少に転じ、およそ3カ月間で収束している。

そして、感染の山の高さは、そのウイルスの感染力と人間の免疫力の相関関係で決まり、日本人が欧米人に比べ今回のコロナについて感染しにくいのは、日本人の免疫力が欧米人の免疫力よりも相対的に強いからである。ただ、インフルエンザ以上にコロナウイルスの感染力は強いので、変異するたびに1、2カ月ぐらいであっという間に日本全国に蔓延し、「変異株の感染力>免疫力」(その時の変異株の感染力よりも免疫力が弱い人)の層の人達は感染する。そしてその層の人達が一通り感染したら、集団免疫が達成され収束する。ウイルスが出始めた昨年の4月頃に感染した人は、特に免疫力の弱い層の人達だったので重症化しやすい人も多く、日本人でも致死率は現在よりも高かった。欧米人は日本人よりもさらに免疫力が弱かったので、日本の十数倍の死亡者が出たのである。

日本人の相当数が新型コロナに感染していたことをインフルエンザとの関係で説明したのが京都大学の上久保靖彦特定教授である。上久保教授の研究よると、2019年12月と2020年1月にそれぞれ異なる新型コロナの変異株が既に日本に入り、2020年3月時点で一旦、コロナウイルスの集団免疫が達成されていたとのこと。なぜそれがわかるかと言うと、インフルエンザの流行曲線が、2019年の12月と2020年の1月に急激に抑制され、その後収束してしまったからである。その原因として考えられるのが、新型コロナとのウイルス干渉(ウイルス同士で宿主の奪い合いをし、一つのウイルスが流行すると他のウイルスは流行しない現象)であり、ウイルス干渉によりインフルエンザが新型コロナに取って代わられたのだ。

日本では一昨年(2019年)の12月、昨年(2020年)の1月、4月、8月、今年(2021年)の1月、4月と、大きな変異としてはほぼ6回、それぞれ異なるコロナの変異株が日本全国で蔓延し、その度に「変異株の感染力>免疫力」の層の人達が感染し、集団免疫が達成され収束している。この間、総じて、コロナの感染力は強まっていき、逆に弱毒化している。ただし、上久保教授によると、最初の二つの株は例外で、一昨年の12月と昨年の1月のコロナは極めて弱毒でかつ感染力が強い株だったらしく、日本は3月半ばまで中国の渡航制限をしなかったので中国人が大量に入国したため、かなりの数の日本人は無症状か軽症で気付かないうちにコロナウイルスに感染し、2020年3月には集団免疫が獲得されていたとのこと。それを裏付ける研究として、東京理科大学の村上康文教授の調査では首都圏の362人の抗体検査の結果「ほぼすべての検体で既感染を示す免疫グロブリン反応があった」ということで、日本人の大半がコロナの抗体を持っていたことが実証されている。諸外国では2月早々に始めた中国人の入国禁止が日本では3月半ばまで遅れたことが、いわゆる怪我の功名で、3月時点では、その後に入ってきた武漢株やヨーロッパ株に対抗するための抗体ができていたのだ。

上久保教授の説明の通り、コロナが流行りだして以降、インフルエンザが全く顔を出さなくなったのは、コロナウイルスとのウイルス干渉が原因であり、日本人の大半がコロナウイルスに感染したからこそ、ウイルス干渉により、日本人の間でインフルエンザが全く流行しなくなったということだ。よく、マスク着用などの感染対策をしたからインフルエンザの流行が抑えられたという人がいるがそれは間違いで、日本人がマスクをし始めたのは早くても2020年の3月頃からだが、インフルエンザの流行が頭打ちしたのはそれより2か月も前の1月であり、誰もコロナの存在を知らなかった時である。つまり、2020年1月に中国から流入したコロナウイルスによってウイルス干渉が起こりインフルエンザの流行が抑えられたのである。日本だけでなく世界的にもインフルエンザは激減しており、ウイルス干渉は世界的に起こっていて、諸外国でも変異株の種類ごとに集団免疫が獲得されてきたと考えられる。世界中のインフルエンザを駆逐するほどだから、新型コロナウイルスの感染力は相当なものだとわかる。

また、コロナが、我々が思っている以上に日本で蔓延していることを表している事象が、離島である沖縄県を含めすべての都道府県で例外なく、同じ時期に変異株の種類が入れ替わり、同じ時期に感染拡大し、同じ時期に収束し、しかもその感染規模もほぼ同じだということである。47都道府県すべてである。感染者がPCR検査の陽性者数ぐらいしかいなければ、感染の増減や規模が全国的にここまでシンクロすることはあり得ない。おそらく、インフルエンザと同じように、コロナにおいても、「無症候感染者」や、少し熱っぽいとか頭が痛いとか喉がイガイガするなどの「軽症の感染者」がかなりいると思われるが、症状が軽ければ敢えてPCR検査を受けない人が多いのではないか。保健所に陽性認定されると隔離されるというリスクもあるのでなおさらだ。

特に地方や田舎など昔ながらの共同体が生きている地域では、テレビの煽り報道の影響が色濃く出ていて、コロナ患者に対する差別は凄まじく、多少の熱ではPCR検査を受けない人が多いと思われる。岩手県がいい例で、岩手県は昨年の7月29日まで日本で唯一、陽性者は0人であったが、おそらく発熱しても黙っていた人が多かったのではないだろうか。その陽性者第1号の勤め先が会社のホームページで陽性者が出たと公表してしまったがために、その会社には中傷の電話が殺到したという。これは、日本の地方が未だ「村社会」であることを象徴するような事例で、共同体の仲間意識が強い地域ほど、コロナに罹ったと言い辛いということだ。共同体意識を否定するつもりは無いが、コロナにおいては、この共同体意識が悪い方向に出ており、日本全体が同調圧力でがんじがらめになってしまっている。このような状況も含めて、PCR検査で陽性になった人は氷山の一角と言える。

