8月, 2021年

コロナに脅かされる「科学的思考」と「言論の自由」

2021-08-23

1.「東京五輪」と「欧州サッカー選手権」に見るコロナ対応の違い

このほど、イングランド公衆衛生庁が、今年の6月から7月にかけて行われた「欧州サッカー選手権」での感染状況の実証実験結果を発表した。英国で行われた8試合で約35万人が観戦したが、そのうち約6,400人が陽性者であった。特に6万人を入れた決勝戦での陽性者数は約3,400人と他のスタジアムに比べかなり多かった。ただし、6,400人の陽性者のうち3,000人は既に観戦時点で陽性であり、観戦により増えた陽性者は3,400人とのこと。つまり、3,000人が3,400人に感染させたということだ。観客はすべてワクチン証明書陰性証明書を取得していたが(証明書があって既に3,000人も感染していたとはちょっと解せないが)、それでも陽性者数が2倍強になったということは、ワクチン証明や陰性証明の感染予防効果には限界があるということだろう。観客はノーマスクで、大声を張り上げ、ゴールが決まれば観客同士で抱き合い飛沫を飛ばしまくっていた。また、試合後も周辺のバーなどで酒を飲んで羽目を外していたわけで、やはり「観客の行動」が感染拡大に影響していると見られるが、逆に、予め3,000人も陽性者がいて、これぐらいの感染に収まったとすれば、マスク無しで大騒ぎしてもこの程度のものかと言えなくもない。

今回の結果を受けて、「東京五輪は無観客で正解だった」と言う人がいるが、国立競技場で1万人、その他の会場でも十分なキャパシティコントロールをして開催する予定だった「東京五輪」「欧州サッカー選手権」のようなことが起こるとは到底考えられない。プロ野球大相撲での日本人の観戦態度を見れば言わずもがなである。

それよりも、東京五輪で一つ気になったことが、試合直後の選手へのインタビューである。陸上競技1,500メートルの田中希実選手が、レース直後で息が上がって苦しそうにしているにもかかわらず、運営スタッフからマスクを渡され、マスクを着用させられてインタビューを受けていたことだ。他にも水泳の大橋選手など、ほとんどの競技で試合直後にマスクを着用させられインタビューを受けていたが、いったい、誰が誰に感染させるのを防ごうとしているのか?感染防止をしたいのなら、インタビュアーや周りの人間が対策をすべきで、選手に負担を掛けるのはいかがなものか。かたや、柔道ではノーマスクだったが、屋内競技の柔道ではマスク無しで、屋外競技の陸上ではマスク有りというのはいったいどういう基準なのだろうか?

さて、話は欧州サッカー選手権に戻るが、ここで注目したいのが、日本とイギリスのコロナ対応の差である。イギリスは、「無謀な実験」と批判されようとも、ワクチンの効果や大規模イベントの感染リスクを「科学的」に検証しようとしたわけで、あくまでデータに基づいた感染対策をしようとしている。そして、リスクを取ってでも「コロナ禍を終わらせよう」「モードチェンジしよう」とする強い覚悟のようなものが感じられる。

それに比べ、東京五輪においては、1,000億円以上かけて開発したスパコン『富岳』のシミュレーション結果を採用しなかった。『富岳』のシミュレーションでは、有観客開催でも感染を拡げないという科学的データがあったにもかかわらず、政府はテレビや世論にバッシングされ内閣支持率が下がることを恐れ、「データに基づいた政策判断」さえできなかったのだ。ちなみに、多くの日本人に「マスクには感染防止効果がある」と思いこませたのは『富岳の飛沫拡散シミュレーションの映像であったが、マスク着用の流布には『富岳』を採用しておきながら、東京五輪では『富岳』を採用しないというのはどういう基準なのか?菅政権の支持率がここまで下がったのは、単に東京五輪を開催したからとか、コロナの陽性者数が増加したからではなく、政府の政策に、科学的根拠と政策の一貫性が無く、かつ、コロナ禍を終わらせようとする覚悟が感じられないからである。

東京五輪閉会式の最後に、次期開催地パリがエッフェル塔の前に大観衆を集め行ったデモンストレーションの迫力を目の当たりにして、「東京五輪は有観客でも良かったのではないか」と忸怩たる思いに駆られた日本人が多かったのではないか。

 

2.「科学」と「法治」を軽視した日本のコロナ対策

日本よりはるかに感染者数も死者数も多いイギリスやフランスが大観衆を集めイベントを敢行する姿勢を見てしまうと、日本の「科学的根拠」も「政策的信念」も無く政局に左右されたり国民の顔色を窺ったりマスコミのバッシングを恐れたりといった、弱腰な政策決定が歯がゆくて仕方がない。ここでいう「科学的根拠」とは、単に感染防止ができればいいというものではなく、経済や社会にもたらす副作用への配慮も含めた「総合的な判断」をするための「科学的根拠」である。

日本政府のコロナ対策を振り返ると、昨年2月の「①全国一斉休校」に始まり、「②小中学生へのマスクの強制、給食の黙食、リモート授業の導入」「③修学旅行や卒業式など各種学校行事の中止」「④大学生への登校停止」「⑤全国大会の中止などクラブ活動の制限」「⑥困窮者が救われない特別定額給付金10万円の悪平等」「⑦飲食店狙い撃ちの時短営業と不公平な補償」「⑧根拠のないGotoトラベルの中断」「⑨個々の事情に配慮の無い帰省の制限」「⑩効果の検証がされないまま繰り返される緊急事態宣言」「⑪飲食店がより苦しむことになった特措法の改悪」「⑫PCR検査の誤用、乱用」「⑬一向に拡充させない医療キャパ」「⑭医療ひっ迫の原因となっている指定感染症の継続」「⑮他の死因でもPCR陽性ならコロナ死と報告させている厚労省の通達」「⑯酒類提供について優越的地位の乱用を政府が要請」「⑰若年層へのワクチン接種」「⑱人権侵害の恐れのあるワクチンパスポートの導入検討」そして「⑲東京五輪の無観客開催」等々、「科学的根拠」に基づいているとは到底思えない、「感染抑止一本鎗」事なかれ主義の愚策が繰り返されている。

例えば大学は、昨年4月に入学してきた学生が既に1年半にも渡りほとんどキャンパスに行けていない現実をどう考えているのか?小・中・高生は工夫をして登校しているではないか?なぜ小・中・高生より分別のある大学生にそれができないと鼻から決めているのか。学生にとっては授業だけではなく、サークルクラブ活動に勤しんだり、友達を作ったり、恋愛をしたり、キャンパスライフを謳歌する権利がある。学生にとっての4年間は大人達の4年間と違い唯一無二の時間なのだ。短大生は可哀そうに殆どキャンパスに行かず卒業することになる。「授業料を返せ」と言いたくなるのも無理はない。大学の経営者や教授たちは思い出してもらいたい。あなた達も学生時代を謳歌し、学生時代がいかに貴重な時間かをわかっているはずだ。大学こそ、学生をキャンパスに迎えるために、あらゆる科学的英知を結集して解決策を見出していく立場にあるのではないか。リモート授業に逃げている今の大学はまさに事なかれ主義であり、高等教育が同調圧力に負けた象徴である。

これまで政府がやってきた政策の欠点は、「新型コロナウイルスの危険性の評価」棚上げしたまま(「指定感染症」を未だ続けている)、感染防止という名の「公共の福祉」過度に重んじられ「私権制限」「無秩序」に行われていることである。つまり、「総合的な科学的知見」に基づかなかったため、過剰な感染防止策が経済や社会や文化や教育を必要以上に傷つけ、しかも、「国会」の検証や承認を経ず、「行政」の独断で「私権制限」という「権力の濫用」が行われているのだ。要するに、「科学」と「法治」の軽視である。その典型的な例が、7月8日の西村大臣の発言であり、西村大臣酒類提供禁止に応じない飲食店に対して金融機関から対策順守を働きかけてもらうよう呼び掛けたのだ。未遂には終わったものの、これはまさに優越的地位の乱用を政府自らが促したということであり、コロナごときで「権力の濫用」に対する歯止めがここまで効かなくなっているのかと危機感を感じた。結局このような過度な「私権制限」で苦しむのは、もの言えない、中小企業や、非正規労働者女性や子供などの社会的弱者と呼ばれる人たちである。

 

3.国民を怖がらせるだけの感染対策でいいのか?

