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若者になぜワクチンを打つのか?

2021-10-13

1.デルタ株の収束は「集団免疫」が獲得されたからである

テレビに出てくる医者や専門家は、今夏のデルタ株の感染拡大について、人流が減っていないのに感染が収束した原因を説明するのに窮してしまい、「季節的要因」だとか「ワクチンの効果」だとか「長雨で人流が抑制された」とか、的外れなことばかり言っており、挙句の果てに、「原因はよくわからない」と開き直る始末である。大阪市立大学の井上正康名誉教授曰く、「デルタ株の感染が収束した理由はただ単に、デルタ株の集団免疫が達成されたからである」とのことである。感染の拡大は変異と共に起こり、感染の収束はその変異株での集団免疫が達成されることで完了する。こんな免疫学の基本をテレビに出てくる医者や専門家が知らないはずはなく、テレビに出演する医者や専門家がこれほどまでに、集団免疫への言及を避けているのは、今夏のデルタ株の収束が「集団免疫説」で説明されては困るからだろう。なぜなら、「集団免疫説」ではワクチン接種は必要無いとされているからである。その「集団免疫説」の概要とは「感染拡大は集団免疫が獲得されなければ収束せず、今回の新型コロナウイルスは変異株の流行の度に『集団免疫』が獲得され、その度に収束し、日本人の大半がすでに抗体を持っている状態である。また、日本などの東アジア諸国では古くから中国由来のコロナウイルスに感染してきた歴史があり、すでに『交差免疫』を持っているので、欧米諸国よりもコロナに対する耐性がもともと強い。よって、日本人は欧米人に比べ圧倒的にコロナの被害を受けにくく、現状のコロナウイルスの毒性の弱さからして、人工的に作られたワクチンを打つ必要は無い」というものであるつまり、「集団免疫説」を認めると、テレビに出てくる医者や専門家が推進しているワクチン接種は必要ないことになるのである。

この、「集団免疫説」がなぜ信憑性が高いかというと、ワクチン接種率にかかわらず世界中どの国もほとんど3カ月ほどで感染拡大が収束しているからである。例えば、アジア各国の状況を見ると、インドをはじめ、インドネシアバングラデシュパキスタンタイベトナムフィリピンなどの各国は、今夏、日本と同じようにデルタ株が流行したが、3カ月ほどで収束し、現状ほとんど感染が増えていない。日本との違いは、これらの国々のワクチン接種率が未だに20%前後であるということだ。つまり、ワクチン接種率が低くても、日本と同じように、アジア諸国もデルタ株は約3カ月で収束したのである。逆に、シンガポールのようにワクチン接種率が高くなるほど感染が拡大している国もある。これは世界的な傾向で、各国のワクチン接種率と陽性者数のグラフを比較すると、ワクチン接種率と、感染の拡大・収束にはほとんど相関関係が見られないのだ。つまり今のワクチンは、変異を繰り返すコロナウイルスに対応できていないと言えそうだ。

ただ、テレビに出てくる医者や専門家は、このような、ワクチン接種にブレーキを掛けるような情報には、一切言及しない。なぜかというと、周知のとおり、テレビによく出演している医者や専門家の多くが、ファイザーなどの製薬会社からお金をもらっているからだ。よって、たとえ科学的に正しい見解だとしても、ワクチン接種にマイナスになるようなことは口が裂けても言わないのだ。そんな批判に対して彼らは「講演料などのかたちでお金をもらっていたが、それによって特定の製薬会社の肩を持つことは無い」と答えているが、どこまで信用できるやら。

 

2.相馬市の高校生のワクチン接種率は80%を超えている

テレビに出てくるほぼすべての医者や専門家はワクチン推進派だが、その中でも相馬市の「ワクチン接種メディカルセンター」の渋谷健司センター長は特にワクチン接種には熱心であり、ワクチンの有効性や安全性に疑問が持たれるようなデータが出てきても決してそれを認めようとしない。先日あるテレビ番組で渋谷医師が司会者から次のような質問を受けたときの回答には驚いた。司会者は「シンガポールでのワクチン接種率が80%を超えているにもかかわらず、シンガポールでは9月以降デルタ株の陽性者が急増しているのはなぜか?」と質問したのだが、渋谷医師は少し答えにくそうに「シンガポールでのPCR検査数が増えたからだ」と回答した。しかしこの回答は全く事実と異なる。シンガポールでは今年の5月以降毎日平均6万件以上のPCR検査を継続しており、9月に入って急に検査が増えたわけではない。ネットを見ればすぐわかるような情報を渋谷医師が知らないはずはなく、もし知らないとしたら潜りである。おそらくわざと事実ではないこと言ったと思われるが、それには理由があり、実は、渋谷医師は相馬市のアドバイザーとして中高生へのワクチン接種を積極的に推進しており、シンガポールでワクチンが効いていないことを認めたくなかったのだろうと想像できる。

相馬市では渋谷医師のアドバイスにより、様々な手法を使い中高生へのワクチン接種を推進し、中学生のワクチン接種率が62%高校生に至っては84%に達している。中高生にここまでの接種率とは、異常としか言いようが無い高さである!そもそも任意であるワクチン接種を自治体自らがあたかも義務のごとく促進しているようだが、自治体の判断でそこまでしていいのだろうか。相馬市の様な地方都市では同調圧力が強く、中高生たちがワクチン接種を断りにくくなっていたことは想像に難くない。

厚労省の発表では、相馬市が10代への接種を始めたころは、まだ10代のコロナ感染による死亡者は全国で0人であり、10代についてはワクチン接種のベネフィットよりリスクの方が高かったわけで、10代へのワクチン接種については、より慎重になるべきだったはずである。

また、相馬市のデータによると、ワクチン接種をすると6割近い子供たちが37.5度以上の発熱などの副反応に襲われるという。6割ということは、もし、12歳から19歳までの1000万人全員にワクチンを接種したら600万人が発熱で苦しむということだ。600万人とはとんでもない数である。600万人も高熱を出したら、そのうち一定の割合で副反応が重篤化するだろうし、場合によっては死者が出る可能性もある。ちなみにこの1年9カ月の間での10代のコロナ陽性者数は17万人である。600万人のたった2.8%だ。しかもほとんどが無症状か軽症である。コロナに感染するよりもワクチンを打って副反応が出る子供たちの方が35倍多いのだ。接種直後の副反応の多さを考えただけでも、10代の子供たちがワクチン接種をするメリットは全くない。さらに、将来発現するかもしれない不妊症などのリスクを考えると、「10代のワクチン接種はできうる限り行わない」、というのが、子供の命と健康を大切に思っている大人の常識的な判断ではないか。

海外ではすでに若者へのワクチン接種を禁止する国が出てきており、スウェーデンでは先日30歳以下へのモデルナ製ワクチンの接種を停止しデンマークでも18歳以下へのモデルナ製ワクチンの接種を停止した。理由は、心臓の筋肉に炎症が起きる心筋炎心膜炎の発生リスクがあるからだとのこと。まだ禁止はされていないが、ファイザー製ワクチンでも心筋炎の発生が報告されている。日本より圧倒的に感染被害が多い海外であっても、若年層に対するワクチン接種には慎重であるにもかかわらず、感染被害がさざ波程度の日本がなぜこれほどまでにワクチン接種に邁進しなくてはならないのだろうか。

渋谷医師が相馬市でやっていることを見ると、彼がテレビ番組で事実でないことを言った理由がよく分る。中高生にまでワクチンを打たせている彼にとっては、ワクチンに効果が無いという事実を自ら発信することはどうしてもできなかったのだろう。彼が製薬会社からお金をもらっているかどうかは知らないが、テレビで事実でないことを言ってまでもワクチン接種にこだわる理由がよくわからない。しかもベネフィットがほとんどなくリスクしかない子供たちにワクチンを打ちまくっている状況は異常である。万が一健康被害や死者が出たときの、医師としての責任が重すぎるからである。もし、彼が、ワクチンを安全だと思い込んでいるとすれば医者として浅はかだし、安全でないとわかっていて子供たちにワクチンを打っているとすれば、人としてどうかと思う。彼が、ここまで若年層に対するワクチン接種に固執する真の理由はわからないが、子を持つ親の立場として言わせてもらえれば、「常軌を逸している」としか言いようが無い。

 

3.大阪府の「20代30代のワクチン接種キャンペーン」

異常と言えば大阪も負けてはいない。大阪府の吉村知事は20代と30代のワクチン接種を促進するために、10月5日から11月30日迄を期限に「20代30代のワクチン接種キャンペーン」を始めた。この間にワクチン接種をした20代と30代には「折りたたみ式電動自転車」「旅行券」などの景品を抽選でプレゼントするというものだ。しかし、医学的にワクチン接種の必要がない若年層に、物で釣ってワクチン接種をさせようとするとは、なんという下劣なやり方だろうか。20代30代のコロナによる死亡者はこの1年9カ月で98名しかおらず、全死亡者17,783人のわずか0.55%しかいない。しかも亡くなっている若年層のほとんどが基礎疾患のある若者か、もしくはコロナが直接的な原因ではない若者であり、健康な若年層は殆ど亡くなっていない。

吉村知事は、健康な若年層は殆ど重症化しないし、全くと言っていいほど死なないということをわかっているのだろうか。また、吉村知事は、コロナワクチンの接種について衆議院で決議された「予防接種法及び検疫法の一部改正に対する附帯決議」を少しでも顧みたのだろうか。この附帯決議は、今回のコロナワクチンは世界的に初めての遺伝子ワクチンなので、ワクチン接種を進める上で、より慎重になるべきであるという重要な示唆をしている。付帯決議には次のように書かれている。

一.新型コロナウイルスワクチンの接種の判断が適切になされるよう、ワクチンの安全性及び有効性、接種した場合のリスクとベネフィットその他の接種の判断に必要な情報を迅速かつ的確に公表するとともに、接種するかしないかは国民自らの意思に委ねられるものであることを周知すること

二.新型コロナウイルスワクチンを接種していない者に対して、差別、いじめ、職場や学校等における不利益取扱い等は決して許されるものではないことを広報等により周知徹底するなど必要な対応を行うこと。

三.~七.略

八.新型コロナウイルスワクチン接種の対象者の選定及び優先順位の決定に当たっては、科学的根拠に基づいて行うとともに、その理由を国民に丁寧に説明すること

九.~十四.略

この衆議院の附帯決議では、コロナワクチンの接種については十分慎重になるべきだと強く発信されていて、吉村知事が始めた「20代30代のワクチン接種キャンペーン」はこの附帯決議の主旨に反しており、決して許されるべきでないことは一目瞭然である。

附帯決議では「接種した場合のリスクとベネフィットその他の接種の判断に必要な情報を迅速かつ的確に公表するとともに、接種するかしないかは国民自らの意思に委ねられるものであることを周知すること」とあるように、ワクチン接種にはリスクが伴うので、接種するかしないかは本人の判断に委ねられるべきだと注意喚起しているわけで、自治体自らが、景品をちらつかせて、若者たちの判断を惑わすようなことをやってはいけないのである。自治体が本来やるべきことは、ワクチンに関する必要な情報をいち早く提供することである。特に、ワクチンはまだ治験中なのでリスクの全貌がわからないということ、そして、将来、不妊症などを誘発する可能性がゼロではないことをはっきりと若者に伝えなければならない。また、海外では心筋炎の発生により、30歳以下への接種が停止された国が複数あることなどの情報も逐一伝えるべきである。

また附帯決議では「接種していない者に対して、差別、いじめ、職場や学校等における不利益取扱い等は決して許されるものではないことを広報等により周知徹底する」とあるように、ワクチンを接種しない人に対する差別や不利益が起こらないように十分注意するように釘を刺しているわけで、景品で釣ってワクチン接種を促進する行為は、ワクチン接種ができない人に対する差別や不利益の何物でもない。また自治体が「キャンペーン」のようなことをやると、接種しない人達への同調圧力が強まり、職場や学校での差別やいじめを自治体自らが誘発することになる。自治体の本来の役割は差別やいじめを起こらないようにすることではないのか。

また、附帯決議では「対象者の選定及び優先順位の決定に当たっては、科学的根拠に基づいて行うとともに、その理由を国民に丁寧に説明すること」とあるように、ワクチン接種の対象は科学的根拠に基づきベネフィットがリスクを大きく上回る年齢層を接種対象にすべきだと言っているにもかかわらず、ワクチン接種のベネフィットがほとんど無い20代30代がなぜワクチンを接種しなければならないのか、自治体はまずその基本的な説明を懇切丁寧にすべきである。そういう説明をすっ飛ばして「物で釣る」とは、自治体として無責任過ぎる。イソジンの時も変なことを言う知事だと思っていたが、今回は人の命にかかわることなので、冗談では済まされない。

 

4.ワクチンが効かない理由 ~ワクチンを妄信してはいけない~

ちなみに、先述した、シンガポールの陽性者急増の原因は、PCR検査数が増えたからではなく、単に感染力の強いデルタ株がインドや日本と同じように拡大したからである。ワクチン接種率が80%を超えているのにデルタ株が拡大したのは、今のコロナワクチンがデルタ株にはあまり効かないからである。なぜ効かないかと言うと今、接種されているコロナワクチンはデルタ株用に製造されたものではないからだ。これは風邪のワクチンが抱える矛盾だが、風邪のウイルスはすぐ変異するので、今、流行しているウイルスに効くワクチンは基本的に製造できない。どうしてもタイムラグがあり、今、流行しているウイルス用のワクチンを開発できた時にはすでに他の変異株に切り替わっているので、永遠に追いつけない「いたちごっこ」とならざるを得ないのだ。当初コロナワクチンの有効性は95%と言われていたが、それは当初発生した変異株について言えるだけで、デルタ株については全く別である。日本ではインフルエンザワクチンを毎年5,000万人以上が接種してもインフルエンザの流行を抑えられないのは、その年、流行しているインフルエンザ用のワクチンではないからだ。つまり、風邪のウイルスは変異するので、有効率95%なんていうワクチンはそもそも製造できないわけで、ワクチンに過度な期待をするのは、免疫学的に非常識なのである。テレビに出てくる医者や専門家もそんなことはわかっていて、それでもワクチン接種をせっせと宣伝するのは、おそらく「お金のため」とか「自分の立場のため」だろう。インフルエンザワクチンがたいして効かないとわかっていても毎年それで儲けていた医者のやることだから、推して知るべしである。

コロナワクチンが出始めのころは「ワクチンはコロナの発症を予防し、有効率は95%である」と喧伝されていたが、ワクチンを接種しても一向に発症が抑えられないので、最近テレビに出てくる医者は、「ワクチンを打てば、感染はしても重症化は防げる」という言い方に変えている。しかし、この重症化を防ぐというのも詭弁で、井上正康名誉教授によると、「抗体というのはウイルスに感染したときにそのウイルスをやっつけて感染を防御するものであり、その防御ができずウイルスの増殖を許してしまったら、そこから先はワクチンの有無にかかわらず、重症化しやすい人は重症化する」とのこと。例えばイギリスでは「陽性者数が非常に多いにもかかわらず、死亡者数が少ないのはワクチンが重症化を防いでいるからである」と言う専門家が多いが、必ずしもそうではない。デルタ株が弱毒化しているという視点が欠けている。デルタ株の特徴は、感染力は非常に強いが、弱毒化しているので感染の拡大に比べ死亡者が少ないことである。これは以前にも言及したが、今夏の日本の感染状況と重症化のデータを見れば一目瞭然である。日本では、ワクチン接種が進んでいなかった50代以下の年齢層において、陽性者数は4月の第4波に比べ4倍以上になったが、重症者数は3分の1ぐらいに抑えられ、死亡者も非常に少なかった。陽性者数がピークであった8月時点では50代以下のワクチン接種率はまだ低かったので、重症者数や死亡者数を抑えられたのはワクチンの効果ではなく、デルタ株の弱毒化であることが言えるのである。「デルタ株の弱毒化」と「ワクチンの効果」は混同されやすく、ワクチン推進派の医者や専門家は、口を揃えて「重症者や死亡者が減ったのはワクチンの効果である」と言っているが、果たしてそうだろうか?