では、どういう仕組みでコロナウイルスが一気に感染拡大するのかと言うと、感染拡大のポイントは「家庭感染」である。その時流行り始めた変異株の感染力より免疫力の弱い層の人達(「変異株の感染力>免疫力」の層の人達)が、職場、学校、スーパー、商業施設、飲食店、病院、介護施設、交通機関などさまざまなエリアを移動してキャッチしたウイルスが、毎日、家庭(寮なども含む)に持ち込まれ、家庭でウイルスが交換され、また別のエリアへと移動して感染を拡大させるのである。「ウイルスを拡げる要は家庭である」。感染ルートが飛沫感染か空気感染か糞口感染か接触感染か、そんなことは全く関係ない。家庭にはそのすべてのルートが勢揃いしているのだから。そもそも、感染対策をしている家庭はほとんどないし、無症状でも感染力があるとすれば、無防備な家庭での感染が最も多いのは当然だ。よって、ウイルスは「毎日」家庭で交換されるので一旦流行り始めると一気に拡大するのだ。世界的にコロナの感染拡大を止められないのは、家庭での感染を止められないからである。

介護施設や療養施設、老人ホームや寮などで感染が多いのは、そこが生活の場だからである。いくら外からウイルスを持ち込まないように努めても、完全にシャットアウトするのは不可能で、一旦持ち込まれると、そこで日常生活が営まれている以上、その施設内での感染拡大を防ぐのは非常に難しい。

ところで、今回のデルタ株の特徴は、日本人が多く持つと言われている細胞性免疫HLA–A24を回避し、人間のACE2受容体に結合しやすい性質があるらしく、日本人でも感染しやすくなっており、「デルタ株の感染力>免疫力」の層の人達の数がかなり多く、感染の山が高くなっていると思われる。よって、デルタ株の感染がどこまで拡大するか心配されているが、インドの状況を見れば、あと1カ月ほどで収束する可能性は高い。なぜなら、デルタ株発祥の地インドでは4月に、「クンブ・メーラ」という数百万人がガンジス川に集まる大祭によって、ピーク時には1日40万人の陽性者を出したが、ワクチン接種率が1割に満たなくても、ほぼ3カ月で収束し、その後陽性者数は4万人ぐらいで低位安定しているからだ。インドはロックダウンをしたから収束したという人がいるが、インド人の7割に抗体ができたということは、ロックダウンしても感染が拡がっていたわけで、集団免疫が達成されたから収束したと考える方が自然であろう。ちなみにインドの陽性者数40万人は多いように感じるが、日本の人口に置き直すと4万人となり、今の日本の陽性者数とそれほど変わらない。よって、日本も、期間と山の高さからほぼピークに近づいているのではないだろうか。

インフルエンザも毎年5,000万人がワクチンを打っていても、毎冬同じように感染が急拡大し、1,000万人以上が診療所を受診し(無症候者を含めれば数千万人の感染者がいると言われている)、マスク着用や三密回避などの感染対策を全くしなくても、集団免疫ができることでピークアウトし、約3カ月で収束する。インフルエンザの山は1年に1回、冬場だけだが、コロナの場合は新しいウイルスで変異しやすいことと、感染経路が「糞口感染」の可能性が高く、冬場だけでなく季節に関係なく流行し、今のところ年に数回の流行の山がある。「糞口感染」とは人から排出された糞便がトイレの便器やドアノブなどから他人の手指を介して口腔に入って感染させるものである。コロナウイルスはインフルエンザのように上気道や肺に入ったウイルスが体内に取り込まれるというよりも、コロナウイルスの結合部位であるACE2受容体が非常に多い「腸」から体内に取り込まれている可能性が高いと言われており、ウイルスの排出量も口から排出される量よりも糞便とともに排出される量の方が多いらしい。コロナウイルスが、低温で空気が乾燥した冬場だけに流行するのではなく、季節に関係なく夏場でも流行し、かつ潜伏期間が長く無症候者が多いのは、感染経路が喉や肺からの「飛沫感染」や「空気感染」よりもむしろ、腸からの「糞口感染」だからと言えるのではないか。もしそうだとすれば、マスク着用やソーシャルディスタンス、三密回避や人流抑制などの感染対策はほとんど意味が無かったと言える。

このような感染増減のパターンや感染経路を踏まえた上で、日本のように自然免疫の強い国については、ほとんど意味の無い飲食店の時短営業や人流抑制などを早急に辞め、医療体制を拡充することに全力を注ぐ方が、より効果的で経済的な対策と言える。意味も無いのに飲食店に規制をかけ、支援金を支払うなんて予算の無駄遣いだ。政府や知事たちはもっとウイルスについて勉強をして、正しい知識を身に着け、費用対効果抜群の医療体制の拡充に専念してもらいたい。

5.「指定感染症」を解除すればコロナ禍は終わる

医療体制の拡充とは、わざわざ「大阪コロナ重症センター」のようなほとんど機能しない箱物を作ることではなく、既存の開業医や病院をそのまま利用できるようにするということである。そのために政府がまずやるべきことは「指定感染症」の解除(五類感染症に評価替えする。以下同じ)である。そして、コロナ対応をインフルエンザと同じような対応にシフトしていくことだ。自らコロナ対応病院を極端に少なく絞り込んでおいて、「病床が足りない」と騒いでいる厚労省や分科会そして医師会の「茶番」にこれ以上付き合う必要は無い。

インフルエンザでは毎年、1,000万人以上の患者(陽性者はその数倍いるだろう)が発生し、関連死を含め1万人以上が亡くなっており、しかも冬場の3カ月間に集中している。病床の使用率から言えばコロナ以上にひっ迫してもおかしくないはずだが、毎冬、何事もなくこなせているのは、インフルエンザが「指定感染症」ではないからだ。インフルエンザの場合PCR検査をそもそもしないので、「無症状者や軽症者を入院させることは無いし、症状が出たら一般の病院で診察し、医師が危険と判断したら入院させる」といったごく当たり前のことをやって、医療崩壊を起していない。一方コロナの最大の問題点は「指定感染症」なので窓口が保健所に限定されていることである。保健所が無症状者や軽症者にも対応せざるを得ず、しかも電話での応対なので、患者の病状を細かく把握することができず、陽性者が増えてくると保健所では対応しきれなくなり、投薬や酸素吸入、入院の判断が遅れ重症患者を増やすことになる。インフルエンザのように医者が窓口となり、直接診ていれば救われた命も多くあったはずだ。

具体的には、コロナが「指定感染症」から除外されれば、医師法第19条によりコロナ患者の受診拒否はできなくなり、一般の診療所もコロナ患者を受入れざるを得なくなる。ゾーニングも防護服も必要なくなり、普通に診断し、コロナか、インフルエンザか、一般の風邪かを抗原検査で判定し、症状の重い人はCTスキャンで肺の状態を視て、入院が必要であれば病床保有病院に送る。医師が患者に寄り添って対応するので、重症患者は減り医療ひっ迫は解消する。全国の診療所が一斉にこのような対応をするので風評被害も出ないし、もし医師や看護師が濃厚接触者になっても、自宅待機や休診することなく診療ができるので医療提供体制も維持できる。全国の開業医が動員されれば、日本の医療キャパからして、よほどのパンデミックでも起こらない限り、医療ひっ迫することは無い。