最近、東京都知事「デルタ株の猛威で災害級の危機を迎えている。」と発言しステイホームを呼び掛けたが、本当に災害級の危機なのだろうか?たまたま災害級の豪雨が全国を襲っていることになぞらえ、コロナの被害も「災害級」になっているという印象を国民に与え、危機感を煽る手法ではないか。穿った見方をすれば、医療体制のひっ迫を招いた自身の失策から国民の目を逸らすため、コロナは避けようのない「自然災害」であるという印象操作をしたかったのかもしれない。いずれにしても、このような誇張された表現を知事が使うときは気を付けなければならず、われわれは、派手な言葉に踊らされることなくデータに基づいた冷静な判断をしなければならない。その意味でも、現在のデルタ株の流行が知事の言うような「災害級」の危機なのかどうか、海外のデータと比較して確かめたい。

8月20日時点での日本の陽性者数(7日間平均、以下同じ)は21,111人(100万人当り166人)で、死亡者数は28人である。陽性者に対する死亡率は0.13%である。1回目のワクチン接種率は52%、2回目のワクチン接種率は40%である。

では、ワクチン接種が進んだことにより、通常の生活に舵を切ったイギリスではどうだろうか。8月20日時点での、イギリスの陽性者数は31,040人(100万人当り460人)で、死亡者数は114人である。陽性者に対する死亡率は0.36%日本の2.7倍である。1回目のワクチン接種率は71%、2回目のワクチン接種率は62%であり、接種率は日本より20%ほど進んでいる。

また、アメリカの陽性者数は151,227人(100万人当り460人)で、死亡者数は975人である。陽性者に対する死亡率は0.64%で日本の5.0倍である。1回目のワクチン接種率は61%、2回目のワクチン接種率は52%であり、接種率は日本より10%ほど進んでいる。

いずれも、日本よりワクチン接種が進んでいるにもかかわらず、「陽性者数」や「陽性者に対する死亡率」は日本の3倍から5倍、単位当たり死亡者数に至っては日本の8倍から14倍なのである。以前よりはその差は縮まったが、それでも日本は海外と比べ「さざ波」「小波」程度である。

そのアメリカでは、スタジアムを埋め尽くしたノーマスクの観客が大谷のホームランに歓声を上げ、ラスベガスでは2年ぶりに復活したマニー・パッキャオのタイトルマッチを超満員の観客が観戦し大声援を送っている。

一方、日本では陽性者数が増えたことだけをことさら取り上げ、医療ひっ迫が災害級の危機と騒ぎ立て、より強い感染対策をやろうとしている。全国知事会に至ってはロックダウンを政府に要求する始末だ。「危機を煽って国民の行動変容に期待する」いつものパターンである。それにしても、毎回思うのだが、医療がひっ迫しているのであれば医療体制に手を付ければいいのに、なぜか国民の行動を規制しようとする。この遠回りはいったい何なのだろう?昨年の1回目の「緊急事態宣言」の目的は、医療体制を整えるまでの時間稼ぎだったはずで、国民が我慢して時間稼ぎに協力したのだから、政府はそれに応えて、医療体制の整備に尽力すべきではなかったのか。あれから既に1年半が経過しているにもかかわらず、相変わらず「国民の行動変容を促す手法」しかやらないのは、協力した国民への裏切りであり、国民を舐めているとしか言いようが無い。

政府や知事は軽々に「ステイホーム」とか「夜の街は控えて」などの「自粛のお願い」を繰り返すが、国民に向かって「自粛」をお願いすること自体、事実上、事業者にとっては「間接的な営業妨害」なのである。しかし、あくまで国民(客側)へのお願いなので、知事は法的に事業者側に一銭の補償もする義務が無い。例えば、あなたが地方都市で観光旅館の事業を始めた途端、知事が「県を跨いだ移動はおやめください」と言って、客足が激減し経営危機に陥ったとしても、県はあなたに何の補償もしなくていいのだ。それがいつ終わるかわからず1年以上も続いたら、経営者として耐えられるだろうか?実際、日本ではそれがもう1年半も続いているのだが、地方都市ほど同調圧力が強く、事業者側にそれに抗う手立てがない。

他にも、銀座や新地のクラブやバーなどへの対処は酷いもので、完全に狙い撃ちされている。「午後8時までの時短営業をしろ」と言われたら、クラブの開店時間は通常午後8時頃だから「営業するな」と言われているのに等しい。ホストホステスは個人事業主なので、雇用調整助成金の対象にならず休業や失業をしても何の補償も無い。彼らにとっては死活問題で、生活していくためには通常営業をせざるを得ない。政府や知事は、十分な補償がなければ要請に従わず通常営業を続ける店が出てくることは容易に想像できたはずである。もし飲食店が感染を拡げているとすれば、モラルハザードが生じているこのようなクラブやバーの可能性が高いこともわかっているはずだ。にもかかわらず、通常営業しているクラブやバーを放置しておいて、逆に、感染対策をしっかりしている飲食店に時短営業を要請している今の政策のどこに合理性があるのだろうか。

政府や知事たちは、この「国民へのお願い」という「ズルい手法」しれーっとやり続けているのである。日本人の同調圧力は思った以上に強く、「自粛要請」という手法は、十分な補償をしなくてもロックダウン並みの人流抑制効果を発揮するので、政府や知事にとっては一石二鳥のおいしい手法であった。1回目の緊急事態宣言後も「ステイホーム」という掛け声のもと「自粛要請による人流抑制」がうまくいったものだから、それに味をしめて、遠慮なしに何度も繰り返すこととなり、その度に支援金などの補償の受け皿からこぼれ落ちた事業者が苦境に立たされる羽目になった。たださすがに国民も人流抑制が感染抑止に効果が無いということに気付き始め、「緊急事態宣言」を発出しても人流を止めることはできず、現在では「自粛要請」は形骸化している。

ちなみに、ロックダウンマスクの義務化などの過度な感染対策を取らず、「ウイズコロナ」「長期的戦略」を取ったスウェーデンは、当初高齢者施設の死亡者が多く出てかなり叩かれたが、今ここに至っては、陽性者数も死亡者数もほとんど増えておらず、その「対策をしない対策」が見直されている。スウェーデンには日本の様な「自粛」いう概念は無く、あらゆる政策は法律に基づいて実行される。義務ではないので誰もマスクをしていない。「スウェーデン政府の見解」は毎日、テレビでダイレクトに国民に伝えられる。日本のようにテレビが「自粛」「自粛」と恐怖を煽ることはなく、国民はいたって冷静だ。そんなスウェーデンの8月20日時点での陽性者数は920人(100万人当り91人)で、死亡者数は1人である。陽性者に対する死亡率は0.11%であり日本とほぼ同じである。1回目のワクチン接種率は65%、2回目のワクチン接種率は50%であり、接種率はアメリカ並みで、日本より10%ほど進んでいる。

結局、イギリスやアメリカのように、ロックダウンを繰り返してコロナを抑え込もうとした国よりも、ウイズコロナで緩やかな規制を貫いたスウェーデンの方がコロナによる被害は同等だとしても、経済的ダメージは少なかったと言える。この一年半の各国の感染状況を見ていくと、一旦感染が拡大してしまうと、ロックダウンしようが、緊急事態宣言を出そうが、学校を閉鎖しようが、飲食店を休業しようが、もしくはなんの対策をしなくても、その結果はほとんど変わらないということがわかった。日本をはじめアジア諸国の感染被害が欧米諸国に比較し少なかったのは、感染対策の有無や強弱は関係なく、中国由来の土着のコロナによる交差免疫(過去に旧型のコロナに感染した人は新型コロナにも感染しにくい現象)や、早期の弱毒性の新型コロナウイルスによる集団免疫により、欧米人よりも新型コロナへの耐性が強かったからである。日本はその恩恵により、スウェーデンよりも圧倒的にコロナ被害が少なかったにもかかわらず、スウェーデンよりも過度な感染対策をしてしまったがために、経済的損害はスウェーデンを上回ってしまった。知事たちは、日本の陽性者数だけに一喜一憂するのではなく、海外と比較したときの日本の感染状況を冷静に見て、日本は欧米諸国の様なパンデミックになっていないことをしっかり認識し、感染抑止に偏った政策を改めるべきである

