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初めてタカラヅカを観劇してきました!!

2022-06-09

皆さんはタカラヅカにどんなイメージをお持ちでしょうか?

私は生まれてこの方、タカラヅカを全く見たことが無く、たまに取り上げられるテレビの映像から、「派手なメイクと衣装で着飾った男装のレヴュー」といったイメージしか持っていませんでした。女優で言うと大地真央天海祐希というイメージです。いわゆる、女性が楽しむエンタメであり、わたしのような男性にはとんと縁のない世界だと思っていました。

しかし、3か月ほど前にテレビで放送された宝塚花組の「はいからさんが通る」という芝居を何気なく観ていて、「あれっ、意外に面白いかも」と思ったのです。いや、正直言うと、かなり感動したのです。

感動の理由は、お芝居の面白さもさることながら、主人公花村紅緒を演じた華優希の体当たりの演技に魅了されたからだと思います。表情、動き、せりふ、歌がとにかくエネルギッシュで、コミカルで、しかもかわいいのです。うまい、下手を超越して、目を離さずにはいられない独特の熱量が伝わってきました。彼女の演技は、私のタカラヅカに対する先入観を払拭しました。

 

華優希の演技に魅了された私は、他にももっと面白い芝居があるのではないかと思い、過去に公演されたタカラヅカの芝居やショーをテレビやネットで探して観ていましたが、それだけでは飽き足らず、このたび、宝塚大劇場で公演中の、花組の「巡礼の年~リスト・フェレンツ、魂の彷徨~」という芝居と、「Fashionable Empire」というショーの二本立ての公演を観劇してきました!

 

以下の感想は素人のたわごとと聞き流して欲しいのですが、「いやぁ~、これは凄いことをやっているなぁ」と驚嘆しました。

公演の流れは、1時間40分の芝居のあと、35分の休憩があって、そのあと45分のショーがあるのですが、絢爛豪華な衣装、ダイナミックな舞台装置、巧みな照明、芝居に寄り添う生バンドの演奏、そしてとにかくエネルギッシュなジェンヌたちの演技。約3時間の公演があっという間でした。

まず驚かされたのが、ダイナミックに動く舞台装置です。私は2階席でしたので、舞台全体を見下ろすことができ、立体的に舞台装置が動く様子をじっくり観察することができました。例えば、(回転舞台のこと)が回ることで素早い場面転換をしていくのですが、その盆にもいくつかの仕掛けがあり、盆の上に設置された大きな建物が、盆が回転していく中で盆の中に沈んで行き、跡形もなく消えてしまうのです。かなり大きな建物が、しかも盆が回っているにも拘らずですよ。

また、生バンドの演奏も素晴らしかったです。タカラヅカはカラオケではなく「生バンド」なんですね。宝塚大劇場は、舞台と客席の間に「銀橋」という渡り廊下があって、バンドはその「銀橋」と舞台の間のオケピットで演奏するのです。ミュージカルやオペラでは当たり前のことなのでしょうが、よくここまで淀みなく演技と演奏をシンクロさせることができるものだなと、指揮者と演奏者の技術力に感服しました。

しかも、音響が凄くて、歌唱や効果音が観客の鼓膜だけでなく全身を震わせるのです。特に、今回、ラプリュナレド伯爵夫人を演じた音くり寿の歌声は圧巻でした。

タカラヅカの強みは、このような舞台装置や音響設備、生バンドを常備している「宝塚大劇場」や「東京宝塚劇場」などの定小屋を持っていることではないでしょうか。定小屋があるからこそ、ジェンヌたちの出演機会が増え上達も早いでしょうし、また、脚本や演出、舞台装飾や演技構成は、「宝塚大劇場」の高いポテンシャルを前提に作ることができますので、自分たちのやりたい表現がかなり高いレベルで実現できるでしょうし、さらには、他の箱ではやりにくい挑戦的な試みもできるのではないでしょうか。

 

そして、公演を通して、何よりも印象的だったのは、舞台上のタカラジェンヌたちのパワーとエネルギーの熱量でした。

トップスター柚香光の少女漫画から飛び出してきたようなビジュアル、トップ娘役星風まどかの清々しい歌声、更に、次から次へと衣装チェンジをしていくショーのスピード感など、芝居やショーの見どころはたくさんありましたが、根底に流れている感動の源は、すべてのタカラジェンヌたちから発せられるあふれんばかりのエネルギーです。とにかく全員が全力を出し切ろうと振り切れていて、そのエネルギーの熱量がビンビンと客席に伝わってくるのです。しかも、この日は一日2回公演でしたので、私が観終わった1時間半後には、彼女たちはまたこれと同じ演目を演じるというのです。「今と同じテンションでもう一度同じことをするのか?」と、とても信じられませんでした。

タカラジェンヌから伝わるこのエネルギーの熱量は、私が初めて観た「はいからさんが通る」の華優希の体当たりの演技と共通するものだと思いますが、このエネルギーはどこから生み出されるのでしょうか?

これは私見ですが、タカラジェンヌはデビューしたあとも、あくまで、生徒であり、研究生の立場にあるらしいのですが、このシステム、いや「思想」が、彼女たちの演技に対する姿勢を謙虚にし、その謙虚さが逆に力強いエネルギーを生み出しているように思えるのです。自分はまだ半人前の研究生だとわきまえているからこそ、舞台上では初心者のごとく一生懸命、全力で演技することができ、その一生懸命さが客席に強いエネルギーを伝えるのではないでしょうか。「はいからさんが通る」の華優希に感じ、今回、舞台を生で見て、すべてのタカラジェンヌに感じた底知れぬエネルギーの熱量は、彼女たちの謙虚さの裏返しであり、もしかしたらこの謙虚さとエネルギーのダイナミズムが、宝塚歌劇が長年培ってきた「タカラヅカ文化」の一つなのかもしれません。

 

ただ、今回、わたしが花組の公演を劇場で観て強く感じたことは、彼女たちは決して未熟な生徒でも研究生でもなく、紛れもなく「プロ」であるということでした。それは当然で、幼いころからバレエやダンスを習い、宝塚音楽学校という狭き門をくぐり抜けた精鋭が、そこで2年間みっちりと鍛えられ、宝塚歌劇団入団後は、年間4公演もの舞台をこなし、日々、観客を目の前にして歌い、踊り、演ずるわけで、その経験値は若くして膨大で、研究生とは名ばかりです。その「プロ」であるジェンヌたちが謙虚に、かつ向上心を持ってたゆまぬ努力を惜しまないからこそ、人の心を打つ演技ができるのでしょう。

そんな彼女たちを支えるのが、これまた一流の演出家や振付師であり、さらに、衣装、道具、音響、照明、演奏などの熟練したスタッフが高い技術と情熱を注ぎこんで一つの舞台を作り上げていくのです。私が観劇したのは初日から間もなかったのですが、これだけ完成度の高い芝居とショーをたった1か月ほどの練習で仕上げてしまうというのですから、ジェンヌとスタッフのポテンシャルたるや恐るべしです。

 

観劇直後の興奮で、ちょっと、自分には似つかわしくないことを口走ったかもしれませんが、もし、食わず嫌いでタカラヅカをご覧になったことが無い方は、是非一度観劇されてみてはいかがでしょうか。芝居、ショー、パレードと続くフルコースは、「これでもか!」と感動のてんこ盛りで、あなたを日常では味わえない夢の世界へと誘ってくれるかもしれませんよ。

インボイス制度は「ステルス増税」と「国による一元管理」の装置である

2022-02-27

いよいよ、来年、令和5年10月1日から「インボイス制度」が開始されるが、インボイス制度の真の目的が消費税の増税であること、更には「登録番号」による納税者の一元管理であることに皆さんはお気付きだろうか?

経営者の皆様とお話をしていても、実はインボイス制度が消費税の増税であることにまだお気付きでない方は多く、殆どの経営者は「8%や10%の複数税率を正確に計算するためにインボイス制度が導入されるのでしょう」という程度の認識しか持たれていない。

インボイス制度が「消費税のステルス増税の装置」と言うことができる所以は正にそれで、事業主が増税と気付かないうちにいつの間にか増税に従わざるを得ない状況が作られているのだ。

なぜ、増税になるかと言うと、今まで免税事業者であった事業者が課税事業者にならざるを得なくなるように仕組まれているからである。

インボイス制度が導入されると、インボイス以外の領収証では、消費税の仕入税額控除ができなくなる。例えば、売上が330万円、仕入が220万円の取引の場合、売上の消費税30万円から、仕入の消費税20万円を控除した、10万円の消費税を国に納めることになる。ところが、その仕入先がインボイスを発行することができない事業者であれば、仕入の消費税20万円を控除することができず、売上の消費税30万円をまるまる納税しなければならなくなる。となると、インボイスを発行できない事業者からの仕入は消費税を余分に納税することになり損なので、インボイスを発行できる事業者からの仕入に切り替えていくこととなり、インボイスを発行できない事業者はどんどんと淘汰されていく。

では、インボイスを発行すればいいではないかと言われるが、インボイスを発行するためには「適格請求書発行事業者」として国に登録しなければならず、「適格請求書発行事業者」に登録するためには、消費税の課税事業者になる必要があるのだ。となれば、今まで免税事業者として消費税を免除されていた事業者も消費税を納税しなければならず、この消費税がまさに増税ということである。

例えば、建設会社の下請けや孫請けをしている一人親方などがまさにその対象であり、たとえ課税売上高が1,000万円以下の免税事業者であっても、元請の建設会社に取引を継続してもらうためには、課税事業者にならざるを得ないということだ。

ただし、元請会社の方も優越的地位を利用して、下請けに対して消費税分の値引きを要求したり、取引を停止したりすると「独占禁止法」「下請法」に抵触することとなり、罰金や懲役刑になる恐れがある。よって、免税事業者と取引をしている課税事業者は、仕入税額控除ができない分の消費税を自らが被らなければならず、課税事業者であっても少なからず影響はあるということだ。

また、インボイス制度による増税は建設業界などの事業者同士の取引に限らず、一般消費者を相手にしている飲食店や小売店にも影響がある。例えば、接待で飲食店を使う場合、インボイスを発行できない飲食店は自ずと避けられることになる。会社によってはインボイス以外の領収証は経費精算しないというような取り決めをするところも出てくるかもしれない。飲食店のオーナーが「最近客足が減ってきたな」と感じているその原因が実はインボイスを発行しないことにあったということも考えられる。そうすると、一般消費者を相手にする飲食店や小売店もインボイスを発行することができる課税事業者にならざるを得なくなるということだ。

更に言えば、インボイス制度は、今まで所得があるのに申告していなかった事業者の炙り出しにも効果を発揮する。例えば、ホストやホステスの中には確定申告をしていない人達も多いと聞くが、店側としては彼らに支払う報酬を仕入税額控除したいわけで、そうなるとホストやホステスも「適格請求書発行事業者」として国に登録せざるを得なくなり、無申告というわけにはいかなくなるわけだ。

要するに、インボイス制度とはあらゆる規模のあらゆる業種が従わざるを得ない、「消費増税の装置」であるということだ。しかも、すべての「適格請求書発行事業者」に法人番号をベースにした「登録番号」が付与され、国税庁で一元管理される。また、その「登録番号」はすべてのインボイスに記載しなければならず、今後、税務調査における反面調査の大きな武器にされるのは間違いない。

インボイス制度の真の目的は、「消費税の増税」とともに、「国による納税者の一元管理」であるということがお分かりいただけたと思う。

松本人志「子供へのワクチン接種は狂気の沙汰」

2022-01-23

今日の「ワイドナショー」で松本人志が「5歳以上からワクチン打たせようなんて、もう狂気の沙汰ですよ」と衝撃的な発言をした。全国放送の地上波テレビで子供たちへのワクチン接種を真正面から否定したのは初めてではないだろうか。テレビにおいては、ワクチン反対意見には強い情報統制が敷かれているので、テレビ局も思い切って放送したと思う。

他にも、最近のテレビを見ていると、「モーニングショー」では長嶋一茂が「若者が感染することで集団免疫を付けていくことも検討すべきではないか」と発言したり、「今田耕司のネタバレ」という番組に尼崎の長尾和宏医師が呼ばれ「3回目のブースター接種は不要」と発言したり、ビートたけしがTBSの番組で「コロナなんてただの風邪だと思えばどうってことない」と発言したり、テレビ局の言論統制に少し緩みが出てきたのではないかと感じられる。今回、松本人志のインパクトある発言が放送されたのも、テレビ関係者が「オミクロン株に対する政府の対策はやり過ぎではないか」という世間の空気を感じ取って、今までの様な煽り報道一辺倒では分が悪くなってきていることに気付き、手のひら返しの準備を始めたのかもしれない。

世間が気付き始めたように、政府が打ち出すコロナ対策は愚策のオンパレードであり、そのすべての原因は、新型コロナを「二類相当」に据え置いているからである。つまり、オミクロン株の毒性がインフルエンザ以下になっているにもかかわらず、エボラ出血熱やペストなどの強毒性の伝染病と同じ扱いにしていることが、政府の政策が混乱を招いている原因である。この2年間での新型コロナによる死亡者数18,500人は、インフルエンザの2年間の死亡者数約20,000人とほぼ同数である。新型コロナウイルスとは、結局、この程度のウイルスだったという認識を政府や専門家、そして多くの国民が持たない限り、いつまでたってもこの混乱から抜け出すことはできない。

以下、日本では今、何が起こっているのか、具体的に見てみたい。

 

1.効果の薄いワクチン接種をいつまでやり続けるのか?

イスラエルでは昨年の12月から4回目のブースター接種を始めたが、4回目を打ち始めた直後から陽性者が急増し1月19日には過去最多の1日24万人の陽性者が出ている。それまでの最多が9月8日の22,000人だったのでその10倍以上である。イスラエルのみならず、3回目のワクチン接種が進んでいる欧米諸国もまた、3回目の接種がほとんど進んでいない日本でも、例外なくオミクロン株は猛威を振るっている。テレビに出てくる専門家は、日本では2回目のワクチン接種から数カ月が経過し抗体量が落ちてきたから感染が拡がったと実しやかに言って3回目のワクチン接種に誘導しようとしているが、その説明では3回目の接種が進んだ欧米諸国や、4回目のブースター接種をしたイスラエルでの感染爆発との整合性が取れない。

感染を防げない原因はワクチンの抗体量が落ちてきたからというよりも、武漢株用に作られた今のワクチン自体がオミクロン株には効きにくいからではないだろうか。その原因の一つとして、オミクロン株への変異により感染経路が大きく変わったことが言われている。デルタ株までは腸などの血管壁にあるACE2受容体にウイルスが結合して感染していたが、オミクロン株は喉の粘膜で感染することがわかっている。要するに、今のワクチンは武漢株などACE2受容体への感染を防ぐために作られたものなので、感染経路の異なるオミクロン株には効きにくいということである。

また、イスラエルで4回目のワクチン接種直後から陽性者が急増した原因の一つが、ワクチンを何度も打つことで自然免疫力が低下したことが考えられる。自然免疫力が下がったところへ感染力が強いオミクロン株が発生したことで、一気に感染爆発したのであろう。つまり、現状のワクチンは、接種による感染防止の効果よりも、自然免疫力を下げるリスクの方が大きくなっている可能性が高い。

また、ワクチン接種には盲点があって、もし、「ワクチン接種によって、重症化は軽減できるが、感染は防げない」ということが本当だとしたら、ワクチン接種者のほうが未接種者よりも感染を拡げている可能性が高い。なぜかと言うと、感染しても重症化しにくいということは、ワクチン接種者のほうが感染に気付かずウイルスをまき散らしている可能性が高いからである。

更に、ワクチン接種の負の側面として、ワクチン接種がウイルスの変異を促進している可能性があるということだ。免疫学の専門家の常識では、感染が蔓延している時期に広範なワクチン接種を敢行すると、そのワクチンから逃れようとする変異が膨大に起こり、更に感染力の強い変異株を生み出しやすいとのことである。つまり、ワクチン接種は感染拡大を抑えるどころか、ワクチンを打てば打つほどウイルスは変異し、新たな感染を生み出しているかもしれないということである。

 

以上のようにワクチン接種の有効性にいくつもの疑義が生じているにもかかわらず、日本政府は、3回目のブースター接種を前倒ししようとしている。オミクロン株に効かないワクチンを、間もなく感染がピークアウトしようとするときに、なぜ今さら接種させるのか甚だ疑問である。 しかも、ファイザー社自らが「今のワクチンはオミクロン株には効かないので、オミクロン用のワクチン開発をしている」と表明しているにもかかわらずである。これではもう、余ったモデルナ製ワクチンの在庫処分と揶揄されても仕方がない。ただ、今後、製薬会社がオミクロン株用のワクチンを開発したとしても、その時にはすでにオミクロン株の感染は収束していて、またしても、効果の無いワクチンを買わされる羽目になるのは目に見えている。流行しているウイルスに効くワクチンが常に間に合わないという矛盾はウイルスが変異する限り永遠に続く。

 

2.子供へのワクチン接種は無益なロシアンルーレット

政府は1月20日に、5歳から12歳未満の715万人へのワクチン接種を特例承認したが、重症化しない子供たちになぜワクチンを接種するのか? すでに、12歳から19歳までの年代におけるワクチン接種率が70%に達しているという事実に愕然とするが、厚労省のデータでは、その12歳から19歳までの若年層で「心筋炎」「心膜炎」の副作用がすでに175件も発生している。また「ワクチン後遺症」も多発しており、「死亡者」まで出ている。コロナに感染して死亡した健康な未成年者は未だ0人であるにもかかわらず、ワクチン接種で心筋炎が多発し、死亡者が出たということは、重症化しない子供たちにとってコロナワクチンは、ベネフィットが全く無い、ただの毒である。

さらに、コロナワクチンは「メッセンジャーRNAワクチン」と言って、ヒトの細胞に入ったmRNAワクチンがその細胞の遺伝子に働きかけ抗体を生成する仕組みなので、その遺伝子レベルでの働きかけが将来どのような遺伝子的リスクを発現させるかは今の段階ではわからないのである。よって、生殖世代である30代以下の若年層については、そのリスクを回避するためにも、できることならワクチン接種をしないに越したことは無いのだ。もし将来、生殖世代に広範な遺伝的障害が発現したら、個人としてはもちろんだが、国家としても大きな損失であり、その痛手は現在のコロナ禍による被害の比ではない。

にもかかわらず、「高齢者に感染させないために5歳から12歳未満の子供もワクチンを打つべきだ」と主張する医者がいるが、高齢者を守るためには子供は犠牲になっても良いというのだろうか? その同じ医者が違う場面では「ワクチンでは感染は防げないが重症化は防げる」と矛盾したことを堂々と言っている。「ワクチンを打っても感染を防げないならば、子供にワクチンを打っても高齢者への感染は防げないのだから、重症化しない子供にワクチンを打つ意味は全くないではないか」。たとえ確率が100万分の1でも、何の見返りもないのにリボルバーの銃口を自分の頭に向け、引き金を引く人間など一人もいない。その医者はそんな「無益なロシアンルーレット」を子供に勧めようとしているのだ。そもそも、日本における子供のいる三世代同居家庭の割合は全国平均で約6%、都市部では3~4%という低さであり、子供が高齢者に感染させるケースなどごく稀なのである。

 

3.若年層へのワクチン接種を促進するために厚労省のデータが操作されている

本日放送された「ビートたけしのTVタックル」という番組で、ある医者が「ワクチンを打って心筋炎になる確率より、コロナに感染して心筋炎になる確率の方が高いので、ワクチンを子供に打つ意義がある」と言って厚労省の数値を示したが、その厚労省のデータは「感染」による心筋炎の数を多く見せるために、数値が操作されているものだった。その医者はその操作された厚労省のデータを鵜呑みにしてワクチン接種による心筋炎を許容範囲だと言ったのだ。

その厚労省のデータでは、ファイザー社製ワクチンを20代男性に接種した場合の100万人当たりの心筋炎の発生者数は9.6人となっており、新型コロナに感染した15歳から39歳の男性100万人当たりの心筋炎の発生者数は834人となっている。このデータを素直に見ると「感染」による心筋炎が「ワクチン」による心筋炎の86倍も多く発生していることになる。しかしこのデータには「からくり」があって、「ワクチン」のデータは健康な人を含めワクチン接種者すべてを対象にしているのに対して、「感染」のデータは入院患者のみを対象にしているのだ。厚労省のデータによると新型コロナで入院した15歳から39歳の4,798人のうち心筋炎になった人数が4人となっており、このデータを100万人当たりに引き直して、834人という数字を導き出しているのだ。計算式は4人÷4,798人×100万人である。入院患者だけを対象にすれば、心筋炎の患者が多くなるのは当然であり、そもそもこのような対象者の属性が違うデータを同じ土俵で比較すること自体、あってはならないことだ。こんな初歩的なミスを厚労省がやるはずは無く、厚労省は意図的にデータを操作したはずで、若年層へのワクチン接種をどんな手段を使ってでも推進したい何らかの圧力があることが推察される。このデータ操作についてはすでにあらゆる専門家から「おかしいのではないか」と指摘されているにもかかわらず、そのデータを未だに子供たちへのワクチン接種の根拠に使っている医者がいることが一番の問題である。

なお、厚労省のデータによると、ファイザー製のワクチンを10代に接種した時の心筋炎の発症者が100万人当り3.7人となっており、もし5歳から12歳の715万人全員にワクチンを接種したら、27人もの子供たちが心筋炎になる可能性があるという事実について政府や医者はどう考えているのか?