 

さて、世界的にワクチンの効果に疑問符が示され、若年層へのワクチン接種に心筋炎などの重大な健康被害が出ているにもかかわらず、相馬市大阪府をはじめとした自治体の長たちは、若年層へのワクチン接種に邁進し、その手を止めようとしない。もしアメリカなどで12歳未満への接種が始まったら、それに追随しかねないような勢いである。一旦始まった政策は、その欠点が見つかってもやり続けるという日本政治の悪しき慣習がこのワクチン政策でも繰り返されている。過去にサリドマイド事件において、海外ではすでに中止されていたにもかかわらず、厚労省の中止の判断が遅れたため、多数の被害者を出してしまったことの反省はないのだろうか。以前、ワクチン担当大臣だった河野氏が「なぜ人はワクチンデマを流すのか」と聞かれ「過去に誤ったことを発言したために抜け出せなくなっているから」と答えていたが、皮肉にもその言葉が、今の政府自治体に、そのままブーメランとして還ってきている。

 

 

(参考文献:小学館新書「コロナとワクチンの全貌」 小林よしのり 井上正康共著 2021年10月5日初版発行)

コロナに脅かされる「科学的思考」と「言論の自由」

2021-08-23

1.「東京五輪」と「欧州サッカー選手権」に見るコロナ対応の違い

このほど、イングランド公衆衛生庁が、今年の6月から7月にかけて行われた「欧州サッカー選手権」での感染状況の実証実験結果を発表した。英国で行われた8試合で約35万人が観戦したが、そのうち約6,400人が陽性者であった。特に6万人を入れた決勝戦での陽性者数は約3,400人と他のスタジアムに比べかなり多かった。ただし、6,400人の陽性者のうち3,000人は既に観戦時点で陽性であり、観戦により増えた陽性者は3,400人とのこと。つまり、3,000人が3,400人に感染させたということだ。観客はすべてワクチン証明書陰性証明書を取得していたが(証明書があって既に3,000人も感染していたとはちょっと解せないが)、それでも陽性者数が2倍強になったということは、ワクチン証明や陰性証明の感染予防効果には限界があるということだろう。観客はノーマスクで、大声を張り上げ、ゴールが決まれば観客同士で抱き合い飛沫を飛ばしまくっていた。また、試合後も周辺のバーなどで酒を飲んで羽目を外していたわけで、やはり「観客の行動」が感染拡大に影響していると見られるが、逆に、予め3,000人も陽性者がいて、これぐらいの感染に収まったとすれば、マスク無しで大騒ぎしてもこの程度のものかと言えなくもない。

今回の結果を受けて、「東京五輪は無観客で正解だった」と言う人がいるが、国立競技場で1万人、その他の会場でも十分なキャパシティコントロールをして開催する予定だった「東京五輪」「欧州サッカー選手権」のようなことが起こるとは到底考えられない。プロ野球大相撲での日本人の観戦態度を見れば言わずもがなである。

それよりも、東京五輪で一つ気になったことが、試合直後の選手へのインタビューである。陸上競技1,500メートルの田中希実選手が、レース直後で息が上がって苦しそうにしているにもかかわらず、運営スタッフからマスクを渡され、マスクを着用させられてインタビューを受けていたことだ。他にも水泳の大橋選手など、ほとんどの競技で試合直後にマスクを着用させられインタビューを受けていたが、いったい、誰が誰に感染させるのを防ごうとしているのか?感染防止をしたいのなら、インタビュアーや周りの人間が対策をすべきで、選手に負担を掛けるのはいかがなものか。かたや、柔道ではノーマスクだったが、屋内競技の柔道ではマスク無しで、屋外競技の陸上ではマスク有りというのはいったいどういう基準なのだろうか?

さて、話は欧州サッカー選手権に戻るが、ここで注目したいのが、日本とイギリスのコロナ対応の差である。イギリスは、「無謀な実験」と批判されようとも、ワクチンの効果や大規模イベントの感染リスクを「科学的」に検証しようとしたわけで、あくまでデータに基づいた感染対策をしようとしている。そして、リスクを取ってでも「コロナ禍を終わらせよう」「モードチェンジしよう」とする強い覚悟のようなものが感じられる。

それに比べ、東京五輪においては、1,000億円以上かけて開発したスパコン『富岳』のシミュレーション結果を採用しなかった。『富岳』のシミュレーションでは、有観客開催でも感染を拡げないという科学的データがあったにもかかわらず、政府はテレビや世論にバッシングされ内閣支持率が下がることを恐れ、「データに基づいた政策判断」さえできなかったのだ。ちなみに、多くの日本人に「マスクには感染防止効果がある」と思いこませたのは『富岳の飛沫拡散シミュレーションの映像であったが、マスク着用の流布には『富岳』を採用しておきながら、東京五輪では『富岳』を採用しないというのはどういう基準なのか?菅政権の支持率がここまで下がったのは、単に東京五輪を開催したからとか、コロナの陽性者数が増加したからではなく、政府の政策に、科学的根拠と政策の一貫性が無く、かつ、コロナ禍を終わらせようとする覚悟が感じられないからである。

東京五輪閉会式の最後に、次期開催地パリがエッフェル塔の前に大観衆を集め行ったデモンストレーションの迫力を目の当たりにして、「東京五輪は有観客でも良かったのではないか」と忸怩たる思いに駆られた日本人が多かったのではないか。

 

2.「科学」と「法治」を軽視した日本のコロナ対策

日本よりはるかに感染者数も死者数も多いイギリスやフランスが大観衆を集めイベントを敢行する姿勢を見てしまうと、日本の「科学的根拠」も「政策的信念」も無く政局に左右されたり国民の顔色を窺ったりマスコミのバッシングを恐れたりといった、弱腰な政策決定が歯がゆくて仕方がない。ここでいう「科学的根拠」とは、単に感染防止ができればいいというものではなく、経済や社会にもたらす副作用への配慮も含めた「総合的な判断」をするための「科学的根拠」である。

日本政府のコロナ対策を振り返ると、昨年2月の「①全国一斉休校」に始まり、「②小中学生へのマスクの強制、給食の黙食、リモート授業の導入」「③修学旅行や卒業式など各種学校行事の中止」「④大学生への登校停止」「⑤全国大会の中止などクラブ活動の制限」「⑥困窮者が救われない特別定額給付金10万円の悪平等」「⑦飲食店狙い撃ちの時短営業と不公平な補償」「⑧根拠のないGotoトラベルの中断」「⑨個々の事情に配慮の無い帰省の制限」「⑩効果の検証がされないまま繰り返される緊急事態宣言」「⑪飲食店がより苦しむことになった特措法の改悪」「⑫PCR検査の誤用、乱用」「⑬一向に拡充させない医療キャパ」「⑭医療ひっ迫の原因となっている指定感染症の継続」「⑮他の死因でもPCR陽性ならコロナ死と報告させている厚労省の通達」「⑯酒類提供について優越的地位の乱用を政府が要請」「⑰若年層へのワクチン接種」「⑱人権侵害の恐れのあるワクチンパスポートの導入検討」そして「⑲東京五輪の無観客開催」等々、「科学的根拠」に基づいているとは到底思えない、「感染抑止一本鎗」事なかれ主義の愚策が繰り返されている。

例えば大学は、昨年4月に入学してきた学生が既に1年半にも渡りほとんどキャンパスに行けていない現実をどう考えているのか?小・中・高生は工夫をして登校しているではないか?なぜ小・中・高生より分別のある大学生にそれができないと鼻から決めているのか。学生にとっては授業だけではなく、サークルクラブ活動に勤しんだり、友達を作ったり、恋愛をしたり、キャンパスライフを謳歌する権利がある。学生にとっての4年間は大人達の4年間と違い唯一無二の時間なのだ。短大生は可哀そうに殆どキャンパスに行かず卒業することになる。「授業料を返せ」と言いたくなるのも無理はない。大学の経営者や教授たちは思い出してもらいたい。あなた達も学生時代を謳歌し、学生時代がいかに貴重な時間かをわかっているはずだ。大学こそ、学生をキャンパスに迎えるために、あらゆる科学的英知を結集して解決策を見出していく立場にあるのではないか。リモート授業に逃げている今の大学はまさに事なかれ主義であり、高等教育が同調圧力に負けた象徴である。

これまで政府がやってきた政策の欠点は、「新型コロナウイルスの危険性の評価」棚上げしたまま(「指定感染症」を未だ続けている)、感染防止という名の「公共の福祉」過度に重んじられ「私権制限」「無秩序」に行われていることである。つまり、「総合的な科学的知見」に基づかなかったため、過剰な感染防止策が経済や社会や文化や教育を必要以上に傷つけ、しかも、「国会」の検証や承認を経ず、「行政」の独断で「私権制限」という「権力の濫用」が行われているのだ。要するに、「科学」と「法治」の軽視である。その典型的な例が、7月8日の西村大臣の発言であり、西村大臣酒類提供禁止に応じない飲食店に対して金融機関から対策順守を働きかけてもらうよう呼び掛けたのだ。未遂には終わったものの、これはまさに優越的地位の乱用を政府自らが促したということであり、コロナごときで「権力の濫用」に対する歯止めがここまで効かなくなっているのかと危機感を感じた。結局このような過度な「私権制限」で苦しむのは、もの言えない、中小企業や、非正規労働者女性や子供などの社会的弱者と呼ばれる人たちである。

 

3.国民を怖がらせるだけの感染対策でいいのか?

最近、東京都知事「デルタ株の猛威で災害級の危機を迎えている。」と発言しステイホームを呼び掛けたが、本当に災害級の危機なのだろうか?たまたま災害級の豪雨が全国を襲っていることになぞらえ、コロナの被害も「災害級」になっているという印象を国民に与え、危機感を煽る手法ではないか。穿った見方をすれば、医療体制のひっ迫を招いた自身の失策から国民の目を逸らすため、コロナは避けようのない「自然災害」であるという印象操作をしたかったのかもしれない。いずれにしても、このような誇張された表現を知事が使うときは気を付けなければならず、われわれは、派手な言葉に踊らされることなくデータに基づいた冷静な判断をしなければならない。その意味でも、現在のデルタ株の流行が知事の言うような「災害級」の危機なのかどうか、海外のデータと比較して確かめたい。

8月20日時点での日本の陽性者数(7日間平均、以下同じ)は21,111人(100万人当り166人)で、死亡者数は28人である。陽性者に対する死亡率は0.13%である。1回目のワクチン接種率は52%、2回目のワクチン接種率は40%である。

では、ワクチン接種が進んだことにより、通常の生活に舵を切ったイギリスではどうだろうか。8月20日時点での、イギリスの陽性者数は31,040人(100万人当り460人)で、死亡者数は114人である。陽性者に対する死亡率は0.36%日本の2.7倍である。1回目のワクチン接種率は71%、2回目のワクチン接種率は62%であり、接種率は日本より20%ほど進んでいる。

また、アメリカの陽性者数は151,227人(100万人当り460人)で、死亡者数は975人である。陽性者に対する死亡率は0.64%で日本の5.0倍である。1回目のワクチン接種率は61%、2回目のワクチン接種率は52%であり、接種率は日本より10%ほど進んでいる。

いずれも、日本よりワクチン接種が進んでいるにもかかわらず、「陽性者数」や「陽性者に対する死亡率」は日本の3倍から5倍、単位当たり死亡者数に至っては日本の8倍から14倍なのである。以前よりはその差は縮まったが、それでも日本は海外と比べ「さざ波」「小波」程度である。

そのアメリカでは、スタジアムを埋め尽くしたノーマスクの観客が大谷のホームランに歓声を上げ、ラスベガスでは2年ぶりに復活したマニー・パッキャオのタイトルマッチを超満員の観客が観戦し大声援を送っている。

一方、日本では陽性者数が増えたことだけをことさら取り上げ、医療ひっ迫が災害級の危機と騒ぎ立て、より強い感染対策をやろうとしている。全国知事会に至ってはロックダウンを政府に要求する始末だ。「危機を煽って国民の行動変容に期待する」いつものパターンである。それにしても、毎回思うのだが、医療がひっ迫しているのであれば医療体制に手を付ければいいのに、なぜか国民の行動を規制しようとする。この遠回りはいったい何なのだろう?昨年の1回目の「緊急事態宣言」の目的は、医療体制を整えるまでの時間稼ぎだったはずで、国民が我慢して時間稼ぎに協力したのだから、政府はそれに応えて、医療体制の整備に尽力すべきではなかったのか。あれから既に1年半が経過しているにもかかわらず、相変わらず「国民の行動変容を促す手法」しかやらないのは、協力した国民への裏切りであり、国民を舐めているとしか言いようが無い。

政府や知事は軽々に「ステイホーム」とか「夜の街は控えて」などの「自粛のお願い」を繰り返すが、国民に向かって「自粛」をお願いすること自体、事実上、事業者にとっては「間接的な営業妨害」なのである。しかし、あくまで国民(客側)へのお願いなので、知事は法的に事業者側に一銭の補償もする義務が無い。例えば、あなたが地方都市で観光旅館の事業を始めた途端、知事が「県を跨いだ移動はおやめください」と言って、客足が激減し経営危機に陥ったとしても、県はあなたに何の補償もしなくていいのだ。それがいつ終わるかわからず1年以上も続いたら、経営者として耐えられるだろうか?実際、日本ではそれがもう1年半も続いているのだが、地方都市ほど同調圧力が強く、事業者側にそれに抗う手立てがない。

他にも、銀座や新地のクラブやバーなどへの対処は酷いもので、完全に狙い撃ちされている。「午後8時までの時短営業をしろ」と言われたら、クラブの開店時間は通常午後8時頃だから「営業するな」と言われているのに等しい。ホストホステスは個人事業主なので、雇用調整助成金の対象にならず休業や失業をしても何の補償も無い。彼らにとっては死活問題で、生活していくためには通常営業をせざるを得ない。政府や知事は、十分な補償がなければ要請に従わず通常営業を続ける店が出てくることは容易に想像できたはずである。もし飲食店が感染を拡げているとすれば、モラルハザードが生じているこのようなクラブやバーの可能性が高いこともわかっているはずだ。にもかかわらず、通常営業しているクラブやバーを放置しておいて、逆に、感染対策をしっかりしている飲食店に時短営業を要請している今の政策のどこに合理性があるのだろうか。

政府や知事たちは、この「国民へのお願い」という「ズルい手法」しれーっとやり続けているのである。日本人の同調圧力は思った以上に強く、「自粛要請」という手法は、十分な補償をしなくてもロックダウン並みの人流抑制効果を発揮するので、政府や知事にとっては一石二鳥のおいしい手法であった。1回目の緊急事態宣言後も「ステイホーム」という掛け声のもと「自粛要請による人流抑制」がうまくいったものだから、それに味をしめて、遠慮なしに何度も繰り返すこととなり、その度に支援金などの補償の受け皿からこぼれ落ちた事業者が苦境に立たされる羽目になった。たださすがに国民も人流抑制が感染抑止に効果が無いということに気付き始め、「緊急事態宣言」を発出しても人流を止めることはできず、現在では「自粛要請」は形骸化している。

ちなみに、ロックダウンマスクの義務化などの過度な感染対策を取らず、「ウイズコロナ」「長期的戦略」を取ったスウェーデンは、当初高齢者施設の死亡者が多く出てかなり叩かれたが、今ここに至っては、陽性者数も死亡者数もほとんど増えておらず、その「対策をしない対策」が見直されている。スウェーデンには日本の様な「自粛」いう概念は無く、あらゆる政策は法律に基づいて実行される。義務ではないので誰もマスクをしていない。「スウェーデン政府の見解」は毎日、テレビでダイレクトに国民に伝えられる。日本のようにテレビが「自粛」「自粛」と恐怖を煽ることはなく、国民はいたって冷静だ。そんなスウェーデンの8月20日時点での陽性者数は920人(100万人当り91人)で、死亡者数は1人である。陽性者に対する死亡率は0.11%であり日本とほぼ同じである。1回目のワクチン接種率は65%、2回目のワクチン接種率は50%であり、接種率はアメリカ並みで、日本より10%ほど進んでいる。

結局、イギリスやアメリカのように、ロックダウンを繰り返してコロナを抑え込もうとした国よりも、ウイズコロナで緩やかな規制を貫いたスウェーデンの方がコロナによる被害は同等だとしても、経済的ダメージは少なかったと言える。この一年半の各国の感染状況を見ていくと、一旦感染が拡大してしまうと、ロックダウンしようが、緊急事態宣言を出そうが、学校を閉鎖しようが、飲食店を休業しようが、もしくはなんの対策をしなくても、その結果はほとんど変わらないということがわかった。日本をはじめアジア諸国の感染被害が欧米諸国に比較し少なかったのは、感染対策の有無や強弱は関係なく、中国由来の土着のコロナによる交差免疫(過去に旧型のコロナに感染した人は新型コロナにも感染しにくい現象)や、早期の弱毒性の新型コロナウイルスによる集団免疫により、欧米人よりも新型コロナへの耐性が強かったからである。日本はその恩恵により、スウェーデンよりも圧倒的にコロナ被害が少なかったにもかかわらず、スウェーデンよりも過度な感染対策をしてしまったがために、経済的損害はスウェーデンを上回ってしまった。知事たちは、日本の陽性者数だけに一喜一憂するのではなく、海外と比較したときの日本の感染状況を冷静に見て、日本は欧米諸国の様なパンデミックになっていないことをしっかり認識し、感染抑止に偏った政策を改めるべきである

 

4.コロナ対策のボタンの掛け違いは「感染拡大を抑えられると思い込んだことだ」

以前から何度も指摘してきたが、先の読めないウイルスの動きを抑え込むこと自体無理があるわけで、人為的に感染をコントロールするのは不可能である。ウイルスは人が思っている以上に俊足である。ロックダウンをして一瞬抑え込めたと見えてもすぐにその反動は現れる。マスクだってほとんど意味が無く、網の目がウイルスの何百倍も大きいマスクでウイルスの侵入を防げるわけが無い。マスクを四六時中しているくらいなら、TPOに応じた咳エチケットを意識する方がまだ多少有効かもしれない。

ただし、ウイルスはむやみやたらに増殖しているのではなく一つのパターンがあり、そのパターンを理解することが肝心だ。今までの感染状況を振り返ると、北半球、南半球、寒冷地、赤道直下、いずれの地域においても世界的に共通しているのは、陽性者は一定期間増え続けるがそのエリアでの集団免疫が達成されれば必ず減少に転じ、およそ3カ月間で収束している。

