大谷翔平 パイオニアとしての宿命

2023-08-25

アメリカ現地、8月23日、シンシナティ・レッズとのダブルヘッダーの1試合目、1回裏に第44号本塁打を放った直後の2回表、投手としてマウンドに立った大谷翔平は腕の違和感を訴え途中降板した。にもかかわらず、大谷はダブルヘッダーの2試合目に打者としてフル出場した。その姿を見て、「大谷の途中降板は大したことはなかったのか」とほっと胸をなでおろした矢先、エンジェルスのGMペリー・ミナシアンが試合後の記者会見で語った言葉は衝撃的だった。「大谷は右肘靱帯を損傷しており、今期残り試合は登板しない」と。

この記者会見を受けて、「なぜ、2試合目に出場させたのか」という批判がネット上で相次いだ。もしこれと同じことが日本ハム時代の大谷に起これば、栗山監督がダブルヘッダーの2試合目に大谷を出場させることはまずなかったであろう。

しかし、大谷を2試合目に出場させた球団側の判断を一概に批判することは出来ない。というのも、これはアメリカと日本の文化の違いから来る見解の相違だと言えるからだ。アメリカは個人主義の国であり、自己責任の国である。自分の命を守るために市民が拳銃を所持する国であり、自分を守るのは自分しかいないと考える国民性だ。ミナシアンGMは大谷が出場したいと言ったから出場させたと言う。エンジェルスのフィル・ネビン監督も普段から、大谷が出場したいと言えばそれを最大限に尊重し、ダブルヘッダーの1試合目に登板した直後の2試合目にでも打者として出場させている。我々から見れば球団が大谷に無理をさせているように見えるが、大谷が出場したいと言ったからには、それを言った大谷に責任があるというのがメジャーの考え方なのである。自分の体を守るのは球団でも監督でもなく自分自身であり、無理して出場して怪我をしても誰も責任を取ってくれない。

大谷のストイックな精神や「フォア・ザ・チーム」の考え方は、アメリカの個人主義の考え方、さらにはアメリカ商業主義の考え方の前では、自分を守るという意味では甘かったと言わざるを得ない。アメリカ流のフォア・ザ・チームの考え方は自分が犠牲になってまでもチームのために貢献することではないのだ。そして、「個人経営者」の選手たちは、アメリカ商業主義の中で、自分の商品価値をいかに高め維持していくかを考えている。無理して、怪我して、自分の商品価値を下げることは、彼らの経営理論にはないのである。現に、エンジェルスのマイク・トラウトやヤンキースのアーロン・ジャッジは少しでも体調が悪かったり、怪我をしたら遠慮無く休むではないか。それは自分の商品価値を下げないためなのだ。

しかし、大谷は昨日まで、全128試合中126試合に出場し、たった、2日しか休んでいないのである。しかも、今年はWBC出場という特殊事情も重なり、いつも以上にハードワークを強いられた。7月以降の腕のけいれんや腰痛は、体が悲鳴を上げていた証拠であり、誰の目から見ても体を酷使し過ぎていることがわかる。ただ、今年のエンジェルスは、8月前半まではポストシーズン出場の可能性があり、トラウトなどの主力選手がいない中、大谷はその性格上チームの勝利のために休むことができなかった。本来であればもう少し休養を取るべきだったが、大谷の責任感がそれを許さなかった。その結果、彼は自分の商品価値を大きく損ねてしまったのだ。しかも、フリーエージェント直前の最悪のタイミングで。

彼の日本人的な責任感の強さを良しとするのか、郷に入っては郷に従えで、アメリカ的なドライな個人主義を取り入れるべきだったのか、野球観や人生観にかかわる問題なので何とも言えないが、すべてはプロである彼が選択したことなのである。

ただ、彼を擁護するならば、彼はメジャー史上初めて、本格的な二刀流を体現しているパイオニアであり、パイオニアだからこそ、答えの無い壁にぶち当たっているのである。二刀流の体力的限界、なかんずく、体力の消耗が右肘靱帯にどう影響するかなんて、エンジェルスのGMや監督がわかるはずもなく、大谷自身でさえ、その明確な答えを持ち合わせていないだろう。特に昨シーズン、怪我をすること無く157試合に出場し、「規定投球回数」と「規定打席数」を同時に達成したがために、大谷だけは不死身であるという変な思い込みが、周りにも大谷自身にもあったことは否めない。今振り返れば、もっと休養を取るべきだったと言えるが、それは結果論であり、今回の怪我は、大谷が二刀流のパイオニアであるが故に避けて通れなかった「代償」であり、「パイオニアの宿命」として受入れるしかなかったことなのかもしれない。

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