 

4.人口動態統計が示すワクチン死亡者数の実態

厚労省が毎月発表している人口動態統計を見ると、令和3年11月時点での超過死亡数は前年同期比+66,904人という異常値を示している。この数値は東日本大震災が起きた2011年の+56,054人を上回り戦後最多である。この10年間の超過死亡数の平均が16,000人であることから、令和3年の超過死亡数が如何に多いかがわかる。その原因の一つが新型コロナ感染死だが、令和3年1年間のコロナ死は約14,600人なので、その数には遥か及ばない。超過死亡数66,904人からコロナ死の14,600人と通常年の平均16,000人を差引いたとしても、原因不明の超過死亡者は少なくとも36,304人もいるということである。

その原因として考えられるのが、ワクチン接種による死亡である。なぜかと言うと、ワクチン接種が始まった令和3年5月以降、超過死亡数が急増しているのだ。令和3年の超過死亡数の月別推移が、1月8,222人、2月1,974人、3月4,418人、4月4,807人、5月10,254人6月8,311人7月7,373人8月6,213人9月8,238人、10月2,743人、11月4,351人となっており、5月の10,254人を皮切りに9月にかけて目立って多いのだ。この期間がちょうど高齢者のワクチン接種の期間と重なることから、ワクチン接種が原因ではないかと推察できる。もちろん36,304人すべてがワクチン接種による死亡者とは言わないが、ただ、厚労省に報告が上がっているワクチン接種による死亡者数1,438人は氷山の一角であり、報告されていないワクチン接種による死亡者が相当数いることが推測できる。もしかしたら、コロナの感染死者数18,500人よりも多いかもしれない。だとすれば、死亡リスクという観点からは、ワクチン接種をしなかった方が良かったという結論になりはしないか。

日本政府は3回目のブースター接種や12歳未満への接種を始める前に、この超過死亡の異常値の原因を解明することが先決であり、それを避けていては、将来に大きな禍根を残すことになるであろう。

 

5.人流抑制? 人数制限?

分科会の尾身会長は先週「人流抑制は効果が無く人数制限をすべきだ。渋谷の駅前で歩いていて感染はしない。」と発言した。「渋谷の駅前で歩いていて感染はしない」のは当たり前のことである。しかしこれまで分科会はその「当たり前」とは真逆のことを言い続けてきたではないか。緊急事態宣言の度に、さんざん、「不要不急の外出をするな」と言って来ておきながら、「実は人流抑制には効果が無い」とはどの口が言うのか。今までの変異株より感染力が強いオミクロン株について人流抑制に効果が無いと言うならば、デルタ株までの変異株についてはなおさら、人流抑制の効果が無かったということだろう。「人流抑制に効果が無い」というならば、過去の失策の謝罪と共に言わなければ無責任である。人流抑制によってどれだけの経済的損失が出たと思っているのか。

また、「人流抑制には効果が無いが人数制限には効果がある」は本当なのか? 1組4人までというような人数制限に何の意味があるのか。隣のテーブルに他の客が座れば、いくら1組4人の人数制限をしても同じことではないか。こんなことは子供が考えてもわかることだ。

また、「まん延防止等重点措置」を発出したばかりの小池都知事は尾身会長の発言に対して「不要不急の都道府県間の移動自粛は政府の基本的対処方針に書かれているので、政府と分科会で話を詰めてもらいたい」と苦言を呈したが、ウイルスの性質が変わっているにもかかわらず未だに「基本的対処方針」に拘って、闇雲に「まん防」を発出する知事の方こそ問題である。科学的には「人流抑制」も「人数制限」も五十歩百歩で、どちらも感染拡大を抑えることができないのは、この2年間のデータを見れば火を見るより明らかである。今まで一度として、「緊急事態宣言」によって感染拡大がピークアウトしたためしは無いのだから。

結局ウイルスの動きはどのような感染対策をしても抑えることはできず、変異ウイルスごとに集団免疫が獲得されるまで拡大し続け、集団免疫が獲得された途端、自然にピークアウトするのである。この集団免疫の仕組みを政府も、分科会も、知事もまた、殆どの専門家が理解していないのが、日本の不幸である。

 

6.PCR検査の無料化がもたらす医療崩壊

政府は昨年12月よりすべてのPCR検査を無料化した。マスメディアはそれを素晴らしいと絶賛した。しかし、それによって何が起こったか。梅田や難波のPCR検査会場には寒空の中300人もの大行列ができた。どこのPCR検査会場も、クリニックも人でごった返している。健康な人、無症状の人が無制限にPCR検査を受けたことにより、陽性者が急増し、病床がひっ迫し、医療資源が無駄に消費され、本当に検査が必要な人の検査が遅れ、本来軽症で済んでいた人が重症化した。また、PCR陽性者の急増により濃厚接触者が炙り出され、濃厚接触者となった医療従事者が14日間も隔離され医療ひっ迫が起こった。もしPCR検査が無料でなければ、このような混乱は起こらなかったであろう。

もちろん、PCR検査を受けないと「帰省ができない」、「会社から検査を受けろと言われる」、「イベントに参加できない」、「飲食店を利用できない」などの潜在的ニーズを否定するものではないが、そもそも、健康な人であってもPCR検査の陰性証明がなければ、帰省できなかったり、会社にいけなかったり、飲食店を利用できないという政策の方に問題がある。なぜかというと、PCR検査が陰性でも、偽陰性が3割ほどあるということ、また、PCR検査を無差別にいくらやっても拾い上げられる陽性者は氷山の一角で、その十数倍の感染者が既に市中に存在している以上、ごくわずかな一部の陽性者を囲い込んでも意味がないということだ。特にオミクロン株のように一気に感染がまん延するウイルスには全く意味が無い。無料PCR検査は混乱を招くだけで、税金の無駄遣いであり、百害あって一利無しである。

 

7.濃厚接触者追跡の愚行

政府は濃厚接触者の隔離期間を14日から10日に短縮したが、そもそも無症候の濃厚接触者を10日間も隔離する必要があるのか。しかも、PCR検査が陰性にもかかわらずである。沖縄では医療従事者や介護従事者の多くが濃厚接触者になり、医療ひっ迫が発生した。アメリカなどでも濃厚接触者が膨大に増え、病院や消防などの公共機関の機能が著しく低下し、今では濃厚接触者を隔離しない対応に変更した。

一般社会にも影響が出てきており、従業員が濃厚接触者となり出社できず、会社の運営に支障が出てきているところが増え始めている。

先日、子供が通う小学校でたった一人のPCR陽性者が出ただけで2日間休校になり、濃厚接触者の追跡が行われたが、突然の休校でどれだけの親達が困ったことか。親の中には医療従事者や介護従事者もいるわけで、学校が休校することで社会に大きな混乱を招くことは一昨年の「全国一斉休校」で明らかになったではないか。何度同じ過ちを繰り返すのか。

受験生を持つ家庭では濃厚接触者にならないかと戦々恐々としている。政府は、人生が掛かった受験がオミクロンごときで台無しになる受験生の気持ちを考えてもらいたい。それでなくても今の若者たちは、授業が遅れ、クラブ活動や修学旅行などの行事が中止され、十分な学生生活が送れず、厳戒態勢の中での受験を余儀なくされ、コロナの最大の被害者なのである。

オミクロン株のような弱毒で感染力の強いウイルスについて、濃厚接触者を追跡し始めたら、たちまち保健所はキャパオーバーになり、本当に診なければならない患者を見過ごすことになる。コロナが「二類相当」の感染症だからこのようなバカげたことをやり続けなければならないわけで、早急に「五類」に格下げし、インフルエンザ並みの対応にすべきである。風邪の患者の濃厚接触者を追跡して隔離するなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある!

 

8.まん延防止等重点措置は為政者たちのパフォーマンスに過ぎない

オミクロン株が、マスコミが大騒ぎするような怖いウイルスなのか、致死率をデルタ株と比べてみる。

デルタ株の感染拡大が始まった7月20日から感染拡大初期の1か月間で増加した陽性者数は450,697人で、その間の死亡者数は437人であった。よって、致死率は0.09%であった。オミクロン株の感染拡大が始まった12月20日から感染拡大初期の1カ月間で増加した陽性者数は409,926人で、その間の死亡者数は94人であった。よって、致死率は0.02%であった。現時点での、オミクロン株の致死率はデルタ株の約5分の1ということだ。デルタ株自体の致死率が昨年4月に感染拡大した第4波のアルファ株の5分1であることがわかっており、そのアルファ株と比べるとオミクロン株の致死率は実に25分の1の低さであり、如何に弱毒化してきたかがわかるであろう。

ちなみに、日本で最初にオミクロン株の感染拡大が起こり、マスコミが大騒ぎした沖縄では、12月20日からの1カ月間で増加した陽性者数は22,665人であったが、その間の死亡者数はなんと、0人である。沖縄ではオミクロン株発生から1カ月が経過してもまだ一人も亡くなっていないのだ。

このような状況下で沖縄県を始め多くの都道府県で「まん延防止等重点措置」が始まっているが、これこそ「羹に懲りて膾を吹く」ということわざ通りの愚行である。

第5波の教訓から、陽性者数では無く、重症者数など医療のひっ迫度合いに応じて、「まん防」や「緊急事態宣言」を出すかどうかを決めると言っていたにもかかわらず、今回もまた陽性者数や、多くの軽症者を含む病床使用率に左右され「まん防」を出すことになった。その陽性者数だって無料PCR検査で盛りに盛られた数字である。しかも、オミクロン株の弱毒化を考慮せず、未だに、東京や大阪の重症病床使用率が3%に満たないにもかかわらずである。全く「まん防」を出すような状況では無いのに、世論によるバッシングを恐れ、単なる為政者のパフォーマンスだけで出される「まん防」によって、またしても、多くの人達が、廃業や失業、精神疾患や自殺に追い込まれてしまうのだ。

海外のオミクロン株の感染動向を見ていると、日本でも、あと1、2週間で集団免疫が獲得されピークアウトするのは目に見えている。「まん防」など出しても出さなくても感染拡大には全く関係ないし、税金の無駄遣いである。

 

9. 山梨県でワクチン未接種者の外出規制

山梨県の長崎幸太郎知事が今日の記者会見で県民に対して、次の3つの要請をした。

① ワクチン未接種者の不要不急の外出自粛

② 事業者は従業員に対してワクチン接種を強く勧奨すること

③ 大学は学生に対してワクチン接種を強く勧奨すること

日本の政治家の良識はとうとうここまで劣化したのかと愕然とした。これはワクチン未接種者に対する明らかな差別であり憲法違反である。ワクチン接種が任意である以上、ワクチン未接種者に絞った外出制限は、憲法13条「国民の自由に対する権利の保障」及び、憲法14条「すべての国民は法の下に平等である」という条文に照らし明らかに憲法違反である。

また、一昨年、ワクチン接種が始まる前に衆議院で決議された「予防接種法及び検疫法の一部改正に対する附帯決議」にも反する。この「附帯決議」の第二条では「コロナワクチンを接種していない者に対して、差別、いじめ、職場や学校等における不利益取扱い等は決して許されるものではないことを広報等により周知徹底すること」と、ワクチン未接種者に対する不利益取扱いを厳に戒めている。つまり、この「附帯決議」では、行政側の役割は、事業者や学校がワクチン未接種者に対して不利益取扱いをしないよう防止する立場にあることを明確にしている。にもかかわらず、山梨県知事は不利益取扱いをする側に回ろうとしているのだ。山梨県知事が発出した要請のうち、「ワクチン未接種者の外出自粛要請」がこの「附帯決議」に反することは言わずもがなだが、「県内の事業者や大学に対して、その従業員や学生にワクチン接種を強く奨めるよう要請すること」も「附帯決議」の主旨に大きく反している。なぜならば、自治体の長がこれだけ大々的に要請すれば、県内の職場や学校は否応なく従わざるを得ず、従業員や学生の間では同調圧力が強く働き、ワクチン未接種者への不利益取扱いが助長されるのは目に見えているからである。

そもそも、国民の殆どがすでにワクチン接種をした今、成人の1割にも満たないワクチン未接種者の行動を規制することに何の意味があるのだろうか。しかも、既に政府が「ワクチン・検査パッケージ」を停止している通り、ワクチンを打っても感染拡大を止められないことを政府自身が認めているにもかかわらずである。

このような知事の愚行は山梨県以外でも散見され、大阪府知事や群馬県知事が行った「景品をインセンティブにした若年層へのワクチン接種キャンペーン」なども、物で釣ってワクチン接種を推し進めようする乱暴なやり方であり、「附帯決議」第一条の「行政はワクチン接種の判断に必要な情報を迅速かつ的確に公表するとともに、接種するかしないかは国民自らの意思に委ねられるものであることを周知すること」という主旨から大きく逸脱している。つまり「附帯決議」では、行政の役割は国民が接種するかしないかを判断するための正確な情報を提供することであり、決してワクチン接種を喧伝することでは無いと明確に示唆している。一連の知事たちの言動を見るにつけ、多くの知事たちが上意下達のワクチン接種競争に盲目的に邁進し、「人権への配慮」や「ワクチンリスクの情報開示」など、知事が本来果たすべき役割を見失っているように見えるのだが。

このように、コロナ程度のことで思考停止に陥り人権を無造作に踏みにじる為政者の姿を目の当たりにすると、今後、もし日本が戦争や大災害など本当の危機に直面したときに、日本の為政者が雪崩を打って全体主義に突き進み、国民の人権を簡単に侵害してしまうのではないかと懸念せずにはいられない。

 

10.諸悪の根源は新型コロナが「二類相当」であること

大したウイルスでもなかった新型コロナウイルスで、われわれが、ここまで苦しめられている最大の原因は、コロナを感染症法の「二類相当」に分類しているからである。正確には「新型インフルエンザ等感染症」に分類され、エボラ出血熱などと同じく、一類相当の厳しい感染措置が取られているからだ。

「二類相当」に分類されている弊害としてまず挙げられるのが、発熱患者の対応をすべて保健所でしなければならず、感染者が増えてきたら十分な対応ができず、初期治療が遅れ重症患者が増えることである。特にオミクロン株のように感染者数が急激に増えた場合には保健所だけで対応することは不可能であり、保健所崩壊によって重症者が増えることになる。

また、医療機関ではコロナが「二類相当」であることで、ゾーニング、陰圧室、防護服などの態勢を整えねばならず、医師や看護師の負担が非常に大きくなり、また、医療従事者が感染したり濃厚接触者になると出勤できなくなり、人手が不足し医療崩壊が起こる。

また、「二類相当」であることにより、医師会に所属する民間の開業医がコロナ患者の受診拒否ができ、せっかく有る医療資源の殆どが活用されないまま医療崩壊が起こっている。コロナが「五類」であれば町のクリニックでいつでも誰でも受診ができ、もし重症化の恐れがある場合でもそのクリニックと連携している有床病院への引継ぎがスムーズに行われ、重症患者の発生をかなり抑制できるはずである。

分科会の専門家は「二類」を「五類」にしたら感染爆発が起こり医療崩壊すると言い続けてきたが、それは全く逆で、「二類」に据え置いているからこそ潤沢にある医療資源を使うことができず医療崩壊が起きているのだ。最早、インフルエンザ並みかそれ以下のオミクロン株については、「五類」に格下げし、町の開業医でも診察できるようにすることがコロナ禍を終わらせる最良の方法である。今のままでは、日本はコロナという病気でダメになるのではなく、馬鹿げた政策で潰されてしまう。

 

※当サイトでは厚生労働省などのデータに基づき統計的比較を試みているが、医学的知見ついては解釈が異なる場合があるので、個々の事例についてはかかりつけ医などの専門家に確認の上ご判断ください。

データを比較すればコロナは怖くない

2021-12-04

「オミクロン株」という ”ニュースター” 登場により、テレビでは連日連夜、新型コロナの話題が取り上げられ、いつもながらの煽り報道が繰り返されている。これだけ毎日毎日、朝から晩まで、手を変え品を変え「コロナは怖い」、「オミクロンの感染力は凄い」と繰り返されたら、テレビが主な情報源の高齢者が「新型コロナはとんでもなく恐ろしいウイルスだ」と洗脳されても仕方がない。ただ、新型コロナウイルスに関する客観的なデータを見ると、日本人にとって新型コロナがここまで大騒ぎするような怖いウイルスかどうかは甚だ疑わしい。そこで、厚労省などの一次データを参照し、比較的数値を誤魔化しにくい死亡者数に焦点を当て、1.インフルエンザとの比較2.海外との比較3.年代別比較4.致死率の推移の4つのポイントに絞って、新型コロナとはどういうウイルスなのか改めて確認してみたい。

 

1.インフルエンザとの比較(感染による死亡者数、ワクチンによる死亡者数)

① 感染による死亡者数

コロナ 18,364人(2021年12月3日時点 直接死は不明)  インフルエンザ 約20,000人(2018年と2019年の2年間 直接死は6,900人)

② ワクチン接種による死亡者数

コロナ 1,387人(9,458万人接種) インフルエンザ 5人(5,649万人接種)

データの所見: 関連死も含めれば、この2年間の日本における新型コロナによる死亡者数は18,364人で、インフルエンザの約20,000人とほぼ同数であり、両者の死亡リスクは同じ程度と考えられる。ただし、インフルエンザの場合は毎年5,000万人がワクチン接種をしての数値なので、実際の毒性はインフルエンザの方が高いのかもしれない。さらに、厚労省が昨年6月に新型コロナについて「PCR陽性者が亡くなった場合は厳密な死因を問わずコロナ死として報告するように」という通達を出しているので、コロナ死18,364人のうち本当にコロナで亡くなった数は不明であり、実際の死亡者数はこの数よりかなり少ないと考えられている。