そして、感染の山の高さは、そのウイルスの感染力人間の免疫力相関関係で決まり、日本人が欧米人に比べ今回のコロナについて感染しにくいのは、日本人の免疫力欧米人の免疫力よりも相対的に強いからである。ただ、インフルエンザ同様コロナウイルスの感染力は非常に強いので、変異するたびに1、2カ月ぐらいであっという間に日本全国に蔓延し、「変異株の感染力>免疫力」(その時の変異株の感染力よりも免疫力が弱い人)の層の人達は感染する。そしてその層の人達が一通り感染したら、集団免疫が達成され収束する。

日本では、PCR検査の陽性者数からして、集団免疫を獲得するほど感染は拡がっていないという見方があるが、PCR検査で拾える陽性者数は実際の陽性者のごく一部であり、京都大学の上久保靖彦教授の研究よると、日本は昨年の3月時点で一旦、コロナウイルスの集団免疫を獲得したということである。日本では一昨年(2019年)の12月、昨年(2020年)の1月4月8月、今年(2021年)の1月4月と、大きな変異としてはほぼ6回、それぞれ異なるコロナの変異株が日本全国で蔓延し、その度に「変異株の感染力>免疫力」の層の人達が感染し、集団免疫が達成され収束している。この間、総じて、コロナの感染力は強まっていき、逆に弱毒化している。ただし、最初の二つの株は例外で、一昨年の12月と昨年の1月のコロナは極めて弱毒でかつ感染力が強い株だったらしく、日本は3月半ばまで中国の渡航制限をしなかったので中国人が大量に入国したため、かなりの数の日本人は無症状か軽症で気付かないうちにコロナウイルスに感染し、2020年3月には集団免疫が獲得されていたとのこと。それを裏付ける研究として、東京理科大学の村上康文教授の調査では首都圏の362人の抗体検査の結果「ほぼすべての検体で既感染を示す免疫グロブリン反応があった」ということで、日本人の大半がコロナの抗体を持っていたことが実証されている。上久保教授によると、感染してできる抗体(獲得免疫)には、液性免疫(B細胞免疫)細胞性免疫(T細胞免疫)の2種類があり、通常の抗体検査に反応するものは液性免疫で、液性免疫だけだと人口の2%ぐらいしか感染していないことなる。しかし、村上教授の免疫グロブリン反応の実験で、ほぼすべての検体で既感染反応が見れたということは、通常の抗体検査では反応しない細胞性免疫を日本人のかなりの人が獲得していたのではないかということだ。諸外国では2月早々に始めていた中国人の渡航禁止が日本では3月半ばまで遅れたことが、いわゆる怪我の功名で、3月時点では、その後の強毒性のヨーロッパ株に対抗するための抗体ができていたのだ。

また、相当数の日本人がコロナに感染していたことの証左として、コロナが流行りだして以降、インフルエンザが全く顔を出さなくなったことが証明している。なぜかと言うと、インフルエンザが全く流行しなくなったのは、マスクなどの感染対策の為ではなく、コロナウイルスとのウイルス干渉(ウイルス同士で宿主の奪い合いをし、一つのウイルスが流行すると他のウイルスは流行しない現象)が原因であり、日本人の大半がコロナウイルスに感染したからこそ、ウイルス干渉により、日本人の間でインフルエンザが全く流行しなくなったということだ。日本だけでなく世界的にもインフルエンザは激減しており、ウイルス干渉は世界的に起こっていて、諸外国でも変異株の種類ごとに集団免疫が獲得されてきたと考えられる。

また、コロナが我々が思っている以上に日本で蔓延していることを表している事象が、沖縄県を含めすべての都道府県が例外なく、同じ時期に変異株の種類が入れ替わり、同じ時期に感染拡大し、同じ時期に収束し、しかもその感染規模もほぼ同じだということである。47都道府県すべてである。感染者がPCR検査の陽性者数ぐらいしかいなければ、感染の増減や規模が全国的にここまでシンクロすることはあり得ない。おそらく、インフルエンザと同じように、コロナにおいても、「無症候者」や、少し熱っぽいとか頭が痛いとか喉がイガイガするなどの「軽症の感染者」がかなりいると思われるが、症状が軽ければ敢えてPCR検査を受けない人が多いのではないか。保健所に陽性認定されると隔離されるというリスクもあるのでなおさらだ。

特に地方や田舎など昔ながらの共同体が生きている地域では、テレビの煽り報道の影響が色濃く出ていて、コロナ患者に対する差別は凄まじく、多少の熱ではPCR検査を受けない人が多いと思われる。岩手県がいい例で、岩手県は昨年の7月29日まで日本で唯一、陽性者は0人であったが、おそらく発熱しても黙っていた人が多かったのではないだろうか。その陽性者第1号の勤め先が会社のホームページで陽性者が出たと公表してしまったがために、その会社には中傷の電話が殺到したという。これは、日本の地方が未だ「村社会」であることを象徴するような事例で、共同体の仲間意識が強い地域ほど、コロナに罹ったと言い辛いということだ。共同体意識を否定するつもりは無いが、コロナにおいては、この共同体意識が悪い方向に出ており、日本全体が同調圧力でがんじがらめになってしまっている。このような状況も含めて、PCR検査で陽性になった人は氷山の一角と言える。

では、どういう仕組みでコロナウイルスが一気に感染拡大するのかと言うと、感染拡大のポイントは「家庭感染」である。その時流行り始めた変異株の感染力より免疫力の弱い層の人達(「変異株の感染力>免疫力」の層の人達)が、職場、学校、スーパー、商業施設、飲食店、病院、介護施設、交通機関などさまざまなエリアを移動してキャッチしたウイルスが、毎日、家庭(寮なども含む)に持ち込まれ、家庭でウイルスが交換され、また別のエリアへと移動して感染を拡大させるのである。「ウイルスを拡げる要は家庭である」。感染ルートが飛沫感染空気感染糞口感染接触感染か、そんなことは全く関係ない。家庭にはそのすべてのルートが勢揃いしているのだから。そもそも、感染対策をしている家庭はほとんどないし、無症状でも感染力があるとすれば、油断している家庭での感染が最も多いのは当然だ。よって、ウイルスは「毎日」家庭で交換されるので一旦流行り始めると一気に拡大するのだ。世界的にコロナの感染拡大を止められないのは、家庭での感染を止められないからである。

人口密度も関係ない。日本もスウェーデンも、東京も北海道も、人口密度に関係なく感染拡大するのは、ウイルスが家庭で交換されるからだ。

介護施設療養施設老人ホームなどで感染が多いのは、そこが生活の場だからである。いくら外からウイルスを持ち込まないように努めても、完全にシャットアウトするのは不可能で、一旦持ち込まれると、そこで日常生活が営まれている以上、その施設内での感染拡大を防ぐのは非常に難しい。

このようにして、家庭を基点として感染は拡がるが、その流行している変異株より免疫力の強い層にはほとんど感染させないので、一定のところでピークアウトし収束する。パパの免疫力が強ければパパには感染させない。子供はACE2受容体が少なくコロナに感染しにくいので、今回のコロナは子供が壁となりパンデミックが回避されたとも考えられる。そこがインフルエンザとの違いで、インフルエンザ患者の7割は未成年者で、子供が学校と家庭を往復することで感染を拡げるが、コロナではそれがほとんどなかった。にもかかわらず、怖がりの大人たちの犠牲になって、マスクを強制されている子供たちが不憫でならない。マスクをしているから子供たちが感染しにくいと未だに考えている人がいるが大きな勘違いである。子供たちはもともとコロナに感染しにくい体質なのだ。子供たちへ謝罪と感謝を。

今回のデルタ株の特徴は、日本人が多く持つと言われている細胞性免疫HLA-A24を回避し、人間のACE2受容体に結合しやすい性質があるらしく、日本人でも感染しやすくなっており、「デルタ株の感染力>免疫力」の層の人達の数がかなり多く、感染の山が高くなっていると思われる。もちろん、家庭が感染の要なので、「緊急事態宣言」を出したからと言って、感染拡大を止める効果は乏しく、それぞれのエリアで集団免疫が達成されるまでは収束しない。

インフルエンザも毎年5,000万人がワクチンを打っていても、毎冬同じように感染が急拡大し、1,000万人以上が病院を受診し(無症候者を含めればその4、5倍の感染者がいると言われている)、全く感染対策をしなくても、集団免疫ができることでピークアウトし、約3カ月で収束する。インフルエンザの山は1年に1回だが、コロナの場合は新参者で変異しやすいので、今のところ、年に何回か山が来ている。

日本ではデルタ株の感染がどこまで拡大するか心配されているが、インドの状況を見れば、あと1カ月ほどで収束する可能性は高い。なぜなら、デルタ株発祥の地インドでは4月に、「クンブ・メーラ」という数百万人がガンジス川に集まる大祭によって、ピーク時には1日40万人の陽性者を出したが、ワクチン接種率が1割に満たなくても、ほぼ3カ月で収束し、その後陽性者数は4万人ぐらいで低位安定しているからだ。インドはロックダウンをしたから収束したという人がいるが、インド人の7割に抗体ができたということは、ロックダウンしても感染が拡がっていたわけで、集団免疫が達成されたから収束したと考える方が自然であろう。ちなみにインドの陽性者数40万人は多いように感じるが、日本の人口に置き直すと4万人となり、今の日本の陽性者数とそれほど変わらない。よって、日本も、期間と山の高さからほぼピークに近づいているのではないだろうか。

このような感染増減のパターンを踏まえた上で、日本のように自然免疫の強い国は、ほとんど意味の無い飲食店の時短営業や人流抑制などを早急に辞め医療体制を改変することに全力を注ぐ方が、より効果的経済的な対策と言える。意味も無いのに飲食店に規制をかけ、支援金を支払うなんて予算の無駄遣いだ。ロックダウンをやっても集団免疫による収束を先延ばしにするだけで、感染対策上効果が無いどころか逆効果である。全国の知事たちはもっとウイルスについて勉強をして、正しい知識を身に着け、費用対効果抜群の医療体制の改変に専念してもらいたい。

 

5.「指定感染症」を解除すればコロナ禍は終わる

一方、医療体制を改変するために政府がまずやるべきことは「指定感染症」の解除(五類感染症に落とす。以下同じ)である。そして、インフルエンザと同じような対応にシフトしていくべきだ。自らコロナ対応病院を極端に少なく絞り込んでおいて、「病床が足りない」と騒いでいる政府分科会そして医師会「茶番」にこれ以上付き合っていられない。インフルエンザでは毎年、1,000万人以上の患者(陽性者はその数倍いるだろう)が発生し、関連死を含め1万人以上が亡くなっており、しかも冬場の3カ月間に集中している。病床の使用率から言えばコロナ以上にひっ迫してもおかしくないはずだが、毎冬、何事もなくこなせているのは、インフルエンザが「指定感染症」ではないからだ。インフルエンザの場合PCR検査をそもそもしないので、「無症状者や軽症者を入院させることは無いし、症状が出たら一般の病院で診察し、医師が危険と判断したら入院させる」といったごく当たり前のことをやって、医療崩壊を起していない。一方コロナの最大の問題点は「指定感染症」なので窓口が保健所に限定されていることである。保健所無症状者軽症者にも対応せざるを得ず、しかも電話での応対なので、患者の病状を細かく把握することができず、陽性者が増えてくると保健所では対応しきれなくなり、投薬酸素吸入入院の判断が遅れ重症患者を増やすことになる。インフルエンザのように医者が窓口となり、直接診ていれば救われた命も多くあったはずだ。

実際にコロナ患者の治療に当たっている現場の臨床医は口をそろえて言っている。「コロナ騒ぎを終わらすのは簡単だ。指定感染症を解除し、一般の診療所でもコロナ患者を診れるようにするだけでいい」と。

インフルエンザでは、今までずっと、「感染対策などほとんどしていない町の診療所の狭い待合室」に患者を詰め込み、毎年1,000万人以上の患者を出し、1万人以上が死んでも何の問題にもしなかったのに、なぜコロナについてはその実態がわかりつつあるにもかかわらず未だに、エボラ出血熱を扱うような、ゾーニングだの陰圧室だの防護服だの、大げさな対応をしなければならないのか。もしコロナがエボラ出血熱のように致死率50%以上本当に恐ろしい伝染病であれば仕方ないが、そうで無い事は誰の目からも明らかである。にもかかわらず、政府が、コロナをエボラ出血熱並みの怖い伝染病にしておきたいのは、穿った見方をすれば、「ワクチン接種」を何が何でも推し進めていきたいからではないか。だからこそ、「指定感染症」を一向に解除しようとせず、コロナの恐怖を煽り続けているのではないだろうか。

政府が「自粛」「ワクチン接種」を促すための手法として国民の恐怖心を煽っているとしたら、それはもう民主国家とは言えないのではないか。国民から負託を受けた国会や政府は、その採用する政策について、国民に説明する責任があり、説明もせず、従順な国民性を利用して行動変容させようとするのは、ある種の扇動主義である。国民側も民主国家の一員として政府に説明を求めていくべきだし、納得いかない政策を「同調圧力」で受け入れていては、「自由」という権利を自ら手放すことになりかねない。「ロックダウンをしなくても自粛する日本人は民度が高い」などという言葉を真に受けて喜んでいてはいけない。そこまで「お人好し」になることは無いのだ。コロナ禍を大義名分にして、「科学的根拠」「法的根拠」も無く、私権制限が簡単にされてしまう今だからこそ、「義務でもないのにマスクはしない」というスウェーデン人の権利意識の高さを見習ってもいいのではないか。

 

6.日本にワクチンは必要か? ~コロナウイルスは弱毒化している~

日本のコロナ対策は、感染症専門医を中心に構成される分科会の打ち出す提案を政府がほとんど丸飲みしているので、「感染抑止に偏った政策」しか出てこない。その分科会はコロナをエボラ出血熱と同等と評価し、「感染拡大を抑えなければ日本は大変なことになる」というスタンスを一向に変えない。だから経済や社会や文化や教育がどうなろうとも二の次で、感染を抑えることが絶対の正義と思いこんでいる。よって、少しでも感染が増えたら危機を訴え、国民に自粛をさせることを全く厭わない。こんな「自粛しか考えない分科会」にスポイルされた政府価値観と、「恐怖を煽るほど視聴率が取れる」テレビ局価値観が、「恐怖を煽る」という点で不幸にも一致した。政府はテレビの煽り報道ただ乗りしたのである。この関係性は「感染抑止一本鎗」の政府の政策に対して、テレビ側からの批判が全く出ないという点で政府にとって好都合だった。そして、日々繰り返されるテレビの煽り報道によって、国民は洗脳され「コロナは恐ろしい伝染病だから自粛しなければならない」「自粛しない人間はコロナを拡げ、誰かを殺している」というような「共通認識」が国民の中に醸成され、「感染抑止策」に反論することが難しくなってしまった。「コロナは大したことない」と言った瞬間に「人命軽視だ!」バッシングの嵐である。高橋内閣官房参与の「さざ波発言」が良い例である。この同調圧力は、常識的には屋外でマスクをする必要はないとわかっていても、マスクをせざるを得ない空気感とよく似ている。政府が手を下さなくても「マスク警察」「自粛警察」が出てきて市民が市民を監視する社会である。戦時中「贅沢は敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」などのスローガンのもと、新聞などのマスメディアが扇動し、隣組を中心に行われた言論統制を彷彿とさせる。まさに全体主義である。もはやわれわれは、コロナに関する自由な発言ができなくなった「コロナ全体主義」の中にいる。それが顕著に表れたのが「ワクチン」である。

 

政府は、デルタ株の流行で50代40代の重症者が増加していると強調し、50代40代にも早急にワクチンを接種していく方針を打ち出している。更には20歳未満の若年層にまでワクチン接種を推し進めようとしている。確かに全体的に陽性者数は急増しているが、50代40代の重症者が目立って増加しワクチン接種が急務なのか、20歳未満にまでワクチン接種を推進すべきなのか、第4波の陽性者数がピークであった4月28日と現状8月18日「陽性者数」「重症者数」の年齢別内訳を比較して検証する(厚労省発表「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)」参照)。

まず、陽性者数がどうなっているかだが、4月28日の4,690人(50代40代=約1,300人、60歳以上=約900人)から8月18日の19,452人(50代40代=約5,600人、60歳以上=約1,200人)へ4倍になっている。年代別では50代40代が1,300人から5,600人へ4.3倍、60歳以上が900人から1,200人へ1.3倍となっており、高齢者の陽性者増加率はかなり抑えられている。これはワクチン接種の効果が出ている可能性がある。一方、重症者数は321人から482人1.5倍に留まっている。陽性者の増加が4倍で、重症者の増加が1.5倍ということは、陽性者の増加の割に重症者の増加はかなり抑えられており、「デルタ株は弱毒化している」と考えられる。一見、高齢者にワクチンを打ったから重症者の増加が抑えられたとも考えられるがデータを見るとそうではない。これについてはのちほど言及する。やはり、前々から専門家が指摘していた通り、「コロナは変異を繰り返しながら弱毒化していき、弱毒化するからこそ感染しやすくなる」ということが証明された形であり、陽性者数が増加したからといって慌てる必要はない。おそらくコロナは「普通の風邪」に近づきつつある。

重症者の年齢別内訳だが、4月28日時点での重症者数321人で80歳以上68人、70代112人、60代73人、50代39人、40代25人、30代1人、20代1人、10代未満0人、不明2人であった。50代40代の合計は64人で、60代以上の合計は253人であった。40歳未満はわずか2人であった。

一方、8月18日時点での重症者数482人で80歳以上85人、70代146人、60代111人、50代88人、40代43人、30代1人、20代0人、10代未満0人、不明8人であった。50代40代の合計は131人で、60代以上の合計は342人であった。40歳未満はわずか1人であった。