 

4.コロナ対策のボタンの掛け違いは「感染拡大を抑えられると思い込んだことだ」

以前から何度も指摘してきたが、先の読めないウイルスの動きを抑え込むこと自体無理があるわけで、人為的に感染をコントロールするのは不可能である。ウイルスは人が思っている以上に俊足である。ロックダウンをして一瞬抑え込めたと見えてもすぐにその反動は現れる。マスクだってほとんど意味が無く、網の目がウイルスの何百倍も大きいマスクでウイルスの侵入を防げるわけが無い。マスクを四六時中しているくらいなら、TPOに応じた咳エチケットを意識する方がまだ多少有効かもしれない。

ただし、ウイルスはむやみやたらに増殖しているのではなく一つのパターンがあり、そのパターンを理解することが肝心だ。今までの感染状況を振り返ると、北半球、南半球、寒冷地、赤道直下、いずれの地域においても世界的に共通しているのは、陽性者は一定期間増え続けるがそのエリアでの集団免疫が達成されれば必ず減少に転じ、およそ3カ月間で収束している。

そして、感染の山の高さは、そのウイルスの感染力人間の免疫力相関関係で決まり、日本人が欧米人に比べ今回のコロナについて感染しにくいのは、日本人の免疫力欧米人の免疫力よりも相対的に強いからである。ただ、インフルエンザ同様コロナウイルスの感染力は非常に強いので、変異するたびに1、2カ月ぐらいであっという間に日本全国に蔓延し、「変異株の感染力>免疫力」(その時の変異株の感染力よりも免疫力が弱い人)の層の人達は感染する。そしてその層の人達が一通り感染したら、集団免疫が達成され収束する。

日本では、PCR検査の陽性者数からして、集団免疫を獲得するほど感染は拡がっていないという見方があるが、PCR検査で拾える陽性者数は実際の陽性者のごく一部であり、京都大学の上久保靖彦教授の研究よると、日本は昨年の3月時点で一旦、コロナウイルスの集団免疫を獲得したということである。日本では一昨年(2019年)の12月、昨年(2020年)の1月4月8月、今年(2021年)の1月4月と、大きな変異としてはほぼ6回、それぞれ異なるコロナの変異株が日本全国で蔓延し、その度に「変異株の感染力>免疫力」の層の人達が感染し、集団免疫が達成され収束している。この間、総じて、コロナの感染力は強まっていき、逆に弱毒化している。ただし、最初の二つの株は例外で、一昨年の12月と昨年の1月のコロナは極めて弱毒でかつ感染力が強い株だったらしく、日本は3月半ばまで中国の渡航制限をしなかったので中国人が大量に入国したため、かなりの数の日本人は無症状か軽症で気付かないうちにコロナウイルスに感染し、2020年3月には集団免疫が獲得されていたとのこと。それを裏付ける研究として、東京理科大学の村上康文教授の調査では首都圏の362人の抗体検査の結果「ほぼすべての検体で既感染を示す免疫グロブリン反応があった」ということで、日本人の大半がコロナの抗体を持っていたことが実証されている。上久保教授によると、感染してできる抗体(獲得免疫)には、液性免疫(B細胞免疫)細胞性免疫(T細胞免疫)の2種類があり、通常の抗体検査に反応するものは液性免疫で、液性免疫だけだと人口の2%ぐらいしか感染していないことなる。しかし、村上教授の免疫グロブリン反応の実験で、ほぼすべての検体で既感染反応が見れたということは、通常の抗体検査では反応しない細胞性免疫を日本人のかなりの人が獲得していたのではないかということだ。諸外国では2月早々に始めていた中国人の渡航禁止が日本では3月半ばまで遅れたことが、いわゆる怪我の功名で、3月時点では、その後の強毒性のヨーロッパ株に対抗するための抗体ができていたのだ。

また、相当数の日本人がコロナに感染していたことの証左として、コロナが流行りだして以降、インフルエンザが全く顔を出さなくなったことが証明している。なぜかと言うと、インフルエンザが全く流行しなくなったのは、マスクなどの感染対策の為ではなく、コロナウイルスとのウイルス干渉(ウイルス同士で宿主の奪い合いをし、一つのウイルスが流行すると他のウイルスは流行しない現象)が原因であり、日本人の大半がコロナウイルスに感染したからこそ、ウイルス干渉により、日本人の間でインフルエンザが全く流行しなくなったということだ。日本だけでなく世界的にもインフルエンザは激減しており、ウイルス干渉は世界的に起こっていて、諸外国でも変異株の種類ごとに集団免疫が獲得されてきたと考えられる。

また、コロナが我々が思っている以上に日本で蔓延していることを表している事象が、沖縄県を含めすべての都道府県が例外なく、同じ時期に変異株の種類が入れ替わり、同じ時期に感染拡大し、同じ時期に収束し、しかもその感染規模もほぼ同じだということである。47都道府県すべてである。感染者がPCR検査の陽性者数ぐらいしかいなければ、感染の増減や規模が全国的にここまでシンクロすることはあり得ない。おそらく、インフルエンザと同じように、コロナにおいても、「無症候者」や、少し熱っぽいとか頭が痛いとか喉がイガイガするなどの「軽症の感染者」がかなりいると思われるが、症状が軽ければ敢えてPCR検査を受けない人が多いのではないか。保健所に陽性認定されると隔離されるというリスクもあるのでなおさらだ。

特に地方や田舎など昔ながらの共同体が生きている地域では、テレビの煽り報道の影響が色濃く出ていて、コロナ患者に対する差別は凄まじく、多少の熱ではPCR検査を受けない人が多いと思われる。岩手県がいい例で、岩手県は昨年の7月29日まで日本で唯一、陽性者は0人であったが、おそらく発熱しても黙っていた人が多かったのではないだろうか。その陽性者第1号の勤め先が会社のホームページで陽性者が出たと公表してしまったがために、その会社には中傷の電話が殺到したという。これは、日本の地方が未だ「村社会」であることを象徴するような事例で、共同体の仲間意識が強い地域ほど、コロナに罹ったと言い辛いということだ。共同体意識を否定するつもりは無いが、コロナにおいては、この共同体意識が悪い方向に出ており、日本全体が同調圧力でがんじがらめになってしまっている。このような状況も含めて、PCR検査で陽性になった人は氷山の一角と言える。

では、どういう仕組みでコロナウイルスが一気に感染拡大するのかと言うと、感染拡大のポイントは「家庭感染」である。その時流行り始めた変異株の感染力より免疫力の弱い層の人達(「変異株の感染力>免疫力」の層の人達)が、職場、学校、スーパー、商業施設、飲食店、病院、介護施設、交通機関などさまざまなエリアを移動してキャッチしたウイルスが、毎日、家庭(寮なども含む)に持ち込まれ、家庭でウイルスが交換され、また別のエリアへと移動して感染を拡大させるのである。「ウイルスを拡げる要は家庭である」。感染ルートが飛沫感染空気感染糞口感染接触感染か、そんなことは全く関係ない。家庭にはそのすべてのルートが勢揃いしているのだから。そもそも、感染対策をしている家庭はほとんどないし、無症状でも感染力があるとすれば、油断している家庭での感染が最も多いのは当然だ。よって、ウイルスは「毎日」家庭で交換されるので一旦流行り始めると一気に拡大するのだ。世界的にコロナの感染拡大を止められないのは、家庭での感染を止められないからである。

人口密度も関係ない。日本もスウェーデンも、東京も北海道も、人口密度に関係なく感染拡大するのは、ウイルスが家庭で交換されるからだ。

介護施設療養施設老人ホームなどで感染が多いのは、そこが生活の場だからである。いくら外からウイルスを持ち込まないように努めても、完全にシャットアウトするのは不可能で、一旦持ち込まれると、そこで日常生活が営まれている以上、その施設内での感染拡大を防ぐのは非常に難しい。