実際にコロナ患者の治療に当たっている現場の臨床医は口をそろえて言っている。「コロナ騒ぎを終わらすのは簡単だ。指定感染症を解除し、一般の診療所でもコロナ患者を診れるようにするだけでいい」と。分科会の専門家たちよりもよっぽど、現場の臨床医の方が「総合知」が高いのではないか。

インフルエンザでは、今までずっと、「感染対策などほとんどしていない町の診療所の狭い待合室」に患者を詰め込み、毎年1,000万人以上の患者を出し、1万人以上が死んでも何の問題にもしなかったのに、なぜコロナについてはその実態がわかりつつあるにもかかわらず未だに、エボラ出血熱を扱うような、ゾーニングだの陰圧室だの防護服だの、大げさな対応をしなければならないのか。もしコロナがエボラ出血熱のように致死率50%以上の本当に恐ろしい伝染病であれば仕方ないが、そうで無い事は誰の目からも明らかである。とにかく、コロナを2類から5類に評価替えをして、インフルエンザと同じように町の診療所で普通に受診できるようにすることが、コロナ禍から脱出する最速の方法である。

6.日本にワクチンは必要か? ~コロナウイルスは弱毒化している~

日本のコロナ対策は、感染症専門医を中心に構成される分科会の打ち出す提案を政府がほとんど丸飲みしているので、「感染抑止に偏った政策」しか出てこない。その分科会はコロナをエボラ出血熱と同等と評価し、「感染拡大を抑えなければ日本は大変なことになる」というスタンスを一向に変えない。だから経済や社会や文化や教育がどうなろうとも二の次で、「感染を抑えることが絶対の正義」と思いこんでいる。よって、少しでも感染が増えたら危機を訴え、国民に自粛をさせることを全く厭わない。このような「自粛しか考えない分科会」にスポイルされた政府の価値観と、「恐怖を煽るほど視聴率が取れる」テレビ局の価値観が、「恐怖を煽る」という点で不幸にも一致した。政府はテレビの煽り報道にただ乗りしたのである。この関係性は「感染抑止一本鎗」の政府の政策に対して、テレビ側からの批判が全く出ないという点で政府にとって好都合だった。国民側としても、政府の方針とマスメディアの論調が一致したことで「厳しい感染対策」が唯一無二の正しい政策であると思わされてしまった。そして、日々繰り返されるテレビの煽り報道によって、国民は「コロナは恐ろしい伝染病だから自粛しなければならない」「自粛しない人間はコロナを拡げ、誰かを殺している」という観念に洗脳され、「過度な感染抑止策」に反論することが難しくなってしまった。「コロナは大したことない」と政府やマスメディアと少しでも違うことを言った瞬間に「人命軽視だ!」とバッシングの嵐である。高橋内閣官房参与の「さざ波発言」が良い例である。この反論を許さない同調圧力は、常識的には屋外でマスクをする必要はないとわかっていても、マスクをせざるを得ない空気感とよく似ている。もし、皆さんがマスク無しで屋外を歩くことに抵抗感を感じるようであれば、それは既に「洗脳」されている証拠である。日本は、政府が手を下さなくても「マスク警察」や「自粛警察」が出てきて市民が市民を監視する相互監視社会になってしまったと言える。それは誰のせいでもなく、国民一人一人の意識のせいである。戦時中「贅沢は敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」などのスローガンのもと、新聞などのマスメディアが扇動し、隣組を中心に行われた相互監視社会を彷彿とさせる。まさに全体主義である。もはやわれわれは、コロナに関する自由な発言ができなくなった「コロナ全体主義」の中にいる。それが顕著に表れたのが「ワクチン」である。

政府は、デルタ株の流行で40代50代の重症者が増加していると強調し、40代50代にも早急にワクチンを接種していく方針を打ち出している。更には30代以下の若年層にまでワクチン接種を推し進めようとしている。確かに全体的に陽性者数は急増しているが、40代50代の重症者が目立って増加しワクチン接種が急務なのか、30代以下にまでワクチン接種を推進すべきなのか、第4波の陽性者数がピークであった4月28日と現状8月18日の「陽性者数」や「重症者数」の年齢別内訳を比較して検証する(厚労省発表「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)」参照)。

まず、陽性者数がどうなっているかだが、4月28日の4,690人(30代以下=2,490人、40代50代=約1,300人、60歳以上=約900人)から、8月18日の19,400人(30代以下=12,600人、40代50代=約5,600人、60歳以上=約1,200人)へ4倍になっている。年代別では30代以下が2,490人から12,600人へ5.0倍、40代50代が1,300人から5,600人へ4.3倍、60歳以上が900人から1,200人へ1.3倍となっており、高齢者の陽性者増加率はかなり抑えられている。

一方、重症者数は321人から482人へ1.5倍に留まっている。陽性者の増加が4倍で、重症者の増加が1.5倍ということは、陽性者の増加の割に重症者の増加はかなり抑えられており、「デルタ株は弱毒化している」と考えられる。一見、高齢者にワクチンを打ったから重症者の増加が抑えられたとも考えられるがデータを見るとそうではない。それを確認するために、年齢別の重症者数を見てみる。

重症者の年齢別内訳だが、4月28日時点での重症者数は321人で80歳以上68人、70代112人、60代73人、50代39人、40代25人、30代1人、20代1人、10代未満0人、不明2人であった。40代50代の合計は64人で、60代以上の合計は253人であった。30代以下はわずか2人であった。

一方、8月18日時点での重症者数は482人で80歳以上85人、70代146人、60代111人、50代88人、40代43人、30代1人、20代0人、10代未満0人、不明8人であった。40代50代の合計は131人で、60代以上の合計は342人であった。30代以下はわずか1人であった。

まず、「40代50代」の重症者率(※)を見てみる。4月28日の陽性者数は約1,300人で重症者数は64人なので重症者率は4.9%、8月18日の陽性者数は約5,600人で重症者数は131人なので重症者率は2.3%となっている。重症者率は4.9%から2.3%に半減しており、陽性者数の増加に連れて重症者の数は増えてはいるが、比率は大幅に減少していて、40代50代が特に重症化しているわけではない。つまり、40代50代ではデルタ株の弱毒化が顕著に見られたのだ。