確かに上記の数字を見ると、50代40代の重症者数は増加しているが、60歳以上も増加しており、いずれも陽性者数が急増したことが原因と言える。一方、40歳未満は2人から1人なので、ほとんど重症化しないことがわかる。では、「50代40代」と、「60歳以上」を比べ、陽性者数に占める重症者数の割合などから、50代40代の重症者数が特に増加しているのか、また、デルタ株の弱毒化が年代によって異なるかについて見てみたい。

まず、「50代40代」を見てみる。4月28日の陽性者数は約1,300人で重症者数は64人なので重症者率(※)は4.9%、8月18日の陽性者数は約5,600人で重症者数は131人なので重症者率は2.3%となっている。重症者率は4.9%から2.3%に半減しており、陽性者数の増加に連れて重症者の数は増えてはいるが、比率は大幅に減少していて、50代40代が特に重症化しているわけではない。つまり、デルタ株は弱毒化しているので50代40代でも重症化しにくくなっているということだ。

(※)ここで言う重症者率とは1日あたりの新規陽性者数に対する、その時点での重症者数なので、重症化率とは全く違う意味である。1,300人が陽性になったら64人が重症化するという意味ではない。4月と8月を比較するために率を出したということである。実際の重症率は重症率よりかなり低い。以下も同じ。

次に「60歳以上」を見てみる。4月28日の陽性者数は約900人で重症者数は253人なので重症者率は28%、8月18日の陽性者数は約1,200人で重症者数は342人なので重症者率は28%となっている。重症者率は28%から28%とほとんど変化がなく、陽性者数と重症者数が比例して増加したということである。なお、7月の厚労省のデータによるとワクチン接種をした60歳以上の感染率は未接種者の15分の1ということなので、8月時点での重症者の殆どはワクチン未接種者の可能性が高い。となると、50代40代の重症者率が4.9%から2.3%に半減したのに比べ、60歳以上の重症者率が28%のまま変わらずということは、ワクチン未接種の60歳以上についてはデルタ株が弱毒化していないのかもしれない。もしくは、医療体制がひっ迫したことにより高齢者の重症化が進んでしまったとも考えられる。なお、ワクチン接種者の重症化のデータはまだほとんど出ていないので、ワクチン接種が重症化を抑えるかどうかの判断は今の時点ではできない。

結論として、4月と8月を比較し、陽性者急増のわりに重症者の増加が極端に抑えられた原因は、高齢者へのワクチン接種とは関係無く、「デルタ株が弱毒化したからだ」ということができる。

以上を総括すると、デルタ株は感染力は強まっているが、今までの3分の1ぐらいに、かなり弱毒化していると言える。政府の見解では50代40代の重症者が特に増加しているとのことだったが、数としては増えているが比率的には半減している。また、40歳未満については、デルタ株で陽性者が急増したがほとんど重症化していない。60歳以上については、ワクチン接種者の重症化についてはまだデータが揃っていないが、ワクチン未接種者については重症者率にほとんど変化が無かった。この原因として考えられるのは、高齢者についてはデルタ株が弱毒化していないのではないかということと、もう一つは、医療ひっ迫により重症者の自宅療養が増加し重症化が進んでしまったということである。もし医療ひっ迫が原因とすれば、弱毒化しているにもかかわらず重症者を増やしたということで、もはや人災としか言いようがない。以上のことから、優先させるべき対策は、50代40代のワクチン接種よりも、高齢者の重症化を防ぐことではないか。重症化するまで自宅やホテルで放置せざるを得ない医療体制にこそ手を付けるべきであろう。

一方海外に目を向けると、現在、イスラエルイギリスアメリカなどワクチン接種が進んでいる国ほど陽性者数が増加し、過去最高に近い数になってきており、また、死者数も増え始めている。例えばイスラエルの場合、現状1日当たりの陽性者数(7日間平均)は7,300人(百万人当たり800人)だが、1月ピーク時の8,600人に迫る勢いだ。また1日当たりの死亡者数(7日間平均)は、1カ月前は1人だったのに、現状23人(日本の人口比にすれば320人)まで増加してきている。ワクチンの効果が減少してきたことが原因らしいが、早くも3回目のワクチン接種を始めている。これでは今後、何回ワクチンを打てばよいのかわからない。ウイルスが変異するたびに新しいワクチンを接種することとなり、「イタチごっこ」に巻き込まれる。しかも、今流行っている変異株に対応するワクチンはすぐには開発できないので、常にその前か、その前の前の変異株に適したワクチンしか打てない。製薬会社はこの矛盾をどう解決していくのだろうか?

日本のように集団免疫が広範に拡がり感染被害の少ない国については、ワクチンに頼るのではなく、獲得免疫のブースター効果を促したり、人間が本来持っている自然免疫を鍛えることにシフトしていった方が良いのではないか。「特に40歳未満の若年層については上記データでもわかる通りほとんど重症化しないのだからワクチンに頼る必要は全くない」。テレビでは「若者でも後遺症があるから怖い」と脅しているが、ほどんどが時間経過とともに消えるわけで、それは後遺症ではなく「予後の病状が悪い」と表現すべきものである。後遺症は一生治らないか治るとしても何年もかかるものなので、テレビがこのような間違った表現で恐怖を煽るのはどうしたものだろうか。

一方、最近子供たちの陽性者数が増えてきているが、1年半にもわたりマスクを強制し清潔な環境を人工的に作り出したことで、本来曝露すべき様々なウイルスや細菌に曝露できなかったため、子供たちの免疫力が下がってきているからではないだろうか。それを示唆する事例として、今年、子供たちの間で、昨年殆ど発生しなかった、RSウイルスが過去最高の大流行となっている。子供の場合、コロナに感染してもほとんど重症化しないのでコロナについては安心だが、過剰な感染防止策により、今回のRSウイルスの大流行の様な他の伝染病の大流行を今後招かないか、特にインフルエンザが子供たちの間で大流行しないか心配である。そういう意味でも、小中学校での、マスク着用消毒黙食など過度な感染対策は早急にやめ、普通の生活に戻すべきだ。もちろん、子供たちにワクチンを打つ必要は全くない。逆に打つ方が危険である。

人間とウイルスは人間が誕生してからずっと共存してきたパートナーであり、特に強毒性の伝染病でない限り、自然の摂理に従って付き合っていくのが、長い目で見れば最も被害を少なくする方法だと考えるのが常識である。Withエボラ出血熱はいけないが、Withコロナは問題ない。幸いにも日本人は長い歴史の中で、中国由来の土着のコロナ風邪に繰り返し感染し、コロナに対する免疫をすでに持っている。昔から気付かぬうちにWithコロナを実践してきたのだ。今さら副反応が強い人工的なワクチンで、わざわざすでに持っている自然免疫を弱めることは無いのだ。

マスクをして、消毒しまくって、外出を控え、挙句の果て免疫力が下がって、感染しやすくなり、ワクチンを打って、更に自然免疫力が下がり、ワクチンを何度も打つなんて、こんな「愚かな悪循環」に巻き込まれる必要などない。特に、若い人たちにとっては、コロナウイルスはインフルエンザ以下のウイルスなのだから、本来持っている自然免疫で十分対抗できる。政府がなぜ、ほとんどコロナリスクの無い若者にワクチンを打たせようとしているのか、なぜこんな不合理なことを君たちに推奨するのか、その本質を見破って欲しい。日本経済がコロナ禍から脱出できないのは君たち若者がワクチン接種をしないからではない。大人たちの無策・無能・欺瞞のせいである。狡猾な大人たちに騙されることなく、正確な情報に触れ、しっかり自分で考え判断してもらいたい。

 

7.ワクチンと「言論封殺」

国内外のデータを見ていると、ワクチン効果のメッキが剝がれてきているにもかかわらず総裁選衆議院選挙を間近に控えた政府は、立ち止まって考えることも無く、50代40代のワクチン接種に邁進している。政府は、今の状況を打開するために残された手段はワクチン接種しかないと思っているのだろう。

政権維持の焦りからか、「ワクチン」について政府は相当デリケートになっていて、ワクチンに反対する意見を封じ込めようとしている。ワクチンのリスクについてもアナフィラキシーショックなどの接種直後に起こる副反応については説明しているが、治験期間が短かすぎてまだ判明していない遺伝子ワクチンの長期的なリスクについては触れたがらない。例えば、ワクチン接種券の説明書では「新しい種類のワクチンのため、これまでに明らかになっていない症状が出る可能性があります。」という一文があるだけだ。これは健康被害が出た時のエクスキューズに過ぎず、どんなリスクがあるのか全く分らないし、ほとんどの人は読んでさえいないだろう。

さらに、河野ワクチン担当大臣は自身のブログで、「ワクチン接種により不妊が起こる」、「遺伝子が組み換えられる」、「治験が終わっていないので安全性が確認されていない」、「長期的な安全性がわからない」、「ADE(抗体依存性増強現象)が起きる」などの意見はすべて「デマ」であり、そのような心配は全くないと言い切っている。しかし、河野大臣の「デマ」発言こそデマではないかと思われるものがかなりある。例えば、「治験が終わっていないので安全性が確認されていない」という意見に対して河野大臣は「mRNAワクチンは、基礎研究、動物実験、治験が省略されることなく実施され、リスクを上回る臨床的に意味のある有効性が確認されています。その上で、いつまで効果が持続するかという長期の有効性を確認するための治験が継続して行われています」と答えている。ここで注意しなければならないのは、河野大臣の答えは「安全性」「有効性」に論点をすり替えていることだ。答えにくい質問に答えるときによくやる「論点ずらし」である。つまり、河野大臣の答えは「安全性は大丈夫か?」という質問に「有効性は認められています」と話をずらしているのだ。このような回答をするということは、おそらく安全性については相当答えにくいことがあるのであろうと想像できる。また、河野大臣の答えにはもう一つの誤魔化しが隠されていて、「安全性」を「有効性」にすり替えることで、「安全性についてはまだ治験中である」ということを暗に隠そうとしている意図が見えるのだ。つまり「まだ治験中であり、ワクチンの安全性は証明されていない」という事実を国民に知られたくないのであろう。他にも「ワクチン接種により不妊が起こる」と言う意見についても、「不妊」についての意見を「妊婦」の話にすり替えている。また、「mRNA」が細胞の核内で見つかった論文があるにもかかわらず「mRNA」が遺伝子に組み込まれ無いと言い切ったり、論点ずらしや科学的根拠が甘い回答が非常に多い。ただ、今回の河野大臣の「デマ」発言の最大の問題点は、「ワクチンは危険であるという発言=デマ」という「レッテル貼り」をしたことである。この「レッテル貼り」により、その後、ワクチンの危険性を指摘する専門家の意見はすべて「デマ」であるという先入観を国民に植え付けてしまった。まさに「逆デマゴギー」であり、目的のためなら手段を択ばないその姿勢に、不信感を持ったのは私だけではないだろう。

ワクチンのリスクについて専門家は「将来的な可能性」を心配しているのであって、現状の治験データではそのリスクは「まだ誰もわからない」と疑問を呈しているのだ。そして、日本のようにパンデミックになっていない状況で「リスクのわからない新しいワクチン」特例承認までして慌てて打つ必要があるのかと警鐘を鳴らしているのである。国民としては少しでもリスクがあれば、それらの情報はすべて開示してもらった上で接種するかどうかを決めたいのであり、特に40歳未満の極めてコロナ被害の少ない年齢層への接種についてはより慎重になるのは当たり前である。そんな国民の気持ちを代弁している専門家の様々な意見に対して、「デマだ」と一蹴する河野大臣の態度はあまりにも不誠実ではないだろうか。もし将来「デマ」では無く、重大な健康被害が出たとすれば、河野大臣はどのような責任の取り方をするのだろうか。奇しくも河野大臣は自身のブログで、なぜ人はワクチンデマを流すのかの理由として「過去に誤ったことを発言したために抜け出せなくなっているから」と指摘しているが、その言葉をそのまま河野大臣に返したい。

あなたは、専門家から提示されている様々なリスクをすべて「デマ」と断定する河野大臣と、もしかしたら危険があるかもしれないと心配して提言している専門家のどちらを信用しますか?

 

将来的なリスクとは違うが、専門家からは下記の様な厚労省のデータに基づき、接種直後の死亡率の高さについて警鐘が鳴らされているが、河野大臣は厚労省が出しているこのデータについてどのような見解を持っているのだろうか?

厚労省のホームページを見ればわかるデータだが、新型コロナウイルス季節性インフルエンザ「ワクチン接種に関する副反応」を比較したデータである。

季節性インフルエンザの場合、令和1年10月から同2年4月までに5,649万人がワクチンを接種し、副反応が278件、重症者が93件、死亡者が5人であった。

新型コロナウイルスの場合、今年7月末時点で7,413万回のワクチン接種が行われ、副反応が20,105件、重症者が3,338件、死亡者が919人となっている(死亡者の90%以上が65歳以上)。

コロナワクチンの方が副反応重症者数死亡者数も桁違いに多い。特に死亡者数についてはインフルエンザワクチン5人に対して、コロナワクチン919人と、180倍(分母を合わせると140倍)にも及んでいる。180倍ともなれば見過ごせない数字である。しかもこれらの数字は医療機関からの報告ベースであり、報告されていないものがこの何倍もあるのではないかと言われている。厚労省はワクチン接種と死亡の因果関係については評価できないとしているが、明らかにワクチン接種の影響があると思われる根拠がある。それは、死亡者の6割以上が接種後1週間以内に集中しているからだ。特に接種翌日が非常に多く、徐々に減少していく。もし他の疾患老衰が原因で死亡しているならば、接種翌日に死亡が集中するといった偏りが出ることはなく、長期間にわたりある程度均等に死亡していくはずである。まさか、余命いくばくもない寝たきりの高齢者にまでワクチン接種をしていたのなら話は別だが。政府分科会はこれらのデータを厚労省のホームページに出すだけでだんまりを決め込むんじゃなくて、この死亡者数許容範囲かどうか、国民に説明すべきである。

厚労省がワクチンとの因果関係をあいまいにしているのは、遺族からの訴訟に対抗するためだろうということは簡単に想像がつく。もし、遺族との訴訟になった場合、因果関係の証明責任は遺族側にあるので、厚労省が現時点で因果関係を不明にしておくのは訴訟対応上至極当然である。結局、遺族側が因果関係を証明するなんてまず不可能であり、死亡補償金4,420万円は絵に描いた餅に終わるのではないか。

ワクチンのリスクについては様々な見解があってしかるべきだが、問題の核心は、客観的なデータに基づき専門家が警鐘を鳴らしているにもかかわらず、政府が真摯に対応しないことである。ワクチンをできるだけ早く国民全員に打ってコロナ禍から開放されたい気持ちはわかるが、ワクチンのリスクについては、もっとオープンに議論されてしかるべきで、国民にはワクチンのリスクの全貌を知る権利があり、政府はそこから逃げてはいけない。

 

このような政府の隠蔽体質は今に始まったことではないが、今回のワクチン騒動の特徴は、民間でも「言論封殺」が当たり前のように行われ、どこからも批判が出ていないことである。例えば、「ワクチンは危険だ」YouTubeで発信しただけで、その動画がYouTubeによって削除される「検閲」が横行している。すでに社会インフラとして全世界のプラットホームになっているYouTubeが、営業の自由があるからといって、公序良俗に反していない動画を一方的に削除していいわけがない。ただ、このような強引な「言論封殺」がまかり通っているということは、その裏に何らかの「ワクチン利権」があるのではないかと、疑わざるを得ない。私は陰謀論は好きではないが、一連の世界的なワクチン騒動を冷静に見ると、製薬会社WHOYouTubeなどのグローバル企業が「ワクチン利権」で繋がっているようにしか映らないのだが。

SNSでの言論封殺は露骨であるが、テレビも同様で、「コロナは怖い」「ワクチンは有効」という謳い文句をセットにして、毎日、製薬会社の宣伝広告のような放送が続いている。「ワクチンのリスク」について触れたとしても発熱やアナフィラキシーショックの症状ぐらいで、遺伝子ワクチンのリスクを詳しく解説したり、ワクチンによる死亡者数の増加をインフルエンザのそれと比較して紹介するようなことはまず無い。テレビ局の放送姿勢は一貫していて、政府と同様ワクチン推進である。その理由は簡単で、当初ワクチン接種回数が少ない時に、「ワクチン接種を早く進めろ」とさんざん政府批判をしていた都合上、今さらワクチンのリスクを発信することなどできなくなってしまったからだ。さらに、すでに大半の高齢者がワクチン接種を終えた今、テレビで「ワクチンのリスク」を言おうものなら社会的大問題となり、テレビ局自体の責任も問われかねない。それにいつものことだが、スポンサーに製薬会社がある以上、ラディカルな意見は言いにくいのである。

よって、「ワクチンのリスク」については、「政府の見解」はもちろん、「テレビ報道」「ワクチンを推奨している医者や専門家」に正しい情報を期待するのは無駄である。ワクチン接種は余程の被害が出ない限りもう止められないところまで来てしまったのだ。従って、「ワクチンのリスク」についての新たな情報を得るためには、SNSのしかも有料サイトにアクセスし、国内外の論文などを解説してくれる専門家のサイトを見るか、書籍に当たるしかない。ワクチンについては最早、テレビや新聞などのマスメディアに「言論の自由」は全くないと言っていい。