ここで一つ注意しなければならない点が、新型コロナとインフルエンザの死亡者数がほぼ同じであるにもかかわらず、なぜ新型コロナだけが医療ひっ迫するのかという点である。その最大の原因は医師会などに所属する民間の医療機関がコロナ対応に非協力的であったことだが、その他の原因として特に指摘しておきたいのは、新型コロナの方がインフルエンザに比べ重症化率が高かったということである。間違わないで欲しいのだが、重症化率が高いということは新型コロナの方が強毒なウイルスかと言うとそうではなく、発症初期の医療対応の差が重症化率の差となって表れているのだ。インフルエンザの場合、感染症分類が5類なので、発熱患者を最初から診療所の医師が診察することができ、投薬、経過観察、重症化への対応がスムーズに行われ、重症化率が抑えられている。一方、新型コロナは指定感染症2類相当に分類されているため、すべての対応が保健所を通すことになり、初期治療が遅れ、症状がかなり悪化してからでないと病院の診察を受けられず、医師の手に渡った時には既に重症化しているという例が枚挙に暇がない。つまり、新型コロナが重症化しやすいのはウイルスの毒性が強いからではなく、本来受けられるべき初期治療が施されていないからで、これはまさしく医療提供者側による人災である。政府が指定感染症2類にこだわったがために、対策が保健所を中心とした感染抑止に偏り、肝心の治療という側面が軽んじられたため、救われたであろう命の多くが失われた可能性がある。以上のことから推察できるのは、もし新型コロナについて初期治療がうまく機能していれば、インフルエンザよりも死亡者数が少なかったのではないかと言うことだ。

インフルエンザとの比較という点で、今回特に見逃されている点が、新型コロナが流行したことによるウイルス干渉のためインフルエンザが全く流行せず、インフルエンザによる死亡者がほとんどいなくなったことだ。しかも、新型コロナによる死亡者数と同じぐらい、インフルエンザによる死亡者数が減少したものだから、トータルでは死亡者数は全く増えていない状況である。つまり、感染症という大きな枠組みで考えれば、感染被害は拡がらなかったと言える。その証左として2020年の日本の超過死亡者数は前年比約1万人減少しており、アメリカをはじめとした世界各国の超過死亡者数が軒並み数万人単位で増加している中で、日本だけがパンデミックの蚊帳の外にいたのである。

一方、ワクチンによる死亡者数はインフルエンザワクチンよりもコロナワクチンの方が桁違いに多い。100万人当たりの死亡者数はコロナワクチンでは14.6人、インフルエンザワクチンでは0.08人なので、コロナワクチンによる死亡者はインフルエンザワクチンの約180倍である。厚労省はワクチン接種と死亡の因果関係は評価不能としているが、これだけ両者の差が大きいと、この数字が許容範囲なのかどうか見解を明らかにすべきであろう。

まとめ:「日本における新型コロナは、インフルエンザ並みかそれ以下の弱毒性のウイルスであった。ただ、致死率が50%を超すエボラ出血熱並みの扱いをしてしまったがため、初期治療が遅れ重症者を増やし、その結果、医療崩壊が起き死亡者を多く出してしまった。一方、新型コロナワクチンはインフルエンザワクチンに比べ副反応が強烈でかなり強毒なワクチンと言える。しかもまだ治験中なので遺伝子ワクチンとしての長期的な安全性は不明である。厚労省の人口動態統計によると、昨年は減少した日本の超過死亡者数が、今年はワクチン接種が開始された5月以降、ひと月1万人単位で桁違いに増えており、驚くことに東日本大震災で戦後最多の超過死亡者数となった2011年を大きく上回るペースで増加している。確証はないが、おそらく、その中には報告されていないワクチン接種による死亡者が相当含まれているのではないだろうか」

 

2.海外との比較(陽性者数・死亡者数・ワクチン接種率)

① 日本(ワクチン接種率:77.5%)

・100万人当り陽性者数 13,598人  100万人当り死亡者数 144人

② アメリカ(ワクチン接種率:60.0%)

・100万人当り陽性者数 146,307人  100万人当り死亡者数 2,361人

③ イギリス(ワクチン接種率:70.0%)

・100万人当り陽性者数 153,704人  100万人当り死亡者数 2,153人

④ ドイツ(ワクチン接種率:68.8%)

・100万人当り陽性者数 73,452人  100万人当り死亡者数 1,232人

⑤ スウェーデン(ワクチン接種率:69.3%)

・100万人当り陽性者数 120,779人  100万人当り死亡者数 1,511人

⑥ オーストリア(ワクチン接種率:68.0%)

・100万人当り陽性者数 47,057人  100万人当り死亡者数 503人

⑦ ブラジル(ワクチン接種率:64.0%)

・100万人当り陽性者数 104,853人  100万人当り死亡者数 2,915人

⑧ イスラエル(ワクチン接種率:63.0%)

・100万人当り陽性者数 157,892人  100万人当り死亡者数 962人

⑨ インド(ワクチン接種率:34.0%)

・100万人当り陽性者数 25,333人  100万人当り死亡者数 344人

⑩ 韓国(ワクチン接種率:80.0%)

・100万人当り陽性者数 9,134人  100万人当り死亡者数 74人

データの所見: データを見れば一目瞭然で、日本の陽性者数も死亡者数も欧米諸国の5分の1から20分の1と桁違いに少ない。その理由の一つとして言われているのが、東アジア諸国は中国由来の旧来のコロナウイルスに昔から感染してきたので、新型コロナに対抗するための交差免疫(メモリーT細胞などの細胞性免疫)をすでに持っており、欧米諸国に比べ免疫力が高いということだ。さらに、日本の場合は新型コロナが出始めた2020年の1月から3月半ばにかけて中国からの渡航制限をしなかったので、大量の中国人観光客の入国により多くの日本人が新型コロナに無症候感染し、2020年の3月時点では日本人の相当数が新型コロナの抗体を保有していたと言われている。いずれにしても、日本人は欧米人に比べ新型コロナへの免疫力が高いことは間違いないだろう。

一方、ワクチン接種率と世界の感染状況を見ると、コロナワクチンの有効性に疑念が持たれるデータが次々と出てきている。欧米ではワクチン接種率が70%のドイツやオーストリア、アジアではワクチン接種率が80%のシンガポールや韓国など、ワクチン接種率が高い国ほどデルタ株の感染者数が急増し、過去最高を更新している。特に今まで入国制限やロックダウンなどの強い感染対策をして感染者数を抑え込んでいた国ほど感染が急拡大している。逆にインドやインドネシアのようにワクチン接種率が低いアジアやアフリカでは感染者がほとんど増えていない。データを素直に見れば、ワクチンは効いていないとしか言いようが無いのだが、政府もマスコミもそこには全く触れず、日本では3回目の接種が始まり、更に12歳未満へのワクチン接種が検討され始めた。しかも、肝心の「オミクロン株」への有効性がまだわからないままにである。

まとめ:「日本は欧米諸国に比べ新型コロナに対して強い免疫力があることはデータで明らかである。そのデータを顧みず、欧米並みの厳しい感染対策をしたり、まだ治験中にもかかわらず特例承認までしてワクチン接種を促進することが、総合的に見て国益に叶うことなのかどうかよく考えるべきである。ところ変われば品代わるで、ウイルスのリスクだって国や民族によって違うのだから、なにもウイルス対策まで欧米の猿真似をする必要は無く、日本に合った対策をすれば良いはずなのだが」

 

3.年代別比較 (陽性者数・死亡者数・致死率)

① 80代以上

・陽性者数 74,165人 死亡者数 10,693 致死率 14.4%

② 60代70代

・陽性者数 183,299人 死亡者数 5,863人 致死率 3.1%

③ 40代50代

・陽性者数 477,225人 死亡者数 1,118人 致死率 0.23%

④ 20代30代

・陽性者数 707,304人 死亡者数 111人 致死率 0.01%

⑤ 20歳未満

・陽性者数 269,428人 死亡者数 3人 致死率 0.001%

⑥ 全年代合計

・陽性者数 1,711,421人 死亡者数 17,788人 致死率 1.03%

※なお致死率については、PCR検査の検査環境によって大きく左右される数値なので、実際は上記数値よりかなり低いと考えられる。つまり、80代以上の人が100人感染したら14人が亡くなるわけではない。あくまで、年代別比較のための参考数値と考えてもらいたい。

データの所見: 新型コロナ感染による死亡者数の合計が17,788人(年齢不明分を除く)で、80代以上の死亡者が10,693人で全体の60%、60代70代の死亡者が5,863人で全体の33%、その合計が16,566人で全体の93%であり、コロナ死の93%が60歳以上の高齢者ということである。しかもそのうち90%近くが基礎疾患があり治療中の人達である。新型コロナで亡くなった人の平均年齢は約80歳で、日本人男性の平均寿命とほとんど変わらない。つまり、コロナで亡くなった人とは、80歳前後の高齢者でしかも持病の治療中や寝たきりの老人で、批判を恐れず言えば、いつお迎えが来てもおかしくないような高齢者が最期にコロナに感染して亡くなったか、または、持病で亡くなった人がPCR検査をしたら陽性であったという場合がほとんどなのである。明らかなのは、新型コロナは30代以下の健康な人にとってはほとんど関係の無いウイルスだと言うことだ。

インフルエンザの死亡者の年代構成もコロナとほぼ同様であり、2018年のデータによると、インフルエンザによる死亡者のうち80代以上の死亡者が全体の75%、60代70代の死亡者が全体の20%で、その合計が全体の95%を占めており、コロナ死の93%とほぼ変わらない。コロナ禍の中で起こっている今の状況は、今までずっとインフルエンザで毎年繰り返されてきたことと大きな違いは無いなのだ。コロナ禍以前には、毎年、持病で体の弱った高齢者が最期はインフルエンザに罹って肺炎で亡くなることが普通にあったわけで、そんなことは、いちいち誰も問題にしなかった。一方、新型コロナに罹って肺炎で亡くなることについては、未だにマスメディアが特別扱いをし大袈裟に報道している。もちろんコロナが出始めた昨年の初め頃であれば、どのようなウイルスかわからなかったので警戒する必要はあったが、新型コロナの感染力や毒性などの性質がかなり判明した現在において、新型コロナを今のマスコミが取り上げているようなやり方で特別扱いをする必要があるのかどうか、すでに見直す時期に来ているのではないか。

一方、20歳未満の新型コロナ感染による死亡者数は3人で、致死率は0.001%と、殆ど亡くならない。亡くなった3人のうち2人は重篤な基礎疾患があり、あと1人は交通事故死である。つまり、未だ健康な未成年者は1人も亡くなっていないのだ。にもかかわらず、岸田内閣は、5歳から12歳の子供たちへのワクチン接種を始めようとしている。ワクチン接種をした未成年者の死亡例が日本でも確認され、若年層の心筋炎が数多く報告され、スウェーデンなどの北欧諸国では若年層へのワクチン接種を停止した国もあるくらいなのに、ベネフィットがゼロで、リスクしかないワクチンをなぜ子供たちに打たせようとするのか、理解に苦しむ。

テレビに出演している専門家はよく、「子供が高齢者に感染させるのを防ぐために子供たちもワクチンを打つべきだ」と言っているが、その同じ専門家が「ワクチンは感染を防げないが重症化は防ぐ」と矛盾したこと言って平然としている。感染を防げないのなら子供たちに打つ意味がないではないか。治験中でありワクチンの安全性が証明されていない以上、ベネフィットが全くない若年層は接種すべきではないし、そもそも「高齢者を救うために子供は犠牲になっても良い」という発想自体、人としてどうかしているし、憲法の「基本的人権の尊重」という理念に反すると思うのだが。

まとめ:「新型コロナはインフルエンザと同じく、基礎疾患のある高齢者が亡くなる病気である。その死亡者数がインフルエンザより遥かに多いのであれば問題であるが、その死亡者数はインフルエンザとほぼ同じ程度である。であるならば、日本全体の経済や社会を犠牲にしてまで、さらには廃業や失業で困窮した人達の自殺を許容してまで、高齢者の死亡者数を抑える意義はあるのだろうか。日本が取っているコロナ対策は、蚊を殺すためにマシンガンを撃ちまくって家中が滅茶苦茶になるような過剰防衛に他ならない。特に高齢者の感染を防ぐために若年層にもワクチンを打つべきだという考え方は法的にも道義的にも許されるものではない。」

 

4.致死率の推移

① 第1波(2020.3.1~6.30)

・陽性者数18,763人 死亡者数988人 致死率5.27%

② 第2波(2020.7.1~10.31)

・陽性者数82,718人 死亡者数981人 致死率1.19%

③ 第3波(2020.11.1~2021.2.28)

・陽性者数331,310人 死亡者数6,901人 致死率2.08%

④ 第4波(2021.3.1~6.30)

・陽性者数366,946人 死亡者数6,212人 致死率1.69%

⑤ 第5波(2021.7.1~10.31)・・・デルタ株

・陽性者数922,760人 死亡者数3,257人 致死率0.35%

※なお、感染してから死亡するまでの期間のずれを調整するため、死亡者数の集計期間を陽性者数の集計期間より、20日間、後にずらしている。また致死率については、PCR検査の検査環境によって大きく左右される数値なので、実際は上記数値よりかなり低いと考えられる。あくまで致死率の推移を見るための参考数値と考えてもらいたい。

データの所見: 第5波のデルタ株の致死率は0.35%で、第4波の致死率1.69%の5分の1まで下がった。この原因の一つは、デルタ株の感染力が非常に強かったので、それまでの変異株では感染しなかったような免疫力の強い層が多く感染したため、重症化しにくかったからだと考えられる。新型コロナの様な風邪のウイルスと人間との「共生」は、ウイルスが変異するたびに弱毒化しながら感染力が増し、免疫力の弱い層から免疫力の強い層へとだんだんと感染が拡がり、最終的に国民全体の集団免疫が達成される過程を辿る。今、「オミクロン株」が出てきたが、変異の原則から言えばデルタ株より更に感染力が増し弱毒化している可能性が高く、「共生」への過程の最終段階にあるのではないだろうか。

まとめ:「ゼロコロナを目指すべきだと、どこかの野党党首が言っていたが、人間は古来、ウイルスと共生することでしか生きて来れなかったわけで、ゼロコロナを達成しようと思えば人類が滅びるしかない。新型コロナの弱毒化と人間の免疫力のバランスが取れたところが、新型コロナと人間の共生点であり、そのバランスが取られようとしている正に今、人工的なワクチンで台無しにする必要は無いのではないか」

 

以上のように、1.インフルエンザとの比較2.海外との比較3.年代別比較4.致死率の推移のデータを先入観無くシンプルに見ると、日本においては、新型コロナウイルスはマスメディアが大騒ぎするような恐ろしいウイルスではなかったと考えられはしないだろうか。死亡者数はインフルエンザ並みで、海外と比べても死亡者数は桁違いに少ない。また死亡者の殆どが基礎疾患のある高齢者であり、致死率も変異の度に下がってきており、少なくとも第5波の「デルタ株」の危険度は、インフルエンザ並みと言ってもいいぐらいだ。いわんや、「オミクロン株」についてはインフルエンザよりも弱毒の普通の風邪になっている可能性が高い。

 

ただ、テレビ関係者の中には、「日本の感染被害が少なかったのは、テレビがコロナの恐怖を煽ったことで、国民の自粛を促したからだ」と煽り報道を正当化する人たちがいる。この「テレビの煽り報道が国民をコロナから救った」という発想自体がテレビ関係者の驕りであり欺瞞なのだが、彼らが煽ったことにより国民に促した行動変容が、感染拡大を防いだというエビデンスは全く無い。例えば、ワイドショーや報道番組では「ステイホーム」とか「夜の外出は控えろ」とか「県外への移動を控えろ」などと再三繰り返し国民に移動の自粛を求めてきたが、今夏のデルタ株の感染状況を見ると、人流に関係なく感染は拡大し、人流が減らなくても収束したわけで、人流抑制にほとんど効果が無かったことがわかる。実際、毎日の通勤ラッシュを放置しておいて人流抑制もへったくれもないのだが。

実は、新型コロナの感染力は、ワイドショーで日々繰り返し主張されて来たマスク着用、三密回避、人流抑制、飲食店の規制、渡航制限などの感染対策で防げるような甘いものではなく、すでに、相当数の日本人は感染対策も虚しく、新型コロナに無症候感染していると見られている。その証左として、コロナが流行りだして以降、インフルエンザが全く顔を出さなくなったことが挙げられる。インフルエンザが全く流行しなくなったのは、コロナウイルスとのウイルス干渉(ウイルス同士で宿主の奪い合いをし、一つのウイルスが流行すると他のウイルスは流行しない現象)が原因であり、日本人の大半がコロナウイルスに感染したからこそ、ウイルス干渉により、日本人の間でインフルエンザが全く流行しなくなったということだ。よく、マスク着用などの感染対策をしたからインフルエンザの流行が抑えられたと報じられているがそれは間違いで、日本人がマスクをし始めたのは早くても2020年の3月頃からだが、インフルエンザの流行が頭打ちしたのはそれより2か月も前の1月初旬であった。誰もコロナの存在を知らなかった時である。つまり、2020年1月に中国から流入した新型コロナによってウイルス干渉が起こりインフルエンザの流行が抑えられたのである。日本だけでなく世界的にもインフルエンザは激減しており、ウイルス干渉は世界的に起こっていて、諸外国でも新型コロナは凄まじい勢いで蔓延した。世界中のインフルエンザを凌駕するほどだから、新型コロナの感染力は人智を超えるものであり、ロックダウンや緊急事態宣言ぐらいの対策で抑えられるような代物ではない。

また、新型コロナが我々が思っている以上に日本で蔓延していることを表している事象が、沖縄県や北海道を含めすべての都道府県において例外なく、同じ時期に変異株の種類が入れ替わり、同じ時期に感染拡大し、同じ時期に収束し、しかもその感染規模もほぼ同じだということである。47都道府県すべてである。現在の日本の累計陽性者数は約172万人で全人口の1.3%に過ぎないが、感染者が本当にこの程度しかいなければ、感染の増減や規模が全国的にここまでシンクロすることはあり得ない。つまり、PCR陽性者数は氷山の一角で、その背景にはかなりの無症候感染者が存在し、感染の動きが同期していると考えられる。

さらに、現在、日本やインドなどのアジア諸国で感染が落ち着いているのは、今年の夏場に「デルタ株」が大流行し、公表されているPCR陽性者数の何十倍もの人が無症候感染したことによる集団免疫が獲得されたからと言われている。集団免疫が獲得されたかどうかは、今夏のデルタ株の流行でインドの抗体保有率が70%になったことや、ワクチン接種率が低かった東アジアのほとんどの国でデルタ株の感染が指数関数的増加減少曲線を描いて約3カ月で収束したことからもわかる。要するに、新型コロナはわれわれが今まで試みてきたような感染対策で抑えられるようものではなく、その感染力は凄まじく、集団免疫が達成されるまで拡大し続け、集団免疫に達したとたん収束するという性質のものであった。よって、政府がいくら感染対策を訴えマスコミが恐怖を煽って国民が自粛しても、感染者数の増減にはほとんど関係が無かったということである。

以上の様な「ウイルス干渉」「集団免疫」などの現象については、2020年のかなり早い段階から専門家が指摘しており、緊急事態宣言などの感染対策にはほとんど効果が無いと示唆していたにもかかわらず、それを今まで全く取り上げなかったテレビ局の報道姿勢については大きな問題がある。一つの課題について見解が分かれるときには、両論併記が報道の原則であるが、テレビ局はこの報道の原則を破り、「コロナは怖い」という偏った情報しか流さなかった。彼らの理屈は「テレビがコロナの恐怖を煽ったからこそ感染拡大が抑えられた」というものだが、それは彼らの「お為ごかし」であり、そんなエビデンスは全く無く、テレビ局がコロナの恐怖を煽った本当の理由は、テレビ局にとってコロナは怖ければ怖いほど視聴率が稼げる商材だからである。また、「コロナは怖い」と言っておけば、感染が拡がれば「ほら、言った通りでしょ」と言えるし、もし感染が拡がらなければ「われわれがコロナが怖いと報道したから感染が抑止された」と言うことができ、どちらに転んでも自分たちの立場が保て、かつ、視聴率が稼げるのである。「コロナは怖い」という言葉はテレビ局にとっては一石二鳥のおいしい言葉であり、視聴率至上主義の彼らにとってこの言葉を使わない手はないのである。「オミクロン株」登場を「待ってました!」とばかり煽りまくるワイドショーの狂喜乱舞ぶりを見ていると、テレビ局の欺瞞が透けて見えるではないか。

テレビの煽り報道は感染拡大を防げなかっただけでなく、国民に必要以上の恐怖を与え、政府に過剰な感染対策を取らせ、その結果、先進国の中で感染者も死亡者も最も少なかった日本が、最も大きな経済的ダメージを被り、廃業、失業、自殺などの多くの副作用に苦しめられたのだ。この現状を踏まえた上で、なお「テレビの煽り報道が国民をコロナから救った」とテレビ側の人間が言うのであれば、テレビをはじめとしたマスメディアには最早、報道を担う資格は無いと言えよう。

 

今、欧米諸国はワクチンを打ったにもかかわらず「デルタ株」の感染拡大という洗礼を受け右往左往しているところに、「オミクロン株」が登場しパニックに陥っているが、すでに新型コロナへの強い免疫力を持っている日本人は欧米諸国のパニックにお付き合いする必要は無く、「オミクロン株」の実態把握を優先し、できるだけ冷静に対応していくべきであろう。くれぐれもテレビの煽り報道に騙されないように。

ただ、今のうちに政府にやってもらいたい事は、感染症の分類を「2類相当」から「5類」に格下げし、インフルエンザと同じ扱いにしておくことだ。なぜなら、「オミクロン株」は「デルタ株」と比べ更に弱毒化している可能性は高いがその分、感染者が「デルタ株」以上に増えることも予想され、そうなった場合、保健所やコロナ対応病院だけでは対応しきれなくなり、自宅療養での重症化など、またしても医療崩壊による人災を起こす恐れがあるからだ。医療崩壊を防ぐためにも、インフルエンザと同じように、どの開業医や病院でも受診できるようにし、医療キャパを増やしておく事が、今できる最良の対策である。

 

(厚生労働省の2021.12.3時点のデータを参照)

※当サイトでは厚生労働省などのデータに基づき統計的比較を試みているが、医学的知見ついては解釈が異なる場合があるので、個々の事例についてはかかりつけ医などの専門家に確認の上ご判断ください。

コロナに脅かされる「科学的思考」と「言論の自由」

2021-08-23

日本人にとってコロナ禍とはいったい何だったのだろうか?