(※)ここで言う重症者率とは1日あたりの新規陽性者数に対する、その時点での重症者数なので、重症化率とは全く違う意味である。1,300人が陽性になったら64人が重症化するという意味ではない。4月と8月を比較するために率を出したということである。実際の重症化率は重症者率よりかなり低い。以下も同じ。

一方、「60歳以上」の重症者率を見てみる。4月28日の陽性者数は約900人で重症者数は253人なので重症者率は28%、8月18日の陽性者数は約1,200人で重症者数は342人なので重症者率は28%となっている。重症者率は28%から28%とほとんど変化がなく、陽性者数と重症者数が比例して増加したということである。ワクチン接種が進んでいる60歳以上の重症者率が28%のまま変わらないということは、①ワクチンの重症化抑制効果があまりない、②60歳以上についてはデルタ株が弱毒化していない、③医療体制がひっ迫したことにより高齢者の重症化が進んでしまった、などの理由が考えられる。

なお、30代以下の重症者率については、重症者の数が4月で2人、8月で1人と、統計的に少なすぎるので敢えて触れることはしない。

結論として、4月と8月を比較し、陽性者急増のわりに重症者の増加が極端に抑えられた原因は、高齢者へのワクチン接種とは関係無く、50代以下の重症者率が極端に減少したからで、ワクチン接種率が低い50代以下の重症者率が減少したということは、50代以下の年代については「デルタ株が弱毒化している」ということができる。やはり、前々から専門家が指摘していた通り、「コロナは変異を繰り返しながら弱毒化していき、弱毒化するからこそ感染しやすくなる」ということが証明された形であり、陽性者数が増加したからといって慌てる必要はない。コロナウイルスは確実に「普通の風邪」に近づいている。

以上を総括すると、デルタ株は感染力は強まっているが、かなり弱毒化していると言える。政府の見解では40代50代の重症者数増加を懸念しているが、数として増えてはいるが重症者率は半減している。また、30代以下については、重症者自体がほとんどいない。一方、60歳以上については、ワクチンが効いていないのか、デルタ株が弱毒化していないのか、又は、医療ひっ迫により高齢者の自宅療養が増加し重症化が進んでしまったのか、原因はいくつか考えられるが、重症者率は下がっていない。以上のことから、優先させるべき対策は、40代50代のワクチン接種よりも、ワクチン接種が進んだにもかかわらず重症者率が下がらなかった高齢者の重症化の原因を追究し、もし自宅やホテルで放置したことが重症者率が下がらなかった原因とすれば、医療体制に手を付けることが最重要課題だと言える。結局、今年1月の東京、4月の大阪の失敗を又繰り返してしまったのではないか。

一方海外に目を向けると、現在、イスラエルやイギリス、アメリカなどワクチン接種が進んでいる国ほど陽性者数が増加し、過去最高に近い数になってきており、また、死者数も増え始めている。例えばイスラエルの場合、現状1日当たりの陽性者数(7日間平均)は7,300人(百万人当たり800人)だが、1月ピーク時の8,600人に迫る勢いだ。また1日当たりの死亡者数(7日間平均)は、1カ月前は1人だったのに、現状23人(日本の人口比にすれば320人)まで増加してきている。ワクチンの効果が減少してきたことが原因らしいが、早くも3回目のワクチン接種を始めている。これでは今後、何回ワクチンを打てばよいのかわからない。ウイルスが変異するたびに新しいワクチンを接種することとなり、「イタチごっこ」に巻き込まれる。しかも、今流行っている変異株に対応するワクチンはすぐには開発できないので、常にその前か、その前の前の変異株に適したワクチンしか打てない。製薬会社はこの矛盾をどう解決していくのだろうか?

日本のように集団免疫が広範に拡がり感染被害の少ない国については、ワクチンに頼るのではなく、獲得免疫のブースター効果を促したり、人間が本来持っている自然免疫を鍛えることにシフトしていった方が良いのではないか。「特に30代以下の若年層については上記データでもわかる通りほとんど重症化しないのだからワクチンに頼る必要は全くない」。テレビでは「若者でも後遺症があるから怖い」と脅しているが、ほどんどが時間経過とともに消えるわけで、それは後遺症ではなく「予後の病状が悪い」と表現すべきものである。後遺症は一生治らないか治るとしても何年もかかるものなので、テレビがこのような間違った表現で恐怖を煽るのはどうしたものだろうか。コロナ感染の後遺症(?)については、すでにコロナ発生から1年半も経過しているのだから、その発生件数や完治件数などのデータがあるはずで、客観的な数値を提示した上で放送しないと、いたずらに恐怖を煽るだけである。

一方、最近子供たちの陽性者数が増えてきているが、1年半にもわたりマスクを強制し清潔な環境を人工的に作り出したことで、本来曝露すべき様々なウイルスや細菌に曝露できなかったため、子供たちの免疫力が下がってきているからではないだろうか。それを示唆する事例として、今年、子供たちの間で、昨年殆ど発生しなかった、RSウイルスが過去最高の大流行となっている。子供の場合、コロナに感染してもほとんど重症化しないのでコロナについては安心だが、過剰な感染防止策により、今回のRSウイルスの大流行の様な他の伝染病の大流行を今後招かないか、特にインフルエンザが子供たちの間で大流行しないか心配である。そういう意味でも、小中学校での、マスク着用、消毒、黙食など過度な感染対策は早急にやめ、普通の生活に戻すべきだ。もちろん、子供たちにワクチンを打つ必要は全くない。逆に打つ方が危険である。

人間とウイルスは人間が誕生してからずっと共存してきたパートナーであり、強毒性の伝染病でない限り、自然の摂理に従って付き合っていくのが、長い目で見れば最も被害を少なくする方法だと考えるのが免疫学の常識である。Withエボラ出血熱はいけないが、Withコロナは問題ない。幸いにも日本人は長い歴史の中で、中国由来の土着のコロナ風邪に繰り返し感染し、コロナに対する「交差免疫」をすでに持っている。「交差免疫」とは過去に感染したウイルスに対する免疫が類似のウイルスに対しても有効に働くという免疫機能である。つまり日本人は昔から気付かぬうちにWithコロナを実践してきたのだ。今さら副反応が強い人工的なワクチンで、わざわざすでに持っている自然免疫や交差免疫を弱めることは無いのだ。