戦時中の「言論統制」は、戦況が悪化しているにもかかわらず戦果の水増しを繰り返した「大本営発表」と、「戦争礼賛キャンペーン」をやり続けた「大手新聞」などのマスメディアによって作り出されたが、今のワクチン騒動は、「政府が知られたくない情報を隠蔽し都合の良い情報しか発信せず、マスメディアがそれを鵜呑みにして全国に拡散し、一つの方向に国民を誘導していく」という点において戦時中と酷似している。

 

8.ワクチンパスポートの非科学性と違憲性 ~日本はワクチンパスポートを導入しなくてもコロナ禍を終わらすことができる~

私は、ワクチン反対論者でもなければ、ワクチンに偏見を持っているわけでもない。ワクチンは各国の感染状況や接種時の年代別有効性を十分考慮し、接種するベネフィットリスクを大きく上回るかどうかを接種の判断基準にするべきだと考えている。コロナワクチンについても、リスクに関する情報を十分理解した上で、それでも打ちたいのであれば、個人の自己責任で打てばいいと思っている。社会的立場から打たざるを得ない人もいるだろう。それも、個々人のリスクとベネフィットの比較判断で決めればよい。ただ、それと同時に、現状、ワクチンには判明していないリスクがあり、かつ、ワクチン接種が任意である以上、打たない人の立場も守られるべきだと思っている。にもかかわらず、最近、ワクチンを打たない人を「フリーライダー(ただ乗り)」と揶揄する風潮が出始めており、打たない人が肩身の狭い思いをしている。さらに、「ワクチンパスポート」の導入が検討されており、ワクチンを打たない人の人権はますます脅かされている。

政府は、「ワクチンパスポート」を手掛かりにワクチン接種をさらに加速していき、集団免疫を達成したい考えだ。また、「ワクチンパスポート」の導入により、緊急事態宣言下でも経済を回していきたいと考えている。しかし、厚労省が言う通り、ワクチンは感染を防ぐものではなく、ワクチンを打ったからといって他人に感染させない保証は全くない。イギリスの「欧州サッカー選手権」の例や、ワクチン接種が進んだイスラエルイギリスにおいてワクチン接種者の陽性者が急増していることからも明らかである。「ワクチンパスポート」は「ワクチンを打てば感染しない」ということが前提のシステムだが、その前提がすでに崩れている。感染被害が日本の10倍、20倍の欧米諸国であれば、背に腹は代えられぬということで「ワクチンパスポート」に頼らざるを得ないかもしれないが、日本のように感染被害の少ない国がこんな不確かなシステムを導入する必要は合理的に考えて全くない。

また、「ワクチンパスポート」は、ワクチン接種が任意であるにもかかわらず、ワクチン接種をしない人の私権が制限されるという点で大きな問題がある。たとえば、ワクチン接種をしていない人は飲食店や野球場などの利用制限を掛けられる恐れがある。そうなると、憲法11条「基本的人権の尊重」及び、憲法14条「法の下の平等」に抵触する可能性があるのだ。国会を通さずに「私権を制限する制度」を簡単に導入していいのか、はなはだ疑問である。世界的にも人権無視だということで「ワクチンパスポート」に反対する大きな動きが出ている。それにしても、「ワクチンパスポート」は法律をかじったことがある者なら、その違憲性にすぐ気付くはずなのに、法律家をはじめジャーナリスト野党から全く異論が発信されないことに、違和感を感じるのは私だけだろうか。

昨年の「ステイホーム」に始まり、「マスクの着用」、「時短営業の要請」、「酒類の提供禁止」、「県境をまたいだ移動の制限」、「イベントなどの中止、客数制限」など、コロナ禍の1年半で、日本国民はさまざまな「私権制限」を受入れた。政府も日本国民がここまで従順に従うのかと驚いたのではないだろうか。反対デモも無ければ、反対する野党や評論家もほとんど出てこない。だから、科学的根拠が無くても国会の承認が無くても、政府は思う存分、国民の私権を制限することができた。それでも結局、コロナ禍を解決することはできなかった「その答えは明白で、政府がこの1年半やってきたほとんどの対策はピント外れだったからだ!」。なぜなら、感染抑止にばかり力を入れ、肝心の「医療問題」にはメスを入れなかったからだ。今まで何度も言ってきたが、「コロナ問題は医療問題」である。例えばその最たるものが、「指定感染症」の解除が未だできていないことである。その理由は、医師会厚労省分科会の反対がずっと続いているからで、この医師会厚労省分科会のトライアングルに切り込まない限り、コロナ禍は解決しない。しかし、政府はこの期に及んでもまだ「ワクチンパスポート」などという私権制限のカードを切ってくる。

もちろん、長引くコロナ禍で困っている飲食関連やイベント関連、旅行関連など、数多くの事業者がいることは百も承知だ。これら事業者を救済するために「ワクチンパスポート」を導入したいという気持ちも痛いほどわかる。しかし、だからと言って憲法に定められた「基本的人権」が侵害されていいということにはならない。

では、どうすれば苦境にある事業者を救うことができるのだろうか?答えは簡単で、今すぐ「緊急事態宣言」を解除し、コロナを「指定感染症」から除外し「五類」に落とすことである。そして、一般の診療所でもコロナ患者を受診できるようにすれば、医療キャパは格段に増え、医療ひっ迫問題は解決し、経済を回すことが可能となる。いわゆるインフルエンザと全く同じ扱いをするのだ。具体的には、コロナが五類になれば、医師法第19条によりコロナ患者の受診拒否はできなくなり、一般の診療所もコロナ患者を受入れることとなる。ゾーニングも防護服も必要なくなり、普通に診断し、コロナか、インフルエンザか、一般の風邪かを抗原検査で判定し、症状の重い人はCTスキャンで肺の状態を視て、入院が必要であれば病床の有る病院に送る。医師が患者に寄り添って対応するので、重症患者は減り医療ひっ迫は解消する。全国の診療所が一斉にこのような対応をするので風評被害も出ない。全国の開業医が動員されれば、日本の医療キャパからして、よほどのパンデミックでも起こらない限り、医療ひっ迫をすることは無い。これは私見ではなく、コロナに携わる臨床医が口を揃えて言っていることだ。そうすれば事業者のみならず、大学に通えていない学生や、マスクや給食の黙食を強制され友達とも自由に遊べていない小学生や、修学旅行やクラブ活動が満足にできていない高校生や中学生などの子供たちをはじめ、コロナで苦しんでいる多くの人達が根本的に救われる筈である。ワクチンパスポートなどという小手先の対策など不要なのだ。

 

9.ワクチンと人権 ~若年層にワクチンを打つ狂気~

今まで述べてきたように、ワクチン接種をしなくても、日本のような感染状況であれば、コロナ禍から脱出することは難しくないはずなのに、政府はコロナ禍を収束させる方法はワクチン接種しか無いと決め込み、ワクチン接種に前のめりである。比較的致死率の高い高齢者への接種であればやむを得ないかもしれないが、ほとんど重症化しない40歳未満の若年層にまでワクチン接種を推進していく考え方は全く理解できない。

統計を見れば一目瞭然で、8月18日時点で厚労省が発表した、「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)」によると、重症者数は全国で482人だが、40歳未満の重症者数はわずか1人で、全体の0.2%である。累計死亡者数は全国で13,459人だが、40歳未満の累計死亡者数は47人で、全体の0.34%しかいない。コロナ禍が始まって1年半が経過しても40歳未満の死亡者はわずか47人である。しかもこの47人の殆どは基礎疾患を持っている人たちである。つまり40歳未満で健康体の人は、ほとんどが重症化しないし、死なないのである。ちなみに、20歳未満の累計死亡者数は未だに0人である。

もし、コロナワクチンの治験期間が終了し、長期的なリスクや遺伝的なリスクがかなり低いとわかったとしても、40歳未満の人がコロナワクチンを接種する医学的メリットはほぼ皆無である。47人の死亡者を減らすために12歳から39歳までの約3,600万人が副作用に苦しみながらワクチンを接種する意味はない。特に基礎疾患の無い人は全く接種する必要は無い。たとえ、3,600万人全員がワクチン接種をしたとしても死亡者47人を0人にできる保証はないし、逆にワクチン接種により死亡者が出ない保証もない。いわんや、コロナで死亡した人が未だ0人の12歳から19歳までの約1,000万人がワクチンを打つ医学的メリットは皆無である。

普通、常識的に考えれば、日本のように感染者も死亡者も圧倒的に少ない状況で、今まで使われたことの無い新しいワクチンを国民に接種していくのならば、安全性を第一に考えるのが当然である。できれば接種しないで済む方法を模索し、どうしても接種しなければならない場合でも、リスクベネフィットを考え、ベネフィットがリスクを大きく上回る人に絞って接種するというのが常識であり、それが国民の命を守るということである。

にもかかわらず、政府は40歳未満どころか、全くベネフィットの無い20歳未満の子供にまでワクチン接種を推し進めていこうとしているが、はっきり言って「異常」である。政府や分科会の人間が、子を持つ親であるならば、この異常さに気付いていいようなものだが、誰も気づかない。政府だけではない。厚労省も、野党も、知事も、医者も、専門家も、マスコミも、タレントも、企業も、学校もすべてがワクチン接種に何の疑問も抱かず、子供たちにまで接種を推奨している。しかも、ワクチンのリスクについて警鐘を鳴らしている専門家の意見を「デマ」だと切捨て、ワクチンの安全性を妄信する彼らは「常軌を逸している」としか言いようが無い。

このように、医学的見地からは若年層がワクチン接種をする根拠は全く無いが、「若年層も集団免疫獲得のためにワクチン接種をすべきである」という同調圧力が社会を覆っており、若者たちはワクチン接種を断りにくい状況に追い込まれている。ただ、「集団免疫」については次の二点において問題がある。まず一点目だが、以前にも述べたが、ワクチンを接種したからと言ってコロナが変異する以上、感染予防には限界があり、また、ワクチンの効果も徐々に減退していき、いつまで経っても集団免疫は獲得できないということ。二点目は、ワクチンの安全性が担保できない以上、自己犠牲を伴う集団免疫行政は違憲の可能性が高いということ。以上二点の理由から、「集団免疫」獲得のために若年層にワクチン接種を推奨することは不適切であるということだ。そもそもワクチン接種は任意なのだから、国民それぞれが自由意思で接種し、結果として「集団免疫」が達成されるならまだしも、国全体が「集団免疫」達成のために一方向に動き、それに反するものに同調圧力をかけるのは、まさに「ワクチン全体主義」であり、民主主義自由主義を否定するものである。

 

過去を振り返ると「サリドマイド事件」「薬害エイズ問題」など数多くの薬害事件があり、その都度、政府厚労省隠蔽体質が問題になったわけで、なぜ今回のコロナワクチンだけは安全だと思ってしまうのか?今回のコロナ禍においても、「政府のなりふり構わないワクチン接種の推進の仕方や、ワクチン担当大臣の不誠実な姿勢」「SNSでワクチンが危険だと発信するだけで動画が次々と削除されている状況」を見ていると、何か国民に知られたくない「事実」があるのではないかと勘繰りたくなるのは当然である。にもかかわらず、誰も立ち止まって考えようともせず、ワクチンは安全であると思い込んでいるのはなぜだろうか?

今回のコロナ騒動は、コロナの伝染病としての怖さよりも、「ワクチン接種」ごときで、これほどまでの「言論封殺」が起こり、国民全体が「ワクチンありき」という空気に染まり、反論すら許されない「ワクチン全体主義」に陥ってしまったことの怖さの方が遥かに大きい。戦後76年が経過しても、なお、日本人の気質というものは戦前とほとんど変わっていなくて、21世紀の日本においても、「言論封殺」が実際に起こるんだという驚きと、民主主義自由主義がこんなにも脆く崩れてしまうんだという失望を感じざるを得なかった。

東京五輪無観客 せめて子供たちを競技場に!

2021-07-12

今朝、東京五輪と同じようにコロナ禍によって1年延期されていた、「UEFA  EURO2020サッカー」の決勝ロンドンで行われ、イタリアがPK戦の末、イングランドを破り53年ぶりの優勝を果たした。

今さらながらだが、西欧人のサッカー熱、サッカー愛は凄まじく、6万人の大観衆ノーマスクで自国を熱烈に応援していた。「選手」「観客」一体となり、ビックイベントならではの感動がスタジアムを支配していた。しかし驚くべきことは、直近1日当たりのイギリスのコロナ陽性者数が30,000人を超える中で、6万人のビックイベントを敢行したことだ。その数がどれほどのものかと言うと、同時期の日本の陽性者数は2,000人だったので、人口比に直すとイギリスは日本の約30倍の陽性者がいたことになる。

6万人の大観衆の殆どがマスクもせず大声で応援し、ゴールシーンでは抱き合って喜びを分かち合っているイギリスの映像を見ていると、東京五輪を無観客でやろうとする日本の弱腰に憤りすら覚える。もちろんイギリスのように6万人の観客を入れて良いと言っているわけでないが、無観客と言うのはあまりにも慎重になり過ぎていないか。スパコン「富岳」のシミュレーションでは国立競技場に観客1万人を入れたときの感染リスクはほぼゼロという試算が出ている。また、高齢者のワクチン接種率が1回目が80%、2回目が60%に迫り、重症化による医療ひっ迫の懸念はかなり払拭された。にもかかわらず、政府並びに東京都知事は「4回目の緊急事態宣言」「東京五輪の無観客開催」をあまりにも短兵急に決定してしまった。このままでは、「無観客の開会式」を世界中に放映することになるが、これは何を意味するのか?「日本は未だコロナ禍から脱出できていない」というネガティブな印象を世界中にばらまくことにならないか。本来は、「日本の感染状況は大したことは無く、世界でも有数の安全な国である」というメッセージを世界に向けて発信するまたと無いチャンスであったにもかかわらず。政府並びに東京都のこの決定は、科学的知見も無ければ将来への見通しも何もない、日本の国益を大きく毀損する歴史的愚行である。

東京五輪の無観客が決定事項ならば、せめて、選手の家族と、小中高生の子供たちだけでも競技場に招待して欲しい。コロナによって1年半もマスクを強制され、友達同士の満足なコミュニケーションが制限され、運動会や修学旅行など様々な行事ができなかった子供たちへの、せめてもの罪滅ぼしである。そうすれば、世界からの評価も変わるだろうし、日本を担う子供たちにとっても非常に意味のある経験となるはずだ。子供たちが世界のトップアスリートの躍動する姿を、五感すべてで受け留め、その肉眼の奥に焼き付けることができれば、その感動は子供たち一人ひとりに勇気を与え、苦しい時でも強く生きていく力になるのではないだろうか。

コロナ禍の1年を振り返って

2021-04-01

大阪府のコロナ陽性者数が600人を超え、吉村知事「まん延防止等重点措置」を要請するようだが、同じ過ちを何度繰り返すつもりなのだろうか。昨年の4月、7月そして今年の1月も、問題になったのは医療体制のひっ迫であり、医療体制さえひっ迫しなければ、日本程度の陽性者数であれば、緊急事態宣言など出す必要はないのである。

昨年4月の時点であればまだしも、あれから1年が経過してもなお、医療体制がひっ迫すると言うならば、それはもはや感染拡大のせいではなく、政府や自治体の無策、怠慢のせいと言っても過言ではない。

なぜ政府や自治体は、医療体制の拡充に手を付けず、飲食店への規制しか考えないのか?