厚労省のデータによると、コロナによる死亡者数はインフルエンザによる死亡者数とほぼ同数、欧米諸国と比べると感染者数や死亡者数は15分の1から20分の1、亡くなった人の9割がインフルエンザと同じく60歳以上の基礎疾患のある高齢者であった。これは紛れもない事実である。

データを冷静に見れば日本はパンデミックの蚊帳の外にいたと言えるが、日本が欧米諸国と同様にコロナパニックに巻き込まれた最大の理由は、PCR検査によって感染状況が可視化され、それをテレビ局が毎日繰り返し報道することで、視聴者が必要以上にコロナウイルスを警戒したからである。もしPCR検査が無ければ、「今年はインフルエンザの代わりにたちの悪い風邪が流行ったね。」で終わっていたかもしれない。

今までは「知らぬが仏」で何の問題も無くやり過ごせていたものが、PCR検査が登場したことにより、国民は知らなくてもいい情報まで知ることになった。しかも、PCR陽性者数は株式相場のごとく日々変化し、常に新鮮な情報を提供してくれるので、テレビ局にとっては視聴率稼ぎには打って付けの材料であった。どのテレビ局もPCR陽性者数のグラフをパネルに掲げ、今週の感染者数は過去最多などと煽り立てた。大した陽性者数でもないのに、夕方になれば画面上に速報のテロップを流すほどの念の入れようである。その結果、毎日過度に誇張された情報に晒され続けた視聴者は「コロナは恐ろしい伝染病だ」と洗脳され、コロナのリスクはその実力以上に過大評価されてしまったと言える。

まさに、日本にとってコロナ禍とは「パンデミック」では無く、「インフォデミック」、つまりマスメディアの煽り報道により作り上げられた「情報災害」であった。

ただその代償は大きく、欧米諸国以上に経済が落ち込みその回復もままならず、廃業や失業により自殺者が増加し、人とのコミュニケーションが断絶されたことにより「うつ病」などの精神疾患が増え、子供たちの発育と教育が阻害され、様々な私権が無秩序に制限され、言論の自由が奪われ、憲法に謳われている「基本的人権」が軽んじられ、民主主義の根幹が揺るがされた。病気の被害に比べその副作用はあまりにも大きかった。

そこで、日本人にとってコロナ禍とはいったい何だったのか、何が問題だったのかを詳しく見てみたい。

【目次】

1.「東京五輪」と「欧州サッカー選手権」に見るコロナ対応の違い
2.為政者の「総合知」の欠如と国民の「良識」の劣化が生み出したコロナ禍
3.国民を怖がらせるだけの感染対策でいいのか?
4.コロナ対策のボタンの掛け違いは「感染拡大を抑えられると思い込んだことだ」
5.「指定感染症」を解除すればコロナ禍は終わる
6.日本にワクチンは必要か? ~コロナウイルスは弱毒化している~
7.ワクチンと「言論封殺」
8.ワクチンパスポートの非科学性と違憲性 
9.医療利権が政策を左右している
10.なぜ若年層にワクチンを打つのか?

【本編】

1.「東京五輪」と「欧州サッカー選手権」に見るコロナ対応の違い

このほど、イングランド公衆衛生庁が、今年の6月から7月にかけて行われた「欧州サッカー選手権」での感染状況の実証実験結果を発表した。英国で行われた8試合で約35万人が観戦したが、そのうち約6,400人が陽性者であった。特に6万人を入れた決勝戦での陽性者数は約3,400人と他のスタジアムに比べかなり多かった。ただし、6,400人の陽性者のうち3,000人は既に観戦時点で陽性であり、観戦により増えた陽性者は3,400人とのこと。つまり、3,000人が3,400人に感染させたということだ。観客はすべてワクチン証明書か陰性証明書を取得していたが、それでも陽性者数が2倍強になったということは、ワクチン証明や陰性証明の感染予防効果には限界があるということだろう。ただ、観客はノーマスクで、大声を張り上げ、ゴールが決まれば観客同士で抱き合い、試合後は周辺のバーなどで酒を飲んで羽目を外していたわけで、しかも3,000人もの陽性者を35万人の密集状態の中に放り込んでおいて、これぐらいの感染拡大に収まったとすれば、マスク無しで大騒ぎしても大した問題ではないとイギリス政府が考えるのも無理はないのではないか。

今回の結果を受けて、6,400人という感染者数のみに反応した日本のマスメディアは「東京五輪は無観客で正解だった」と報じているが、国立競技場で1万人、その他の会場でも十分なキャパシティコントロールをして開催する予定だった「東京五輪」で「欧州サッカー選手権」のようなことが起こるとは到底考えられない。プロ野球や大相撲での日本人の観戦態度を見れば言わずもがなである。

それよりも、東京五輪で一つ気になったことが、試合直後の選手へのインタビューである。陸上競技1,500メートルの田中希実選手が、レース直後で息が上がって苦しそうにしているにもかかわらず、運営スタッフからマスクを渡され、マスクを着用させられてインタビューを受けていたことだ。他にも水泳の大橋選手など、ほとんどの競技で試合直後にマスクを着用させられインタビューを受けていたが、いったい、誰が誰に感染させるのを防ごうとしているのか?感染防止をしたいのなら、インタビュアーや周りの人間が対策をすべきで、選手に負担を掛けるのはいかがなものか。かたや、柔道ではノーマスクだったが、屋内競技の柔道ではマスク無しが許され、屋外競技の陸上ではマスク有りというのはいったいどういう基準なのだろうか?

さて、話は欧州サッカー選手権に戻るが、ここで注目したいのが、日本とイギリスのコロナ対応の差である。イギリスは、「無謀な実験」と批判されようとも、ワクチンの効果や大規模イベントの感染リスクを「科学的」に検証しようとしたわけで、あくまでデータに基づいた感染対策をしようとした。そして、その検証の結果、これまでの感染対策を緩めていくことを決断したわけだ。そこには、リスクを取ってでも「コロナ禍を終わらせよう」、「モードチェンジしよう」とする強い覚悟のようなものが感じられる。

それに比べ、東京五輪においては、1,000億円以上かけて開発したスーパーコンピューター『富岳』が、「有観客開催でも感染を拡げない」というシミュレーション結果を提示していたにもかかわらず、政府はそれを採用しなかった。ちなみに、多くの日本人に「マスクには感染防止効果がある」と思わせたのは『富岳』の飛沫拡散シミュレーションの映像であったが、マスク着用の流布には『富岳』を採用しておきながら、東京五輪では『富岳』を採用しないというのはどういう基準なのだろうか?勘違いしてもらっては困るのだが、『富岳』の出すデータが必ずしも正しいと言っているわけではない。逆に、『富岳』の飛沫拡散シミュレーションは「マスクが感染を防ぐ」ということを何も証明していないにもかかわらず、国民にコロナウイルスの感染経路が「飛沫感染」だと印象付けた点、そして、その後の感染対策が「マスク着用」や「三密回避」、「飲食店への規制」に偏向して行き、それ以外の可能性の追究が疎かになり糞口感染などの感染経路が見逃されたという点で大きな問題であった。しかし、ここで問題にしたいことは、どのような対策を取るにせよ政府の判断基準に一貫性が無い事である。『富岳』のデータが科学的に正しいと言うならばそれを採用すればいいはずだが、結局、政府は有観客開催に踏み切ることができなかった。なぜ彼らにその合理的な決断ができないのか。その最大の原因は、政府にとって最も重要なことが、コロナ禍から国民を守ることでは無く、自分たちの立場を守ることだからである。総裁選や衆議院選挙を控えた政府の最重要課題が選挙に勝つことであり、採用する対策が科学的かどうかというよりも、「いかにテレビや世論にバッシングされないか」、「いかに内閣支持率を下げないか」ということが判断の決め手となっていたからである。政府のそのような姿勢は国民にも見透かされていて、菅政権の支持率がここまで下がったのは、単に東京五輪を開催したからとか、コロナの陽性者数が増加したからではなく、採用する政策に科学的根拠と一貫性が無く、かつ、コロナ禍を終わらせようとする覚悟が感じられないからである。

ところで、東京五輪閉会式の最後に、次期開催地パリがエッフェル塔の下に大観衆を集め行ったパフォーマンスの迫力を目の当たりにして、皆さんはどう感じただろうか?(ちなみにこの大観衆は全て、ワクチンパスポートか陰性証明書を所持していたらしい)。「パリが大観衆を集めてやれるのなら日本も有観客でやって良かったのではないか」と悔しがった人、「感染を拡げたらどうするのか。日本ではありえない!」と呆れた人、「今後のスポーツイベントはワクチンパスポートが前提となるのか」と眉をひそめた人・・・千差万別だと思うが、一つ言えることは、閉会式を見た世界中の人々の記憶に残ったのは、おそらく、観客のいない閑散とした国立競技場の映像ではなく、フランス空軍機がトリコロールを描きながら旋回したエッフェル塔の下に集まる大観衆の映像であろう。

2.為政者の「総合知」の欠如と国民の「良識」の劣化が生み出したコロナ禍

日本よりはるかに感染者数も死者数も多いイギリスが経済活動の再開に舵を切り、大観衆を集めイベントを敢行する姿勢を見てしまうと、日本の「科学的根拠」も「政策的信念」も無く、政局に左右されたり、国民の顔色を窺ったり、マスコミのバッシングを恐れたりといった、弱腰な政策決定が歯がゆくて仕方がない。ここでいう「科学的根拠」とは、単に感染抑止ができれば良いというものではなく、感染抑止策により経済や社会が被るであろう副作用にも配慮した総合的な知見である。つまり、分科会などの専門家の意見はあくまで参考意見に留め、どのような政策が国益に叶うのかを為政者自らが総合的に判断する「総合知」が必要なのである。残念ながら、責任を取ることを恐れた日本の為政者は自ら判断することを放棄し、「総合知」を働かせることはなかった。

例えば、日本政府のコロナ対策を振り返ると、昨年2月の「①全国一斉休校」に始まり、「②小中学生へのマスクの強制、給食の黙食、リモート授業の導入」、「③修学旅行や卒業式など各種学校行事の中止」、「④大学生への登校停止」、「⑤全国大会の中止などクラブ活動の制限」、「⑥困窮者が救われない特別定額給付金10万円の悪平等」、「⑦飲食店狙い撃ちの時短営業と不公平な補償」、「⑧根拠のないGotoトラベルの中断」、「⑨個々の事情に配慮の無い帰省制限の要請」、「⑩効果の検証がされないまま繰り返される緊急事態宣言」、「⑪飲食店がより苦しむことになった特措法の改悪」、「⑫PCR検査の誤用、乱用」、「⑬一向に拡充させない医療キャパ」、「⑭医療ひっ迫の原因となっている指定感染症の継続」、「⑮他の死因でもPCR陽性ならコロナ死と報告させている厚労省の通達」、「⑯酒類提供について優越的地位の乱用を政府が要請」、「⑰若年層へのワクチン接種」、「⑱人権侵害の恐れのあるワクチンパスポートの導入検討」そして「⑲東京五輪の無観客開催」等々、「科学的根拠」に基づいているとは到底思えない、「感染抑止一本鎗」の「総合知」無き愚策が繰り返されている。

これらの政策の欠点は、「新型コロナウイルスの危険性の評価」を棚上げしたまま(「指定感染症」を未だ続けている)、感染防止という名の「公共の福祉」が過度に重んじられ、「私権制限」が「無秩序」に行われていることである。つまり、「総合的な科学的知見」に基づかなかったため、過剰な感染防止策が経済や社会や文化や教育を必要以上に傷つけ、しかも、「国会」の検証や承認を経ず、「行政」の独断で「私権制限」が行われていることだ。要するに、「科学」と「法治」の軽視である。その典型的な例が、7月8日の西村大臣の発言であり、西村大臣は酒類提供禁止に応じない飲食店に対して金融機関から対策順守を働きかけてもらうよう呼び掛けたのだ。これはさすがに方々から批判が続出し未遂には終わったものの、西村大臣のこの発言はまさに優越的地位の乱用を政府自らが促したということであり、コロナごときで「権力の濫用」に対する歯止めがここまで効かなくなっているのかと、政治家の「総合知」の欠如に呆れ果てた。

ただ、このような政府の愚策を許したのは国民にも責任の一端があるのではないだろうか。例えば、時短要請期間中に営業している飲食店に誹謗中傷のビラを貼ったり、県外から来た車に嫌がらせをする「自粛警察」しかり、マスクをしない乗客を緊急着陸までして降ろす航空会社の「機長」しかり、電車の中でマスクをしていない人に注意する「マスク警察」しかり、小学生にマスクを強要し続ける「教育関係者」しかり、義務でもないのに屋外でマスクをしている「多くの国民」しかり。マスクの話ばかりになってしまったが、「たかがマスク、されどマスク」で、マスク着用はその感染防止効果のエビデンスが無いままに、国民が同調圧力で受け入れた非科学的対策の「象徴」だからである。世界にはマスクを着けない国も多いし、スウェーデンでは症状の無い人はほとんど誰もマスクをしていないが、マスクをしていないからといって感染が拡大したというエビデンスはない。もちろん日本でも無症状の人のマスク着用で感染拡大を防いだという実証データは無く、ただ、『富岳』の飛沫拡散映像の印象だけが国民の頭にこびりついているだけだ。マスクの効果に否定的なことを言うと、「マスクの効果が無いと証明されていない限り、着けないよりは着けている方がましではないか」という反論が聞こえてきそうだが、そういう人には一言、「では、屋外で、一人で歩いている時ぐらい、マスクを外してはどうか」と言いたくなる。おそらく人の目を気にして着けている人がほとんどだとは思うが、「屋外でマスクを外すことさえできない同調圧力の蔓延こそが日本のコロナ問題の本質」だと言える。マスク着用に限らず、日本では、国民が政府やマスコミの情報に何の疑いも持たず、言われるがままに政策を受け入れてしまったことが、政府に愚策を繰り返させる原因となってしまったのではないだろうか。

例えば大学は、昨年4月に入学してきた学生が既に1年半にも渡りほとんどキャンパスに行けていない現実をどう考えているのか?小・中・高生は工夫をして登校しているではないか?なぜ小・中・高生より分別のある大学生にそれができないと鼻から決めているのか。学生にとっては授業だけではなく、サークルやクラブ活動に勤しんだり、友達を作ったり、恋愛をしたり、キャンパスライフを謳歌する権利がある。学生にとっての4年間は大人達の4年間と違い唯一無二の時間なのだ。短大生は可哀そうに殆どキャンパスに行かず卒業することになる。「授業料を返せ」と言いたくなるのも無理はない。大学の経営者や教授たちは思い出してもらいたい。あなた達も学生時代を謳歌し、学生時代がいかに貴重な時間かをわかっているはずだ。大学こそ、学生をキャンパスに迎えるために、あらゆる科学的英知を結集して解決策を見出していく立場にあるのではないか。大学関係者の中に一人でも政府や文科省に対して、キャンパスでの学生生活がいかに大切かということを訴えた者がいるのだろうか。リモート授業に逃げている今の大学はまさに事なかれ主義であり、高等教育が同調圧力に負けた象徴である。

少し調べれば、「コロナは大したことが無い」というデータがいたる所にあるにもかかわらず、政府やマスコミが垂れ流す情報を鵜呑みにして「コロナは怖い」と思考停止に陥った国民は、物事を冷静に判断するための「良識」というものが相当劣化してしまったと言えるのではないだろうか。ここで言う「良識」とは、その人の人生の中で培われてきた知識や経験に裏打ちされた豊かな「教養」や「見識」という意味であり、たとえ専門的な知識が無くとも、物事の本質を直観的に見抜く力である。

今回のコロナ禍は「総合知」無き為政者と、「良識」が劣化した国民の共同作業で創られた「人災」ではなかったか。もちろん、視聴率の為なら偏向報道でもなんでもするテレビ局がコロナ騒動の元凶であることは間違いないし、テレビが巧みに脚色して毎日垂れ流す虚々実々の情報を、個人の「良識」だけで見極めろと言うのは酷かもしれないが、ただ、「テレビの言うことはすべて正しい」と思っている「良識」の劣化した人々があまりにも多いからこそ、コロナの恐怖は必要以上に過大評価されてしまったのではないだろうか。

3.国民を怖がらせるだけの感染対策でいいのか?