マスクをして、消毒しまくって、外出を控え、挙句の果て免疫力が下がって、感染しやすくなり、ワクチンを打って、更に自然免疫力が下がり、ワクチンを何度も打つなんて、こんな「愚かな悪循環」に巻き込まれる必要などない。特に、若い人たちにとっては、コロナウイルスはインフルエンザ以下のウイルスなのだから、本来持っている自然免疫で十分対抗できる。政府がなぜ、ほとんどコロナリスクの無い若者にワクチンを打たせようとしているのか、なぜこんな不合理なことを君たちに推奨するのか、その本質を見破って欲しい。日本経済がコロナ禍から脱出できないのは君たち若者がワクチン接種をしないからではない。大人たちの無策・無能・欺瞞のせいである。狡猾な大人たちに騙されることなく、正確な情報に触れ、しっかり自分で考え判断してもらいたい。

7.ワクチンと「言論封殺」

国内外のデータを見ていると、ワクチン効果のメッキが剝がれてきているにもかかわらず、総裁選や衆議院選挙を間近に控えた政府は、立ち止まって考えることも無く、40代50代のワクチン接種に邁進している。政府は、今の状況を打開するために残された手段はワクチン接種しかないと思っているのだろう。

政権維持の焦りからか、「ワクチン」について政府は相当デリケートになっていて、ワクチンに反対する意見を封じ込めようとしている。ワクチンのリスクについてもアナフィラキシーショックなどの接種直後に起こる副反応については説明しているが、治験期間が短かすぎてまだ判明していない遺伝子ワクチンの長期的なリスクについては触れたがらない。例えば、ワクチン接種券の説明書では「新しい種類のワクチンのため、これまでに明らかになっていない症状が出る可能性があります。」という一文があるだけだ。これは健康被害が出た時のエクスキューズに過ぎず、どんなリスクがあるのか全く分らないし、ほとんどの人は読んでさえいないだろう。

さらに、河野ワクチン担当大臣は自身のブログで、「ワクチン接種により不妊が起こる」、「遺伝子が組み換えられる」、「治験が終わっていないので安全性が確認されていない」、「長期的な安全性がわからない」、「ADE(抗体依存性増強現象)が起きる」などの意見はすべて「デマ」であり、そのような心配は全くないと言い切っている。しかし、河野大臣の発言こそデマではないかと思われるものがかなりある。例えば、「治験が終わっていないので安全性が確認されていない」という意見に対して河野大臣は「mRNAワクチンは、基礎研究、動物実験、治験が省略されることなく実施され、リスクを上回る臨床的に意味のある有効性が確認されています。その上で、いつまで効果が持続するかという長期の有効性を確認するための治験が継続して行われています」と答えている。ここで注意しなければならないのは、河野大臣の答えは「安全性」を「有効性」に論点をすり替えていることだ。答えにくい質問に答えるときによくやる「論点ずらし」である。つまり、河野大臣の答えは「安全性は大丈夫か?」という質問に「有効性は認められています」と話をずらしているのだ。このような回答をするということは、おそらく安全性については相当答えにくいことがあるのであろうと想像できる。また、河野大臣の答えにはもう一つの誤魔化しが隠されていて、「安全性」を「有効性」にすり替えることで、「安全性についてはまだ治験中である」ということを暗に隠そうとしている意図が見えるのだ。つまり「まだ治験中であり、ワクチンの安全性は証明されていない」という事実を国民に知られたくないのであろう。他にも「ワクチン接種により不妊が起こる」と言う意見についても、「不妊」についての意見を「妊婦」の話にすり替えたりしている。このような論点ずらしの反論が多いのだが、今回の河野大臣の発言の最大の問題点は、ワクチンのリスク情報を発信する者すべてを一括りにして「ワクチン反対派」という「レッテル」を貼ったことである。この「レッテル貼り」により、その後、ワクチンの危険性を指摘する専門家の意見はすべて「ワクチン反対派」による「デマ」であるかのような印象を国民に与えてしまった。まさに「印象操作」による「言論封殺」であり、目的のためなら手段を択ばない河野大臣のやり口に、不信感を持ったのは私だけではないだろう。

ワクチンのリスクについて専門家は「将来的な可能性」を心配しているのであって、現状の治験データではそのリスクは「まだ誰もわからない」と疑問を呈しているのだ。そして、日本のように感染被害が非常に少ない状況で「リスクのわからない新しいワクチン」を特例承認までして慌てて打つ必要があるのかと警鐘を鳴らしているのである。国民としては少しでもリスクがあれば、それらの情報はすべて開示してもらった上で接種するかどうかを決めたいのであり、特に30代以下の極めてコロナ被害の少ない年齢層への接種についてはより慎重になるのは当たり前である。そんな国民の気持ちを代弁している専門家の様々な意見に対して、「デマだ」と一蹴する河野大臣の態度はあまりにも不誠実ではないだろうか。もし将来「デマ」では無く、重大な健康被害が出たとすれば、河野大臣はどのような申し開きをするのだろうか。

皆さんは、専門家から提示されている様々なリスクをすべて「デマ」と断定する河野大臣と、もしかしたら危険があるかもしれないと心配して提言している専門家のどちらを信用しますか?

将来的なリスクとは違うが、専門家からは、下記の様な厚労省のデータに基づき、接種直後の死亡率の高さについても警鐘が鳴らされている。
厚労省のホームページを見ればわかるデータだが、新型コロナウイルスと季節性インフルエンザの「ワクチン接種に関する副反応」を比較したデータである。

季節性インフルエンザの場合、令和1年10月から同2年4月までに5,649万人がワクチンを接種し、副反応が278件、重症者が93件、死亡者が5人であった。

新型コロナウイルスの場合、今年7月末時点で7,413万回のワクチン接種が行われ、副反応が20,105件、重症者が3,338件、死亡者が919人となっている(死亡者の90%以上が65歳以上)。