すでに、大阪の飲食店は昨年の11月から4か月以上も時短営業を強いられているが、そもそもこの対策自体、本当に効果があるのだろうか?時短営業を4か月間やり続けたが、陽性者数はそのような対策お構いなしに増減を繰り返している。陽性者数のグラフを見ると、「緊急事態宣言」発出直後から陽性者数が減少しているように見えるが、グラフは2週間前の姿を示しているので、実際は「緊急事態宣言」の2週間前にピークアウトしていたのだ。しかも「緊急事態宣言」に効果があるならば、「緊急事態宣言」発出後2週間以降の陽性者数の減少率が大きくなるはずなのに、減少率はほとんど変わらなかった。これは昨年の4月も今年の1月も同じであった。また、今年1月の場合「緊急事態宣言」を出していない自治体もあったが、それらの自治体も「緊急事態宣言」を出した自治体と同じように陽性者数は減少したのだ。つまり、「緊急事態宣言」の発出が、陽性者数の増加を抑え込んだとは言えないのである。ウイルス学の専門家に言わせれば、「感染拡大エリアでの集団免疫が達成されたから陽性者数が減少に転じた」というのが真相であるらしい。もし、「緊急事態宣言」や「時短営業」に効果があると言うならば、政府や知事は上記のような現象について説明すべきであるし、「緊急事態宣言」に効果があるというエビデンスを公表すべきである。

実際クラスターの感染源については政府の発表でも飲食店の割合は1割にも満たないことがわかっている。もちろんクラスターの発生が少ないとはいえ、飲食店を介してコロナウイルスが感染している可能性を否定するものではないが、それは夜間の飲食店に限ったことではなく、昼間の飲食店や職場などでも同じことが起こっているはずである。大阪に限って言えば、飲食店は昨年11月からずっと夜8時(又は9時)以降の営業をしていないにもかかわらず、陽性者数の増減が繰り返されていることを見れば、陽性者数の増減は、明らかに飲食店とは関係ないところで起こっていることがわかる。

にもかかわらず、夜間の飲食店に焦点を当てた対策が取られている理由は、飲食店での「飛沫感染」が主な感染経路であると分科会が考えているからである。しかし、コロナウイルスの感染経路については様々な見解があり、例えば、京都大学の川村孝名誉教授によると、「飛沫感染」といっても主には飛沫が机などに落ちて、そこを他の人が触れた場合に感染する「接触感染」が多く、飛沫を直接浴びて感染する可能性は低いとのこと。また、大阪市立大学の井上正康名誉教授によるとコロナの場合「飛沫感染」よりも排泄物からの「糞口感染」の可能性が高く、トイレなどの衛生管理がより重要とのことである。そうなると、飲食店の対策よりも、病院や高齢者施設、介護施設などのトイレや汚物処理などの衛生管理がどうなっているかがポイントであり、おのずと対策も変わってくる。一方、仙台医療センターの西村秀一医師の見解は、コロナウイルスの感染経路は「接触感染」や「飛沫感染」の可能性は低く、空気感染(エアロゾル感染)がほとんどであり、対策としては、三密回避、特に換気が重要とのことである。よって、三密回避という観点からは、飲食店のキャパシティコントロールをやるべきであって、時短営業は逆に三密を誘発するので逆効果と考えられる。感染経路一つ取ってみても専門家によって見解が分かれるが、少なくとも「飲食店の時短営業」については感染防止効果が疑わしいという見解が多い。もし「時短営業」の効果がごく限定的であるとすれば、今の対策は飲食店やその関連業種を苦しめているだけであり、また支援金そのものが無駄であり、われわれ納税者に対しても無責任と言わざるを得ない。

私の顧問先の飲食店オーナーも「アクリル板を設置したり消毒や換気など、国が指し示す感染対策に従っているにもかかわらず、営業時間まで制限されるのは納得がいかない。しかも夜8時までと言われたら夜が中心の店なので売上げは半減どころか実質休業しているのと変わりない。昼も夜もできる店と夜が中心の店で、補償額を変えてもらわないと不公平である。効果があるのか無いのかわからない対策にだらだらと何カ月も付き合わされる我々の身にもなってもらいたい。」と、知事が出す対策について全く納得していない。

しかし、このように窮地に追い込まれている飲食店経営者の痛みを、国民の大半は対岸の火事としてあまり気にかけておらず、相変わらず飲食店の時短営業一本鎗の吉村知事小池知事の対策を評価し、それどころか「ロックダウンして国民全員がステイホームすべきだ!」といったより厳しい対策を求める声もある。

いつの間にか、われわれ国民はマスコミが毎日垂れ流すコロナ情報に洗脳され、コロナの呪縛から逃れられなくなっているのではないだろうか?例えば、当たり前の光景になってしまったが、屋外でもほとんどの人がマスクをしているが、もともとマスクは「至近距離で会話するときの飛沫防止のため」であったはず。ところが、ワイドショーが「マスク警察」の話や極端なマスクトラブルの話を繰り返し取り上げることで、国民はマスクをしないことに強い抵抗感を感じるようになってしまった。たとえば、「飛行機でマスク着用を拒否し、緊急着陸させた男の話」など、稀有な話題を繰り返しオンエアしたことで、「マスクをしない人間=変な奴」という悪いイメージが視聴者に刷り込まれ、「科学的には屋外でマスクをする必要はない」とわかっていても、「自分はそんな非常識な人間に思われたくない」という気持ちが働き、ほとんどの国民がマスク無しで屋外を歩くことができなくなった。こういう「ちょっと考えれば変な事例」は他にもあって、「満員電車は放置されているのに屋外で行われる聖火リレーの密は問題になる」「小中高生は学校に行けるのに、大学生は行けない」「マスコミがPCR陽性者を感染者と言う」「PCR検査の感度(CT値)が国や検査機関によってまちまちであり、日本は世界的にも特に高く設定されている」「死亡原因がコロナでなくてもPCR陽性であればコロナ死としている」「未だにコロナが致死率50%のエボラ出血熱と同じ扱いになっている」「日本の陽性者数が欧米諸国に比べ桁違いに少ないのに日本だけが医療ひっ迫をする」・・・このように「冷静に考えれば何か変だな」ということがコロナについては数多くあるのだが、われわれ国民は、その「変だなという事」を掘り下げもせず、マスコミが垂れ流す情報を鵜呑みにしてきたのではないだろうか

以下ここからは、コロナ禍の1年を振り返り、日本人にとってコロナとはいったい何だったのか、なぜこれほどまでにわれわれは苦しめられているのかについて総括し、「コロナという呪縛」から抜け出す解決方法について提案したい。

 

1.コロナウイルスを過大評価してしまった日本人

コロナ死のほとんどがコロナが直接的な原因ではないと言われているので比較はむずかしいが、公表されているデータだけを見れば、日本人にとって新型コロナウイルスとは、感染力はインフルエンザの約20分の1(50万人対1000万人)で、致死率はインフルエンザの約20倍(2%対0.1%)ということで、死亡リスクはインフルエンザとほぼ同じぐらいと考えられる。しかもインフルエンザはワクチン接種をしての数値なので本質的な死亡リスクはコロナの方が低いのではないだろうか。ちなみに一見するとコロナの致死率がインフルエンザの20倍と極端に高いと感じられると思うが、インフルエンザの致死率が低いのは、インフルエンザの患者の7割が致死率が低い20歳未満の若年層なので、全体の致死率を大きく下げていると言える。よって、高齢者だけを分母にした致死率は、インフルエンザに比べコロナが特別高いとは言えない。

また日本は、欧米諸国と比較しても、陽性者数死者数25分の1から30分の1と圧倒的に少なく、日本においては、欧米諸国のように大騒ぎするようなウイルスではなかった。皆さんは欧米諸国と日本の陽性者数を同じグラフに描いた図をご覧になったことがあるだろうか。よく探さないと日本の折れ線がどこにあるかわからないぐらい、日本の陽性者数は欧米に比べ少ないのである。

にもかわらず、厚労省がコロナウイルスを「1類相当の2類感染症」に指定しエボラ出血熱並みの扱いをし、マスコミが欧米諸国の悲惨な状況を繰り返し報道し、極め付きは専門家会議のメンバーが「このまま対策をしなければ42万人が死亡する」と発表したため、日本人は必要以上にコロナウイルスが恐ろしいウイルスであるという先入観を植え付けられた。特に昨年3月に志村けんさんが亡くなったことで、高齢者にとっては「死の病」という印象が強く残ってしまった。

2.マスコミの煽り報道

日本人がコロナウイルスを過大評価してしまった最大の原因は、テレビを中心としたマスコミがコロナの危険性をさんざん煽ったからである。この1年間、どのチャンネルも毎日毎日、朝から晩まで、手を変え品を変えコロナの危険性を伝えることに終始した。両論併記という報道の原則を破り「コロナの危険性はそれほど大きくはない」と言う専門家の意見は取り上げず、ことさらコロナは危険であると主張する専門家ばかりを出演させた。それどころか、専門家から取材したVTRの編集を意図的に捻じ曲げたりしている。ある専門家が「欧米でのPCR検査は日本よりかなり多いが、日本はいたずらにPCR検査を増やすべきではない」という発言をしたにもかかわらず、「欧米でのPCR検査は日本よりかなり多い」という箇所だけを使い、PCR検査を増やすべきだという意見にすり替えて放送したのだ。この放送後その専門家は自分の意見と真逆の意見に編集されていることに憤り放送局に抗議している。ほかにも昨年4月にコロナの死亡者が42万人になるいうとんでもない予測をした専門家のデータを今年になってからでもまだ使用していたりする。普段は「ダイバシティ」などという言葉を使い「多様性」を主張するマスコミが、コロナに限っては「意見の多様性」を全く受け付けなかった。コロナの恐怖はまさにマスコミが創り出した恐怖であり、国民はこの1年間マスコミの煽り報道に翻弄され続けた。先日テレビを見ていて驚いたのは、大阪府の陽性者数が300人を超えただけで「ニュース速報」が流れたのだ。番組に水を差してまで視聴者に伝えるべきニュースなのか?とあきれ果てた。国民の8割が緊急事態宣言を支持し、東京五輪開催に批判的である理由は、このようなマスコミの煽り報道が原因であることは間違いない。政府がGotoキャンペーンを中断せざるをえなかったのも、マスコミに先導された世論に抗うことができなかったからだ。さらに、厚労省がコロナウイルスについて「新型インフルエンザ等感染症」としての厳しい措置を解除しないのも、もし解除して感染が拡大した場合に、マスコミや世論からバッシングを受けることを恐れてのことだろう。もちろん、世論に迎合する政府も大問題だが、マスコミの煽り報道や偏向報道は、世論を巻き込み、冷静な政治判断をも歪めてしまっているのだ。

そして、コロナ報道に最も影響を受けたのが、テレビが主な情報源の高齢者である。高齢者は我々が思っている以上にコロナ恐怖症にかかっていて、テレビから流れるコロナ情報に毎日さらされ精神的に参っている人が多い。外出できず足腰が弱ったり、認知症が進んだり、運動不足で免疫力が低下し、逆にコロナにかかりやすくなっているとも聞く。また、お盆や正月には帰省を禁じられ孫にも会えず、高齢者施設の利用者は家族にも会えない。さらに、がんで亡くなってもPCR陽性だとコロナ死と判定され、病院で納体袋に密閉され家族さえ直接触れることができない。なんと人権を無視した無慈悲な仕打ちであろうか?コロナが「新型インフルエンザ等感染症」である限りわれわれはこのような措置に従わざるを得ないのだ。医学的にコロナは大したウイルスではなかったが、マスコミの執拗な偏向報道と煽り報道によって、社会的に凶暴なウイルスに変異させられたと言えるだろう。

3.医療ひっ迫は人災である

陽性者数が欧米諸国よりも圧倒的に少なくかつ病床数は欧米諸国よりも充実していたにもかかわらず、欧米諸国では医療崩壊が起こらず、日本では医療崩壊寸前まで医療がひっ迫した。原因として考えられるのは3つ。①コロナウイルスをエボラ出血熱並みの「指定感染症」に指定し、その後「新型インフルエンザ等感染症」に分類したため保健所と医療機関に大きな負担がかかった。②医師会をはじめとした民間の医療機関が病院経営を理由にコロナ対応に非協力的であった。③昨年4月の緊急事態宣言解除後、政府や自治体が医療体制の拡充に動かなかった。結局、日本の医療体制がひっ迫したのは、陽性者数が増えたからではなく、医療提供者側が何もしなかったからだ。そもそもウイルスの動きを人間の力で抑え込むこと自体無理があるわけで、いくら頑張ったとしてもウイルスの気まぐれに翻弄されるだけである。それよりも、日本のように陽性者数が極端に少ない国の対策としては、医療体制の拡充に力を注ぐ方がはるかに効果的で経済的である。

にもかかわらず、政府や厚労省、医師会が医療体制の拡充を進めないのは、穿った見方をすれば、単に「ワクチン待ち」をしているからではないだろうか。早晩ワクチン接種が進めばすべてが解決すると思っていて、厚労省は「コロナを『新型インフルエンザ等感染症』から除外してしまうとワクチン接種を推し進める根拠がなくなってしまう」と考え、医師会は「ワクチンが来るまでなんとか感染拡大を抑えられれば、民間の病院でコロナ患者を受入れずに済むし、更にはワクチン接種で儲けることができる」と考え、政府や自治体は「ワクチン接種さえ進めば、医師会が反対するであろう医療体制拡充の大鉈を振るわずに済む」と考えているのではないだろうか。こういう考え方が各界トップの本音であるならば、当然医療体制の拡充など進むわけが無く、ワクチン接種が完了するまでは感染拡大防止一辺倒の対策に終始してしまうだろう。その結果、割を食うのは国民であり、コロナ患者を救えないだけでなく、重症病床が足りないことにより、がんの手術が延期されたり、他の病気の治療が後回しにされたりという被害を受ける。また医療体制がひっ迫するたびに緊急事態宣言や時短営業が繰り返され、売上の落込み、経営破綻、失業、そして自殺という不幸に見舞われるのである。

4.「マスク」という同調圧力

日本人にとってコロナは医学的問題というよりも、社会的問題であった。その象徴がマスクであり、マスクをしていない人に対する世間の目は厳しい。意味がないのに屋外でマスクをしている人のなんと多いことか。しゃべらなければ問題ないのに、マスク無しではエレベーターにも乗りづらい。受験生がマスクから鼻を出しただけで注意されたり、小学生に1日中マスクを強制したり、常識では考えられないようなことがこの日本で起きているのだ。

特に小学生にマスクを強制することは、子供の健康を考えた場合非常にマイナス面が大きいと言える。一つには、慢性的に酸素不足になり思考能力が低下するということ。もう一つは、幼児期や児童期には特に重要と言われている、表情から相手の気持ちを洞察するコミュニケーション能力を養う機会をマスクが阻害していることである。更に、子供は様々な菌やウイルスに晒されることで免疫力を獲得していくのだが、マスクや過度な消毒で不自然な清潔環境を作ることで、その免疫力を鍛える機会を奪うことになる。杞憂かもしれないが今の過剰な感染予防が、思っても見なかった病気の流行を誘発する可能性だってあるのではないか。このようなデメリットを考慮すると、小学生以下についてはほとんど感染も重症化もしないのだから、早急にマスクの着用をやめるべきである。これに対して、「孫が祖父母に感染させるリスクがあるので、高齢者を守るためにはやむを得ない」という意見をよく聞くが、三世代同居の割合が都市部では3~4%、全国平均でもわずか6%であるという現実を考えると、高齢者を守るためにすべての子供たちにマスクを強制する合理性があるのだろうか。そして、子供にとってマスク着用が残酷なのは、つらくても自分の判断でマスクを外すことができないことだ。大人ならちょっと息苦しかったら簡単に外せるが、小学校の子供たちはそれができない。マスクをちょっとでも外そうものなら、先生から厳しく注意され、先生の目を盗んで外していると真面目なクラスメートからも注意される。子供には逃げ道がないのだ。これは子供に対する虐待以外の何物でもない。

一方、大阪の吉村知事に至っては飲食店での「マスク会食」を強制しようとしている。食事中にマスクをしたり外したりするのは面倒くさいし、マスクが食べ物で汚れ非常に不衛生であり、普通の感覚では生理的に受け入れられない。また、「マスク会食」を店側の責任で強制するのは、店と客の分断を生むだけで、その結果マスク会食をしている飲食店から客足が遠のくだけである。真面目に対応をした店ほど収入が減るという、まさに「正直者が馬鹿を見る愚策」である。知事が真面目な顔をしてこんな非常識な対策を推奨するようでは、われわれ国民はいつまでたっても「マスクの呪縛」から逃れられないのではないか。

それにしても、市中にコロナ患者がほとんどいないことがわかっていて、われわれはなんのためにマスクをしているのだろうか?あくまで仮定の計算だが、大阪府の1日のPCR陽性者数が600人の場合、潜在的にその10倍の陽性者がいると仮定すると、府内には約6000人の「無症状陽性者」がいることになる。大阪府の人口が900万人なので、1500人に1人が「無症状陽性者」ということだ。われわれが1日行動して5人と濃厚接触すると仮定すると、1日に「無症状陽性者」に濃厚接触する確率は300分の1である。1日に300分の1ということは、要するにわれわれは1年間でたった1人の「無症状陽性者」にしか濃厚接触しないのである。これだけ低い確率にもかかわらず、四六時中マスクを着用する意味があるのだろうか?マスク着用は、至近距離で比較的大きな声で会話をするときぐらいで十分ではないだろうか。

5.何のための「特措法」改正なのか?