最近、東京都知事が「デルタ株の猛威で災害級の危機を迎えている。」と発言しステイホームを呼び掛けたが、本当に災害級の危機なのだろうか?たまたま災害級の豪雨が全国を襲っていることになぞらえ、コロナの被害も「災害級」になっているという印象を国民に与え、危機感を煽る手法ではないか。穿った見方をすれば、医療体制のひっ迫を招いた自身の失策から国民の目を逸らすため、コロナは避けようのない「自然災害」であるという印象操作をしたかったのかもしれない。いずれにしても、このような誇張された表現を知事が使うときは気を付けなければならず、われわれは、派手な言葉に踊らされることなくデータに基づいた冷静な判断をしなければならない。その意味でも、現在のデルタ株の流行が知事の言うような「災害級」の危機なのかどうか、海外のデータと比較して確かめたい。

8月20日時点での日本の陽性者数(7日間平均、以下同じ)は21,111人(100万人当り166人)で、死亡者数は28人である。陽性者に対する死亡率は0.13%であり、100万人当りの死亡者数は0.2人である。また、1回目のワクチン接種率は52%、2回目のワクチン接種率は40%である。

では、ワクチン接種が進んだことにより、通常の生活に舵を切ったイギリスではどうだろうか。8月20日時点での、イギリスの陽性者数は31,040人(100万人当り460人)で、死亡者数は114人である。陽性者に対する死亡率は0.36%で日本の2.7倍であり、100万人当りの死亡者数は1.6人で日本の8倍である。また、1回目のワクチン接種率は71%、2回目のワクチン接種率は62%であり、接種率は日本より20%ほど進んでいる。

また、アメリカの陽性者数は151,227人(100万人当り460人)で、死亡者数は975人である。陽性者に対する死亡率は0.64%で日本の5倍であり、100万人当りの死亡者数は2.9人で日本の14倍である。また、1回目のワクチン接種率は61%、2回目のワクチン接種率は52%であり、接種率は日本より10%ほど進んでいる。

いずれも、日本よりワクチン接種が進んでいるにもかかわらず、「陽性者に対する死亡率」は日本の2.7倍から5倍、100万人当たりの死亡者数に至っては日本の8倍から14倍なのである。以前よりはその差は縮まったが、それでも日本は海外と比べ「さざ波」か「小波」程度である。

そのアメリカでは、スタジアムを埋め尽くしたノーマスクの観客が大谷のホームランに歓声を上げ、ラスベガスでは2年ぶりに復活したマニー・パッキャオのタイトルマッチを超満員の観客が観戦し大声援を送っている。

一方、日本では陽性者数が増えたことだけをことさら取り上げ、医療ひっ迫が災害級の危機と騒ぎ立て、より強い感染対策をやろうとしている。全国知事会に至ってはロックダウンを政府に要求する始末だ。「危機を煽って国民の行動変容に期待する」いつものパターンである。「総合知」無き為政者の典型が、目先のことしか考えない今回の知事たちの烏合であった。それにしても、毎回思うのだが、医療がひっ迫しているのであれば医療体制に手を付ければいいのに、なぜか国民の行動を規制しようとする。この遠回りはいったい何なのだろう?昨年の1回目の「緊急事態宣言」の目的は、医療体制を整えるまでの時間稼ぎだったはずで、国民が我慢して時間稼ぎに協力したのだから、政府はそれに応えて、医療体制の整備に尽力すべきではなかったのか。あれから既に1年半が経過しているにもかかわらず、相変わらず「国民の行動変容を促す手法」しかやらないのは、協力した国民への裏切りであり、国民を舐めているとしか言いようが無い。

政府や知事は軽々に「ステイホーム」とか「夜の街は控えて」などの「自粛のお願い」を繰り返すが、国民に向かって「自粛」をお願いすること自体、事実上、事業者にとっては「間接的な営業妨害」なのである。しかし、あくまで国民(客側)へのお願いなので、知事は法的に事業者側に一銭の補償もする義務が無い。例えば、あなたが地方都市で観光旅館の事業を始めた途端、知事が「県を跨いだ移動はおやめください」と言って、客足が激減し経営危機に陥ったとしても、県はあなたに何の補償もしなくていいのだ。それがいつ終わるかわからず1年以上も続いたら、経営者として耐えられるだろうか?実際、日本ではそれがもう1年半も続いているのだが、地方都市ほど同調圧力が強く、事業者側にそれに抗う手立てがない。

他にも、銀座や新地のクラブやバーなどへの対処は酷いもので、完全に狙い撃ちされている。「午後8時までの時短営業をしろ」と言われたら、クラブの開店時間は通常午後8時頃だから「営業するな」と言われているのに等しい。ホストやホステスは個人事業主なので、雇用調整助成金の対象にならず休業や失業をしても何の補償も無い。彼らにとっては死活問題で、生活していくためには通常営業をせざるを得ない。政府や知事は、十分な補償がなければ要請に従わず通常営業を続ける店が出てくることは容易に想像できたはずである。政府が、飲食店が感染源だと言うならば、モラルハザードが生じているこのようなクラブやバーが感染源となっていることもわかっているはずだ。にもかかわらず、通常営業しているクラブやバーを放置しておいて、逆に、感染対策をしている飲食店に時短営業を要請している今の政策のどこに合理性があるのだろうか。

政府や知事たちは、この「国民へのお願い」という「ズルい手法」をしれーっとやり続けているのである。日本人の同調圧力は思った以上に強く、「自粛要請」という手法は、十分な補償をしなくてもロックダウン並みの人流抑制効果を発揮したので、政府や知事にとっては一石二鳥のおいしい手法であった。1回目の緊急事態宣言後も「ステイホーム」という掛け声のもと「自粛要請による人流抑制」がうまくいったものだから(人流抑制はできたが感染拡大を防げたわけではない)、それに味をしめて、遠慮なしに何度も繰り返すこととなり、その度に支援金などの補償の受け皿からこぼれ落ちた事業者が苦境に立たされる羽目になった。たださすがに国民も人流抑制が感染抑止に効果が無いということに気付き始め、「緊急事態宣言」を発出しても人流を止めることはできず、現在では「自粛要請」は形骸化している。

ちなみに、ロックダウンやマスクの義務化などの過度な感染対策を取らず、「ウイズコロナ」で「長期的戦略」を取ったスウェーデンは、当初高齢者施設の死亡者が多く出てかなり叩かれたが、今ここに至っては、陽性者数も死亡者数もほとんど増えておらず、その「対策をしない対策」が見直されている。スウェーデンには日本の様な「自粛」という概念は無く、あらゆる政策は法律に基づいて実行される。「スウェーデン政府の見解」は毎日、テレビでダイレクトに国民に伝えられ、日本のようにテレビが「自粛」「自粛」と恐怖を煽ることはなく、国民はいたって冷静だ。為政者も国民も、いわゆる自己の「良識」に基づいて判断しているのだ。義務ではないので誰もマスクをしていない。逆にスウェーデンではマスクをしている人は非常識な人だと見られる。そんなスウェーデンの8月20日時点での陽性者数は920人(100万人当り91人)で、死亡者数は1人である。陽性者に対する死亡率は0.11%であり日本とほぼ同じである。1回目のワクチン接種率は65%、2回目のワクチン接種率は50%であり、接種率はアメリカ並みで、日本より10%ほど進んでいる。

結局、イギリスやアメリカのように、ロックダウンを繰り返してコロナを抑え込もうとした国よりも、ウイズコロナで緩やかな規制を貫いたスウェーデンの方がコロナによる被害は同等だとしても、経済的ダメージは少なかったと言える。この一年半の各国の感染状況を見ていくと、一旦感染が拡大してしまうと、ロックダウンしようが、緊急事態宣言を出そうが、学校を閉鎖しようが、飲食店を休業しようが、もしくはなんの対策をしなくても、その結果はほとんど変わらないということがわかった。つまり感染対策のやり損だったのである。日本は既に獲得していた「集団免疫」や「交差免疫」などにより、スウェーデンよりも圧倒的にコロナ被害が少なかったにもかかわらず、スウェーデンよりも過度な感染対策をしてしまったがために、経済的損害はスウェーデンを上回ってしまったといえる。

東京都知事のように、為政者が「自粛」を促すための手法として国民の恐怖心を煽っているとしたら、それはもう民主国家とは言えないのではないか。国民から負託を受けた政府や知事は、その採用する政策について、国民に説明する責任があり、説明もせず、「従順な国民性」を利用して行動変容させようとするのは、扇動主義である。ただ、国民側も民主国家の一員として政府に説明を求めていくべきだし、納得いかない政策を「同調圧力」で受け入れていては、「自由」という権利を自ら手放すことになりかねない。「ロックダウンをしなくても自粛する日本人は民度が高い」などという言葉を真に受けて喜んでいてはいけない。そこまで「お人好し」になることは無いのだ。コロナ禍を大義名分にして、「科学的根拠」も「法的根拠」も無く、私権制限が簡単にされてしまう今だからこそ、「義務でもないのにマスクはしない」というスウェーデン人の「権利意識」の高さ、「良識」の高さを見習ってもいいのではないか。

4.コロナ対策のボタンの掛け違いは「感染拡大を抑えられると思い込んだことだ」

以前から何度も指摘してきたが、微細で目に見えないウイルスの動きを抑え込むこと自体無理があるわけで、人為的に感染をコントロールするのは不可能である。ウイルスは人が思っている以上に足が速い。ロックダウンをして一瞬抑え込めたと見えてもすぐにその反動は現れる。マスクだってほとんど意味が無く、網の目がウイルスの何十倍もあり、しかも上下左右の隙間を完全に塞ぐことができない以上、ウイルスの侵入を防げると考える方が非科学的である。マスクの効果を強いてあげれば飛沫を遠くに飛ばさないことぐらいだが、それであれば咳エチケットで十分であり、健康な人が四六時中マスクを着ける意味はない。健康を害するものはコロナ以外にもあまたあり、健康という大きな枠組みの中では、マスク着用による感染防止効果よりも、マスク着用による健康被害のデメリットの方が大きいのではないか。特に子供たちへのマスクの強要は知能的にも身体的にも発育に大きく影響を及ぼすことが指摘されており、百害あって一利なしである。そもそも古来、人類が風邪の封じ込めをできたためしは無く、マスクぐらいで改善されるわけもなく、自然現象を人の力でどうこうしようというのは人間の思い上がりである。

つまり、コロナ対策のボタンの掛け違いは、すでに相当数の無症候感染者が蔓延していたにもかかわらず、PCR検査による陽性者数ぐらいの感染者しかいないと全世界が勘違いしたことにある。現在の全世界の累計陽性者数は約2億人、日本の累計陽性者数は約120万人で、人口比にすると世界では2.5%、日本では1%の人がコロナ陽性者になったということだが、その数は実際の感染者数よりも遥かに少ないと見られる。しかも、この1~2%と言うのがみそで、この程度であれば感染対策をすれば封じ込めるのではないかと思ってしまうような数値であり、そのために世界中が感染抑止競争に突入してしまったのだ。インフルエンザも日本では毎年約1千万人の患者が出るが、実はその背景に数千万人の無症候感染者が発生しており、だからこそ集団免疫が達成され、3カ月ぐらいで収束するのである。3カ月で数千万人に蔓延するウイルスを人力で止めることは不可能なので、インフルエンザについてはどの国も感染対策などしないのである。コロナの感染力はインフルエンザ以上でかつほとんど症状に現れないので、全世界でインフルエンザと同じような感染の蔓延が起こっているのは容易に想像できよう。

ただし、ウイルスはむやみやたらに増殖しているのではなく一つのパターンがあり、そのパターンを理解することが肝心だ。今までの感染状況を振り返ると、北半球、南半球、寒冷地、赤道直下、いずれの地域においても世界的に共通しているのは、陽性者は一定期間増え続けるがそのエリアでの集団免疫が達成されれば必ず減少に転じ、およそ3カ月間で収束している。

そして、感染の山の高さは、そのウイルスの感染力と人間の免疫力の相関関係で決まり、日本人が欧米人に比べ今回のコロナについて感染しにくいのは、日本人の免疫力が欧米人の免疫力よりも相対的に強いからである。ただ、インフルエンザ以上にコロナウイルスの感染力は強いので、変異するたびに1、2カ月ぐらいであっという間に日本全国に蔓延し、「変異株の感染力>免疫力」(その時の変異株の感染力よりも免疫力が弱い人)の層の人達は感染する。そしてその層の人達が一通り感染したら、集団免疫が達成され収束する。ウイルスが出始めた昨年の4月頃に感染した人は、特に免疫力の弱い層の人達だったので重症化しやすい人も多く、日本人でも致死率は現在よりも高かった。欧米人は日本人よりもさらに免疫力が弱かったので、日本の十数倍の死亡者が出たのである。

日本人の相当数が新型コロナに感染していたことをインフルエンザとの関係で説明したのが京都大学の上久保靖彦特定教授である。上久保教授の研究よると、2019年12月と2020年1月にそれぞれ異なる新型コロナの変異株が既に日本に入り、2020年3月時点で一旦、コロナウイルスの集団免疫が達成されていたとのこと。なぜそれがわかるかと言うと、インフルエンザの流行曲線が、2019年の12月と2020年の1月に急激に抑制され、その後収束してしまったからである。その原因として考えられるのが、新型コロナとのウイルス干渉(ウイルス同士で宿主の奪い合いをし、一つのウイルスが流行すると他のウイルスは流行しない現象)であり、ウイルス干渉によりインフルエンザが新型コロナに取って代わられたのだ。

日本では一昨年(2019年)の12月、昨年(2020年)の1月、4月、8月、今年(2021年)の1月、4月と、大きな変異としてはほぼ6回、それぞれ異なるコロナの変異株が日本全国で蔓延し、その度に「変異株の感染力>免疫力」の層の人達が感染し、集団免疫が達成され収束している。この間、総じて、コロナの感染力は強まっていき、逆に弱毒化している。ただし、上久保教授によると、最初の二つの株は例外で、一昨年の12月と昨年の1月のコロナは極めて弱毒でかつ感染力が強い株だったらしく、日本は3月半ばまで中国の渡航制限をしなかったので中国人が大量に入国したため、かなりの数の日本人は無症状か軽症で気付かないうちにコロナウイルスに感染し、2020年3月には集団免疫が獲得されていたとのこと。それを裏付ける研究として、東京理科大学の村上康文教授の調査では首都圏の362人の抗体検査の結果「ほぼすべての検体で既感染を示す免疫グロブリン反応があった」ということで、日本人の大半がコロナの抗体を持っていたことが実証されている。諸外国では2月早々に始めた中国人の入国禁止が日本では3月半ばまで遅れたことが、いわゆる怪我の功名で、3月時点では、その後に入ってきた武漢株やヨーロッパ株に対抗するための抗体ができていたのだ。

上久保教授の説明の通り、コロナが流行りだして以降、インフルエンザが全く顔を出さなくなったのは、コロナウイルスとのウイルス干渉が原因であり、日本人の大半がコロナウイルスに感染したからこそ、ウイルス干渉により、日本人の間でインフルエンザが全く流行しなくなったということだ。よく、マスク着用などの感染対策をしたからインフルエンザの流行が抑えられたという人がいるがそれは間違いで、日本人がマスクをし始めたのは早くても2020年の3月頃からだが、インフルエンザの流行が頭打ちしたのはそれより2か月も前の1月であり、誰もコロナの存在を知らなかった時である。つまり、2020年1月に中国から流入したコロナウイルスによってウイルス干渉が起こりインフルエンザの流行が抑えられたのである。日本だけでなく世界的にもインフルエンザは激減しており、ウイルス干渉は世界的に起こっていて、諸外国でも変異株の種類ごとに集団免疫が獲得されてきたと考えられる。世界中のインフルエンザを駆逐するほどだから、新型コロナウイルスの感染力は相当なものだとわかる。

また、コロナが、我々が思っている以上に日本で蔓延していることを表している事象が、離島である沖縄県を含めすべての都道府県で例外なく、同じ時期に変異株の種類が入れ替わり、同じ時期に感染拡大し、同じ時期に収束し、しかもその感染規模もほぼ同じだということである。47都道府県すべてである。感染者がPCR検査の陽性者数ぐらいしかいなければ、感染の増減や規模が全国的にここまでシンクロすることはあり得ない。おそらく、インフルエンザと同じように、コロナにおいても、「無症候感染者」や、少し熱っぽいとか頭が痛いとか喉がイガイガするなどの「軽症の感染者」がかなりいると思われるが、症状が軽ければ敢えてPCR検査を受けない人が多いのではないか。保健所に陽性認定されると隔離されるというリスクもあるのでなおさらだ。

特に地方や田舎など昔ながらの共同体が生きている地域では、テレビの煽り報道の影響が色濃く出ていて、コロナ患者に対する差別は凄まじく、多少の熱ではPCR検査を受けない人が多いと思われる。岩手県がいい例で、岩手県は昨年の7月29日まで日本で唯一、陽性者は0人であったが、おそらく発熱しても黙っていた人が多かったのではないだろうか。その陽性者第1号の勤め先が会社のホームページで陽性者が出たと公表してしまったがために、その会社には中傷の電話が殺到したという。これは、日本の地方が未だ「村社会」であることを象徴するような事例で、共同体の仲間意識が強い地域ほど、コロナに罹ったと言い辛いということだ。共同体意識を否定するつもりは無いが、コロナにおいては、この共同体意識が悪い方向に出ており、日本全体が同調圧力でがんじがらめになってしまっている。このような状況も含めて、PCR検査で陽性になった人は氷山の一角と言える。

では、どういう仕組みでコロナウイルスが一気に感染拡大するのかと言うと、感染拡大のポイントは「家庭感染」である。その時流行り始めた変異株の感染力より免疫力の弱い層の人達(「変異株の感染力>免疫力」の層の人達)が、職場、学校、スーパー、商業施設、飲食店、病院、介護施設、交通機関などさまざまなエリアを移動してキャッチしたウイルスが、毎日、家庭(寮なども含む)に持ち込まれ、家庭でウイルスが交換され、また別のエリアへと移動して感染を拡大させるのである。「ウイルスを拡げる要は家庭である」。感染ルートが飛沫感染か空気感染か糞口感染か接触感染か、そんなことは全く関係ない。家庭にはそのすべてのルートが勢揃いしているのだから。そもそも、感染対策をしている家庭はほとんどないし、無症状でも感染力があるとすれば、無防備な家庭での感染が最も多いのは当然だ。よって、ウイルスは「毎日」家庭で交換されるので一旦流行り始めると一気に拡大するのだ。世界的にコロナの感染拡大を止められないのは、家庭での感染を止められないからである。

介護施設や療養施設、老人ホームや寮などで感染が多いのは、そこが生活の場だからである。いくら外からウイルスを持ち込まないように努めても、完全にシャットアウトするのは不可能で、一旦持ち込まれると、そこで日常生活が営まれている以上、その施設内での感染拡大を防ぐのは非常に難しい。

ところで、今回のデルタ株の特徴は、日本人が多く持つと言われている細胞性免疫HLA–A24を回避し、人間のACE2受容体に結合しやすい性質があるらしく、日本人でも感染しやすくなっており、「デルタ株の感染力>免疫力」の層の人達の数がかなり多く、感染の山が高くなっていると思われる。よって、デルタ株の感染がどこまで拡大するか心配されているが、インドの状況を見れば、あと1カ月ほどで収束する可能性は高い。なぜなら、デルタ株発祥の地インドでは4月に、「クンブ・メーラ」という数百万人がガンジス川に集まる大祭によって、ピーク時には1日40万人の陽性者を出したが、ワクチン接種率が1割に満たなくても、ほぼ3カ月で収束し、その後陽性者数は4万人ぐらいで低位安定しているからだ。インドはロックダウンをしたから収束したという人がいるが、インド人の7割に抗体ができたということは、ロックダウンしても感染が拡がっていたわけで、集団免疫が達成されたから収束したと考える方が自然であろう。ちなみにインドの陽性者数40万人は多いように感じるが、日本の人口に置き直すと4万人となり、今の日本の陽性者数とそれほど変わらない。よって、日本も、期間と山の高さからほぼピークに近づいているのではないだろうか。

