10月, 2025年
改革政党「維新の会」と保守政党「自民党」の連立政権に期待するもの
公明党の連立離脱から一週間。政局はダイナミックに揺れ動きました。当初は立憲民主党が国民民主党の玉木代表を首班指名しても良いと発信し、それを受けた玉木代表も「総理になる覚悟がある」と表明したことで、政権交代の機運が高まりました。しかし、その様子を静観していた日本維新の会が「漁夫の利」を得る漁師よろしく、俄かに自民党との連立に舵を切り、一気に両党の連立が具体化しました。維新は「機を見るより敏」ですね。
しかし、この一連の維新の動きに違和感を感じたのは私だけでしょうか。
自民と維新の1回目の政策協議が終わった直後の16日夕方から17日の朝にかけ、維新の吉村代表はテレビ各局の取材に応じ、「議員定数の1割削減は連立の絶対条件だ」と何度も強調したのです。1割ということは衆議院でいえば50人。「企業団体献金の禁止」に加え、「50人もの議員定数削減」を自民党に突き付けるのかと驚きましたし、その唐突感と発信の強さに違和感を覚えました。これでは公明党離脱の二の舞ではないか。維新は本気で自民との連立を考えているのかと。
しかし、ある政治評論家に言わせると、これは吉村代表による連立成功のためのパフォーマンスではなかったかということです。「企業団体献金の禁止」で妥協してしまうと、維新自体の政治姿勢を問われかねないので、「議員定数の削減」を目立たせることでその隠れ蓑にしたのだと。
たしかに維新が主張する「企業団体献金の禁止」は自民党には受け入れ難い要望であり、公明党との連立解消もこれが一因でした。維新もそれは理解していて、でもこの千載一遇のチャンスを逃したくない。その解決策として、自民党にとってどちらかといえば受け入れやすい「議員定数の削減」をハードルの高い要望だと吹聴することで、「企業団体献金の禁止」で妥協することのエクスキューズにしたと思われます。自民が受け入れやすく、かつ維新が妥協しやすい「代案」を主役に据えることで問題の打開を図るとは、吉村代表も策士ですね。
では、ここで、維新が提案する政策の3本柱「議員定数の削減」「社会保障改革」「副首都構想」について、少し気になる点がありますので触れさせていただきます。
まず、「議員定数の削減」ですが、削減数が初めから決まっていて年内の臨時国会で法制化するという維新のやりかたはちょっと乱暴ではないかと思います。吉村代表はよく「自分たちは大阪府議会の議員定数を2割削減し、『身を切る改革』を断行したからこそ、その後、痛みを伴う改革を府民が受け入れてくれた。」と大阪府政での成功体験を自画自賛しますが、府政の成功体験をそのまま国政に持ち込んでいいとは限りません。
一地方都市大阪の府議会とは異なり、国会議員の定数削減は日本全国の選挙区や比例区に影響を及ぼし、例えば過去には、参議院での島根と鳥取の合区、徳島と高知の合区のように地方の声が国会に届きにくくなったり、少数政党の意見が国会に反映しずらくなるというデメリットが生じます。また、議員が減ると、国会の各委員会での議論が不十分になったり、官僚依存が進んだり、「民意を代表する立法権」の「行政権」に対する力関係が相対的に弱まります。1割、50人という削減数もその根拠があいまいですし、50人を削減したとしても予算削減効果は50億円程度に過ぎません。小選挙区で落選しても比例復活で当選するいわゆる「ゾンビ議員」が問題だと吉村代表は批判しますが、比例復活を防ぐなら議員定数の削減より重複候補を制限する方が手っ取り早いはずです。そもそも「国会議員は多すぎる」という問題定義には根拠が乏しく、100万人当たりの国会議員の数は、先進7か国の中でもアメリカに次いで2番目の少なさであり、日本の国会議員定数は国際的に見ても決して多過ぎるとは言えません。