時短要請などに法的強制力を持たせる代わりに、その要請に協力した事業者には十分な補償をするということを目的とした「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正が今年になって行われた。しかし、蓋を開けてみれば、飲食店などへの規制や罰則が強化されただけで、「補償の拡充」については具体的に明記されなかった。よって、依然、補償が不十分なまま時短営業を強制されるケースが続出しており、東京のある外食チェーンのオーナーが都を相手に「十分な補償の無い時短要請は財産権の侵害に当たり」、「時短要請に応じなかった2000店舗のうち、わが社だけに使用制限命令を出したのは憲法に保障された法の下の平等に反する」と行政訴訟を起こしている。この外食チェーンにとっては、時短営業に応じないのは店舗存続のためにやむを得ない選択であり、そんな場合でも罰則が科されてしかるべきなのか問題提議がされている。いくら公共の福祉のためとはいえ、廃業に追い込まれるほどの私権制限が行われていいのかどうか、またコロナウイルスが時短営業を強制しなければならないほどの脅威であるのかどうか、司法の判断が待たれるところだ。

また、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正は「感染症法」の改正と共に、医療機関に対する協力要請を強化することも目的としていたが、一定の医療団体からの圧力により、患者側が入院や検査を拒否した時の罰則だけが強化され、医療機関に対する協力要請を命令にまで厳格化するところまでには至らなかった。

また、「新型コロナウイルス」の「指定感染症」からの除外を期待していたが、「新型インフルエンザ等感染症」に分類し直され、「エボラ出血熱」並みの扱いが解除されることは無かった。

結局、喫緊の課題である「事業規模に応じた補償」と「医療機関への協力の厳格化」という本来の目的とは大きくずれた骨抜きの改正であった。

6.PCR検査の信用性

この1年、マスコミの偏向報道とともに最も日本人を振り回したのがPCR検査である。マスコミは日本のPCR検査数の少なさを批判し続け、「日本人全員にPCR検査を実施して陽性者を炙り出すべきだ」というような、とんでもない意見を言うコメンテーターもいた。しかし、民間のPCR検査が増え、無症状の陽性者が急増したために今年の1月に何が起こっただろうか。保健所が無症状の陽性者の数に対応しきれなくなり、入院できない自宅療養者が急増し、それによる重症者や死亡者が相次いだ。コロナが「2類指定感染症」である限り、PCR検査を増やせば、保健所がパンクすることは容易に想像できたはずなのに、マスコミはPCR検査をどんどん増やせと言い続けた。マスコミはこの責任をどう取るつもりなのか。

そもそもPCR検査の発明者であるキャリー・マリス「PCR検査を感染症の診断に用いてはならない」と言い残しており、PCR検査をコロナウイルスの診断に使用することは不適切だと考えられている。その理由の一つとして、PCR検査はウイルスを見つける方法ではなく、ウイルスの遺伝子を検出する方法なので、感染力の無いウイルスの断片も検出してしまうからだ。よって、PCR陽性者=感染者ということは言えない。しかもPCR検査のCT値によっては全く感染力の無い人も陽性者とされる場合がある。本来、感染力の有るウイルスを検出するための適正なCT値は30前後だが、日本の場合はそのCT値が40から45とかなり高く設定されており、擬陽性者を多く検出している可能性がある。昨年11月にインドネシアからの旅行者17人がインドネシアで陰性証明を受けたにもかかわらず、関西空港でのPCR検査で陽性になった例からもわかる通り、CT値については海外とも歩調を合わせておかないと、データの国際比較ができないし、東京五輪では海外で陰性だった選手が日本では陽性になってしまうといったトラブルが生じかねない。

7.ワクチン接種を断ったら

私自身はワクチン反対派でもなく、ワクチンに対する偏見も無いが、日本に限定すると、ワクチンを必ず接種しなければならないのかという課題がある。ところが、ワクチン接種は個人の任意であるにもかかわらず、政府は「国民全員が当然打つべきだ」というスタンスで推し進めている。ワクチンに対する否定的な意見については言論封鎖も辞さず、本来自由な表現の場であるSNSでもワクチンに対する否定的な投稿は削除されてしまう。先行してワクチン接種を始めている医療関係者からは、断りたくてもそういう雰囲気ではないという声が漏れ伝わってきている。高齢者施設や職場、学校などでの集団接種が行われた場合に、ワクチンを打ちたくない人の意思が尊重されるのかどうか気になるところだ。「マスク」と同じように「ワクチン」も「自分の感染を防ぐため」というよりは「他人にうつさないため」という世論が強くなると、ワクチン接種を断る人に対して「国民として無責任だ」というようなバッシングが起りかねないのが心配である。また、アメリカなどで問題になっているが、「ワクチン証明書」がなければスポーツ観戦や飲食店の利用ができないなど実生活に支障が出る事例もあり、日本では義務でもないのに私権が制限されていいのかという憲法上の問題も今後でてきそうだ。いずれにしても、日本ではワクチンを打つ打たないはあくまで個人の任意であるという基本は抑えておきたいところだ。

リスクについてもアナフィラキシーショックについては一定のコンセンサスがあるが、人間の遺伝子に働きかけるメッセンジャーRNAワクチンの本質的なリスクについては治験期間が短すぎて解明されていない。

また、そもそも欧米諸国と比べ圧倒的に陽性者数が少ない日本で本当にワクチン接種が必要なのかどうかの根本的な議論はされていない。高齢者は重症化リスクが高いのでリスクとベネフィットを天秤にかければワクチンを接種する意味があるかもしれないが、遺伝的リスクについて解明されていない現状において、ほとんど重症化しない若年層がワクチンを接種してもいいのかどうか甚だ疑問である。

変異株が拡大したイギリスでは昨年12月からワクチン接種が始まり、約40%が1回目の接種を終えたが、1日当たりの陽性者数は1月ピーク時の70000人から5000人に、死亡者数は1300人から100人以下に減少している。減少したとはいえワクチンをほとんど接種していない日本の現状よりも陽性者数も死者数も多い。現在、日本の1日当たりの陽性者数は2500人前後、死者数は30人前後なので、ワクチンを接種したイギリスの半分ほど、人口換算すると4分の1程度の少なさなのである。イギリスの数字を日本に当てはめれば、日本は既にワクチンを打った状態だと言える。

インフルエンザであれば、毎年1000万人単位で患者が出るのでワクチンを打つ意味もあるだろうが、コロナの場合、発生から1年以上が経過しても、陽性者数(患者では無い)がわずか50万人足らずである。日本人の99.6%の人が感染しないウイルスについて、ワクチンを打ったからと言って、それを何%にしようというのだろうか?99.7%や99.8%にするために国民の大半が、リスクがあるかもしれないワクチンを接種する医学的意味とは何であろうか?

欧米諸国の場合、感染爆発によりコロナ被害が甚大であったので、ワクチンのリスクの全容が解明されていなくても、ワクチン接種を急いだのは理解ができる。しかし、日本の場合は感染被害が欧米諸国の20分の1から30分の1しかないにもかかわらず、緊急承認までしてワクチン接種を急ぐ必要があるのだろうか。特に、コロナの感染リスクがほとんど無い未成年者に対しても、ワクチン接種を推奨する政府のやり方には大きな疑問を感じる。未成年者についてはコロナに感染してもほとんど重症化しないし死亡者は未だ0人である。ワクチン接種のリスクとメリットを天秤にかけたら、ワクチンを打つメリットは全く無いと言える。集団免疫を獲得するためには未成年者もワクチンを打つべきだという意見もあるが、これは暴論で、コロナ禍の現状を一日も早く終わらせたい大人の「エゴ」であり、子供たちをその犠牲にしてはいけない。

8.ファクターXとは?

日本を含め、台湾や韓国などの東アジア諸国では、陽性者数や死者数が、欧米諸国に比べ桁違いに少ない。その原因について、京大の山中教授が「ファクターX」と名付け、あらゆる分野の専門家がその原因を探っている。例えば、生活習慣説、BCGワクチン説、ネアンデルタール人遺伝説、集団免疫説、交差免疫説など、様々な説が出てきているが決め手はまだない。この中で京都大学の上久保靖彦教授や大阪市立大学の井上正康名誉教授、東京理科大学の村上康文教授などの集団免疫説交差免疫説を唱える免疫学者と、政府の分科会にいる感染症学者ではコロナ対策について全く逆の考え方をしていて興味深い。免疫学者は、日本人は初期の弱毒性の新型コロナウイルスや旧来からある土着のコロナウイルスに感染していて、すでに抗体を持っているので、欧米諸国のような過度な感染対策は不要であり、普通の生活をしていても感染爆発はしないという考え方である。ワクチンについても既に抗体を持っているのだから打つ必要が無いという意見である。国民の大半が既にコロナウイルスに感染している根拠として、首都圏の362人の抗体検査の結果「ほぼすべての検体で既感染を示す免疫グロブリンの反応があった」とのことである。常に感染爆発を心配し、ワクチン接種を推し進めようとする分科会の感染症学者とは全く意見を異にしている。どちらが正しいのか明確な答えはまだないが、日本人が欧米人に比べ明らかに新型コロナに耐性があることはデータが物語っている。しかし、マスコミは免疫学者が唱える集団免疫説や交差免疫説については一切報道しない。テレビなどで扱ったとしても詳しい内容を伝えるのではなく、批判の材料としてしか扱われない。マスコミがこのような偏向報道をしている限り、日本人は多様な知識や情報を得られるチャンスを奪われていく。

9.東京五輪を成功させよう

アンケートによると東京五輪の開催に消極的な人が未だに8割近くいるそうだ。テレビでは総じて東京五輪に否定的なコメンテーターが多い。ある芸能人は森会長が「コロナの状況がどんな状況でも東京五輪をやる」と発言したことに反発して、聖火ランナーを辞退したが、森会長の発言の真意をしっかり受け留めたのだろうか。また、自身が辞退することで周りにどんな悪影響が出るかを配慮したのだろうか。その直後に森会長の「いわゆる女性蔑視発言」があったものだから、「聖火ランナー辞退」を何か誇らしげに話していたが、東京五輪を目指して不安の中必死で練習しているアスリートのことを少しでも考えたのだろうか。池江璃花子選手内村航平選手の前で、上地結衣選手木村敬一選手の前で、「森会長の発言が気に食わなかったから聖火ランナーを辞退しました」って堂々と言えるのだろうか?

そもそも、世界の中で圧倒的にコロナ陽性者が少ない日本で、なんでオリンピックができないと考えるのか。世界がコロナ禍に見舞われている今だからこそ、日本でオリンピックを開催する意味があるのであり、コロナに打ちのめされている世界の希望の光となるはずである。もし日本が東京五輪をやらなかったら、代わりに中国が北京冬季五輪を開催し「コロナに打ち勝った証」として喧伝するであろう。

10.「無症状でも感染力がある」は本当か?

コロナが世界中で恐れられた最大の理由は「無症状者にも感染力がある」という「イメージ」が広まったからだ。ロックダウンなどの行動制限、三密を避ける、マスクをするといった対策が取られたのは、目の前の人が感染者かどうかわからないからで、世界中でPCR検査が流行したのもこの見えざる敵を可視化したかったからだ。しかし、この「無症状者にも感染力がある」という大命題について一度疑ってかかってもいいのではないか?京都大学の川村孝名誉教授によると、インフルエンザとコロナウイルスの違いは、その潜伏期間がインフルエンザの場合1~2日であるのに対し、コロナの場合5~6日であるという点だ。感染してウイルス量がピークになる時期はどちらも4日~5日後なので、インフルエンザは症状が出た後にウイルス量が最大になるが、コロナは症状が出る1日~2日前にウイルス量が最大になるので、コロナは無症状者でも感染させるという「イメージ」につながった。しかし、ここでしっかり押さえておくべきポイントは、「無症状期の感染力は発症後のそれに比べかなり低い」ということである。なぜかと言うと、体内にあるウイルス量が多くても症状がなければウイルスを体外に排出する量そのものが少ないので、無症状期の人の感染力はかなり低いということである。もちろん無症状の人でも、その人の唾液がべったりついたドアノブを触ったりすると感染する可能性はゼロではないが。要するに日本人においては、無症状者の感染力は症状のある人よりかなり低いので、無症状者を恐れすぎなくていいということである。逆に症状の変化には敏感になるべきで、発熱や咳、味覚異常など少しでも症状を感じたら極力人との接触を避けるということである。

11.日本は独自路線でいち早くコロナ禍から抜け出そう

新型コロナウイルスの特徴は、死亡者の90%以上が70歳以上の高齢者であり、そのうちの90%以上が何らかの基礎疾患を持っているということである。しかも死亡者のかなりの割合が病院高齢者施設などに既に入院している寝たきりの高齢者である。つまりごく限られた場所と年齢層にリスクが集中しているのだ。コロナの致死率を上げているのはこれら「病院や高齢者施設にいる基礎疾患のある高齢者」であり、逆に基礎疾患の無い60歳以下は重症化しにくく、致死率はインフルエンザ並みの低さである。このような特徴から、コロナ対策の肝は、「基礎疾患のある高齢者」とそれ以外を分けて対処することであり、「基礎疾患のある高齢者」の感染対策を徹底すれば、それ以外の人は経済を回すという意味でも、できるだけ通常の生活をすべきなのである。

さらに、何度も申し上げてきたが、日本は欧米諸国に比較し陽性者数も死亡者数も桁違いに少なく、かつ超過死亡も欧米諸国が軒並み例年の数倍に増えているのに、日本だけは何とマイナスである。つまり日本は「ファクターX」が功を奏し、欧米諸国に比べ、まるでワクチンを打ったような非常に恵まれた状況なのである。テレビなどマスメディアの報道だけを見ていると日本の感染状況はひどい状態だと勘違いしてしまうが決してそうではないのだ。よって、わざわざ欧米諸国にお付き合いをして経済を疲弊させる必要はなく、この幸運を生かすような日本独自の路線でコロナ対応をすればよいのである。

そこで提案だが、まず、新型コロナウイルスを「新型インフルエンザ等感染症」から除外し、一般のインフルエンザ並みの扱いにし、濃厚接触者へのPCR検査や無症状者の強制入院を辞め、一般の診療所でも受診できる普通の風邪として扱ったらどうだろうか。コロナを特別扱いせず、「症状が出たら受診する」という医療の基本に立ち返り、まずは医師の判断を仰ぐということだ。医師の診察さえあれば、薬の処方もできるわけで、特に高齢者については軽症のうちに投薬すれば重症化はかなり防げるはずである。高齢者をホテルや自宅で療養させるのは「医療の放棄」であり、医師の目が届かずかつ薬を処方できないのは非常に危険なことであり、これが重症患者を増やしている大きな原因となっている。また、入院が必要な場合もインフルエンザと同じように陰圧室や防御服などが無くても扱えるようにすれば、医療現場の負担は相当軽減されるのではないだろうか。さらにコロナの場合、通常は延命措置をしない重症患者に対しても人工呼吸器やエクモを装着せざるを得ない現場の状況があるらしく、これを改めれば、本当に治療が必要な人に適切な処置ができるのではないだろうか。そもそもインフルエンザ並みの風邪を、欧米諸国でさえも採用していない「新型インフルエンザ等感染症」に分類し、エボラ出血熱ペスト並みの扱いをしているからこそ医療のひっ迫が生じているわけだから、インフルエンザと同じ「5類感染症」に分類し直せばいいだけのことである。インフルエンザであっても、もし、エボラ出血並みに扱われたら、コロナと同様かそれ以上の医療ひっ迫を招いてしまうだろう。今後もコロナは普通の風邪としてちょくちょく顔を出してくるだろうから、われわれ国民が意識を変えない限り、いつまでたってもコロナの呪縛から逃れることはできないであろう。

「医師会」や「病院協会」こそ無責任ではないか?

2020-12-23

先日12月21日、日本医師会など9つの医療団体のトップがコロナ感染拡大で医療体制がひっ迫しているとして、「医療緊急事態宣言」を発表しました。

その宣言の内容は次の三つ。

国や地方自治体に、国民への啓発並びに医療現場の支援のための適切な施策を要請する

②国民の生命と健康を守るため、地域の医療及び介護提供体制を何としても守り抜く

国民の皆様に対し、引き続き徹底した感染防止対策をお願いする。

そして、日本医師会会長は「誰もが平等に医療を受けられる日本の医療制度が“風前の灯”になっている」と危機感を訴え、「国民が一丸となって真正面からコロナに向き合って」と呼び掛けました。

 

そして、その二日後12月23日に、日本医師会会長は、政府の専門家会議に対して次のように呼びかけました。

「医療現場の危機感を共有しましょう。政府に対してスピーディーで具体性のある政策を提言し、求めていきましょう。あなたたちは政府の最後の最終的な拠りどころ」と。

更に国民に対して「年末年始の我慢に加え、日本医師会としてもう一つだけお願いがある」としたうえで「病院診療所の医師、看護師をはじめ、医療従事者は自らが感染するのではないかというリスクに直面し、業務量も膨大に増えています。それこそ年末年始もありません。新型コロナの医療にかかわる医療従事者の心身の疲弊もピークを超えています。使命感で持ちこたえてきましたが、それも限界です。さらに医療従事者は誹謗中傷、差別、偏見にも苦しんでいます。医療従事者本人だけではなく、その家族も差別的な行為を受けたという報告も少なくありません」と医療従事者の実情を訴え、「どうぞ国民の皆様、医療従事者を守ってください。医療従事者が安心して医療に従事できるよう、医療従事者の家族と家庭が守られるよう応援してくださいと嘆願したのです。(ABEMA NEWS抜粋)

 

さて、みなさんは、12月21日の医療9団体トップの「医療緊急事態宣言」及び、12月23日の日本医師会会長による、専門家会議へのお呼びかけと国民への嘆願についてどうお感じになったでしょうか。

わたしは正直、医師会をはじめとした医療団体のトップが今頃になって、こういうことを言っているからこそ、日本の医療体制がひっ迫したんだなと思いました。ここに並べられた言葉に医療のプロとしての専門的な示唆や使命感があるでしょうか。ここには誰かに対するお願いの言葉しかありません。

特に気になった言葉が下記のような発言です。

「国や自治体に医療現場への支援を要請する」→これは逆ではないでしょうか。医療崩壊が起こっている原因は、自治体から医療機関にコロナ患者の受け入れを要請してもほとんどが断られているからであり、支援をしてもらいたいのは自治体の方です。医師会等の役割は、自治体から医療機関に協力要請があった場合に、スムーズに協力できる体制作りのための提案をすることではないでしょうか。

「国民の皆様に徹底した感染防止対策をお願いする」、「国民が一丸となって真正面からコロナに向きあって」→すでに国民は皆協力していて、医師会等から再三されるお願いに辟易しています。われわれ国民こそ医師会等にお願いしたいのです。われわれが求めているのは医療サイドこそ、コロナ病床を増やすための具体的対応をしてもらいたい、ただそれだけのことです。

「危機感を共有しましょう。政府に対してスピーディーで具体性のある政策を提言し、求めていきましょう。専門家会議は政府の最後の最終的な拠りどころ」→今頃専門家会議と危機感を共有しましょうって遅すぎないでしょうか?また専門家会議が政府の最後のよりどころって、医師会等には医療のプロとしての当事者意識が無いのでしょうか。医療現場に最も近い医師会等こそが医療ひっ迫が起きている医療現場の問題点を検証し解決策を見つけていくべき立場ではないのでしょうか。