インフルエンザも毎年5,000万人がワクチンを打っていても、毎冬同じように感染が急拡大し、1,000万人以上が診療所を受診し(無症候者を含めれば数千万人の感染者がいると言われている)、マスク着用や三密回避などの感染対策を全くしなくても、集団免疫ができることでピークアウトし、約3カ月で収束する。インフルエンザの山は1年に1回、冬場だけだが、コロナの場合は新しいウイルスで変異しやすいことと、感染経路が「糞口感染」の可能性が高く、冬場だけでなく季節に関係なく流行し、今のところ年に数回の流行の山がある。「糞口感染」とは人から排出された糞便がトイレの便器やドアノブなどから他人の手指を介して口腔に入って感染させるものである。コロナウイルスはインフルエンザのように上気道や肺に入ったウイルスが体内に取り込まれるというよりも、コロナウイルスの結合部位であるACE2受容体が非常に多い「腸」から体内に取り込まれている可能性が高いと言われており、ウイルスの排出量も口から排出される量よりも糞便とともに排出される量の方が多いらしい。コロナウイルスが、低温で空気が乾燥した冬場だけに流行するのではなく、季節に関係なく夏場でも流行し、かつ潜伏期間が長く無症候者が多いのは、感染経路が喉や肺からの「飛沫感染」や「空気感染」よりもむしろ、腸からの「糞口感染」だからと言えるのではないか。もしそうだとすれば、マスク着用やソーシャルディスタンス、三密回避や人流抑制などの感染対策はほとんど意味が無かったと言える。

このような感染増減のパターンや感染経路を踏まえた上で、日本のように自然免疫の強い国については、ほとんど意味の無い飲食店の時短営業や人流抑制などを早急に辞め、医療体制を拡充することに全力を注ぐ方が、より効果的で経済的な対策と言える。意味も無いのに飲食店に規制をかけ、支援金を支払うなんて予算の無駄遣いだ。政府や知事たちはもっとウイルスについて勉強をして、正しい知識を身に着け、費用対効果抜群の医療体制の拡充に専念してもらいたい。

5.「指定感染症」を解除すればコロナ禍は終わる

医療体制の拡充とは、わざわざ「大阪コロナ重症センター」のようなほとんど機能しない箱物を作ることではなく、既存の開業医や病院をそのまま利用できるようにするということである。そのために政府がまずやるべきことは「指定感染症」の解除(五類感染症に評価替えする。以下同じ)である。そして、コロナ対応をインフルエンザと同じような対応にシフトしていくことだ。自らコロナ対応病院を極端に少なく絞り込んでおいて、「病床が足りない」と騒いでいる厚労省や分科会そして医師会の「茶番」にこれ以上付き合う必要は無い。

インフルエンザでは毎年、1,000万人以上の患者(陽性者はその数倍いるだろう)が発生し、関連死を含め1万人以上が亡くなっており、しかも冬場の3カ月間に集中している。病床の使用率から言えばコロナ以上にひっ迫してもおかしくないはずだが、毎冬、何事もなくこなせているのは、インフルエンザが「指定感染症」ではないからだ。インフルエンザの場合PCR検査をそもそもしないので、「無症状者や軽症者を入院させることは無いし、症状が出たら一般の病院で診察し、医師が危険と判断したら入院させる」といったごく当たり前のことをやって、医療崩壊を起していない。一方コロナの最大の問題点は「指定感染症」なので窓口が保健所に限定されていることである。保健所が無症状者や軽症者にも対応せざるを得ず、しかも電話での応対なので、患者の病状を細かく把握することができず、陽性者が増えてくると保健所では対応しきれなくなり、投薬や酸素吸入、入院の判断が遅れ重症患者を増やすことになる。インフルエンザのように医者が窓口となり、直接診ていれば救われた命も多くあったはずだ。

具体的には、コロナが「指定感染症」から除外されれば、医師法第19条によりコロナ患者の受診拒否はできなくなり、一般の診療所もコロナ患者を受入れざるを得なくなる。ゾーニングも防護服も必要なくなり、普通に診断し、コロナか、インフルエンザか、一般の風邪かを抗原検査で判定し、症状の重い人はCTスキャンで肺の状態を視て、入院が必要であれば病床保有病院に送る。医師が患者に寄り添って対応するので、重症患者は減り医療ひっ迫は解消する。全国の診療所が一斉にこのような対応をするので風評被害も出ないし、もし医師や看護師が濃厚接触者になっても、自宅待機や休診することなく診療ができるので医療提供体制も維持できる。全国の開業医が動員されれば、日本の医療キャパからして、よほどのパンデミックでも起こらない限り、医療ひっ迫することは無い。

実際にコロナ患者の治療に当たっている現場の臨床医は口をそろえて言っている。「コロナ騒ぎを終わらすのは簡単だ。指定感染症を解除し、一般の診療所でもコロナ患者を診れるようにするだけでいい」と。分科会の専門家たちよりもよっぽど、現場の臨床医の方が「総合知」が高いのではないか。

インフルエンザでは、今までずっと、「感染対策などほとんどしていない町の診療所の狭い待合室」に患者を詰め込み、毎年1,000万人以上の患者を出し、1万人以上が死んでも何の問題にもしなかったのに、なぜコロナについてはその実態がわかりつつあるにもかかわらず未だに、エボラ出血熱を扱うような、ゾーニングだの陰圧室だの防護服だの、大げさな対応をしなければならないのか。もしコロナがエボラ出血熱のように致死率50%以上の本当に恐ろしい伝染病であれば仕方ないが、そうで無い事は誰の目からも明らかである。とにかく、コロナを2類から5類に評価替えをして、インフルエンザと同じように町の診療所で普通に受診できるようにすることが、コロナ禍から脱出する最速の方法である。

6.日本にワクチンは必要か? ~コロナウイルスは弱毒化している~

日本のコロナ対策は、感染症専門医を中心に構成される分科会の打ち出す提案を政府がほとんど丸飲みしているので、「感染抑止に偏った政策」しか出てこない。その分科会はコロナをエボラ出血熱と同等と評価し、「感染拡大を抑えなければ日本は大変なことになる」というスタンスを一向に変えない。だから経済や社会や文化や教育がどうなろうとも二の次で、「感染を抑えることが絶対の正義」と思いこんでいる。よって、少しでも感染が増えたら危機を訴え、国民に自粛をさせることを全く厭わない。このような「自粛しか考えない分科会」にスポイルされた政府の価値観と、「恐怖を煽るほど視聴率が取れる」テレビ局の価値観が、「恐怖を煽る」という点で不幸にも一致した。政府はテレビの煽り報道にただ乗りしたのである。この関係性は「感染抑止一本鎗」の政府の政策に対して、テレビ側からの批判が全く出ないという点で政府にとって好都合だった。国民側としても、政府の方針とマスメディアの論調が一致したことで「厳しい感染対策」が唯一無二の正しい政策であると思わされてしまった。そして、日々繰り返されるテレビの煽り報道によって、国民は「コロナは恐ろしい伝染病だから自粛しなければならない」「自粛しない人間はコロナを拡げ、誰かを殺している」という観念に洗脳され、「過度な感染抑止策」に反論することが難しくなってしまった。「コロナは大したことない」と政府やマスメディアと少しでも違うことを言った瞬間に「人命軽視だ!」とバッシングの嵐である。高橋内閣官房参与の「さざ波発言」が良い例である。この反論を許さない同調圧力は、常識的には屋外でマスクをする必要はないとわかっていても、マスクをせざるを得ない空気感とよく似ている。もし、皆さんがマスク無しで屋外を歩くことに抵抗感を感じるようであれば、それは既に「洗脳」されている証拠である。日本は、政府が手を下さなくても「マスク警察」や「自粛警察」が出てきて市民が市民を監視する相互監視社会になってしまったと言える。それは誰のせいでもなく、国民一人一人の意識のせいである。戦時中「贅沢は敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」などのスローガンのもと、新聞などのマスメディアが扇動し、隣組を中心に行われた相互監視社会を彷彿とさせる。まさに全体主義である。もはやわれわれは、コロナに関する自由な発言ができなくなった「コロナ全体主義」の中にいる。それが顕著に表れたのが「ワクチン」である。

政府は、デルタ株の流行で40代50代の重症者が増加していると強調し、40代50代にも早急にワクチンを接種していく方針を打ち出している。更には30代以下の若年層にまでワクチン接種を推し進めようとしている。確かに全体的に陽性者数は急増しているが、40代50代の重症者が目立って増加しワクチン接種が急務なのか、30代以下にまでワクチン接種を推進すべきなのか、第4波の陽性者数がピークであった4月28日と現状8月18日の「陽性者数」や「重症者数」の年齢別内訳を比較して検証する(厚労省発表「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)」参照)。

まず、陽性者数がどうなっているかだが、4月28日の4,690人(30代以下=2,490人、40代50代=約1,300人、60歳以上=約900人)から、8月18日の19,400人(30代以下=12,600人、40代50代=約5,600人、60歳以上=約1,200人)へ4倍になっている。年代別では30代以下が2,490人から12,600人へ5.0倍、40代50代が1,300人から5,600人へ4.3倍、60歳以上が900人から1,200人へ1.3倍となっており、高齢者の陽性者増加率はかなり抑えられている。

一方、重症者数は321人から482人へ1.5倍に留まっている。陽性者の増加が4倍で、重症者の増加が1.5倍ということは、陽性者の増加の割に重症者の増加はかなり抑えられており、「デルタ株は弱毒化している」と考えられる。一見、高齢者にワクチンを打ったから重症者の増加が抑えられたとも考えられるがデータを見るとそうではない。それを確認するために、年齢別の重症者数を見てみる。

重症者の年齢別内訳だが、4月28日時点での重症者数は321人で80歳以上68人、70代112人、60代73人、50代39人、40代25人、30代1人、20代1人、10代未満0人、不明2人であった。40代50代の合計は64人で、60代以上の合計は253人であった。30代以下はわずか2人であった。

一方、8月18日時点での重症者数は482人で80歳以上85人、70代146人、60代111人、50代88人、40代43人、30代1人、20代0人、10代未満0人、不明8人であった。40代50代の合計は131人で、60代以上の合計は342人であった。30代以下はわずか1人であった。

まず、「40代50代」の重症者率(※)を見てみる。4月28日の陽性者数は約1,300人で重症者数は64人なので重症者率は4.9%、8月18日の陽性者数は約5,600人で重症者数は131人なので重症者率は2.3%となっている。重症者率は4.9%から2.3%に半減しており、陽性者数の増加に連れて重症者の数は増えてはいるが、比率は大幅に減少していて、40代50代が特に重症化しているわけではない。つまり、40代50代ではデルタ株の弱毒化が顕著に見られたのだ。

(※)ここで言う重症者率とは1日あたりの新規陽性者数に対する、その時点での重症者数なので、重症化率とは全く違う意味である。1,300人が陽性になったら64人が重症化するという意味ではない。4月と8月を比較するために率を出したということである。実際の重症化率は重症者率よりかなり低い。以下も同じ。

一方、「60歳以上」の重症者率を見てみる。4月28日の陽性者数は約900人で重症者数は253人なので重症者率は28%、8月18日の陽性者数は約1,200人で重症者数は342人なので重症者率は28%となっている。重症者率は28%から28%とほとんど変化がなく、陽性者数と重症者数が比例して増加したということである。ワクチン接種が進んでいる60歳以上の重症者率が28%のまま変わらないということは、①ワクチンの重症化抑制効果があまりない、②60歳以上についてはデルタ株が弱毒化していない、③医療体制がひっ迫したことにより高齢者の重症化が進んでしまった、などの理由が考えられる。

なお、30代以下の重症者率については、重症者の数が4月で2人、8月で1人と、統計的に少なすぎるので敢えて触れることはしない。

結論として、4月と8月を比較し、陽性者急増のわりに重症者の増加が極端に抑えられた原因は、高齢者へのワクチン接種とは関係無く、50代以下の重症者率が極端に減少したからで、ワクチン接種率が低い50代以下の重症者率が減少したということは、50代以下の年代については「デルタ株が弱毒化している」ということができる。やはり、前々から専門家が指摘していた通り、「コロナは変異を繰り返しながら弱毒化していき、弱毒化するからこそ感染しやすくなる」ということが証明された形であり、陽性者数が増加したからといって慌てる必要はない。コロナウイルスは確実に「普通の風邪」に近づいている。

以上を総括すると、デルタ株は感染力は強まっているが、かなり弱毒化していると言える。政府の見解では40代50代の重症者数増加を懸念しているが、数として増えてはいるが重症者率は半減している。また、30代以下については、重症者自体がほとんどいない。一方、60歳以上については、ワクチンが効いていないのか、デルタ株が弱毒化していないのか、又は、医療ひっ迫により高齢者の自宅療養が増加し重症化が進んでしまったのか、原因はいくつか考えられるが、重症者率は下がっていない。以上のことから、優先させるべき対策は、40代50代のワクチン接種よりも、ワクチン接種が進んだにもかかわらず重症者率が下がらなかった高齢者の重症化の原因を追究し、もし自宅やホテルで放置したことが重症者率が下がらなかった原因とすれば、医療体制に手を付けることが最重要課題だと言える。結局、今年1月の東京、4月の大阪の失敗を又繰り返してしまったのではないか。

一方海外に目を向けると、現在、イスラエルやイギリス、アメリカなどワクチン接種が進んでいる国ほど陽性者数が増加し、過去最高に近い数になってきており、また、死者数も増え始めている。例えばイスラエルの場合、現状1日当たりの陽性者数(7日間平均)は7,300人(百万人当たり800人)だが、1月ピーク時の8,600人に迫る勢いだ。また1日当たりの死亡者数(7日間平均)は、1カ月前は1人だったのに、現状23人(日本の人口比にすれば320人)まで増加してきている。ワクチンの効果が減少してきたことが原因らしいが、早くも3回目のワクチン接種を始めている。これでは今後、何回ワクチンを打てばよいのかわからない。ウイルスが変異するたびに新しいワクチンを接種することとなり、「イタチごっこ」に巻き込まれる。しかも、今流行っている変異株に対応するワクチンはすぐには開発できないので、常にその前か、その前の前の変異株に適したワクチンしか打てない。製薬会社はこの矛盾をどう解決していくのだろうか?

日本のように集団免疫が広範に拡がり感染被害の少ない国については、ワクチンに頼るのではなく、獲得免疫のブースター効果を促したり、人間が本来持っている自然免疫を鍛えることにシフトしていった方が良いのではないか。「特に30代以下の若年層については上記データでもわかる通りほとんど重症化しないのだからワクチンに頼る必要は全くない」。テレビでは「若者でも後遺症があるから怖い」と脅しているが、ほどんどが時間経過とともに消えるわけで、それは後遺症ではなく「予後の病状が悪い」と表現すべきものである。後遺症は一生治らないか治るとしても何年もかかるものなので、テレビがこのような間違った表現で恐怖を煽るのはどうしたものだろうか。コロナ感染の後遺症(?)については、すでにコロナ発生から1年半も経過しているのだから、その発生件数や完治件数などのデータがあるはずで、客観的な数値を提示した上で放送しないと、いたずらに恐怖を煽るだけである。

一方、最近子供たちの陽性者数が増えてきているが、1年半にもわたりマスクを強制し清潔な環境を人工的に作り出したことで、本来曝露すべき様々なウイルスや細菌に曝露できなかったため、子供たちの免疫力が下がってきているからではないだろうか。それを示唆する事例として、今年、子供たちの間で、昨年殆ど発生しなかった、RSウイルスが過去最高の大流行となっている。子供の場合、コロナに感染してもほとんど重症化しないのでコロナについては安心だが、過剰な感染防止策により、今回のRSウイルスの大流行の様な他の伝染病の大流行を今後招かないか、特にインフルエンザが子供たちの間で大流行しないか心配である。そういう意味でも、小中学校での、マスク着用、消毒、黙食など過度な感染対策は早急にやめ、普通の生活に戻すべきだ。もちろん、子供たちにワクチンを打つ必要は全くない。逆に打つ方が危険である。

人間とウイルスは人間が誕生してからずっと共存してきたパートナーであり、強毒性の伝染病でない限り、自然の摂理に従って付き合っていくのが、長い目で見れば最も被害を少なくする方法だと考えるのが免疫学の常識である。Withエボラ出血熱はいけないが、Withコロナは問題ない。幸いにも日本人は長い歴史の中で、中国由来の土着のコロナ風邪に繰り返し感染し、コロナに対する「交差免疫」をすでに持っている。「交差免疫」とは過去に感染したウイルスに対する免疫が類似のウイルスに対しても有効に働くという免疫機能である。つまり日本人は昔から気付かぬうちにWithコロナを実践してきたのだ。今さら副反応が強い人工的なワクチンで、わざわざすでに持っている自然免疫や交差免疫を弱めることは無いのだ。

マスクをして、消毒しまくって、外出を控え、挙句の果て免疫力が下がって、感染しやすくなり、ワクチンを打って、更に自然免疫力が下がり、ワクチンを何度も打つなんて、こんな「愚かな悪循環」に巻き込まれる必要などない。特に、若い人たちにとっては、コロナウイルスはインフルエンザ以下のウイルスなのだから、本来持っている自然免疫で十分対抗できる。政府がなぜ、ほとんどコロナリスクの無い若者にワクチンを打たせようとしているのか、なぜこんな不合理なことを君たちに推奨するのか、その本質を見破って欲しい。日本経済がコロナ禍から脱出できないのは君たち若者がワクチン接種をしないからではない。大人たちの無策・無能・欺瞞のせいである。狡猾な大人たちに騙されることなく、正確な情報に触れ、しっかり自分で考え判断してもらいたい。

7.ワクチンと「言論封殺」

国内外のデータを見ていると、ワクチン効果のメッキが剝がれてきているにもかかわらず、総裁選や衆議院選挙を間近に控えた政府は、立ち止まって考えることも無く、40代50代のワクチン接種に邁進している。政府は、今の状況を打開するために残された手段はワクチン接種しかないと思っているのだろう。

政権維持の焦りからか、「ワクチン」について政府は相当デリケートになっていて、ワクチンに反対する意見を封じ込めようとしている。ワクチンのリスクについてもアナフィラキシーショックなどの接種直後に起こる副反応については説明しているが、治験期間が短かすぎてまだ判明していない遺伝子ワクチンの長期的なリスクについては触れたがらない。例えば、ワクチン接種券の説明書では「新しい種類のワクチンのため、これまでに明らかになっていない症状が出る可能性があります。」という一文があるだけだ。これは健康被害が出た時のエクスキューズに過ぎず、どんなリスクがあるのか全く分らないし、ほとんどの人は読んでさえいないだろう。

さらに、河野ワクチン担当大臣は自身のブログで、「ワクチン接種により不妊が起こる」、「遺伝子が組み換えられる」、「治験が終わっていないので安全性が確認されていない」、「長期的な安全性がわからない」、「ADE(抗体依存性増強現象)が起きる」などの意見はすべて「デマ」であり、そのような心配は全くないと言い切っている。しかし、河野大臣の発言こそデマではないかと思われるものがかなりある。例えば、「治験が終わっていないので安全性が確認されていない」という意見に対して河野大臣は「mRNAワクチンは、基礎研究、動物実験、治験が省略されることなく実施され、リスクを上回る臨床的に意味のある有効性が確認されています。その上で、いつまで効果が持続するかという長期の有効性を確認するための治験が継続して行われています」と答えている。ここで注意しなければならないのは、河野大臣の答えは「安全性」を「有効性」に論点をすり替えていることだ。答えにくい質問に答えるときによくやる「論点ずらし」である。つまり、河野大臣の答えは「安全性は大丈夫か?」という質問に「有効性は認められています」と話をずらしているのだ。このような回答をするということは、おそらく安全性については相当答えにくいことがあるのであろうと想像できる。また、河野大臣の答えにはもう一つの誤魔化しが隠されていて、「安全性」を「有効性」にすり替えることで、「安全性についてはまだ治験中である」ということを暗に隠そうとしている意図が見えるのだ。つまり「まだ治験中であり、ワクチンの安全性は証明されていない」という事実を国民に知られたくないのであろう。他にも「ワクチン接種により不妊が起こる」と言う意見についても、「不妊」についての意見を「妊婦」の話にすり替えたりしている。このような論点ずらしの反論が多いのだが、今回の河野大臣の発言の最大の問題点は、ワクチンのリスク情報を発信する者すべてを一括りにして「ワクチン反対派」という「レッテル」を貼ったことである。この「レッテル貼り」により、その後、ワクチンの危険性を指摘する専門家の意見はすべて「ワクチン反対派」による「デマ」であるかのような印象を国民に与えてしまった。まさに「印象操作」による「言論封殺」であり、目的のためなら手段を択ばない河野大臣のやり口に、不信感を持ったのは私だけではないだろう。

ワクチンのリスクについて専門家は「将来的な可能性」を心配しているのであって、現状の治験データではそのリスクは「まだ誰もわからない」と疑問を呈しているのだ。そして、日本のように感染被害が非常に少ない状況で「リスクのわからない新しいワクチン」を特例承認までして慌てて打つ必要があるのかと警鐘を鳴らしているのである。国民としては少しでもリスクがあれば、それらの情報はすべて開示してもらった上で接種するかどうかを決めたいのであり、特に30代以下の極めてコロナ被害の少ない年齢層への接種についてはより慎重になるのは当たり前である。そんな国民の気持ちを代弁している専門家の様々な意見に対して、「デマだ」と一蹴する河野大臣の態度はあまりにも不誠実ではないだろうか。もし将来「デマ」では無く、重大な健康被害が出たとすれば、河野大臣はどのような申し開きをするのだろうか。

皆さんは、専門家から提示されている様々なリスクをすべて「デマ」と断定する河野大臣と、もしかしたら危険があるかもしれないと心配して提言している専門家のどちらを信用しますか?