このようにして、家庭を基点として感染は拡がるが、その流行している変異株より免疫力の強い層にはほとんど感染させないので、一定のところでピークアウトし収束する。パパの免疫力が強ければパパには感染させない。子供はACE2受容体が少なくコロナに感染しにくいので、今回のコロナは子供が壁となりパンデミックが回避されたとも考えられる。そこがインフルエンザとの違いで、インフルエンザ患者の7割は未成年者で、子供が学校と家庭を往復することで感染を拡げるが、コロナではそれがほとんどなかった。にもかかわらず、怖がりの大人たちの犠牲になって、マスクを強制されている子供たちが不憫でならない。マスクをしているから子供たちが感染しにくいと未だに考えている人がいるが大きな勘違いである。子供たちはもともとコロナに感染しにくい体質なのだ。子供たちへ謝罪と感謝を。

今回のデルタ株の特徴は、日本人が多く持つと言われている細胞性免疫HLA-A24を回避し、人間のACE2受容体に結合しやすい性質があるらしく、日本人でも感染しやすくなっており、「デルタ株の感染力>免疫力」の層の人達の数がかなり多く、感染の山が高くなっていると思われる。もちろん、家庭が感染の要なので、「緊急事態宣言」を出したからと言って、感染拡大を止める効果は乏しく、それぞれのエリアで集団免疫が達成されるまでは収束しない。

インフルエンザも毎年5,000万人がワクチンを打っていても、毎冬同じように感染が急拡大し、1,000万人以上が病院を受診し(無症候者を含めればその4、5倍の感染者がいると言われている)、全く感染対策をしなくても、集団免疫ができることでピークアウトし、約3カ月で収束する。インフルエンザの山は1年に1回だが、コロナの場合は新参者で変異しやすいので、今のところ、年に何回か山が来ている。

日本ではデルタ株の感染がどこまで拡大するか心配されているが、インドの状況を見れば、あと1カ月ほどで収束する可能性は高い。なぜなら、デルタ株発祥の地インドでは4月に、「クンブ・メーラ」という数百万人がガンジス川に集まる大祭によって、ピーク時には1日40万人の陽性者を出したが、ワクチン接種率が1割に満たなくても、ほぼ3カ月で収束し、その後陽性者数は4万人ぐらいで低位安定しているからだ。インドはロックダウンをしたから収束したという人がいるが、インド人の7割に抗体ができたということは、ロックダウンしても感染が拡がっていたわけで、集団免疫が達成されたから収束したと考える方が自然であろう。ちなみにインドの陽性者数40万人は多いように感じるが、日本の人口に置き直すと4万人となり、今の日本の陽性者数とそれほど変わらない。よって、日本も、期間と山の高さからほぼピークに近づいているのではないだろうか。

このような感染増減のパターンを踏まえた上で、日本のように自然免疫の強い国は、ほとんど意味の無い飲食店の時短営業や人流抑制などを早急に辞め医療体制を改変することに全力を注ぐ方が、より効果的経済的な対策と言える。意味も無いのに飲食店に規制をかけ、支援金を支払うなんて予算の無駄遣いだ。ロックダウンをやっても集団免疫による収束を先延ばしにするだけで、感染対策上効果が無いどころか逆効果である。全国の知事たちはもっとウイルスについて勉強をして、正しい知識を身に着け、費用対効果抜群の医療体制の改変に専念してもらいたい。

 

5.「指定感染症」を解除すればコロナ禍は終わる

一方、医療体制を改変するために政府がまずやるべきことは「指定感染症」の解除(五類感染症に落とす。以下同じ)である。そして、インフルエンザと同じような対応にシフトしていくべきだ。自らコロナ対応病院を極端に少なく絞り込んでおいて、「病床が足りない」と騒いでいる政府分科会そして医師会「茶番」にこれ以上付き合っていられない。インフルエンザでは毎年、1,000万人以上の患者(陽性者はその数倍いるだろう)が発生し、関連死を含め1万人以上が亡くなっており、しかも冬場の3カ月間に集中している。病床の使用率から言えばコロナ以上にひっ迫してもおかしくないはずだが、毎冬、何事もなくこなせているのは、インフルエンザが「指定感染症」ではないからだ。インフルエンザの場合PCR検査をそもそもしないので、「無症状者や軽症者を入院させることは無いし、症状が出たら一般の病院で診察し、医師が危険と判断したら入院させる」といったごく当たり前のことをやって、医療崩壊を起していない。一方コロナの最大の問題点は「指定感染症」なので窓口が保健所に限定されていることである。保健所無症状者軽症者にも対応せざるを得ず、しかも電話での応対なので、患者の病状を細かく把握することができず、陽性者が増えてくると保健所では対応しきれなくなり、投薬酸素吸入入院の判断が遅れ重症患者を増やすことになる。インフルエンザのように医者が窓口となり、直接診ていれば救われた命も多くあったはずだ。

実際にコロナ患者の治療に当たっている現場の臨床医は口をそろえて言っている。「コロナ騒ぎを終わらすのは簡単だ。指定感染症を解除し、一般の診療所でもコロナ患者を診れるようにするだけでいい」と。

インフルエンザでは、今までずっと、「感染対策などほとんどしていない町の診療所の狭い待合室」に患者を詰め込み、毎年1,000万人以上の患者を出し、1万人以上が死んでも何の問題にもしなかったのに、なぜコロナについてはその実態がわかりつつあるにもかかわらず未だに、エボラ出血熱を扱うような、ゾーニングだの陰圧室だの防護服だの、大げさな対応をしなければならないのか。もしコロナがエボラ出血熱のように致死率50%以上本当に恐ろしい伝染病であれば仕方ないが、そうで無い事は誰の目からも明らかである。にもかかわらず、政府が、コロナをエボラ出血熱並みの怖い伝染病にしておきたいのは、穿った見方をすれば、「ワクチン接種」を何が何でも推し進めていきたいからではないか。だからこそ、「指定感染症」を一向に解除しようとせず、コロナの恐怖を煽り続けているのではないだろうか。

政府が「自粛」「ワクチン接種」を促すための手法として国民の恐怖心を煽っているとしたら、それはもう民主国家とは言えないのではないか。国民から負託を受けた国会や政府は、その採用する政策について、国民に説明する責任があり、説明もせず、従順な国民性を利用して行動変容させようとするのは、ある種の扇動主義である。国民側も民主国家の一員として政府に説明を求めていくべきだし、納得いかない政策を「同調圧力」で受け入れていては、「自由」という権利を自ら手放すことになりかねない。「ロックダウンをしなくても自粛する日本人は民度が高い」などという言葉を真に受けて喜んでいてはいけない。そこまで「お人好し」になることは無いのだ。コロナ禍を大義名分にして、「科学的根拠」「法的根拠」も無く、私権制限が簡単にされてしまう今だからこそ、「義務でもないのにマスクはしない」というスウェーデン人の権利意識の高さを見習ってもいいのではないか。

 

6.日本にワクチンは必要か? ~コロナウイルスは弱毒化している~

日本のコロナ対策は、感染症専門医を中心に構成される分科会の打ち出す提案を政府がほとんど丸飲みしているので、「感染抑止に偏った政策」しか出てこない。その分科会はコロナをエボラ出血熱と同等と評価し、「感染拡大を抑えなければ日本は大変なことになる」というスタンスを一向に変えない。だから経済や社会や文化や教育がどうなろうとも二の次で、感染を抑えることが絶対の正義と思いこんでいる。よって、少しでも感染が増えたら危機を訴え、国民に自粛をさせることを全く厭わない。こんな「自粛しか考えない分科会」にスポイルされた政府価値観と、「恐怖を煽るほど視聴率が取れる」テレビ局価値観が、「恐怖を煽る」という点で不幸にも一致した。政府はテレビの煽り報道ただ乗りしたのである。この関係性は「感染抑止一本鎗」の政府の政策に対して、テレビ側からの批判が全く出ないという点で政府にとって好都合だった。そして、日々繰り返されるテレビの煽り報道によって、国民は洗脳され「コロナは恐ろしい伝染病だから自粛しなければならない」「自粛しない人間はコロナを拡げ、誰かを殺している」というような「共通認識」が国民の中に醸成され、「感染抑止策」に反論することが難しくなってしまった。「コロナは大したことない」と言った瞬間に「人命軽視だ!」バッシングの嵐である。高橋内閣官房参与の「さざ波発言」が良い例である。この同調圧力は、常識的には屋外でマスクをする必要はないとわかっていても、マスクをせざるを得ない空気感とよく似ている。政府が手を下さなくても「マスク警察」「自粛警察」が出てきて市民が市民を監視する社会である。戦時中「贅沢は敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」などのスローガンのもと、新聞などのマスメディアが扇動し、隣組を中心に行われた言論統制を彷彿とさせる。まさに全体主義である。もはやわれわれは、コロナに関する自由な発言ができなくなった「コロナ全体主義」の中にいる。それが顕著に表れたのが「ワクチン」である。