「どうぞ国民の皆様、医療従事者を守ってください。医療従事者が安心して医療に従事できるよう、医療従事者の家族と家庭が守られるよう応援してください」→ 過重労働や風評被害など、一部の医師や看護師にコロナ対応の負担が偏っているのは医師会等に所属する大半の医療機関が非協力的だからではないのでしょうか。また、医師会等こそが、コロナ対応をしている医師や看護師の過重労働の改善やインセンティブの確保を担うべき立場であるにもかかわらず、それを放置したまま、国民に対して「医療従事者を守ってください」というのはお門違いではないでしょうか。

 

医師会の会長がなぜこのようなお願いばかりの発言に終始しているのかといえば、これら医師会等のそもそもの目的が所属する医療機関を守ることだからです。医療9団体とは、日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会、日本看護協会、日本法人医療協会、日本精神科病院協会、日本病院会、全日本病院協会、そして東京都医師会です。

これらの団体のほとんどは民間の病院や開業医の団体です。いわゆる「民間の病院や開業医」の「経営や待遇」をよくするための職能団体です。しかも加入義務が無い任意団体です。よって、医師会会長らの発言は、コロナ禍の中でいかに医師会等に所属する医療機関を守ることができるか、特に病院経営上の被害を少なくすることができるかという目的で発せられているのです。

こういう視点に立てば、医師会の会長がなぜ執拗に「医療体制のひっ迫」を訴え、国民に自粛を要請しているのかよくわかります。その本当の目的は、陽性者数が拡大し、医療体制のひっ迫を公的病院でカバーしきれなくなった場合に、自分のところにお鉢が回ってくることを避けたいからです。なぜ避けたいかといえば、ご承知の通り、コロナ患者を受け入れる場合の医療体制の負担の大きさと、コロナ患者を受け入れることで経営が悪化するからです。特に4月にコロナ患者を受け入れた病院が軒並み経営悪化に陥ったことが原因でしょう。医師会等は所属している医療機関の利益を第一に考えますので、どれだけ医療がひっ迫していても、積極的に協力しようとはしないのです。これだけ「自粛、自粛」と再三繰り返すのは、国民の命を救うためというよりも自分たちの立場を守るためといっても過言ではないでしょう。

結局、陽性者数が欧米に比べ圧倒的に少なくかつ医療資源が十分にある日本の医療体制がひっ迫している原因は、日本の医療資源の8割を占める民間の医療機関が協力をしないからだと言えます。

それにしても、このようなことをいつまで放置しているのでしょうか?民間の医療機関もその収入の7割が公費であることを考えれば、民間と言えども公共的な役割があるわけで、今のような緊急時には、積極的に国や自治体に協力すべきではないでしょうか。そして政府や厚労省も手を拱いていないで、もっと積極的に医師会等に働きかけ協力を求めていくべきですし、医療機関が協力しやすい体制に制度設計すべきです。特に、協力する民間の医療機関に対しては、その経営が傾かないような支援をし、政府、厚労省、自治体、医師会等が一体となって医療崩壊を防ぐ努力をすべきです。

もし、4月の緊急事態宣言が収束した後、医師会をはじめとした医療団体のトップが医療体制の拡充に積極的に動いていたら、飲食店の時短営業をする必要もなかったし、Gotoキャンペーンを中断することも無かったでしょう。日本経済がここまで疲弊することは無かったはずです。

医師会をはじめたとした医療団体の皆さんには、「医療ひっ迫状況」を招いた原因が自らにも有ることを自覚し、医師本来の役割を思い出し、医療体制ひっ迫の解消のために具体的に行動してもらいたいものです。医療体制さえ充実していれば、「コロナで亡くなる命」も、「廃業や失業で失われる命」も、両方の命を救えるのですから。

異次元の将棋!! 藤井聡太対永瀬拓矢

2020-06-04

次代を担う天才同士の対決 

勝てば渡辺明棋聖への挑戦が決まる大一番

 

終盤戦の入口で、解説のプロも唸る全く理解できない手の連発

素人目にも???「なぜそんな手?」とあっけにとられる

 

52手目、藤井が2六桂から3六銀と攻め合いに持ち込む

この意外な手に永瀬は69分の長考後、6九玉から3九金打と地べたに張り付く

最も驚いたのが藤井の62手目、2七銀成。そしてその数手後の8四歩打

不思議な手が続くがコンピューターの評価値は50%を維持する

 

解説の飯島七段は「善悪を超越した一つの作品ですね」としきりに感心

ぎりぎりの戦いに没頭する対局者にしかわからない一手一手の意味

 

そんな攻防が続く中、永瀬の77手目、2六馬が痛恨の敗着となった

 

そしてその時が・・・ 藤井聡太が100手目、6八角を軽やかに打ったその瞬間、最年少タイトル挑戦が決まった

 

高校野球と木製バット

2019-08-19

夏の甲子園も準決勝と決勝を残すのみとなったが、101回目の今大会もホームランが乱れ飛んだ。「キーン」という甲高い金属音が連日コダマした。

履正社高校の1試合5本塁打の大会タイ記録をはじめ、今大会すでに40本塁打を超えている。

ところで、単純な疑問があります。なぜ高校野球は木のバットでなく金属バットなのだろうか? 高校野球だけでなく、リトルリーグも少年野球も皆、金属バットを使用している。

プロ野球をはじめ大学野球や社会人野球は木のバットだというのに・・・・

「金属バットは折れないので木製バットより経済的だから」、という理由が真っ先に思いつく。他にも原材料の木が不足しているとか、森林伐採など環境問題に配慮しているとか、様々な観点があると思いますが実際のところどうなのでしょうか。もし明確な理由もなく金属バットを使用しているとしたら、子供たちから、バッティングの本質を経験する機会とか、バッティング技術を磨く機会などを奪っているのではないかと思われるのです。

私は以前よくゴルフをしていましたが、本間製のパーシモン(木製ヘッドのドライバー)を使用していました。プロアマ問わず今やほとんどのゴルファーは金属製ヘッドのドライバーを使いますが、私はパーシモンの独特の打感が好きで木製ヘッドを使っていました。パーシモンは金属ヘッドに比べスイートスポットが狭く、少し打ち損じると飛距離が落ちたり、曲がったりします。アマチュアにはとても難しいクラブですが、スイートスポットでボールをとらえたときは、素晴らしい打感、快感を得られるのです。その打感を感じるためにゴルフをやっているようなものです。

木のバットもパーシモンのクラブと同じく、金属バットよりスイートスポットが狭く、芯でとらえるのが難しいといえます。芯を外すとボールはあまり飛ばないし、とにかく手が痛いです。でも、真芯でとらえるとほとんど抵抗感なく心地良く振り抜けます。

要するに木のバットの方が金属バットより球をとらえる技術が必要で、うまく打てたかどうかの結果が明確に出るのです。金属バットは多少打ち損じてもそれなりに飛距離が出るので、本当に正しいスイングができていたのかわかりにくいのです。子供たちのバッティング技術向上のためにも、木のバットの方が道具として適していると考えるのは私だけでしょうか。

なかんずく、プロを目指そうとする高校球児に、なぜ木製バットで技術を磨かせてやらないのか。少なくともその選択肢を与えてやらないのか。だって、高校生の国際試合であるU18では金属バットは禁止されているのです。

例えば、イチローは小学生のころ、毎日のようにバッティングセンターで練習していたそうですが、木のバットを使っていたらしいです。バッティング技術を究めようとするならばやはり木のバットを使うべきなのでしょう。

野球少年のすべてがプロを目指しているわけではないですが、木のバットの方がバッティング技術が向上し、かつプロ野球とのギャップもないとすれば、木製バットに切り替えることを真剣に考えてもいいのではないでしょうか。高校時代はスラッガーとして名を馳せた選手も、プロになって木製バットになじめず、成績不振でプロを辞めざるを得なかったという話も聞きます。

最近は、金属バットでも木製バットに性質の似た芯の狭い飛びにくいものが出てきているらしいので、木製バットへの変更が経済的にどしても難しければ、そういうものも視野に入れて飛びすぎる金属バットから卒業することを検討してみてはどうでしょうか。

木製バットの真芯でボールを打ち抜く技術を持った真のスラッガーを育てるためにも野球関係者には英断を期待します。

甲子園の金属バットの快音を聞きながら、ふとそんなことを思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AIに負けた将棋界に見る税理士業界の未来

2019-06-15

奇天烈な比較と思われるかもしれないが、AIによって税理士業界がどう変化していくのかを、全く畑違いではあるが、将棋界がここ数年繰り広げてきたコンピューターとの戦いから予測してみたいと思います。

まず、将棋界がここ数年でAIに受けたインパクトは計り知れないものがありました。20年ほど前まではコンピューターがプロ棋士に勝てるなんて誰も想像していませんでした。しかし、現在は、プロ棋士がコンピューターに勝てることの方が少なくなりました。ある棋士によるとコンピューターとプロ棋士の差は角1枚ほどになっているとのことです。角落ちでも勝てないとは相当の大差です。

実は、コンピューターがプロ棋士の実力に肉薄し始めた10年ぐらい前に、このような心配がありました。「もしコンピューターが棋士より強くなったら、プロ棋士の存在意義がなくなってしまうのではないか?コンピュータより弱い人間同士の対局を誰が見てくれるのか?もし最強棋士羽生名人がコンピュータに負けたらもうプロ棋士の地位は地に堕ちてしまうのでは?」といった心配です。

故米長九段が若かりし頃に言ったとされる逸話で「兄貴は頭が悪かったので東大に行った。自分は賢かったので将棋指しになった」というのがあります。それほど棋士になるのは難しいし、将棋界とは天才たちの集まりであるという認識が旧来からあったのです。それがコンピューターに負けてしまうなんて棋士なんて大したことないのでは、という評価に変わりはしないかという心配ですね。

しかし、現状の将棋界はどうでしょうか。藤井聡太という天才の出現や、羽生九段の永世七冠達成などのビッグニュースはありましたが、コンピューターの進歩が将棋界をダメにしたということは全くありませんでした。

逆に、棋士がコンピューターを将棋を研究するためのツールとして利用することで、新たな定石や新手が次々と生み出されています。

また、将棋を見る我々にとっても今まで以上に興味深く将棋を観戦することができるようになりました。タイトル戦などの中継でどちらの棋士が優勢なのかをコンピューターが評価してくれるのです。先手がプラス500点とか1,000点とかという評価値が画面に出ますので将棋初心者でもどちらが有利か即座に分かるのです。プラス300点なら少し有利、プラス500点なら優勢、プラス1,000点なら勝勢といった具合にコンピュータの評価値はとても分かりやすい指標になるのです。

ただ素人ですので、評価値がなぜプラス300点なのか、500点なのかがわかりません。やはりそこでもっとも重要なのが、プロの解説です。プロの解説がなければ将棋の面白さも半減します。コンピューターが強すぎてプロの解説者でさえなぜコンピューターがプラス評価を出しているのかわからないという場面もありますが、それでも我々アマチュアにしてみれば、人間による解説がどうしても必要です。しかも解説者にもいろいろな棋士がいて人間味あふれる解説をしたり、ユーモアたっぷりの解説をする棋士もいます。そういった解説者の個性もこみで楽しんでいるのが現状です。

プロ棋士は実力的にはコンピューターに負けましたが、その負けを素直に認め、逆にコンピューターを将棋界にとって有用な武器に切り替えていったのです。

 

いま、税理士という職業もAIの進化により将来なくなるかもしれない職業にカテゴライズされているようです。もともとはオックスフォード大学のオズボーン教授の論文が巷に流布されたものですが、影響力は結構大きく、税理士は将来性のない職業と認識され若者から敬遠され始めているらしいのです。

でも正確には、それは「税理士」ではなく「税務申告書作成者」という職業のことだそうです。

ここで注意しなければならないのが、税理士の仕事と「税務申告書作成者」の仕事は違うということです。「税務申告書作成者」の仕事はおよそ「税務申告書作成ソフト」が行っているような仕事です。これに関していえば、すでに国税庁のホームページの確定申告書作成ソフトで毎年申告している納税者がかなりいます。毎年ほとんど変わらない申告内容で比較的簡単な申告であれば、税理士に頼まなくても、納税者だけでできてしまいます。

しかし、我々税理士が日々行っている仕事は、このような単純な申告書の作成業務だけではありません。会社経営者からの相談は、単に法人税の節税に関することにとどまらず、消費税や個人の所得税、相続税や株価評価、場合によっては社会保険や助成金、労働問題や法律問題と本当に多岐にわたります。

例えば、法人税の節税が逆に所得税や相続税の増税になったり、社会保険料の増加につながったり、こっちを立てればあっちが立たずといった状況がしばしば出てきます。

一つの税務だけにとどまらず、様々な税法や法律の相互関係を考慮し、その中でどのようなアドバイスがクライアントにとって最も有効なのかということを考えていかなければなりません。

AIの情報処理能力はずば抜けて凄いと思いますが、そのような様々前提条件を加味していくことはまだまだ難しいと思われます。何も考えず闇雲に情報を入力しても正解が得られるとは限りません。AIにどのように情報を与えるかが最も重要です。それは一般の納税者にはできません。また、AIが出す答えが本当に正解かどうかを判断することも一般の納税者にはできません。

将棋に解説者が必要なように、税務にも解説者が必要なのです。

税理士が経営者から最も期待されていることは、重要な経営判断を経営者に寄り添ってアドバイスしていくことです。AIは有効なツールですが経営者に寄り添うことまではできないでしょう。

現場にいる私の実感ですが、AIが税理士の仕事を奪うことはできないと思います。逆にAIを使いこなせる税理士が引っ張りだこになるのではないでしょうか。

若者諸君、コンピューターと法律に興味のある皆さん、ぜひ税理士を目指してください。きっと面白い時代になりますよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

大谷翔平 サイクルヒット達成!!

2019-06-14

大谷翔平がサイクルヒットを達成した。

イチローも松井秀喜もできなかった偉業だ!

ニュースによると投手として2勝以上をしてかつサイクルヒットを打ったのはあの、ジョージ・シスラー以来二人目とのこと。もう、100年近く前の記録である。ジョージ・シスラーといえばイチローに抜かれるまでは、シーズン最多安打記録257を持っていた偉大な打者だ。二刀流としてベーブ・ルースと比較されまたジョージ・シスラーと比較され、そんな偉大な打者と比較されるなんて本当に光栄なこと。

今後の期待はまだ誰も達成していない記録。そう、打者としてサイクルヒット、そして投手としてノーヒッター!

翔平がノーヒットノーランを達成する可能性は大きいと思う。

なんて夢のひろがる選手なんだろう!

 

 

 

インボイス制度の導入間近! 免税事業者にも大きな影響!

2018-09-01

消費税の計算上、インボイス制度(適格請求書等保存方式)が5年後の2023年度より本格的に導入されます。2019年10月からは軽減税率の導入に合わせ、「区分記載請求書等保存方式」が始まります。

インボイス制度は事業者にどのような影響を及ぼすのでしょうか?

まず、請求書や領収証(いわゆるインボイス)に記載する内容が増えます。

請求書発行事業者の氏名又は名称、取引年月日、取引内容、受領者の氏名又は名称に加え、「適格請求書発行事業者登録番号」、「軽減税率の対象品目である旨」、「税率ごとに区分した金額と適用税率」、「税率ごとに区分して合計した消費税額」を記載しなければなりません。

領収証を発行する事業者はレジなどの切り替えが必要となります。

領収証を受け取る側は、インボイスが無いと仕入税額控除ができなくなり、インボイスの記載金額を税率ごとに区分して帳簿をつける必要があります。

具体的に考えると相当大変で、領収証を税率一つのもの、税率二つのもの、インボイスに該当しないものに区分し、それぞれの金額と税率を分けて記載しなければなりません。これだけで今までの倍ぐらいの手間がかかるのではないでしょうか。今後軽減税率の種類が増えていけば手間は更にかかってくるでしょう。経理処理は相当面倒くさくなること間違いありません。会社の経理の方は相当苦労されるのではないでしょうか。

一方、インボイス制度導入は消費税の課税事業者のみならず免税事業者にも大きく影響しそうです。

なぜかと申しますと、この制度ではインボイスが無いと仕入税額控除ができないと既に申しましたが、免税事業者はそのインボイス(適格請求書等)を発行することができないのです。よって、購入者側は免税事業者から物を買ったり仕入れたとしても、インボイス自体が無いので、そこにかかる消費税の仕入税額控除ができないわけです。

もし税込価格が同じ値段の物を買う場合、買う側からすれば仕入税額控除のできない免税事業者よりも、仕入税額控除ができる課税事業者から買う方が消費税分得なので、免税事業者から物を買わなくなるでしょう。免税事業者としては消費税分を値引きするか、課税事業者を選択してインボイスを発行できるようにするかしか対抗手段はなくなります。

おそらく小売業など最終消費者を相手にしている業種以外の事業者は課税事業者を選択せざるを得なくなるのではないでしょうか。

今まで免税事業者が享受していた益税のメリットがこの制度導入によりなくなるということです。おそらくこの部分が今回の消費税法改正の肝であると考えられます。

今回の改正で、益税という消費税独特の不公平は解消されますが、免税事業者にとっては非常につらい税制改正と言えます。

 

 

 

 

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