コロナワクチンの方が副反応数も重症者数も死亡者数も桁違いに多い。特に死亡者数についてはインフルエンザワクチンの5人に対して、コロナワクチンは919人と、180倍にも及んでいる。しかもこれらの数字は医療機関からの報告ベースであり、報告されていないものがこの何倍もあるのではないかと言われている。というのも治験中のワクチンについては、一般的にすべての有害事象の報告義務があるのが普通だが、なぜか今回のコロナワクチンについては、接種後の有害事象について、報告するかしないかの判断は現場の医師に任されているからである。もし、有害事象のすべてが報告されていたら、現状報告されている死亡者数を遥かに上回るのではないだろうか。今後発表されてくる本年度の超過死亡者数を見ればワクチン接種によってどれだけの死亡者が増えたかが明らかになるであろう。

また、厚労省はほとんどすべての副反応について、ワクチン接種と死亡の因果関係については評価できないとしているが、明らかにワクチン接種の影響で亡くなっているという根拠がある。それは、死亡者の6割以上が接種後1週間以内に集中しており、特に接種翌日が飛び抜けて多い。もし他の疾患や老衰が原因で死亡しているならば、接種翌日に死亡が集中するといった偏りが出ることはまずない。まさか、余命いくばくもない寝たきりの高齢者にまでワクチン接種をして、ショック死が頻発しているというのだろうか?医者がそこまでのリスクを犯してワクチンを接種するとは思えない。やはり接種しても大丈夫だと医者が判断しているわけで、それでも接種当日や翌日に急死したということは、ワクチン接種が原因と考えざるを得ないのではないか。政府や厚労省はこれらのデータを厚労省のホームページに出すだけでだんまりを決め込むんじゃなくて、①なぜワクチン接種直後の死亡が多いのか、②なぜ解剖などで死因を解明しないのか、③通常は行われている有害事象の全件報告をなぜコロナについてはやらないのか、④インフルエンザより圧倒的に多いワクチン接種後の死亡者数が許容範囲なのかどうか、国民が納得できるような説明をすべきである。

厚労省がワクチンとの因果関係をあいまいにしているのは、遺族からの訴訟に対抗するためだろうということは簡単に想像がつく。もし、遺族との訴訟になった場合、因果関係の証明責任は遺族側にあるので、厚労省が現時点で因果関係を不明にしておくのは訴訟対応上至極当然である。結局、遺族側が因果関係を証明するなんてまず不可能であり、死亡補償金4,420万円は絵に描いた餅に終わるのではないか。

ワクチンのリスクについては様々な見解があってしかるべきだが、問題の核心は、客観的なデータに基づき専門家が警鐘を鳴らしているにもかかわらず、政府が真摯に対応しないことである。ワクチンをできるだけ早く国民全員に打ってコロナ禍から開放されたい気持ちはわかるが、ワクチンのリスクについては、もっとオープンに議論されてしかるべきで、国民にはワクチンのリスクの全貌を知る権利があり、政府はそこから逃げてはいけない。

このような政府の隠蔽体質は今に始まったことではないが、今回のワクチン騒動の特徴は、民間でも「言論封殺」が当たり前のように行われていることである。例えば、「ワクチンは危険だ」とYouTubeで発信しただけで、その動画は即刻YouTubeによって削除される。すでに社会インフラとして全世界のプラットホームになっているYouTubeが、自社の判断で一方的に「検閲」ができることに恐ろしさを感じざるを得ないが、このようなあからさまな「言論封殺」がまかり通っているということは、その裏に何らかの「ワクチン利権」があることは容易に想像できる。一連の世界的なワクチン騒動を冷静に見ると、製薬会社、WHO、YouTubeなどのグローバル企業、そしてホワイトハウスが「ワクチン利権」で繋がっているようにしか映らないのだが。アメリカに比べコロナの感染被害が圧倒的に少ない日本が、製薬会社に免責までしてワクチン接種に邁進しているのは、アメリカに逆らえないお国事情があるからだと考えれば、すべての辻褄が合ってくる。

SNSでの言論封殺は露骨であるが、テレビも同様で、「コロナは怖い」と「ワクチンは有効」という謳い文句をセットにして、毎日、製薬会社の広告宣伝のような放送が続いている。「ワクチンのリスク」について触れたとしても発熱やアナフィラキシーショックの症状ぐらいで、遺伝子ワクチンのリスクを詳しく解説したり、ワクチンによる死亡者数の増加をインフルエンザのそれと比較して紹介するようなことはまず無い。テレビ局の放送姿勢は一貫していて、政府と同様ワクチン推進である。その理由は簡単で、番組のスポンサーに製薬会社がある以上、ラディカルな意見は言いにくいのである。さらに、すでに大半の高齢者がワクチン接種を終えた今、テレビで「ワクチンのリスク」を言おうものなら社会的大問題となり、テレビ局自体の責任も問われかねない。

よって、「ワクチンのリスク」については、「政府の見解」はもちろん、「テレビ報道」、「ワクチンを推奨している医者や専門家」に正しい情報を期待するのは無理である。ワクチン接種は余程の被害が出ない限りもう止められないところまで来てしまったのだ。従って、「ワクチンのリスク」についての新たな情報を得るためには、SNSのしかも有料サイトにアクセスし、国内外の論文などを解説してくれる専門家のサイトを見るか、書籍に当たるしかない。ワクチンについては最早、テレビや新聞などのマスメディアに「言論の自由」は全くないと言っていい。テレビしか見ない人にはピンとこない話かもしれないが、日本のみならず世界中で情報統制が行われているのが現実である。

戦時中の「言論統制」は、戦況が悪化しているにもかかわらず戦果の水増しを繰り返した「大本営発表」と、「戦争礼賛キャンペーン」をやり続けた「大手新聞」などのマスメディアによって作り出されたが、今のワクチン騒動は、「政府が知られたくない情報を隠蔽し都合の良い情報しか発信せず、マスメディアがそれを鵜呑みにして全国に拡散し、一つの方向に国民を誘導していく」という点において戦時中と酷似している。

8.ワクチンパスポートの非科学性と違憲性

私は、ワクチン反対論者でもなければ、ワクチンに偏見を持っているわけでもない。ワクチンは各国の感染状況や接種時の年代別有効性を十分考慮し、接種するベネフィットがリスクを大きく上回るかどうかを接種の判断基準にするべきだと考えている。コロナワクチンについても、リスクに関する情報を十分理解した上で、それでも打ちたいのであれば、個人の自己責任で打てばいいと思っている。ただ、それと同時に、現状、ワクチンには判明していないリスクがあり、かつ、ワクチン接種が任意である以上、打たない人の立場も守られるべきだと思っている。にもかかわらず、最近、ワクチンを打たない人を「フリーライダー(ただ乗り)」と揶揄する風潮が出始めており、打たない人が肩身の狭い思いをしている。さらに、「ワクチンパスポート」の導入が検討されており、ワクチンを打たない人の人権はますます脅かされている。