将来的なリスクとは違うが、専門家からは、下記の様な厚労省のデータに基づき、接種直後の死亡率の高さについても警鐘が鳴らされている。
厚労省のホームページを見ればわかるデータだが、新型コロナウイルスと季節性インフルエンザの「ワクチン接種に関する副反応」を比較したデータである。

季節性インフルエンザの場合、令和1年10月から同2年4月までに5,649万人がワクチンを接種し、副反応が278件、重症者が93件、死亡者が5人であった。

新型コロナウイルスの場合、今年7月末時点で7,413万回のワクチン接種が行われ、副反応が20,105件、重症者が3,338件、死亡者が919人となっている(死亡者の90%以上が65歳以上)。

コロナワクチンの方が副反応数も重症者数も死亡者数も桁違いに多い。特に死亡者数についてはインフルエンザワクチンの5人に対して、コロナワクチンは919人と、180倍にも及んでいる。しかもこれらの数字は医療機関からの報告ベースであり、報告されていないものがこの何倍もあるのではないかと言われている。というのも治験中のワクチンについては、一般的にすべての有害事象の報告義務があるのが普通だが、なぜか今回のコロナワクチンについては、接種後の有害事象について、報告するかしないかの判断は現場の医師に任されているからである。もし、有害事象のすべてが報告されていたら、現状報告されている死亡者数を遥かに上回るのではないだろうか。今後発表されてくる本年度の超過死亡者数を見ればワクチン接種によってどれだけの死亡者が増えたかが明らかになるであろう。

また、厚労省はほとんどすべての副反応について、ワクチン接種と死亡の因果関係については評価できないとしているが、明らかにワクチン接種の影響で亡くなっているという根拠がある。それは、死亡者の6割以上が接種後1週間以内に集中しており、特に接種翌日が飛び抜けて多い。もし他の疾患や老衰が原因で死亡しているならば、接種翌日に死亡が集中するといった偏りが出ることはまずない。まさか、余命いくばくもない寝たきりの高齢者にまでワクチン接種をして、ショック死が頻発しているというのだろうか?医者がそこまでのリスクを犯してワクチンを接種するとは思えない。やはり接種しても大丈夫だと医者が判断しているわけで、それでも接種当日や翌日に急死したということは、ワクチン接種が原因と考えざるを得ないのではないか。政府や厚労省はこれらのデータを厚労省のホームページに出すだけでだんまりを決め込むんじゃなくて、①なぜワクチン接種直後の死亡が多いのか、②なぜ解剖などで死因を解明しないのか、③通常は行われている有害事象の全件報告をなぜコロナについてはやらないのか、④インフルエンザより圧倒的に多いワクチン接種後の死亡者数が許容範囲なのかどうか、国民が納得できるような説明をすべきである。

厚労省がワクチンとの因果関係をあいまいにしているのは、遺族からの訴訟に対抗するためだろうということは簡単に想像がつく。もし、遺族との訴訟になった場合、因果関係の証明責任は遺族側にあるので、厚労省が現時点で因果関係を不明にしておくのは訴訟対応上至極当然である。結局、遺族側が因果関係を証明するなんてまず不可能であり、死亡補償金4,420万円は絵に描いた餅に終わるのではないか。

ワクチンのリスクについては様々な見解があってしかるべきだが、問題の核心は、客観的なデータに基づき専門家が警鐘を鳴らしているにもかかわらず、政府が真摯に対応しないことである。ワクチンをできるだけ早く国民全員に打ってコロナ禍から開放されたい気持ちはわかるが、ワクチンのリスクについては、もっとオープンに議論されてしかるべきで、国民にはワクチンのリスクの全貌を知る権利があり、政府はそこから逃げてはいけない。

このような政府の隠蔽体質は今に始まったことではないが、今回のワクチン騒動の特徴は、民間でも「言論封殺」が当たり前のように行われていることである。例えば、「ワクチンは危険だ」とYouTubeで発信しただけで、その動画は即刻YouTubeによって削除される。すでに社会インフラとして全世界のプラットホームになっているYouTubeが、自社の判断で一方的に「検閲」ができることに恐ろしさを感じざるを得ないが、このようなあからさまな「言論封殺」がまかり通っているということは、その裏に何らかの「ワクチン利権」があることは容易に想像できる。一連の世界的なワクチン騒動を冷静に見ると、製薬会社、WHO、YouTubeなどのグローバル企業、そしてホワイトハウスが「ワクチン利権」で繋がっているようにしか映らないのだが。アメリカに比べコロナの感染被害が圧倒的に少ない日本が、製薬会社に免責までしてワクチン接種に邁進しているのは、アメリカに逆らえないお国事情があるからだと考えれば、すべての辻褄が合ってくる。

SNSでの言論封殺は露骨であるが、テレビも同様で、「コロナは怖い」と「ワクチンは有効」という謳い文句をセットにして、毎日、製薬会社の広告宣伝のような放送が続いている。「ワクチンのリスク」について触れたとしても発熱やアナフィラキシーショックの症状ぐらいで、遺伝子ワクチンのリスクを詳しく解説したり、ワクチンによる死亡者数の増加をインフルエンザのそれと比較して紹介するようなことはまず無い。テレビ局の放送姿勢は一貫していて、政府と同様ワクチン推進である。その理由は簡単で、番組のスポンサーに製薬会社がある以上、ラディカルな意見は言いにくいのである。さらに、すでに大半の高齢者がワクチン接種を終えた今、テレビで「ワクチンのリスク」を言おうものなら社会的大問題となり、テレビ局自体の責任も問われかねない。

よって、「ワクチンのリスク」については、「政府の見解」はもちろん、「テレビ報道」、「ワクチンを推奨している医者や専門家」に正しい情報を期待するのは無理である。ワクチン接種は余程の被害が出ない限りもう止められないところまで来てしまったのだ。従って、「ワクチンのリスク」についての新たな情報を得るためには、SNSのしかも有料サイトにアクセスし、国内外の論文などを解説してくれる専門家のサイトを見るか、書籍に当たるしかない。ワクチンについては最早、テレビや新聞などのマスメディアに「言論の自由」は全くないと言っていい。テレビしか見ない人にはピンとこない話かもしれないが、日本のみならず世界中で情報統制が行われているのが現実である。

戦時中の「言論統制」は、戦況が悪化しているにもかかわらず戦果の水増しを繰り返した「大本営発表」と、「戦争礼賛キャンペーン」をやり続けた「大手新聞」などのマスメディアによって作り出されたが、今のワクチン騒動は、「政府が知られたくない情報を隠蔽し都合の良い情報しか発信せず、マスメディアがそれを鵜呑みにして全国に拡散し、一つの方向に国民を誘導していく」という点において戦時中と酷似している。

8.ワクチンパスポートの非科学性と違憲性

私は、ワクチン反対論者でもなければ、ワクチンに偏見を持っているわけでもない。ワクチンは各国の感染状況や接種時の年代別有効性を十分考慮し、接種するベネフィットがリスクを大きく上回るかどうかを接種の判断基準にするべきだと考えている。コロナワクチンについても、リスクに関する情報を十分理解した上で、それでも打ちたいのであれば、個人の自己責任で打てばいいと思っている。ただ、それと同時に、現状、ワクチンには判明していないリスクがあり、かつ、ワクチン接種が任意である以上、打たない人の立場も守られるべきだと思っている。にもかかわらず、最近、ワクチンを打たない人を「フリーライダー(ただ乗り)」と揶揄する風潮が出始めており、打たない人が肩身の狭い思いをしている。さらに、「ワクチンパスポート」の導入が検討されており、ワクチンを打たない人の人権はますます脅かされている。

政府は、「ワクチンパスポート」を手掛かりにワクチン接種をさらに加速していき、集団免疫を達成したい考えだ。また、「ワクチンパスポート」の導入により、緊急事態宣言下でも経済を回していきたいと考えている。しかし、厚労省が言う通り、ワクチンは感染を防ぐものではなく、ワクチンを打ったからといって他人に感染させない保証は全くない。イギリスの「欧州サッカー選手権」の例や、ワクチン接種が進んだイスラエルやイギリスにおいてワクチン接種者の陽性者が急増していることからも明らかである。「ワクチンパスポート」は「ワクチンを打てば感染しない」ということが前提のシステムだが、その前提がすでに崩れている。感染被害が日本の10倍、20倍の欧米諸国であれば、背に腹は代えられぬということで「ワクチンパスポート」に頼らざるを得ないかもしれないが、日本のように感染被害の少ない国がこんな不確かなシステムを導入する必要は合理的に考えて全くない。

また、「ワクチンパスポート」は、ワクチン接種が任意であるにもかかわらず、ワクチン接種をしない人の私権が制限されるという点で大きな問題がある。たとえば、ワクチン接種をしていない人は飲食店や野球場などの利用制限を掛けられる恐れがある。そうなると、憲法11条「基本的人権の尊重」及び、憲法14条「法の下の平等」に抵触する可能性があるのだ。国会を通さずに「私権を制限する制度」を簡単に導入していいのか、はなはだ疑問である。世界的にも人権無視だということで「ワクチンパスポート」に反対する大きな動きが出ている。それにしても、「ワクチンパスポート」は法律を齧ったことのある者なら、その違憲性にすぐ気付くはずなのに、法律家をはじめジャーナリストや野党から全く異論が発信されないことに、違和感を感じるのは私だけだろうか。

9.医療利権が政策を左右している

「ワクチンパスポート」もそうだが、昨年の「ステイホーム」に始まり、「マスクの着用」、「時短営業の要請」、「酒類の提供禁止」、「県境をまたいだ移動の制限」、「イベントなどの中止、客数制限」など、コロナ禍の1年半で、日本国民はさまざまな「私権制限」を受入れた。政府も日本国民がここまで従順なのかと呆れるぐらいであろう。逆に自粛警察が出てきて国民同士で監視し合うのだから世話は無い。日頃は政府による私権制限に強く反発する左系野党や人権擁護派の評論家もほとんど何も発言しない。よって、科学的根拠が無くても国会の承認が無くても、政府は思う存分、国民の私権を制限することができた。

それでも結局、コロナ禍を解決することはできなかった。「その答えは明白で、政府がこの1年半やってきたほとんどの対策は、ピントが外れていたからだ!」。その最大のピンボケ対策が、感染抑止にばかり力を入れ、肝心の「医療問題」にメスを入れなかったことである。今まで何度も言ってきたが、「コロナ問題は医療問題」である。例えばその最たるものが、「指定感染症」の解除が未だできていないことである。その理由は、医師会、厚労省、分科会の反対がずっと続いているからで、この医師会、厚労省、分科会で構成する「医療利権のトライアングル」に切り込まない限り、コロナ禍は解決しない。

彼らがなぜ「指定感染症」の解除に反対かというと、指定感染症を解除したら感染が拡大すると思い込んでおり、感染が拡大した場合の責任を取りたくないからである。もう一つは、コロナウイルスを怖いウイルスのままにしておいた方が立場上得だからである。コロナウイルスが怖いウイルスだからこそ、ワクチンや高額な治療薬が売れるわけで、インフルエンザと同じ普通のウイルスであれば、誰も強い副反応を我慢してまでワクチンなど打たないであろう。

「医師会」としては、コロナが「指定感染症」のままなら、合法的にコロナ患者の受診拒否ができるし、たとえ診察した場合でもコロナ補助金がもらえるので現状の方が得である。分科会の尾身会長の傘下の病院が「幽霊病床」で高額な補助金を貰っていたわけで、「指定感染症」を解除しないのはそうことかと、誰もが思ったのではないか。また、インフルエンザ患者の激減で失った儲けをワクチン接種で取り返したいと考えている開業医が大半である。とにかく、未だにコロナ患者を診ることのリスクが怖くて診察を避けている医者が五万といるのが、日本の医療の現実なのである。

「厚労省」においては、コロナ対策を左右する医系技官の存在が厄介である。医系技官たちは公務員の人事体系の中で生きているので前例追認の事なかれ主義になりやすく、一旦決めた政策はたとえそれが間違っていたとしても自ら変えることはまずしない。また、いずれ医師として野に下るわけで、自分たちが所属することになる医師会などに反駁するわけにはいかないのだ。

「分科会」としては、さんざんコロナの恐怖を煽り過剰な感染対策をし、経済や社会に取り返しのつかない損失を与えたわけで、コロナが「指定感染症」でなくなれば、こんなにも簡単にコロナ禍が解決されるのかということが国民にばれるのが怖いのであろう。それがばれる前にとにかくワクチン接種によってコロナが収束したことにしたいのである。

この「医師会」、「厚労省」、「分科会」に共通しているのがすべて医師であり、これら上層部の医師たちは多かれ少なかれ製薬会社との繋がりが強く、製薬会社の意向に反することは決してやらない。厚労省の医系技官などは製薬会社への天下りにも影響するので製薬会社との関係は良好に保ちたいと考えている。テレビに出演してワクチン接種を推奨している医者の多くがファイザーなどの製薬会社から講演料と称して数百万円を受け取っていたことも明らかになっている。このような製薬利権にどっぷり浸かり、自分たちの保身や金儲けにしか興味がない医師たちが牛耳っている医師会や厚労省、分科会が、自分たちが損をするような、「指定感染症」の解除を提案するはずがないのである。また、政府は政府で、圧力団体である医師会を恐れ、「医療利権のトライアングル」に、いっさい手を付けようとしない。

結局、政府が、「感染防止」と「ワクチン接種」にばかり力を入れ、「指定感染症」を解除して医療体制の拡充をしなかったのは、国民の命や健康を第一に考えていたからというよりも、「医療利権のトライアングル」に忖度せざるを得なかったからであろう。

10.なぜ若年層にワクチンを打つのか?

今まで述べてきたように、ワクチン接種をしなくても、日本のような感染状況であれば、コロナ禍から脱出することは難しくないはずなのに、政府はコロナ禍を収束させる方法はワクチン接種しか無いと決め込み、ワクチン接種がコロナ対策の1丁目1番地となっている。しかし、ほとんど重症化しない30代以下の若年層にまでワクチン接種を推進していく考え方は全く理解できない。

統計を見れば一目瞭然で、8月18日時点で厚労省が発表した、「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)」によると、重症者数は全国で482人だが、30代以下の重症者数はわずか1人で、全体の0.2%である。累計死亡者数は全国で13,459人だが、30代以下の累計死亡者数は47人で、全体の0.34%しかいない。コロナ禍が始まって1年半が経過しても30代以下の死亡者はわずか47人である。しかもこの47人の殆どは基礎疾患を持っている人たちである。つまり30代以下で健康体の人は、ほとんどが重症化しないし、死なないのである。ちなみに、20歳未満の累計死亡者数は未だに0人である。

47人の死亡者を減らすために12歳から39歳までの約3,600万人が副作用に苦しみながらワクチンを接種する意味はない。特に基礎疾患の無い人は全く接種する必要は無い。たとえ、3,600万人全員がワクチン接種をしたとしても死亡者47人を0人にできる保証はないし、逆に副反応の強さからするとワクチン接種により死亡者が出ない保証もない。いわんや、コロナで死亡した人が未だ0人の12歳から19歳までの約1,000万人がワクチンを打つ医学的メリットは皆無である。

普通、「良識」のある人ならば、日本のように感染者も死亡者も圧倒的に少ないこの状況で、治験中で未知の遺伝子ワクチンを、特例承認までして国民に接種するという発想にはならないだろう。百歩譲って、もし接種せざるを得ない状況だとしても、兎にも角にも「安全性」を第一に考え、ベネフィットがリスクを大きく上回る年齢層に絞って接種するというのが常識であり、それが国民の命を守るということである。

にもかかわらず、政府は30代以下どころか、全くベネフィットの無い20歳未満の子供にまでワクチン接種を推し進めていこうとしているが、はっきり言って「異常」である。政府や分科会の人間が、子を持つ親であるならば、この異常さに気付いていいようなものだが、誰も気づかない。いや、気付かない振りをしているのかもしれない。政府だけではない。厚労省も、野党も、知事も、医者も、専門家も、マスコミも、タレントも、企業も、学校も、そして親までもがワクチン接種に何の疑問も抱かず、子供たちに接種を推奨している。しかも、ワクチンのリスクについて警鐘を鳴らしている専門家の意見を「デマ」だと切捨て、ワクチンの安全性を妄信する彼らは「常軌を逸している」としか言いようが無い。

このように、医学的見地からは若年層がワクチン接種をする根拠は全く無いが、「若年層も集団免疫獲得のためにワクチン接種に協力すべきである」という同調圧力が社会を覆っており、若者たちはワクチン接種を断りにくい状況に追い込まれている。この「コロナ禍を終わらせる為であれば若者は犠牲になっても良い」と言う発想自体、空恐ろしく、コロナの恐怖によって日本人の「良識」はここまで劣化してしまったのかと唖然とさせられる。また、「ワクチンによる集団免疫」については次の二点において問題がある。まず一点目だが、ワクチンを接種したからと言ってコロナが変異する以上、感染予防には限界があり、また、ワクチンの効果もすぐに減退していき、いつまで経っても集団免疫は獲得できないということ。二点目は、ワクチンの安全性が担保できない以上、自己犠牲を伴う集団免疫行政は違憲の可能性が高いということ。以上二点の理由から、「集団免疫」獲得のために若年層にワクチン接種を推奨することは道理にかなっていないということだ。そもそもワクチン接種は任意なのだから、国全体が「集団免疫」達成のために同じ方向に動き、それに反するものに同調圧力をかけるのは、まさに「ワクチン全体主義」であり、憲法に保障された基本的人権を無視するものである。

過去を振り返ると「サリドマイド事件」や「薬害エイズ問題」など数多くの薬害事件があり、その都度、政府や厚労省の隠蔽体質が問題になったわけで、なぜ今回のコロナワクチンだけは安全だと思ってしまうのか?今回のコロナ禍においても、「政府のなりふり構わないワクチン接種の推進の仕方」や、「ワクチン担当大臣の不誠実な姿勢」、「SNSでワクチンが危険だと発信するだけで動画が次々と削除されている状況」を見ていると、何か国民に知られたくない「事実」があるのではないかと勘繰るのが普通の感覚である。にもかかわらず、誰も立ち止まって考えようともせず、ワクチンは安全であると思い込んでいるのは、マスコミによる「洗脳」もさることながら、それを見抜くことができなくなってしまった国民の「良識」の劣化に起因するところが大きいのではないだろうか。

今回のコロナ騒動は、コロナの伝染病としての怖さよりも、「ワクチン接種」ごときで、これほどまでの「言論封殺」が起こり、国民全体が「ワクチンありき」という空気に染まり、反論すら許されない「ワクチン全体主義」に陥ってしまったことの怖さの方が遥かに大きい。戦後76年が経過しても、なお、日本人の気質というものは戦前とほとんど変わっていなくて、21世紀の日本においても、「言論封殺」が実際に起こるんだという驚きと、民主主義や自由主義がこんなにも脆く崩れてしまうんだという失望を感じざるを得なかった。

昨年の8月、安倍前首相が退任会見で表明した「新型コロナウイルスの二類相当から五類への見直し」がもし早期に実現していたら、医療体制は抜本的に改良され、重症者や死亡者は今よりもっと減っていた可能性が高い。インフルエンザと同じ扱いになり、とっくにコロナ騒動は終わっていたかもしれない。この決断が未だ菅政権でできていないことが残念で仕方がない。今振り返ると、日本にとってのコロナ禍は、「総合知」無き為政者と、「良識」が劣化した国民が、参加する必要のなかった世界の「感染抑止競争」と「ワクチン接種競争」にお付き合いしてしまったがために自らが招き入れた「人災」と言えるのではなかろうか。

※当サイトでは厚生労働省などのデータに基づき統計的比較を試みているが、医学的知見ついては解釈が異なる場合があるので、個々の事例についてはかかりつけ医などの専門家に確認の上ご判断ください。

「医師会」や「病院協会」こそ無責任ではないか?