つまり、「議員定数削減」を急ぐことの政策的合理性が希薄なのです。吉村代表曰く「国会議員が身を切る姿勢を国民に示すことが大事なんだ」と熱弁しますが、それはあくまで政治家が身を正す上での精神論であって、「議員定数削減」の政策的合理性とは関係ありません。それに国民目線に立てば「議員定数の削減」が、維新の言う「一丁目一番地」の政策とは到底思えません。
野党の肩を持つつもりはありませんが、そもそも、比例代表の「議員定数削減」は、自民や維新へのダメージより、「比例区」頼りの少数政党へのダメージの方がはるかに大きいはずで、自民や維新にとっては「身を切る改革」にさえなっていないのではないでしょうか。穿った見方ですが、吉村代表は「議員定数の削減案」を臨時国会に上程したとしても、野党が潰しにかかるだろうと高を括っているのかもしれませんね。「議案が通れば通ったで与党のイメージアップになるし、通らなければ野党の責任にできる」というところまで見通していたとしたら、吉村代表は相当な策略家ですよね。
続いて、「社会保障改革」についてですが、吉村代表は、高齢者に痛みを伴う「社会保障改革」を進めていくには、国会議員がまず「身を切る改革」をやるべきだと主張します。またしても、「身を切る改革」ですね。確かに自分に甘く国民に厳しい政治家に国民の賛同が得られるとは思いませんが、ただ、それはあくまで政治家自身の姿勢の問題であって、政治家にとっての「身を切る改革」と国民にとっての「痛みを伴う改革」を「バーター」にしてはいけないと思います。大阪以外の方はあまりご存じないと思いますが、「身を切る改革」は「維新スピリッツ」の一つで、「維新の会」結党以来使われ続けてきた政治手法であり、政治家に対する庶民のルサンチマン(強者に対する弱者の憎悪、憤り)を刺激する人心掌握術の一つと言われています。大阪で「維新の会」の人気が高いのは、「身を切る改革」というスローガンを多用することで、「維新は自己犠牲を厭わず、『既得権益』と戦う庶民の味方である」というイメージを府民に与え、自民党など既成政党との差別化を図ることができたからです。維新はその手法を国政にも持ち込もうとしています。しかし、「政策」はあくまでその内容で正否を判断すべきであって、「身を切る改革」を「免罪符」に政策を推し進める政治手法は、正当な民主主義の手続きとは言えないのではないでしょうか。
最後に「副首都構想」についてですが、「副首都構想」の裏には「大阪都構想」の復活という思惑が見え隠れしています。「副首都構想」の骨子には、副首都を誘致するためには、大阪に限り、「特別区の設置」、いわゆる過去の住民投票で2度も否定された「大阪都構想」が前提になると明記されているのです。しかし、2020年、吉村代表は2回目の「大阪都構想」否決の記者会見で「自分自身が大阪都構想に再挑戦することはない」と断言しました。「副首都構想」はその発言と矛盾します。大阪市民としては「副首都構想」を隠れ蓑にして、住民投票で2度も否定した「大阪都構想」に三たび挑戦しようとする維新の執拗さに食傷気味です。「副首都構想」をやるのなら、「大阪都構想」とは切り離して進めるのが筋ではないでしょうか。
いずれにしても、「維新の会」と「自民党」の連立は、改革政党である「維新」が保守政党である「自民」の足元を見ながら自分たちのやりたいことを推し進めていく関係性であることは間違いないでしょう。そして、維新最大の目標である、「大阪都構想」「副首都構想」そして「道州制」の実現に向けて自民党を巻き込んで行くのではないでしょうか。
「高市自民党」には、「維新」にお付き合いをして、差し当たって国民生活にあまり関係のない「議員定数削減」や「副首都構想」などの「制度改革」に時間を費やすのではなく、国民にとって喫緊の課題である「急激な物価高への対策」や「減税」などの「積極財政」及び、大企業だけでなく中小零細企業の成長をも促すような「成長戦略」に軸足を置いた大胆な「経済政策」に力を注いで行って欲しいものです。