政府は、「ワクチンパスポート」を手掛かりにワクチン接種をさらに加速していき、集団免疫を達成したい考えだ。また、「ワクチンパスポート」の導入により、緊急事態宣言下でも経済を回していきたいと考えている。しかし、厚労省が言う通り、ワクチンは感染を防ぐものではなく、ワクチンを打ったからといって他人に感染させない保証は全くない。イギリスの「欧州サッカー選手権」の例や、ワクチン接種が進んだイスラエルやイギリスにおいてワクチン接種者の陽性者が急増していることからも明らかである。「ワクチンパスポート」は「ワクチンを打てば感染しない」ということが前提のシステムだが、その前提がすでに崩れている。感染被害が日本の10倍、20倍の欧米諸国であれば、背に腹は代えられぬということで「ワクチンパスポート」に頼らざるを得ないかもしれないが、日本のように感染被害の少ない国がこんな不確かなシステムを導入する必要は合理的に考えて全くない。

また、「ワクチンパスポート」は、ワクチン接種が任意であるにもかかわらず、ワクチン接種をしない人の私権が制限されるという点で大きな問題がある。たとえば、ワクチン接種をしていない人は飲食店や野球場などの利用制限を掛けられる恐れがある。そうなると、憲法11条「基本的人権の尊重」及び、憲法14条「法の下の平等」に抵触する可能性があるのだ。国会を通さずに「私権を制限する制度」を簡単に導入していいのか、はなはだ疑問である。世界的にも人権無視だということで「ワクチンパスポート」に反対する大きな動きが出ている。それにしても、「ワクチンパスポート」は法律を齧ったことのある者なら、その違憲性にすぐ気付くはずなのに、法律家をはじめジャーナリストや野党から全く異論が発信されないことに、違和感を感じるのは私だけだろうか。

9.医療利権が政策を左右している

「ワクチンパスポート」もそうだが、昨年の「ステイホーム」に始まり、「マスクの着用」、「時短営業の要請」、「酒類の提供禁止」、「県境をまたいだ移動の制限」、「イベントなどの中止、客数制限」など、コロナ禍の1年半で、日本国民はさまざまな「私権制限」を受入れた。政府も日本国民がここまで従順なのかと呆れるぐらいであろう。逆に自粛警察が出てきて国民同士で監視し合うのだから世話は無い。日頃は政府による私権制限に強く反発する左系野党や人権擁護派の評論家もほとんど何も発言しない。よって、科学的根拠が無くても国会の承認が無くても、政府は思う存分、国民の私権を制限することができた。

それでも結局、コロナ禍を解決することはできなかった。「その答えは明白で、政府がこの1年半やってきたほとんどの対策は、ピントが外れていたからだ!」。その最大のピンボケ対策が、感染抑止にばかり力を入れ、肝心の「医療問題」にメスを入れなかったことである。今まで何度も言ってきたが、「コロナ問題は医療問題」である。例えばその最たるものが、「指定感染症」の解除が未だできていないことである。その理由は、医師会、厚労省、分科会の反対がずっと続いているからで、この医師会、厚労省、分科会で構成する「医療利権のトライアングル」に切り込まない限り、コロナ禍は解決しない。

彼らがなぜ「指定感染症」の解除に反対かというと、指定感染症を解除したら感染が拡大すると思い込んでおり、感染が拡大した場合の責任を取りたくないからである。もう一つは、コロナウイルスを怖いウイルスのままにしておいた方が立場上得だからである。コロナウイルスが怖いウイルスだからこそ、ワクチンや高額な治療薬が売れるわけで、インフルエンザと同じ普通のウイルスであれば、誰も強い副反応を我慢してまでワクチンなど打たないであろう。

「医師会」としては、コロナが「指定感染症」のままなら、合法的にコロナ患者の受診拒否ができるし、たとえ診察した場合でもコロナ補助金がもらえるので現状の方が得である。分科会の尾身会長の傘下の病院が「幽霊病床」で高額な補助金を貰っていたわけで、「指定感染症」を解除しないのはそうことかと、誰もが思ったのではないか。また、インフルエンザ患者の激減で失った儲けをワクチン接種で取り返したいと考えている開業医が大半である。とにかく、未だにコロナ患者を診ることのリスクが怖くて診察を避けている医者が五万といるのが、日本の医療の現実なのである。

「厚労省」においては、コロナ対策を左右する医系技官の存在が厄介である。医系技官たちは公務員の人事体系の中で生きているので前例追認の事なかれ主義になりやすく、一旦決めた政策はたとえそれが間違っていたとしても自ら変えることはまずしない。また、いずれ医師として野に下るわけで、自分たちが所属することになる医師会などに反駁するわけにはいかないのだ。

「分科会」としては、さんざんコロナの恐怖を煽り過剰な感染対策をし、経済や社会に取り返しのつかない損失を与えたわけで、コロナが「指定感染症」でなくなれば、こんなにも簡単にコロナ禍が解決されるのかということが国民にばれるのが怖いのであろう。それがばれる前にとにかくワクチン接種によってコロナが収束したことにしたいのである。

この「医師会」、「厚労省」、「分科会」に共通しているのがすべて医師であり、これら上層部の医師たちは多かれ少なかれ製薬会社との繋がりが強く、製薬会社の意向に反することは決してやらない。厚労省の医系技官などは製薬会社への天下りにも影響するので製薬会社との関係は良好に保ちたいと考えている。テレビに出演してワクチン接種を推奨している医者の多くがファイザーなどの製薬会社から講演料と称して数百万円を受け取っていたことも明らかになっている。このような製薬利権にどっぷり浸かり、自分たちの保身や金儲けにしか興味がない医師たちが牛耳っている医師会や厚労省、分科会が、自分たちが損をするような、「指定感染症」の解除を提案するはずがないのである。また、政府は政府で、圧力団体である医師会を恐れ、「医療利権のトライアングル」に、いっさい手を付けようとしない。

結局、政府が、「感染防止」と「ワクチン接種」にばかり力を入れ、「指定感染症」を解除して医療体制の拡充をしなかったのは、国民の命や健康を第一に考えていたからというよりも、「医療利権のトライアングル」に忖度せざるを得なかったからであろう。

10.なぜ若年層にワクチンを打つのか?