2020-12-23

先日12月21日、日本医師会など9つの医療団体のトップがコロナ感染拡大で医療体制がひっ迫しているとして、「医療緊急事態宣言」を発表しました。

その宣言の内容は次の三つ。

国や地方自治体に、国民への啓発並びに医療現場の支援のための適切な施策を要請する

②国民の生命と健康を守るため、地域の医療及び介護提供体制を何としても守り抜く

国民の皆様に対し、引き続き徹底した感染防止対策をお願いする。

そして、日本医師会会長は「誰もが平等に医療を受けられる日本の医療制度が“風前の灯”になっている」と危機感を訴え、「国民が一丸となって真正面からコロナに向き合って」と呼び掛けました。

 

そして、その二日後12月23日に、日本医師会会長は、政府の専門家会議に対して次のように呼びかけました。

「医療現場の危機感を共有しましょう。政府に対してスピーディーで具体性のある政策を提言し、求めていきましょう。あなたたちは政府の最後の最終的な拠りどころ」と。

更に国民に対して「年末年始の我慢に加え、日本医師会としてもう一つだけお願いがある」としたうえで「病院診療所の医師、看護師をはじめ、医療従事者は自らが感染するのではないかというリスクに直面し、業務量も膨大に増えています。それこそ年末年始もありません。新型コロナの医療にかかわる医療従事者の心身の疲弊もピークを超えています。使命感で持ちこたえてきましたが、それも限界です。さらに医療従事者は誹謗中傷、差別、偏見にも苦しんでいます。医療従事者本人だけではなく、その家族も差別的な行為を受けたという報告も少なくありません」と医療従事者の実情を訴え、「どうぞ国民の皆様、医療従事者を守ってください。医療従事者が安心して医療に従事できるよう、医療従事者の家族と家庭が守られるよう応援してくださいと嘆願したのです。

 

さて、みなさんは、12月21日の医療9団体トップの「医療緊急事態宣言」及び、12月23日の日本医師会会長による、専門家会議へのお呼びかけと国民への嘆願についてどうお感じになったでしょうか。

わたしは正直、医師会をはじめとした医療団体のトップが今頃になって、こういうことを言っているからこそ、日本の医療体制がひっ迫したんだなと思いました。ここに並べられた言葉に医療のプロとしての専門的な示唆や使命感があるでしょうか。ここには誰かに対するお願いの言葉しかありません。

特に気になった言葉が下記のような発言です。

「国や自治体に医療現場への支援を要請する」→これは逆ではないでしょうか。医療崩壊が起こっている原因は、自治体から医療機関にコロナ患者の受け入れを要請してもほとんどが断られているからであり、支援をしてもらいたいのは自治体の方です。医師会等の役割は、自治体から医療機関に協力要請があった場合に、スムーズに協力できる体制作りのための提案をすることではないでしょうか。

「国民の皆様に徹底した感染防止対策をお願いする」、「国民が一丸となって真正面からコロナに向きあって」→すでに国民は皆協力していて、医師会等から再三されるお願いに辟易しています。われわれ国民こそ医師会等にお願いしたいのです。われわれが求めているのは医療サイドこそ、コロナ病床を増やすための具体的対応をしてもらいたい、ただそれだけのことです。

「危機感を共有しましょう。政府に対してスピーディーで具体性のある政策を提言し、求めていきましょう。専門家会議は政府の最後の最終的な拠りどころ」→今頃専門家会議と危機感を共有しましょうって遅すぎないでしょうか?また専門家会議が政府の最後のよりどころって、医師会等には医療のプロとしての当事者意識が無いのでしょうか。医療現場に最も近い医師会等こそが医療ひっ迫が起きている医療現場の問題点を検証し解決策を見つけていくべき立場ではないのでしょうか。

「どうぞ国民の皆様、医療従事者を守ってください。医療従事者が安心して医療に従事できるよう、医療従事者の家族と家庭が守られるよう応援してください」→ 過重労働や風評被害など、一部の医師や看護師にコロナ対応の負担が偏っているのは医師会等に所属する大半の医療機関が非協力的だからではないのでしょうか。また、医師会等こそが、コロナ対応をしている医師や看護師の過重労働の改善やインセンティブの確保を担うべき立場であるにもかかわらず、それを放置したまま、国民に対して「医療従事者を守ってください」というのはお門違いではないでしょうか。

 

医師会の会長がなぜこのようなお願いばかりの発言に終始しているのかといえば、これら医師会等のそもそもの目的が所属する医療機関を守ることだからです。医療9団体とは、日本医師会、日本歯科医師会、日本薬剤師会、日本看護協会、日本法人医療協会、日本精神科病院協会、日本病院会、全日本病院協会、そして東京都医師会です。

これらの団体のほとんどは民間の病院や開業医の団体です。いわゆる「民間の病院や開業医」の「経営や待遇」をよくするための職能団体です。しかも加入義務が無い任意団体です。よって、医師会会長らの発言は、コロナ禍の中でいかに医師会等に所属する医療機関を守ることができるか、特に病院経営上の被害を少なくすることができるかという目的で発せられているのです。

こういう視点に立てば、医師会の会長がなぜ執拗に「医療体制のひっ迫」を訴え、国民に自粛を要請しているのかよくわかります。その本当の目的は、陽性者数が拡大し、医療体制のひっ迫を公的病院でカバーしきれなくなった場合に、自分のところにお鉢が回ってくることを避けたいからです。なぜ避けたいかといえば、ご承知の通り、コロナ患者を受け入れる場合の医療体制の負担の大きさと、コロナ患者を受け入れることで経営が悪化するからです。特に4月にコロナ患者を受け入れた病院が軒並み経営悪化に陥ったことが原因でしょう。医師会等は所属している医療機関の利益を第一に考えますので、どれだけ医療がひっ迫していても、積極的に協力しようとはしないのです。これだけ「自粛、自粛」と再三繰り返すのは、国民の命を救うためというよりも自分たちの立場を守るためといっても過言ではないでしょう。

結局、陽性者数が欧米に比べ圧倒的に少なくかつ医療資源が十分にある日本の医療体制がひっ迫している原因は、日本の医療資源の8割を占める民間の医療機関が協力をしないからだと言えます。

それにしても、このようなことをいつまで放置しているのでしょうか?民間の医療機関もその収入の7割が公費であることを考えれば、民間と言えども公共的な役割があるわけで、今のような緊急時には、積極的に国や自治体に協力すべきではないでしょうか。そして政府や厚労省も手を拱いていないで、もっと積極的に医師会等に働きかけ協力を求めていくべきですし、医療機関が協力しやすい体制に制度設計すべきです。特に、協力する民間の医療機関に対しては、その経営が傾かないような支援をし、政府、厚労省、自治体、医師会等が一体となって医療崩壊を防ぐ努力をすべきです。

もし、4月の緊急事態宣言が収束した後、医師会をはじめとした医療団体のトップが医療体制の拡充に積極的に動いていたら、飲食店の時短営業をする必要もなかったし、Gotoキャンペーンを中断することも無かったでしょう。日本経済がここまで疲弊することは無かったはずです。

医師会をはじめたとした医療団体の皆さんには、「医療ひっ迫状況」を招いた原因が自らにも有ることを自覚し、医師本来の役割を思い出し、医療体制ひっ迫の解消のために具体的に行動してもらいたいものです。医療体制さえ充実していれば、「コロナで亡くなる命」も、「廃業や失業で失われる命」も、両方の命を救えるのですから。

異次元の将棋!! 藤井聡太対永瀬拓矢

2020-06-04

次代を担う天才同士の対決 

勝てば渡辺明棋聖への挑戦が決まる大一番

 

終盤戦の入口で、解説のプロも唸る全く理解できない手の連発

素人目にも???「なぜそんな手?」とあっけにとられる

 

52手目、藤井が2六桂から3六銀と攻め合いに持ち込む

この意外な手に永瀬は69分の長考後、6九玉から3九金打と地べたに張り付く

最も驚いたのが藤井の62手目、2七銀成。そしてその数手後の8四歩打

不思議な手が続くがコンピューターの評価値は50%を維持する

 

解説の飯島七段は「善悪を超越した一つの作品ですね」としきりに感心

ぎりぎりの戦いに没頭する対局者にしかわからない一手一手の意味

 

そんな攻防が続く中、永瀬の77手目、2六馬が痛恨の敗着となった

 

そしてその時が・・・ 藤井聡太が100手目、6八角を軽やかに打ったその瞬間、最年少タイトル挑戦が決まった

 

高校野球と木製バット

2019-08-19

夏の甲子園も準決勝と決勝を残すのみとなったが、101回目の今大会もホームランが乱れ飛んだ。「キーン」という甲高い金属音が連日コダマした。

履正社高校の1試合5本塁打の大会タイ記録をはじめ、今大会すでに40本塁打を超えている。

ところで、単純な疑問があります。なぜ高校野球は木のバットでなく金属バットなのだろうか? 高校野球だけでなく、リトルリーグも少年野球も皆、金属バットを使用している。

プロ野球をはじめ大学野球や社会人野球は木のバットだというのに・・・・

「金属バットは折れないので木製バットより経済的だから」、という理由が真っ先に思いつく。他にも原材料の木が不足しているとか、森林伐採など環境問題に配慮しているとか、様々な観点があると思いますが実際のところどうなのでしょうか。もし明確な理由もなく金属バットを使用しているとしたら、子供たちから、バッティングの本質を経験する機会とか、バッティング技術を磨く機会などを奪っているのではないかと思われるのです。

私は以前よくゴルフをしていましたが、本間製のパーシモン(木製ヘッドのドライバー)を使用していました。プロアマ問わず今やほとんどのゴルファーは金属製ヘッドのドライバーを使いますが、私はパーシモンの独特の打感が好きで木製ヘッドを使っていました。パーシモンは金属ヘッドに比べスイートスポットが狭く、少し打ち損じると飛距離が落ちたり、曲がったりします。アマチュアにはとても難しいクラブですが、スイートスポットでボールをとらえたときは、素晴らしい打感、快感を得られるのです。その打感を感じるためにゴルフをやっているようなものです。

木のバットもパーシモンのクラブと同じく、金属バットよりスイートスポットが狭く、芯でとらえるのが難しいといえます。芯を外すとボールはあまり飛ばないし、とにかく手が痛いです。でも、真芯でとらえるとほとんど抵抗感なく心地良く振り抜けます。

要するに木のバットの方が金属バットより球をとらえる技術が必要で、うまく打てたかどうかの結果が明確に出るのです。金属バットは多少打ち損じてもそれなりに飛距離が出るので、本当に正しいスイングができていたのかわかりにくいのです。子供たちのバッティング技術向上のためにも、木のバットの方が道具として適していると考えるのは私だけでしょうか。

なかんずく、プロを目指そうとする高校球児に、なぜ木製バットで技術を磨かせてやらないのか。少なくともその選択肢を与えてやらないのか。だって、高校生の国際試合であるU18では金属バットは禁止されているのです。

例えば、イチローは小学生のころ、毎日のようにバッティングセンターで練習していたそうですが、木のバットを使っていたらしいです。バッティング技術を究めようとするならばやはり木のバットを使うべきなのでしょう。

野球少年のすべてがプロを目指しているわけではないですが、木のバットの方がバッティング技術が向上し、かつプロ野球とのギャップもないとすれば、木製バットに切り替えることを真剣に考えてもいいのではないでしょうか。高校時代はスラッガーとして名を馳せた選手も、プロになって木製バットになじめず、成績不振でプロを辞めざるを得なかったという話も聞きます。

最近は、金属バットでも木製バットに性質の似た芯の狭い飛びにくいものが出てきているらしいので、木製バットへの変更が経済的にどしても難しければ、そういうものも視野に入れて飛びすぎる金属バットから卒業することを検討してみてはどうでしょうか。

木製バットの真芯でボールを打ち抜く技術を持った真のスラッガーを育てるためにも野球関係者には英断を期待します。

甲子園の金属バットの快音を聞きながら、ふとそんなことを思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AIに負けた将棋界に見る税理士業界の未来

2019-06-15

奇天烈な比較と思われるかもしれないが、AIによって税理士業界がどう変化していくのかを、全く畑違いではあるが、将棋界がここ数年繰り広げてきたコンピューターとの戦いから予測してみたいと思います。

まず、将棋界がここ数年でAIに受けたインパクトは計り知れないものがありました。20年ほど前まではコンピューターがプロ棋士に勝てるなんて誰も想像していませんでした。しかし、現在は、プロ棋士がコンピューターに勝てることの方が少なくなりました。ある棋士によるとコンピューターとプロ棋士の差は角1枚ほどになっているとのことです。角落ちでも勝てないとは相当の大差です。

実は、コンピューターがプロ棋士の実力に肉薄し始めた10年ぐらい前に、このような心配がありました。「もしコンピューターが棋士より強くなったら、プロ棋士の存在意義がなくなってしまうのではないか?コンピュータより弱い人間同士の対局を誰が見てくれるのか?もし最強棋士羽生名人がコンピュータに負けたらもうプロ棋士の地位は地に堕ちてしまうのでは?」といった心配です。

故米長九段が若かりし頃に言ったとされる逸話で「兄貴は頭が悪かったので東大に行った。自分は賢かったので将棋指しになった」というのがあります。それほど棋士になるのは難しいし、将棋界とは天才たちの集まりであるという認識が旧来からあったのです。それがコンピューターに負けてしまうなんて棋士なんて大したことないのでは、という評価に変わりはしないかという心配ですね。

しかし、現状の将棋界はどうでしょうか。藤井聡太という天才の出現や、羽生九段の永世七冠達成などのビッグニュースはありましたが、コンピューターの進歩が将棋界をダメにしたということは全くありませんでした。

逆に、棋士がコンピューターを将棋を研究するためのツールとして利用することで、新たな定石や新手が次々と生み出されています。

また、将棋を見る我々にとっても今まで以上に興味深く将棋を観戦することができるようになりました。タイトル戦などの中継でどちらの棋士が優勢なのかをコンピューターが評価してくれるのです。先手がプラス500点とか1,000点とかという評価値が画面に出ますので将棋初心者でもどちらが有利か即座に分かるのです。プラス300点なら少し有利、プラス500点なら優勢、プラス1,000点なら勝勢といった具合にコンピュータの評価値はとても分かりやすい指標になるのです。

ただ素人ですので、評価値がなぜプラス300点なのか、500点なのかがわかりません。やはりそこでもっとも重要なのが、プロの解説です。プロの解説がなければ将棋の面白さも半減します。コンピューターが強すぎてプロの解説者でさえなぜコンピューターがプラス評価を出しているのかわからないという場面もありますが、それでも我々アマチュアにしてみれば、人間による解説がどうしても必要です。しかも解説者にもいろいろな棋士がいて人間味あふれる解説をしたり、ユーモアたっぷりの解説をする棋士もいます。そういった解説者の個性もこみで楽しんでいるのが現状です。

プロ棋士は実力的にはコンピューターに負けましたが、その負けを素直に認め、逆にコンピューターを将棋界にとって有用な武器に切り替えていったのです。

 

いま、税理士という職業もAIの進化により将来なくなるかもしれない職業にカテゴライズされているようです。もともとはオックスフォード大学のオズボーン教授の論文が巷に流布されたものですが、影響力は結構大きく、税理士は将来性のない職業と認識され若者から敬遠され始めているらしいのです。

でも正確には、それは「税理士」ではなく「税務申告書作成者」という職業のことだそうです。

ここで注意しなければならないのが、税理士の仕事と「税務申告書作成者」の仕事は違うということです。「税務申告書作成者」の仕事はおよそ「税務申告書作成ソフト」が行っているような仕事です。これに関していえば、すでに国税庁のホームページの確定申告書作成ソフトで毎年申告している納税者がかなりいます。毎年ほとんど変わらない申告内容で比較的簡単な申告であれば、税理士に頼まなくても、納税者だけでできてしまいます。

しかし、我々税理士が日々行っている仕事は、このような単純な申告書の作成業務だけではありません。会社経営者からの相談は、単に法人税の節税に関することにとどまらず、消費税や個人の所得税、相続税や株価評価、場合によっては社会保険や助成金、労働問題や法律問題と本当に多岐にわたります。

例えば、法人税の節税が逆に所得税や相続税の増税になったり、社会保険料の増加につながったり、こっちを立てればあっちが立たずといった状況がしばしば出てきます。

一つの税務だけにとどまらず、様々な税法や法律の相互関係を考慮し、その中でどのようなアドバイスがクライアントにとって最も有効なのかということを考えていかなければなりません。

AIの情報処理能力はずば抜けて凄いと思いますが、そのような様々前提条件を加味していくことはまだまだ難しいと思われます。何も考えず闇雲に情報を入力しても正解が得られるとは限りません。AIにどのように情報を与えるかが最も重要です。それは一般の納税者にはできません。また、AIが出す答えが本当に正解かどうかを判断することも一般の納税者にはできません。

将棋に解説者が必要なように、税務にも解説者が必要なのです。

税理士が経営者から最も期待されていることは、重要な経営判断を経営者に寄り添ってアドバイスしていくことです。AIは有効なツールですが経営者に寄り添うことまではできないでしょう。

現場にいる私の実感ですが、AIが税理士の仕事を奪うことはできないと思います。逆にAIを使いこなせる税理士が引っ張りだこになるのではないでしょうか。

若者諸君、コンピューターと法律に興味のある皆さん、ぜひ税理士を目指してください。きっと面白い時代になりますよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

大谷翔平 サイクルヒット達成!!

2019-06-14

大谷翔平がサイクルヒットを達成した。

イチローも松井秀喜もできなかった偉業だ!

ニュースによると投手として2勝以上をしてかつサイクルヒットを打ったのはあの、ジョージ・シスラー以来二人目とのこと。もう、100年近く前の記録である。ジョージ・シスラーといえばイチローに抜かれるまでは、シーズン最多安打記録257を持っていた偉大な打者だ。二刀流としてベーブ・ルースと比較されまたジョージ・シスラーと比較され、そんな偉大な打者と比較されるなんて本当に光栄なこと。

今後の期待はまだ誰も達成していない記録。そう、打者としてサイクルヒット、そして投手としてノーヒッター!

翔平がノーヒットノーランを達成する可能性は大きいと思う。

なんて夢のひろがる選手なんだろう!

 

 

 

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