 

政府は、デルタ株の流行で50代40代の重症者が増加していると強調し、50代40代にも早急にワクチンを接種していく方針を打ち出している。更には20歳未満の若年層にまでワクチン接種を推し進めようとしている。確かに全体的に陽性者数は急増しているが、50代40代の重症者が目立って増加しワクチン接種が急務なのか、20歳未満にまでワクチン接種を推進すべきなのか、第4波の陽性者数がピークであった4月28日と現状8月18日「陽性者数」「重症者数」の年齢別内訳を比較して検証する(厚労省発表「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)」参照)。

まず、陽性者数がどうなっているかだが、4月28日の4,690人(50代40代=約1,300人、60歳以上=約900人)から8月18日の19,452人(50代40代=約5,600人、60歳以上=約1,200人)へ4倍になっている。年代別では50代40代が1,300人から5,600人へ4.3倍、60歳以上が900人から1,200人へ1.3倍となっており、高齢者の陽性者増加率はかなり抑えられている。これはワクチン接種の効果が出ている可能性がある。一方、重症者数は321人から482人1.5倍に留まっている。陽性者の増加が4倍で、重症者の増加が1.5倍ということは、陽性者の増加の割に重症者の増加はかなり抑えられており、「デルタ株は弱毒化している」と考えられる。一見、高齢者にワクチンを打ったから重症者の増加が抑えられたとも考えられるがデータを見るとそうではない。これについてはのちほど言及する。やはり、前々から専門家が指摘していた通り、「コロナは変異を繰り返しながら弱毒化していき、弱毒化するからこそ感染しやすくなる」ということが証明された形であり、陽性者数が増加したからといって慌てる必要はない。おそらくコロナは「普通の風邪」に近づきつつある。

重症者の年齢別内訳だが、4月28日時点での重症者数321人で80歳以上68人、70代112人、60代73人、50代39人、40代25人、30代1人、20代1人、10代未満0人、不明2人であった。50代40代の合計は64人で、60代以上の合計は253人であった。40歳未満はわずか2人であった。

一方、8月18日時点での重症者数482人で80歳以上85人、70代146人、60代111人、50代88人、40代43人、30代1人、20代0人、10代未満0人、不明8人であった。50代40代の合計は131人で、60代以上の合計は342人であった。40歳未満はわずか1人であった。

確かに上記の数字を見ると、50代40代の重症者数は増加しているが、60歳以上も増加しており、いずれも陽性者数が急増したことが原因と言える。一方、40歳未満は2人から1人なので、ほとんど重症化しないことがわかる。では、「50代40代」と、「60歳以上」を比べ、陽性者数に占める重症者数の割合などから、50代40代の重症者数が特に増加しているのか、また、デルタ株の弱毒化が年代によって異なるかについて見てみたい。

まず、「50代40代」を見てみる。4月28日の陽性者数は約1,300人で重症者数は64人なので重症者率(※)は4.9%、8月18日の陽性者数は約5,600人で重症者数は131人なので重症者率は2.3%となっている。重症者率は4.9%から2.3%に半減しており、陽性者数の増加に連れて重症者の数は増えてはいるが、比率は大幅に減少していて、50代40代が特に重症化しているわけではない。つまり、デルタ株は弱毒化しているので50代40代でも重症化しにくくなっているということだ。

(※)ここで言う重症者率とは1日あたりの新規陽性者数に対する、その時点での重症者数なので、重症化率とは全く違う意味である。1,300人が陽性になったら64人が重症化するという意味ではない。4月と8月を比較するために率を出したということである。実際の重症率は重症率よりかなり低い。以下も同じ。

次に「60歳以上」を見てみる。4月28日の陽性者数は約900人で重症者数は253人なので重症者率は28%、8月18日の陽性者数は約1,200人で重症者数は342人なので重症者率は28%となっている。重症者率は28%から28%とほとんど変化がなく、陽性者数と重症者数が比例して増加したということである。なお、7月の厚労省のデータによるとワクチン接種をした60歳以上の感染率は未接種者の15分の1ということなので、8月時点での重症者の殆どはワクチン未接種者の可能性が高い。となると、50代40代の重症者率が4.9%から2.3%に半減したのに比べ、60歳以上の重症者率が28%のまま変わらずということは、ワクチン未接種の60歳以上についてはデルタ株が弱毒化していないのかもしれない。もしくは、医療体制がひっ迫したことにより高齢者の重症化が進んでしまったとも考えられる。なお、ワクチン接種者の重症化のデータはまだほとんど出ていないので、ワクチン接種が重症化を抑えるかどうかの判断は今の時点ではできない。

結論として、4月と8月を比較し、陽性者急増のわりに重症者の増加が極端に抑えられた原因は、高齢者へのワクチン接種とは関係無く、「デルタ株が弱毒化したからだ」ということができる。

以上を総括すると、デルタ株は感染力は強まっているが、今までの3分の1ぐらいに、かなり弱毒化していると言える。政府の見解では50代40代の重症者が特に増加しているとのことだったが、数としては増えているが比率的には半減している。また、40歳未満については、デルタ株で陽性者が急増したがほとんど重症化していない。60歳以上については、ワクチン接種者の重症化についてはまだデータが揃っていないが、ワクチン未接種者については重症者率にほとんど変化が無かった。この原因として考えられるのは、高齢者についてはデルタ株が弱毒化していないのではないかということと、もう一つは、医療ひっ迫により重症者の自宅療養が増加し重症化が進んでしまったということである。もし医療ひっ迫が原因とすれば、弱毒化しているにもかかわらず重症者を増やしたということで、もはや人災としか言いようがない。以上のことから、優先させるべき対策は、50代40代のワクチン接種よりも、高齢者の重症化を防ぐことではないか。重症化するまで自宅やホテルで放置せざるを得ない医療体制にこそ手を付けるべきであろう。

一方海外に目を向けると、現在、イスラエルイギリスアメリカなどワクチン接種が進んでいる国ほど陽性者数が増加し、過去最高に近い数になってきており、また、死者数も増え始めている。例えばイスラエルの場合、現状1日当たりの陽性者数(7日間平均)は7,300人(百万人当たり800人)だが、1月ピーク時の8,600人に迫る勢いだ。また1日当たりの死亡者数(7日間平均)は、1カ月前は1人だったのに、現状23人(日本の人口比にすれば320人)まで増加してきている。ワクチンの効果が減少してきたことが原因らしいが、早くも3回目のワクチン接種を始めている。これでは今後、何回ワクチンを打てばよいのかわからない。ウイルスが変異するたびに新しいワクチンを接種することとなり、「イタチごっこ」に巻き込まれる。しかも、今流行っている変異株に対応するワクチンはすぐには開発できないので、常にその前か、その前の前の変異株に適したワクチンしか打てない。製薬会社はこの矛盾をどう解決していくのだろうか?