今まで述べてきたように、ワクチン接種をしなくても、日本のような感染状況であれば、コロナ禍から脱出することは難しくないはずなのに、政府はコロナ禍を収束させる方法はワクチン接種しか無いと決め込み、ワクチン接種がコロナ対策の1丁目1番地となっている。しかし、ほとんど重症化しない30代以下の若年層にまでワクチン接種を推進していく考え方は全く理解できない。

統計を見れば一目瞭然で、8月18日時点で厚労省が発表した、「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)」によると、重症者数は全国で482人だが、30代以下の重症者数はわずか1人で、全体の0.2%である。累計死亡者数は全国で13,459人だが、30代以下の累計死亡者数は47人で、全体の0.34%しかいない。コロナ禍が始まって1年半が経過しても30代以下の死亡者はわずか47人である。しかもこの47人の殆どは基礎疾患を持っている人たちである。つまり30代以下で健康体の人は、ほとんどが重症化しないし、死なないのである。ちなみに、20歳未満の累計死亡者数は未だに0人である。

47人の死亡者を減らすために12歳から39歳までの約3,600万人が副作用に苦しみながらワクチンを接種する意味はない。特に基礎疾患の無い人は全く接種する必要は無い。たとえ、3,600万人全員がワクチン接種をしたとしても死亡者47人を0人にできる保証はないし、逆に副反応の強さからするとワクチン接種により死亡者が出ない保証もない。いわんや、コロナで死亡した人が未だ0人の12歳から19歳までの約1,000万人がワクチンを打つ医学的メリットは皆無である。

普通、「良識」のある人ならば、日本のように感染者も死亡者も圧倒的に少ないこの状況で、治験中で未知の遺伝子ワクチンを、特例承認までして国民に接種するという発想にはならないだろう。百歩譲って、もし接種せざるを得ない状況だとしても、兎にも角にも「安全性」を第一に考え、ベネフィットがリスクを大きく上回る年齢層に絞って接種するというのが常識であり、それが国民の命を守るということである。

にもかかわらず、政府は30代以下どころか、全くベネフィットの無い20歳未満の子供にまでワクチン接種を推し進めていこうとしているが、はっきり言って「異常」である。政府や分科会の人間が、子を持つ親であるならば、この異常さに気付いていいようなものだが、誰も気づかない。いや、気付かない振りをしているのかもしれない。政府だけではない。厚労省も、野党も、知事も、医者も、専門家も、マスコミも、タレントも、企業も、学校も、そして親までもがワクチン接種に何の疑問も抱かず、子供たちに接種を推奨している。しかも、ワクチンのリスクについて警鐘を鳴らしている専門家の意見を「デマ」だと切捨て、ワクチンの安全性を妄信する彼らは「常軌を逸している」としか言いようが無い。

このように、医学的見地からは若年層がワクチン接種をする根拠は全く無いが、「若年層も集団免疫獲得のためにワクチン接種に協力すべきである」という同調圧力が社会を覆っており、若者たちはワクチン接種を断りにくい状況に追い込まれている。この「コロナ禍を終わらせる為であれば若者は犠牲になっても良い」と言う発想自体、空恐ろしく、コロナの恐怖によって日本人の「良識」はここまで劣化してしまったのかと唖然とさせられる。また、「ワクチンによる集団免疫」については次の二点において問題がある。まず一点目だが、ワクチンを接種したからと言ってコロナが変異する以上、感染予防には限界があり、また、ワクチンの効果もすぐに減退していき、いつまで経っても集団免疫は獲得できないということ。二点目は、ワクチンの安全性が担保できない以上、自己犠牲を伴う集団免疫行政は違憲の可能性が高いということ。以上二点の理由から、「集団免疫」獲得のために若年層にワクチン接種を推奨することは道理にかなっていないということだ。そもそもワクチン接種は任意なのだから、国全体が「集団免疫」達成のために同じ方向に動き、それに反するものに同調圧力をかけるのは、まさに「ワクチン全体主義」であり、憲法に保障された基本的人権を無視するものである。

過去を振り返ると「サリドマイド事件」や「薬害エイズ問題」など数多くの薬害事件があり、その都度、政府や厚労省の隠蔽体質が問題になったわけで、なぜ今回のコロナワクチンだけは安全だと思ってしまうのか?今回のコロナ禍においても、「政府のなりふり構わないワクチン接種の推進の仕方」や、「ワクチン担当大臣の不誠実な姿勢」、「SNSでワクチンが危険だと発信するだけで動画が次々と削除されている状況」を見ていると、何か国民に知られたくない「事実」があるのではないかと勘繰るのが普通の感覚である。にもかかわらず、誰も立ち止まって考えようともせず、ワクチンは安全であると思い込んでいるのは、マスコミによる「洗脳」もさることながら、それを見抜くことができなくなってしまった国民の「良識」の劣化に起因するところが大きいのではないだろうか。

今回のコロナ騒動は、コロナの伝染病としての怖さよりも、「ワクチン接種」ごときで、これほどまでの「言論封殺」が起こり、国民全体が「ワクチンありき」という空気に染まり、反論すら許されない「ワクチン全体主義」に陥ってしまったことの怖さの方が遥かに大きい。戦後76年が経過しても、なお、日本人の気質というものは戦前とほとんど変わっていなくて、21世紀の日本においても、「言論封殺」が実際に起こるんだという驚きと、民主主義や自由主義がこんなにも脆く崩れてしまうんだという失望を感じざるを得なかった。

昨年の8月、安倍前首相が退任会見で表明した「新型コロナウイルスの二類相当から五類への見直し」がもし早期に実現していたら、医療体制は抜本的に改良され、重症者や死亡者は今よりもっと減っていた可能性が高い。インフルエンザと同じ扱いになり、とっくにコロナ騒動は終わっていたかもしれない。この決断が未だ菅政権でできていないことが残念で仕方がない。今振り返ると、日本にとってのコロナ禍は、「総合知」無き為政者と、「良識」が劣化した国民が、参加する必要のなかった世界の「感染抑止競争」と「ワクチン接種競争」にお付き合いしてしまったがために自らが招き入れた「人災」と言えるのではなかろうか。

※当サイトでは厚生労働省などのデータに基づき統計的比較を試みているが、医学的知見ついては解釈が異なる場合があるので、個々の事例についてはかかりつけ医などの専門家に確認の上ご判断ください。

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