日本のように集団免疫が広範に拡がり感染被害の少ない国については、ワクチンに頼るのではなく、獲得免疫のブースター効果を促したり、人間が本来持っている自然免疫を鍛えることにシフトしていった方が良いのではないか。「特に40歳未満の若年層については上記データでもわかる通りほとんど重症化しないのだからワクチンに頼る必要は全くない」。テレビでは「若者でも後遺症があるから怖い」と脅しているが、ほどんどが時間経過とともに消えるわけで、それは後遺症ではなく「予後の病状が悪い」と表現すべきものである。後遺症は一生治らないか治るとしても何年もかかるものなので、テレビがこのような間違った表現で恐怖を煽るのはどうしたものだろうか。

一方、最近子供たちの陽性者数が増えてきているが、1年半にもわたりマスクを強制し清潔な環境を人工的に作り出したことで、本来曝露すべき様々なウイルスや細菌に曝露できなかったため、子供たちの免疫力が下がってきているからではないだろうか。それを示唆する事例として、今年、子供たちの間で、昨年殆ど発生しなかった、RSウイルスが過去最高の大流行となっている。子供の場合、コロナに感染してもほとんど重症化しないのでコロナについては安心だが、過剰な感染防止策により、今回のRSウイルスの大流行の様な他の伝染病の大流行を今後招かないか、特にインフルエンザが子供たちの間で大流行しないか心配である。そういう意味でも、小中学校での、マスク着用消毒黙食など過度な感染対策は早急にやめ、普通の生活に戻すべきだ。もちろん、子供たちにワクチンを打つ必要は全くない。逆に打つ方が危険である。

人間とウイルスは人間が誕生してからずっと共存してきたパートナーであり、特に強毒性の伝染病でない限り、自然の摂理に従って付き合っていくのが、長い目で見れば最も被害を少なくする方法だと考えるのが常識である。Withエボラ出血熱はいけないが、Withコロナは問題ない。幸いにも日本人は長い歴史の中で、中国由来の土着のコロナ風邪に繰り返し感染し、コロナに対する免疫をすでに持っている。昔から気付かぬうちにWithコロナを実践してきたのだ。今さら副反応が強い人工的なワクチンで、わざわざすでに持っている自然免疫を弱めることは無いのだ。

マスクをして、消毒しまくって、外出を控え、挙句の果て免疫力が下がって、感染しやすくなり、ワクチンを打って、更に自然免疫力が下がり、ワクチンを何度も打つなんて、こんな「愚かな悪循環」に巻き込まれる必要などない。特に、若い人たちにとっては、コロナウイルスはインフルエンザ以下のウイルスなのだから、本来持っている自然免疫で十分対抗できる。政府がなぜ、ほとんどコロナリスクの無い若者にワクチンを打たせようとしているのか、なぜこんな不合理なことを君たちに推奨するのか、その本質を見破って欲しい。日本経済がコロナ禍から脱出できないのは君たち若者がワクチン接種をしないからではない。大人たちの無策・無能・欺瞞のせいである。狡猾な大人たちに騙されることなく、正確な情報に触れ、しっかり自分で考え判断してもらいたい。

 

7.ワクチンと「言論封殺」

国内外のデータを見ていると、ワクチン効果のメッキが剝がれてきているにもかかわらず総裁選衆議院選挙を間近に控えた政府は、立ち止まって考えることも無く、50代40代のワクチン接種に邁進している。政府は、今の状況を打開するために残された手段はワクチン接種しかないと思っているのだろう。

政権維持の焦りからか、「ワクチン」について政府は相当デリケートになっていて、ワクチンに反対する意見を封じ込めようとしている。ワクチンのリスクについてもアナフィラキシーショックなどの接種直後に起こる副反応については説明しているが、治験期間が短かすぎてまだ判明していない遺伝子ワクチンの長期的なリスクについては触れたがらない。例えば、ワクチン接種券の説明書では「新しい種類のワクチンのため、これまでに明らかになっていない症状が出る可能性があります。」という一文があるだけだ。これは健康被害が出た時のエクスキューズに過ぎず、どんなリスクがあるのか全く分らないし、ほとんどの人は読んでさえいないだろう。

さらに、河野ワクチン担当大臣は自身のブログで、「ワクチン接種により不妊が起こる」、「遺伝子が組み換えられる」、「治験が終わっていないので安全性が確認されていない」、「長期的な安全性がわからない」、「ADE(抗体依存性増強現象)が起きる」などの意見はすべて「デマ」であり、そのような心配は全くないと言い切っている。しかし、河野大臣の「デマ」発言こそデマではないかと思われるものがかなりある。例えば、「治験が終わっていないので安全性が確認されていない」という意見に対して河野大臣は「mRNAワクチンは、基礎研究、動物実験、治験が省略されることなく実施され、リスクを上回る臨床的に意味のある有効性が確認されています。その上で、いつまで効果が持続するかという長期の有効性を確認するための治験が継続して行われています」と答えている。ここで注意しなければならないのは、河野大臣の答えは「安全性」「有効性」に論点をすり替えていることだ。答えにくい質問に答えるときによくやる「論点ずらし」である。つまり、河野大臣の答えは「安全性は大丈夫か?」という質問に「有効性は認められています」と話をずらしているのだ。このような回答をするということは、おそらく安全性については相当答えにくいことがあるのであろうと想像できる。また、河野大臣の答えにはもう一つの誤魔化しが隠されていて、「安全性」を「有効性」にすり替えることで、「安全性についてはまだ治験中である」ということを暗に隠そうとしている意図が見えるのだ。つまり「まだ治験中であり、ワクチンの安全性は証明されていない」という事実を国民に知られたくないのであろう。他にも「ワクチン接種により不妊が起こる」と言う意見についても、「不妊」についての意見を「妊婦」の話にすり替えている。また、「mRNA」が細胞の核内で見つかった論文があるにもかかわらず「mRNA」が遺伝子に組み込まれ無いと言い切ったり、論点ずらしや科学的根拠が甘い回答が非常に多い。ただ、今回の河野大臣の「デマ」発言の最大の問題点は、「ワクチンは危険であるという発言=デマ」という「レッテル貼り」をしたことである。この「レッテル貼り」により、その後、ワクチンの危険性を指摘する専門家の意見はすべて「デマ」であるという先入観を国民に植え付けてしまった。まさに「逆デマゴギー」であり、目的のためなら手段を択ばないその姿勢に、不信感を持ったのは私だけではないだろう。

ワクチンのリスクについて専門家は「将来的な可能性」を心配しているのであって、現状の治験データではそのリスクは「まだ誰もわからない」と疑問を呈しているのだ。そして、日本のようにパンデミックになっていない状況で「リスクのわからない新しいワクチン」特例承認までして慌てて打つ必要があるのかと警鐘を鳴らしているのである。国民としては少しでもリスクがあれば、それらの情報はすべて開示してもらった上で接種するかどうかを決めたいのであり、特に40歳未満の極めてコロナ被害の少ない年齢層への接種についてはより慎重になるのは当たり前である。そんな国民の気持ちを代弁している専門家の様々な意見に対して、「デマだ」と一蹴する河野大臣の態度はあまりにも不誠実ではないだろうか。もし将来「デマ」では無く、重大な健康被害が出たとすれば、河野大臣はどのような責任の取り方をするのだろうか。奇しくも河野大臣は自身のブログで、なぜ人はワクチンデマを流すのかの理由として「過去に誤ったことを発言したために抜け出せなくなっているから」と指摘しているが、その言葉をそのまま河野大臣に返したい。

あなたは、専門家から提示されている様々なリスクをすべて「デマ」と断定する河野大臣と、もしかしたら危険があるかもしれないと心配して提言している専門家のどちらを信用しますか?

 

将来的なリスクとは違うが、専門家からは下記の様な厚労省のデータに基づき、接種直後の死亡率の高さについて警鐘が鳴らされているが、河野大臣は厚労省が出しているこのデータについてどのような見解を持っているのだろうか?

厚労省のホームページを見ればわかるデータだが、新型コロナウイルス季節性インフルエンザ「ワクチン接種に関する副反応」を比較したデータである。

季節性インフルエンザの場合、令和1年10月から同2年4月までに5,649万人がワクチンを接種し、副反応が278件、重症者が93件、死亡者が5人であった。

新型コロナウイルスの場合、今年7月末時点で7,413万回のワクチン接種が行われ、副反応が20,105件、重症者が3,338件、死亡者が919人となっている(死亡者の90%以上が65歳以上)。

コロナワクチンの方が副反応重症者数死亡者数も桁違いに多い。特に死亡者数についてはインフルエンザワクチン5人に対して、コロナワクチン919人と、180倍(分母を合わせると140倍)にも及んでいる。180倍ともなれば見過ごせない数字である。しかもこれらの数字は医療機関からの報告ベースであり、報告されていないものがこの何倍もあるのではないかと言われている。厚労省はワクチン接種と死亡の因果関係については評価できないとしているが、明らかにワクチン接種の影響があると思われる根拠がある。それは、死亡者の6割以上が接種後1週間以内に集中しているからだ。特に接種翌日が非常に多く、徐々に減少していく。もし他の疾患老衰が原因で死亡しているならば、接種翌日に死亡が集中するといった偏りが出ることはなく、長期間にわたりある程度均等に死亡していくはずである。まさか、余命いくばくもない寝たきりの高齢者にまでワクチン接種をしていたのなら話は別だが。政府分科会はこれらのデータを厚労省のホームページに出すだけでだんまりを決め込むんじゃなくて、この死亡者数許容範囲かどうか、国民に説明すべきである。

厚労省がワクチンとの因果関係をあいまいにしているのは、遺族からの訴訟に対抗するためだろうということは簡単に想像がつく。もし、遺族との訴訟になった場合、因果関係の証明責任は遺族側にあるので、厚労省が現時点で因果関係を不明にしておくのは訴訟対応上至極当然である。結局、遺族側が因果関係を証明するなんてまず不可能であり、死亡補償金4,420万円は絵に描いた餅に終わるのではないか。

ワクチンのリスクについては様々な見解があってしかるべきだが、問題の核心は、客観的なデータに基づき専門家が警鐘を鳴らしているにもかかわらず、政府が真摯に対応しないことである。ワクチンをできるだけ早く国民全員に打ってコロナ禍から開放されたい気持ちはわかるが、ワクチンのリスクについては、もっとオープンに議論されてしかるべきで、国民にはワクチンのリスクの全貌を知る権利があり、政府はそこから逃げてはいけない。

 

このような政府の隠蔽体質は今に始まったことではないが、今回のワクチン騒動の特徴は、民間でも「言論封殺」が当たり前のように行われ、どこからも批判が出ていないことである。例えば、「ワクチンは危険だ」YouTubeで発信しただけで、その動画がYouTubeによって削除される「検閲」が横行している。すでに社会インフラとして全世界のプラットホームになっているYouTubeが、営業の自由があるからといって、公序良俗に反していない動画を一方的に削除していいわけがない。ただ、このような強引な「言論封殺」がまかり通っているということは、その裏に何らかの「ワクチン利権」があるのではないかと、疑わざるを得ない。私は陰謀論は好きではないが、一連の世界的なワクチン騒動を冷静に見ると、製薬会社WHOYouTubeなどのグローバル企業が「ワクチン利権」で繋がっているようにしか映らないのだが。

SNSでの言論封殺は露骨であるが、テレビも同様で、「コロナは怖い」「ワクチンは有効」という謳い文句をセットにして、毎日、製薬会社の宣伝広告のような放送が続いている。「ワクチンのリスク」について触れたとしても発熱やアナフィラキシーショックの症状ぐらいで、遺伝子ワクチンのリスクを詳しく解説したり、ワクチンによる死亡者数の増加をインフルエンザのそれと比較して紹介するようなことはまず無い。テレビ局の放送姿勢は一貫していて、政府と同様ワクチン推進である。その理由は簡単で、当初ワクチン接種回数が少ない時に、「ワクチン接種を早く進めろ」とさんざん政府批判をしていた都合上、今さらワクチンのリスクを発信することなどできなくなってしまったからだ。さらに、すでに大半の高齢者がワクチン接種を終えた今、テレビで「ワクチンのリスク」を言おうものなら社会的大問題となり、テレビ局自体の責任も問われかねない。それにいつものことだが、スポンサーに製薬会社がある以上、ラディカルな意見は言いにくいのである。

よって、「ワクチンのリスク」については、「政府の見解」はもちろん、「テレビ報道」「ワクチンを推奨している医者や専門家」に正しい情報を期待するのは無駄である。ワクチン接種は余程の被害が出ない限りもう止められないところまで来てしまったのだ。従って、「ワクチンのリスク」についての新たな情報を得るためには、SNSのしかも有料サイトにアクセスし、国内外の論文などを解説してくれる専門家のサイトを見るか、書籍に当たるしかない。ワクチンについては最早、テレビや新聞などのマスメディアに「言論の自由」は全くないと言っていい。

戦時中の「言論統制」は、戦況が悪化しているにもかかわらず戦果の水増しを繰り返した「大本営発表」と、「戦争礼賛キャンペーン」をやり続けた「大手新聞」などのマスメディアによって作り出されたが、今のワクチン騒動は、「政府が知られたくない情報を隠蔽し都合の良い情報しか発信せず、マスメディアがそれを鵜呑みにして全国に拡散し、一つの方向に国民を誘導していく」という点において戦時中と酷似している。

 

8.ワクチンパスポートの非科学性と違憲性 ~日本はワクチンパスポートを導入しなくてもコロナ禍を終わらすことができる~

私は、ワクチン反対論者でもなければ、ワクチンに偏見を持っているわけでもない。ワクチンは各国の感染状況や接種時の年代別有効性を十分考慮し、接種するベネフィットリスクを大きく上回るかどうかを接種の判断基準にするべきだと考えている。コロナワクチンについても、リスクに関する情報を十分理解した上で、それでも打ちたいのであれば、個人の自己責任で打てばいいと思っている。社会的立場から打たざるを得ない人もいるだろう。それも、個々人のリスクとベネフィットの比較判断で決めればよい。ただ、それと同時に、現状、ワクチンには判明していないリスクがあり、かつ、ワクチン接種が任意である以上、打たない人の立場も守られるべきだと思っている。にもかかわらず、最近、ワクチンを打たない人を「フリーライダー(ただ乗り)」と揶揄する風潮が出始めており、打たない人が肩身の狭い思いをしている。さらに、「ワクチンパスポート」の導入が検討されており、ワクチンを打たない人の人権はますます脅かされている。

政府は、「ワクチンパスポート」を手掛かりにワクチン接種をさらに加速していき、集団免疫を達成したい考えだ。また、「ワクチンパスポート」の導入により、緊急事態宣言下でも経済を回していきたいと考えている。しかし、厚労省が言う通り、ワクチンは感染を防ぐものではなく、ワクチンを打ったからといって他人に感染させない保証は全くない。イギリスの「欧州サッカー選手権」の例や、ワクチン接種が進んだイスラエルイギリスにおいてワクチン接種者の陽性者が急増していることからも明らかである。「ワクチンパスポート」は「ワクチンを打てば感染しない」ということが前提のシステムだが、その前提がすでに崩れている。感染被害が日本の10倍、20倍の欧米諸国であれば、背に腹は代えられぬということで「ワクチンパスポート」に頼らざるを得ないかもしれないが、日本のように感染被害の少ない国がこんな不確かなシステムを導入する必要は合理的に考えて全くない。

また、「ワクチンパスポート」は、ワクチン接種が任意であるにもかかわらず、ワクチン接種をしない人の私権が制限されるという点で大きな問題がある。たとえば、ワクチン接種をしていない人は飲食店や野球場などの利用制限を掛けられる恐れがある。そうなると、憲法11条「基本的人権の尊重」及び、憲法14条「法の下の平等」に抵触する可能性があるのだ。国会を通さずに「私権を制限する制度」を簡単に導入していいのか、はなはだ疑問である。世界的にも人権無視だということで「ワクチンパスポート」に反対する大きな動きが出ている。それにしても、「ワクチンパスポート」は法律をかじったことがある者なら、その違憲性にすぐ気付くはずなのに、法律家をはじめジャーナリスト野党から全く異論が発信されないことに、違和感を感じるのは私だけだろうか。

昨年の「ステイホーム」に始まり、「マスクの着用」、「時短営業の要請」、「酒類の提供禁止」、「県境をまたいだ移動の制限」、「イベントなどの中止、客数制限」など、コロナ禍の1年半で、日本国民はさまざまな「私権制限」を受入れた。政府も日本国民がここまで従順に従うのかと驚いたのではないだろうか。反対デモも無ければ、反対する野党や評論家もほとんど出てこない。だから、科学的根拠が無くても国会の承認が無くても、政府は思う存分、国民の私権を制限することができた。それでも結局、コロナ禍を解決することはできなかった「その答えは明白で、政府がこの1年半やってきたほとんどの対策はピント外れだったからだ!」。なぜなら、感染抑止にばかり力を入れ、肝心の「医療問題」にはメスを入れなかったからだ。今まで何度も言ってきたが、「コロナ問題は医療問題」である。例えばその最たるものが、「指定感染症」の解除が未だできていないことである。その理由は、医師会厚労省分科会の反対がずっと続いているからで、この医師会厚労省分科会のトライアングルに切り込まない限り、コロナ禍は解決しない。しかし、政府はこの期に及んでもまだ「ワクチンパスポート」などという私権制限のカードを切ってくる。

もちろん、長引くコロナ禍で困っている飲食関連やイベント関連、旅行関連など、数多くの事業者がいることは百も承知だ。これら事業者を救済するために「ワクチンパスポート」を導入したいという気持ちも痛いほどわかる。しかし、だからと言って憲法に定められた「基本的人権」が侵害されていいということにはならない。

では、どうすれば苦境にある事業者を救うことができるのだろうか?答えは簡単で、今すぐ「緊急事態宣言」を解除し、コロナを「指定感染症」から除外し「五類」に落とすことである。そして、一般の診療所でもコロナ患者を受診できるようにすれば、医療キャパは格段に増え、医療ひっ迫問題は解決し、経済を回すことが可能となる。いわゆるインフルエンザと全く同じ扱いをするのだ。具体的には、コロナが五類になれば、医師法第19条によりコロナ患者の受診拒否はできなくなり、一般の診療所もコロナ患者を受入れることとなる。ゾーニングも防護服も必要なくなり、普通に診断し、コロナか、インフルエンザか、一般の風邪かを抗原検査で判定し、症状の重い人はCTスキャンで肺の状態を視て、入院が必要であれば病床の有る病院に送る。医師が患者に寄り添って対応するので、重症患者は減り医療ひっ迫は解消する。全国の診療所が一斉にこのような対応をするので風評被害も出ない。全国の開業医が動員されれば、日本の医療キャパからして、よほどのパンデミックでも起こらない限り、医療ひっ迫をすることは無い。これは私見ではなく、コロナに携わる臨床医が口を揃えて言っていることだ。そうすれば事業者のみならず、大学に通えていない学生や、マスクや給食の黙食を強制され友達とも自由に遊べていない小学生や、修学旅行やクラブ活動が満足にできていない高校生や中学生などの子供たちをはじめ、コロナで苦しんでいる多くの人達が根本的に救われる筈である。ワクチンパスポートなどという小手先の対策など不要なのだ。

 

9.ワクチンと人権 ~若年層にワクチンを打つ狂気~

今まで述べてきたように、ワクチン接種をしなくても、日本のような感染状況であれば、コロナ禍から脱出することは難しくないはずなのに、政府はコロナ禍を収束させる方法はワクチン接種しか無いと決め込み、ワクチン接種に前のめりである。比較的致死率の高い高齢者への接種であればやむを得ないかもしれないが、ほとんど重症化しない40歳未満の若年層にまでワクチン接種を推進していく考え方は全く理解できない。

統計を見れば一目瞭然で、8月18日時点で厚労省が発表した、「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)」によると、重症者数は全国で482人だが、40歳未満の重症者数はわずか1人で、全体の0.2%である。累計死亡者数は全国で13,459人だが、40歳未満の累計死亡者数は47人で、全体の0.34%しかいない。コロナ禍が始まって1年半が経過しても40歳未満の死亡者はわずか47人である。しかもこの47人の殆どは基礎疾患を持っている人たちである。つまり40歳未満で健康体の人は、ほとんどが重症化しないし、死なないのである。ちなみに、20歳未満の累計死亡者数は未だに0人である。

もし、コロナワクチンの治験期間が終了し、長期的なリスクや遺伝的なリスクがかなり低いとわかったとしても、40歳未満の人がコロナワクチンを接種する医学的メリットはほぼ皆無である。47人の死亡者を減らすために12歳から39歳までの約3,600万人が副作用に苦しみながらワクチンを接種する意味はない。特に基礎疾患の無い人は全く接種する必要は無い。たとえ、3,600万人全員がワクチン接種をしたとしても死亡者47人を0人にできる保証はないし、逆にワクチン接種により死亡者が出ない保証もない。いわんや、コロナで死亡した人が未だ0人の12歳から19歳までの約1,000万人がワクチンを打つ医学的メリットは皆無である。

普通、常識的に考えれば、日本のように感染者も死亡者も圧倒的に少ない状況で、今まで使われたことの無い新しいワクチンを国民に接種していくのならば、安全性を第一に考えるのが当然である。できれば接種しないで済む方法を模索し、どうしても接種しなければならない場合でも、リスクベネフィットを考え、ベネフィットがリスクを大きく上回る人に絞って接種するというのが常識であり、それが国民の命を守るということである。

にもかかわらず、政府は40歳未満どころか、全くベネフィットの無い20歳未満の子供にまでワクチン接種を推し進めていこうとしているが、はっきり言って「異常」である。政府や分科会の人間が、子を持つ親であるならば、この異常さに気付いていいようなものだが、誰も気づかない。政府だけではない。厚労省も、野党も、知事も、医者も、専門家も、マスコミも、タレントも、企業も、学校もすべてがワクチン接種に何の疑問も抱かず、子供たちにまで接種を推奨している。しかも、ワクチンのリスクについて警鐘を鳴らしている専門家の意見を「デマ」だと切捨て、ワクチンの安全性を妄信する彼らは「常軌を逸している」としか言いようが無い。

このように、医学的見地からは若年層がワクチン接種をする根拠は全く無いが、「若年層も集団免疫獲得のためにワクチン接種をすべきである」という同調圧力が社会を覆っており、若者たちはワクチン接種を断りにくい状況に追い込まれている。ただ、「集団免疫」については次の二点において問題がある。まず一点目だが、以前にも述べたが、ワクチンを接種したからと言ってコロナが変異する以上、感染予防には限界があり、また、ワクチンの効果も徐々に減退していき、いつまで経っても集団免疫は獲得できないということ。二点目は、ワクチンの安全性が担保できない以上、自己犠牲を伴う集団免疫行政は違憲の可能性が高いということ。以上二点の理由から、「集団免疫」獲得のために若年層にワクチン接種を推奨することは不適切であるということだ。そもそもワクチン接種は任意なのだから、国民それぞれが自由意思で接種し、結果として「集団免疫」が達成されるならまだしも、国全体が「集団免疫」達成のために一方向に動き、それに反するものに同調圧力をかけるのは、まさに「ワクチン全体主義」であり、民主主義自由主義を否定するものである。

 

過去を振り返ると「サリドマイド事件」「薬害エイズ問題」など数多くの薬害事件があり、その都度、政府厚労省隠蔽体質が問題になったわけで、なぜ今回のコロナワクチンだけは安全だと思ってしまうのか?今回のコロナ禍においても、「政府のなりふり構わないワクチン接種の推進の仕方や、ワクチン担当大臣の不誠実な姿勢」「SNSでワクチンが危険だと発信するだけで動画が次々と削除されている状況」を見ていると、何か国民に知られたくない「事実」があるのではないかと勘繰りたくなるのは当然である。にもかかわらず、誰も立ち止まって考えようともせず、ワクチンは安全であると思い込んでいるのはなぜだろうか?

今回のコロナ騒動は、コロナの伝染病としての怖さよりも、「ワクチン接種」ごときで、これほどまでの「言論封殺」が起こり、国民全体が「ワクチンありき」という空気に染まり、反論すら許されない「ワクチン全体主義」に陥ってしまったことの怖さの方が遥かに大きい。戦後76年が経過しても、なお、日本人の気質というものは戦前とほとんど変わっていなくて、21世紀の日本においても、「言論封殺」が実際に起こるんだという驚きと、民主主義自由主義がこんなにも脆く崩れてしまうんだという失望を感じざるを得なかった。

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